「二十歳の頃から銀魂ファンです。今三十四歳。 私の感想はとても長いで...」銀魂 THE FINAL なほこさんの映画レビュー(感想・評価)
二十歳の頃から銀魂ファンです。今三十四歳。 私の感想はとても長いで...
二十歳の頃から銀魂ファンです。今三十四歳。
私の感想はとても長いです。しつこいです。くどいです。でも書きたいので書きます。
ごめんなさい。言いたいことたくさんあり過ぎて、くどいです。
作画に関して崩壊していると思ったところが多々ありましたがしかし、私は逆にあれが懐かしかった。最近のアニメはどれもこれも綺麗すぎて人間味がなかった。
昔のようにアニメーターの人間味が感じられるような作画に出会えた時に私は微笑ましくなります。昔ってこうだったよなあと、思いました。昔は「あ、これ〇〇さんの作画だな」とか「特徴出てるなあ」とか思ってにやついていた私です。そんな楽しみは最近の均一化された作画で消えました。
それについては懐古主義と言いますか老害と言われますけど、寂しいと思いました。ギスギスしているのは好きではありません。昔はもっとみなさん、おおらかではなかったですかね。作画監督の特徴が出ているのを楽しんでいました。それすらもダメになるのは悲しい。
アニメは作画よりも動きです。
動きが良ければ素晴らしい作品になります。
銀魂もついにラストですね。感慨深いです。私も三十路越えのオバハンになりました。
空知先生も四十を越えました。杉田さんも四十を迎えました。
年取りました。
前回は完結篇と題し今回は「ファイナル」と称したのが実に銀魂らしいのですが笑、銀魂大好きです。愛しています。
本誌で内容は知っていたのですが、やはりアニメで動くキャラクターを見るのはいいですね。
生きています。全員、生きています。素晴らしい。
高杉に泣きました。銀時にも泣きました。切ないです。苦しいです。
高杉、彼は恨みと言うか無念の塊のような人なのかなと思いました。
銀魂ストーリー自体の終盤においては松陽先生と銀時との過去の因縁にズームアップされているのですが彼が銀魂の物語に出てきた初期の彼は戦争で亡くなった仲間のこと(もちろん先生のことも含みますが)に重きを置いていたように思いました。花火大会の回です。
死んでいった者たちへの贖罪と言いますか、無念を晴らしたいと言うような復讐心が見えました。松陽先生のことも含みます。銀さんも高杉も根は優しい人なのだと思います。
しかし精神回復の方向性が違うだけなのです。
桂小太郎は全く違った自分のやり方で改革を望みます。
銀時は今を今の人々と共に受け取る選択をしました。
しかし高杉は違いました。
かつての戦争で亡くなった人々、仲間の意思を引き継ぐ、悔しい、悲しい、亡くなった全ての人々の体現のような人であると思っていました。その思いを彼が引き受けているのです。
高杉は悔しいのです。高杉は悲しいのです。死んだ者の怨念を誰が解放してやるのか。
それが彼でした。彼しかいませんでした。だからみんな、高杉に寄ってきました。
悲しい人だと思いました。高杉も、銀時も。
銀魂は楽しいけれど、本当は悲しい物語だと思っています。
悲しい人たちが笑う時、とても切ない気持ちになりました。
高杉のつづきを書きます。
亡くなった者たち、負けた者たちの無念さ、悲しさ、高杉を支えているのはこれです。彼はいくつもの屍を越えてきました。他者を犠牲にしながら自らもまた犠牲になりながら生きてきました。
悔しい、悲しい、やりきれない、切ない、未練、無念、
死んだ者、負けた者の悲しみの担い手、体現者、代弁者、代表者、
銀魂世界において彼はその体現者なのかなと思いました。
対して銀時は今のこの天人に支配された世界に迎合し生きてきた人です。
笑いあり、涙ありのかぶき町で仲間と共に生きてきました。
その中に高杉はいませんでした。
高杉は銀時のことを将軍暗殺篇でこのように言っています。
「ままごとはしめえだ」
死んだ者(松陽含みます)の怨念の集合体のような高杉は今のこの国に甘んじて生活している銀さんをままごとだと言います。私はこれはすごいセリフだなと思いました。
ままごとなのです。高杉にとっては。
しかし銀さんには今の生活が全てです。
二人の関係性が興味深かったのです。
江戸には今も生活している人々がたくさんいます。
かぶき町には銀さんの護りたい人々がたくさんいます。
しかし、初期の銀さんは少し違いました。
初期の銀さんはどこか遠い目をしていました。
かつて私が銀魂に興味を持ち、読み始めた理由は「この人(銀さん)一体何考えてるのだろう、この人は一体何を見ているのだろう」でした。初期の銀さんはとにかくこれでした。
「それが何なのかを、知りたいのだ」
新八くんも同じように感じていたことと思います。
私たち読者は新八くんです。
虚(イコール松陽)にも通じますが、「虚無感」です。
とにかく大きなモヤに覆われていて何層にも分厚い雲に覆われているようなそんな印象の男でした。この人の、中身がわからない。素性もわからない。とにかくぼーっとしている。
ただ何故かハッキリと、その中にある一本の太い信念みたいなものは感じました。でもそれが何かは、わからない。言葉では説明出来ない。言い表せない。言えない。
そして決定的だったのは、すごく寂しそうなのです。
遠い目をしているのです。
(「遠い匂い」昔オープニング曲でありました。銀魂らしい曲でした。)
