シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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音楽と演出が良かった。
ウルトラマンはほぼ見たこと無かったけど、楽しめました。
クイズ番組で見た「手描きスペシウム光線」や、ウルトラマンが赤白の点滅の中変身する映像とか、
「見たことあるー!!」
って感じで。
あと、これはネタバレになるのかわからんけど、
テーマ(と、僕は思いました)が良かった。
小さくて弱くて群れてる生き物愛おしいとか、
ただひとり、
とか、
が、テーマだったのかな。
と、思ったら、たまらなく悲しかった。
しんどいノブレス・オブリージュか。
と。
光の国で、宇宙警備隊として生きてったら良かったやんけ。
なにしとんの。と。
弱くて群れてて、分かり合えない(分かり合えない訳では無い)(でもそれって、犬と人間間的な、種族を超えるひつようがあるやつじゃん)相手をさぁ、
ちびっこを庇って死んだ神永の姿を見て、なんでかよくわからんけどだいすきになっちゃったんだよね。て。
もー。
誰かウルトラマン氏を救ってあげてくれよ。
とか、
寄り添ってあげてくれよ。
とか、思いました。
痛みを知るただ独りは悲しいよ。
(ウルトラマン氏がどう思ってんのか知らんけど)
誰かー!
面白かったのですが、私たちと関係なさ過ぎた?‥
(ネタバレあるので、映画を見てから読んで下さい)
事前に言われていたCGの問題や庵野さんが監督していない点など懸念材料も結構あったと思われますが、意外に面白かったです。
その点は庵野さんが脚本を書いているからだろうな、とは思われました。
しかし、話は面白くはあるけれども、どうも最後まで私たち(人間)にはあまり関係がない話として進んでいるな、とは思われました。
つまり、禍威獣特設対策室(禍特対)の人間側はほとんど付随的にしか活躍せず、ほとんどウルトラマンと巨大不明生物や知的生命体とで完結する話になっているなと思われました。
これが人間側が活躍した『シン・ゴジラ』と違って、『シン・ウルトラマン』の物語が終わってもほとんどこちらに何も湧き上がらない理由だったと思われました。
人間の無力さを突きつけたいのが理由でそうなったのかもしれません。
であるなら、そんな短絡で人間を描かれても困るなと、観客として響かないのもまた当然だろうなとは思われました。
少なくない人も指摘していますが、映画としてはもっとウルトラマン(斎藤工さん)と浅見弘子(長澤まさみさん)など禍特対との関係性をしっかりと描く必要があったとは思われました。
(それは本来のウルトラマンの描く基本では?との記憶もあります)
惜しい作品になっているなとは思われました。
ウルトラマン・シリーズでよく「映画版」が作られますが、ああいうテイ...
ウルトラマン・シリーズでよく「映画版」が作られますが、ああいうテイストの作品だと考えるといいと思います。それをもっとお金を掛けて作ったものです。「シン・ゴジラ」のようなシリアスなもの、悲痛なものを想像すると、間違います。これはこれで楽しい作品だと思いますし、いま朝に放映されているウルトラマンの類に親しんでいるお子さんが見ても、十分楽しめるのではないでしょうか。ウルトラマンの色彩が変化することや、悪役の宇宙人がいやったらしく口の回るキャラクターであることなどは、近年のウルトラマン・シリーズに近いものがあると思います。
ただし、何といっても初代ウルトラマンのファンが一番楽しめるはずです。出てくる怪獣や宇宙人はほぼ初代でおなじみのものですし、エピソードの内容も「ああ、あれのリスペクトか」と思うところがあります。すなわち、「ウルトラマンがいるのなら、科学特捜隊は要らないんじゃないのか」という、初代のイデ隊員の懐疑(ファンならご存じ)が、本作でも重要なモチーフとして変奏されているのでした。音楽も、初代の音楽をそのまま使い(電話の音には笑いました)、オールドファンに訴えるものになっています。
樋口真嗣の特撮はさすがです。特に前半の格闘シーンはよかったですね。後半はそれに比べるとやや迫力に欠ける印象です。これは設定上仕方がない面があるのですが、詳しくはネタバレになるのでやめておきます。
ゾフィーの役割に初代ウルトラマンと重要な変更があります。私は手塚治虫の「W3(ワンダースリー)」を反射的に想起しました(世代が高くてすみません。ネタバレになっちゃうかな)。しかしこの程度の変更は、リメイクでは歓迎してよいと思います。
以上、還暦レベルのおじさんファンとしては楽しく観賞しました。
エヴァ+ウルトラ=シンウルトラマン
最初はエヴァ風味のシーンが多用されているせいで感覚的に実写版エヴァを観ているような錯覚を起こしていたのですが、映画が進むに連れてだんだんウルトラマンになっていきました。
公式で表すならまさに「エヴァ+ウルトラ=シンウルトラマン」といった感じ。
この不思議な融合具合が気になる人はこの映画を観るのに向かないと思いますが、私は割と楽しめたのでこの手法の映画は「有り」だと判断しました。
特に音楽の入れ方、タイミングが凄く良かったです。エンディングでウルトラマンのBGMを多用使用していたのが分かったので「やっぱりか」と思いました。
ウルトラマンの話自体はあんまり覚えていなかったのですが、音楽は何となく聴いた覚えがあったので、劇伴を楽しむ為にも映画館で是非見て欲しい作品です。
あと個人的に長澤まさみさんの巨大化シーンは爆笑してしまいましたww
あのシーンは笑いを堪えるのが非常に大変でしたw
人によってはアレをセクハラと捉えると思いますが、いやでもアレは仕方がないな。
あんなのが街中に突如、出現したらそらみんな動画撮るわwwと妙に納得してしまいました。
ひとつ不満があるとすれば、ED曲の入り方だけかな。
曲のイントロが急すぎて、そこは2秒でいいから間が欲しかったです。
リアリティってなんだろう。
ストーリー、面白かったです。
異星人?に騙されるように政治家のみなさまが
対応していく様子とか
対する世界の国々の対応とか、
そうなるよねーって、
なんかリアリティを感じました。
ウルトラマンの人類に対する思いとか、
ゼットンに滅ぼされることになるとか。
ヤケになってからの頑張る物理学者くんとか。
そういうのもよかった。
巨大化には笑ったし。
「神じゃない」ってくだりは
本当によかった!!
でもなぜか、何か物足りないと感じてしまうのは
シン・ゴジラで期待値を
あげているせいなんでしょうか?
シンゴジラみたいな長台詞が
シンウルトラマンでは上手くいってないのでは?
あの長台詞でもシンゴジラは
圧倒的にリアリティを感じてしまったのですが、
シンウルトラマンでは
逆に不自然な感じでした。
人間ドラマを描くなら、
もう少し普通の言い回しにしたほうが
リアリティがあるのかも。
なので、
ストーリーは悪くないし面白かったし、
映像もよかった(cgとか全然気にならなかった)のに、
没入感が足りなかったように思いました。
まあ、しかし
子どもの頃好きだったウルトラマンを
こんな風に楽しめるのはうれしいよね。
これから宇宙から狙われるであろう人類を守るため
タロウとかセブンとか
光の国から新しいウルトラマンに来てほしいなぁ。
庵野&樋口版ウルトラマンは子供時代の記憶を蘇らせる映画だ!
僕も幼稚園児の頃ウルトラマンをテレビで観ていました。それから約15年。
リブートしたウルトラマンは大胆なアレンジにオリジナルを放物させよく出来たと思いました。
中でも長澤まさみさん演じる女性分析官の巨大化が一番の驚きでした!
もういいよ…
正直ガッカリだ。
樋口、庵野監督よくやったとみんな称賛しているがCGも全然良くなかったし脚本もバトルも全てにおいて中途半端だった。
中途半端にリスペクトするのはやめてくれよ…
何なんだあの直立で回転する技は…。
ドクターストレンジを見たあとに行ってしまったのも悪かったのだろうが全てにおいて負けている…。
庵野=面白い考えはやめたほうがいいと思う。
なんでバルタン星人がいないのかがすごいショック。
難しく考えず見れる。面白い。
ウルトラマンちゃんと見たことありません。
シン・ゴジラは鑑賞済ですが、正直"難しかった"という印象。
今回のシン・ウルトラマンは、期待せず見に行ったのですが大当たり。
冒頭1分の怒涛の説明、分からせる気のない情報量、まずこの魅せ方に惹き込まれました。
まぁ、神永新二が子供助けに行った時「え、なんでお前が行く?」とは思いましたが笑。
それから中盤までは世界観の広がりを感じ、非常に楽しく、飽きずに見れました。
ただ、終盤の展開はテンプレートなので、先が見えてしまったかな。
ヒーロー物なのだから、もっとしっかりバトルで魅せて欲しかったです。
最初は役者の滑舌が気になりましたが、私が馴染んだのか、役者が役に慣れたのか、途中から気にならなくなりました。
特に演技が素晴らしいのは、主演のお二人と山本耕史さんですね。
なんかセクハラがどうとか言われてますが、え、あれで?って感じです。キャラ付けとして別にありでは?映像表現とは、難しいものですね。
次回作があったらぜひ見たいです。
まぁ庵野秀明さんが監督でやったら、さらに面白くなったのだろうか?とは思ってしまいますが。