魚の腐った目と揶揄される銀さんですがいつもその目は死んでいるのだけれどもでも確かに遠くの「何か」をしばし見つめているのです。彼が一体、何を見ていたのか。
その正体が、その時の私にはわかりませんでした。
しかしその正体が、本日わかりました。
「高杉だったのだ」と思いました。
そして「松下村塾」でもありました。
銀さんはずっとこの「過去」を見ていたのです。男性は過去をみつめる生き物だと言います。女性は未来をみつめる生き物だと言います。今を着実に生きているようで実態は過去をみつめていたのだと思いました。銀さんは全然前向きじゃなかった。
銀魂は過去と現在と未来の物語です。
過去があり今があり未来につなげる物語だと思いました。
銀魂は坂田銀時という一人の男が過去の傷からどのようにして再生し周りに助けられながら支えられながら立ち上がるのかを記録した物語だと思っています。
これは本当に一人の男の長い人生の記録でした。
彼の周りには暖かい人々がたくさんいました。
「万事屋」と言う看板を掲げ裸一貫で仕事をしてきました。
彼の帰る場所、それは万事屋でした。
しかしもう一つ、彼には帰る場所がありました。
それが松下村塾です。これは彼のルーツでした。
松下村塾を否定することは今の坂田銀時を否定するのと同じです。
だから彼は向き合う必要性があった。高杉にも。
人には言えない過去もあった。
人には見えない傷もあった。
それが坂田銀時の背負ってきた業だと思いました。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
彼は銀魂初期に桂小太郎にこのような言葉を言っています。
徳川家康の残した言葉です。
坂田銀時は今新八と神楽と言う二人の子の人生を背負っている。
その業もあります。しかしその前にも背負っている業があった。
それが松下村塾でのことでした。
坂田銀時を語る上で松下村塾と言う場所は避けて通れない。
何故ならばここが彼の故郷だからだ。
正確にはここは彼の故郷ではないかもしれない。
彼の出生は今も謎だらけだからだ。
しかし銀時にとって幼少期と言う大事な時期に自身が過ごしたこの土地はこの思い出は彼にとってかけがえのないものであり、代用が効かないものでもあります。
幼少期に遊んだこと。幼少期に学んだこと。
これは銀時の人格形成に大きく関わります。
人の生い立ちはまさに宿命的なものです。
だから避けて通れない。
永遠のライバルであり、今ここで静かに暮らす「静」の立場の自分(銀時)とは動の方向に行ったかつての友人、仲間、同志、どれも言い替えが難しいのですが陰と陽、白と黒のような二人の対比が目立ちます。離れていても気にかけていた存在だったのだと思います。
高杉のことは正直本当に心配な存在だったと思います。因縁の相手ですから。彼のことと先生のことです。この二人のことが銀時にとってはずっとかぶき町で暮らしていた時にも引っかかりはあったはずです。どうにかしてやらないといけないこと、だけどどうにもしてやれないやりきれない思いみたいなものがあったものと思います。
朧も含めます。関わった者全てが傷ついています。彼らはそれぞれの選んだ道でそれぞれの方法で自分の心神喪失の回復に向けて動きました。銀時は銀時の、高杉は高杉の、桂は桂のやり方で動きました。先生はそのことでまた悩んでいたのだと思います。自分のせいで愛する弟子たちをこのような形で引き裂いてしまった。憎しみ合うようにさせてしまった。その自責の念がありました。
銀時もこのことによって彷徨います。
そして辿り着いたのがかぶき町でした。
この事件は忘れがたい事件だと思います。
だから高杉のことを護りたかった。
将軍暗殺篇に戻りますが、繋がります。
「松下村塾の高杉晋助の魂を護りたかった」のです。
自分の過去のような存在であり、自分の置いて来た陰影そのものでもあったと思います。私は今も真っ直ぐにこの世に抗い立ち向かい続ける高杉晋助に対してこの世を受け入れ和気あいあいとかぶき町の仲間と生活を共にしている坂田銀時に苛立ちを覚えることもありました。逃げているのです。彼は、逃げていたのだと。しかし本当はそうではなかった。
彼は彼の道でかぶき町で彼自身の心を癒していた。彼自身のポッカリ空いた空っぽの心をかぶき町で万事屋と言うホームで新八や神楽たちと癒していたのです。
まるでこれは心理セラピーのようでした。
ギャグマンガに見えて実は、坂田銀時とその周りの人間の自己の回復の物語なのではないかと思います。銀魂は本当に深いと思います。
失ってしまった自分の回復の物語と思います。
傷ついた自分の回復の物語と思います。
心理的な精神的な漫画だと思います。
医療的な漫画だとも思いました。
確かに終盤は宗教的なにおいもありました。
私はこの物語は救済の物語だと思いました。
そして喪失の物語でもありました。
人は必ず失います。
長い長い、それは果てしなく長い人生の旅路でした。
彼ら一人一人の長い長い物語。
高杉がようやく解放され報われたと思っています。
それと同時に銀さんも報われたのだと思います。
そして松陽先生とうつろもまた終わることが出来ました。
うつろについては正直本当に救われたのか私にはわからない。
彼の空っぽの心にも誰かの心が入るのだろうか。
彼も普通の人間と同じように生まれ変わり今度は人として
命を全う出来ればいいと思った。今はようやく休めるのだ。
そして人は生きていくのかもしれない。
うつろの心に明かりが灯ります様に祈りたい。
炎が灯ります様に祈りたい。