カットの数は邦画史上屈指で……
最初は斬新なショットの連続に魅了されました。然し、カット割りのタイミングが、登場人物達が台詞を喋る度であることが多いことに気づくと、微笑ましい気持ちになりました。アニメみたい。
そして、カットが割られる度に視線の移動を強いられ、(実写版キャシャーンかよ)と心の中でツッコミを入れてしまいました。
幼児の時、再放送されたウルトラマンのエピソードで、巨大化したフジ隊員に何故か性的興奮を覚えた老人としては、長澤まさみさんが巨大化したシーンが観れて大変、うれしかったです。ブルーシートに覆われてる長澤さん、ウルトラマンに蹴り上げられて手足をバタバタさせ、びっくり顔でカメラに迫って来る長澤さん。とてもチャーミングに撮られており、印象に残りました。
いろんなカイジュウや星人が登場して、ストーリーもスピーディーに進んで行き、CGも巧く出来ていたと感じました(担当したのが『白組』だとエンドロールで知り、描画の独特なクセが無くなっているのに感心しました)。
では、なんでこの評価なのかと云うと、クライマックスシーンの盛り上がりの欠如!!これに付きます。エモくないのです。ちっとも。エンドロールで流れるJPOPも、ファンの方には申し訳ないのですが、扇情的要素が一切無く、ありきたりなリリックで紡がれるメロディラインには、魂を鼓舞されませんでした。まぁ、老人の感想なので多めに見てください。
最後に、台詞の中にやたらと理論物理学のジャーゴンが出てきますが、ブレーンワールドもマルチバースも現時点では仮説に過ぎませんのでアナクロ化する可能性が高いと思いました。
因みに、匂いは数値化出来ます!
シン・ガッカリ映画ウルトラマン
シンウルトラマンを拝見しました。プロの作った映画の気配がしませんでした。アマチュアリズムはそれでいいんですけれど、もう少しクオリティーと言うことを考えで欲しかったです。10点満点で2点です。
字幕を付けてくれ!
自分のウルトラマンの知識はほぼ皆無です。(スペシウム光線、3分だけしか戦えない、、、くらい)
この映画で初めてまともにウルトラマンを観ました。庵野秀明作品なので、シン・ゴジラは見ていたし、期待していました。
結果は期待を大きく上回り、映像的に面白いなぁと満足しました。
しかし、自分のウルトラマンの知識が無い事で、ファンの方がニヤリとするシーンだろう場面とセリフが分からない。また自身のそもそもの学歴が低い為か知識が足りない為か、何を言ってるかサッパリ分からん!恐らくこういう事だろうと考えながら見る場面が多々ありました。
字幕を付けてくれればもう少し分かったかもなぁと思いました。
あと分からない事だらけだったのて、初代ウルトラマン
を見直そうかと思えたのは逆に良かったのかも。
とにかく字幕を付けてくれ!
星4なのは、CGがCGと分かるのが気になったので…。
ツボにハマったw
いや〜面白かった!
ウルトラマンは子どもの頃見た記憶はあるけど、内容は全く覚えていないので、ほぼ初見、特撮も特に興味はない状態での鑑賞だったけど、なんか昔の特撮を取り入れてる感じとか、逆に新鮮で楽しめた。
笑っちゃいけないんだろうけど、ウルトラマンの戦闘シーンのクルクル攻撃やひたすら固定して飛ぶ感じ、ブラックホール?に吸い込まれる所とか、つい動きが面白くて一人でニヤニヤしていた。
状況でもウルトラマンとメフィラス星人が居酒屋で酒飲んで地球侵略の話を真面目に語ってたり(割り勘とかw)、神永と浅見の噛み合わない会話とか、やけに礼儀正しい外星人とか、個人的にも面白く、分かっててやってるお遊びみたいな昭和感がとても楽しめた。
映画としてはもう少しウルトラマンの地球に執着する動機的な所の掘り下げが欲しかったかなぁとも思ったり、怪獣の出現の原理などももっとあっても大人は楽しめたかも。
最後は人類に託す感じで終わったけど、実際は守るウルトラマンもいないし、全宇宙の外星人に標的にされてる感じを見ると、その後の地球の行く末はかなり心配かな。
何はともあれ意外な面白さにハマってしまったので、また考察動画など見て、見識を深めてから2回目行くかもしれません。
2時間ならこれが限界かな
公開初日
仕事終わってから駆けつけました、映画館。
面白かったです。
でも特撮部分が思っていたより少なくて
CGだらけで正直ガッカリしました。
ウルトラマン…いや帰ってきたウルトラマンくらいかな、記憶では…をリアタイ世代の私にとってのウルトラマンは
やはりスーツアクターさんが入ったウルトラマンで。
垢抜けない、泥臭いところも魅力だったのです。
ピンチと肉弾戦成分薄めの「半神」の如きウルトラマンは、庵野の自己投影なのか?
庵野/樋口の特撮シリーズってのは、正直けっこう「ずるい」(笑)作りの客寄せホイホイだ。
現代に生きるオタクでおそらく一番偉い人が、日本を代表する特撮コンテンツを題材に、昔から脳内で培ってきた「僕の考えた最強の●●」を、満を持して発表します、と訊いてスルーできる人間は少ない。まして、シン・エヴァを完結させた庵野がこれから手掛ける仕事には、彼の人生の「総まとめ感」が漂っている。
要するに、このシリーズは、面白いとか面白くないとかの次元を超えて、「まずは観ておかなければならない」マスト感が只事ではない。
封切り前から、その内容いかんにかかわらず、この映画は「勝つ」ことを運命づけられているのだ。
逆にいえば、単なる個人的な「評論行為」を「エンタメ」にまで昇華できる庵野(および実作代行者の樋口)という人は、やはり凄いと思う。
もちろん、「庵野にとっての究極のウルトラマン」の披露は、幼少時(もしくは青春時代)にウルトラマンに接し、それに耽溺した多くの人間にとっての「ウルトラマン」の私的なイデアとのぶつかり合いになる。
誰しもが、心の奥底に持っている、自分だけの「ウルトラマン」。庵野の研究発表を前にすれば、観る者は必然的に「彼のウルトラマン」と「僕のウルトラマン」を突き合わせざるを得ない。「シン・シリーズ」とは、そういう「答え合わせ」の要素を生得的に宿している。
結論から言えば、庵野(と樋口)の呈示した「ウルトラマン」は、僕が私的に思っていた「ウルトラマン」よりも、ずいぶんと「潔癖」で「健康的」で「概念的」な、「健全」なウルトラマンだった。より正確に言えば、「人間くささ」よりは「半神性」を、より前面に押し出した「英雄的な」ウルトラマンだった。
もちろん、次々と襲来する使徒1号、使徒2号みたいな「禍威獣」と、奇妙な起動とぎこちない動きを見せつつ、ときどき「色の変わる」、得体の知れないウルトラマンというのが、びっくりするほどにそのまんま『エヴァ』みたいだというのは、僕も当然思った。ああ、『エヴァ』ってのはロボットアニメだったからその印象が薄いけど、もともとは大学時代に『帰ってきたウルトラマン』の同人映画を自作自演で創っていた庵野からすれば、まるっと「ウルトラマン」オマージュそのものだったんだなあ、と。
だが、『エヴァ』と『ウルトラマン』の比較論に関しては、僕なんかより詳しい『エヴァ』ファンの方がたくさんいらっしゃるだろうし、そういった皆さんにぜひおまかせしたい。
僕がここで触れておきたいのは、僕の、個人的な「ウルトラマン」観だ。
ちょっと気持ちの悪い話かもしれないので、あらかじめお詫びしておく。
幼少時の僕にとって、ウルトラマンは、なぜか性的な興奮と直結していた。
性的には未分化だが性欲はすでに充分に強かった4歳~5歳児の僕は、タロウやエースがボッコボコにされるたびに、不思議なことにギンギンに怒張していた。ヒーローが痛めつけられることに猛烈に興奮していたのだ。たまにウルトラ兄弟が殉職すると、それはもう強烈なカタルシスに襲われた。逆に、ヒーローが順当に勝つと退屈で仕方がなかった。
小学校にあがると、僕の性的興奮の対象は『大江戸捜査網』の梶芽衣子や『江戸を斬る』の松坂慶子のヒロピンに移行することになるが、それでも僕にとってウルトラマンは原初的なエロスと直結したキャラクターであることに変わりはない。
その理由はおそらくはっきりしている。
日本の特撮ヒーローのなかでも、ウルトラマンほどに「ピンチ」を際立たせて作られたヒーローはいなかったからだ。
圧倒的なスペックと、それに反しての「活動時間制限」と、その象徴としての「カラータイマー」。
ショッカーのような雑魚キャラとの殺陣が存在しない、裸と獣の絡まり合う一対一の肉弾戦で、出だしは優勢だが、必ず中盤で「ピンチ」が訪れる。さらにはタイムアップが迫り、ヒーローにとってはぎりぎりの闘いが繰り広げられる。そこで、必殺技が出て大逆転勝利。ここまでがひとセット。
ウルトラマンにおける子供たちの「はらはらドキドキ」を喚起する中核は、無敵の「強さ」というよりは、むしろベイビーフェイス的な「弱さ」だったのではないか。強すぎる「なろう」的な「マシズム」よりは、弱さを併せ持つ「マゾヒズム」が少年の心を揺らしていたのではないか。その意味では、等身大ヒーロー系でいえば、「イナズマン」や「キカイダー」に近い、「やられ方にそそられる」要素が強かったのではないか。そこが、僕の内なる「ヒロピン」属性に響いたのではないか。
もう少し、僕の個人的性癖より普遍的な話に敷衍すると、ウルトラマンは、間違いなく「プロレス」を祖型としている。
これは、東映系のライダーや戦隊モノが「時代劇」を祖型としているのとは、とても対照的だ(あっちは、雑魚戦闘員による「殺陣」をこなしてから、メイン武者の一騎打ちがあって、成敗という典型的な「チャンバラ」の構図を援用している)。
そして、プロレスのもたらす熱狂は、そもそもそのホモソーシャルな外見につい騙されがちだが、実はセックスとのアナロジーによって説明され得る、と僕は常々考えている。要するに、裸どうしの人間がくんずほぐれつして、最初は軽いジャブ(前戯)から入って、しだいに大技の応酬になり、お互いがくたくたになってきたところで「フィニッシュ」して大層気持ちいい、という構造上のアナロジーだ。この興奮を喚起する物語構造は、いわゆる他の「格闘技」のもたらす興奮とは大きく異なっている。プロレスだけが、セックスのまねびとしての(ちょうど性的に無毒化されたワクチンのような)擬似興奮作用を有している。
で、ウルトラマンが「プロレス」を祖型とする以上、ヒーローと怪獣の息を詰めたような(あたりに破壊の限りをもたらす規模の)究極の「肉弾戦」もまた、セックスのアナロジーとしての解釈が可能だ、というのが、つまるところ僕の「ウルトラマン」観だ。
といった話を5歳くらい年上の会社のSFマニアの先輩にすると、「それは君がタロウやエースの再放送をメインで観ていたからそう思うのだ」「ウルトラマンがボコボコにされて特訓して鍛え直したりする流れは新マン以降の付け加えだ」「最初のウルトラマンはもっと『強い』キャラクターだったはずだ」などと、いろいろ諭されてしまったんだが(笑)。
で、この長い前置きを前提に、『シン・ウルトラマン』を観てみると、少なくともここでのウルトラマンが、そういった「ピンチで」「やられる」「肉弾戦の」「プロレス的な」一連の方向性とは、ほぼ対極に位置する存在であることが痛感させられる。
要するに、庵野(と樋口)は僕が幼少時に受容していたウルトラマンの「らしさ」を、ほぼ完全に「スルー」した形で、自らのウルトラマン像を再構築しているのだ。
本作のウルトラマンには、ピンチらしいピンチがない。
敵はドリル怪獣ガボラを筆頭にかなり強い印象を与えるが、そう苦戦しているという感じもしない。
結構な余力を残して、相手を制圧している。
何より、このウルトラマンにはカラータイマーがない。
すなわち、時間制限という最大の「弱点」が克服されている。
正確には、消耗が激しく活動限界があるという話はきちんと作中で成されるのだが、それをカラータイマーという形で「誇示」し、第三者に「見える化」することを敢えて辞めている。
庵野/樋口が描こうとするウルトラマンは、もっと崇高で、もっと半神的な存在だ。
地面に這いつくばりながら、怪獣とのプロレスショーを人間に見せてくれる泥臭い一面より、「人間より圧倒的に高度な文明からやってきた絶対的上位者」としての一面の方を、常に強調して作られている。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門のように、辞書をぺらりぺらりと読み続けるウルトラマン。
地球人の流儀を「実に面白い」とか、おおよそ上からの外星人目線で評価するウルトラマン。
ザラブやメフィラスと、下等な人類の生殺与奪をほぼ握る「神」の目線で、人類の未来についてディスカッションするウルトラマン。
本作のウルトラマンはあくまで、「外星人」であり、「上位者」であり、ほぼほぼ神様に近い存在である。そのぎこちなさや、得体の知れなさも含めて、「戦闘ヒーロー」というよりは、「友好的宇宙人」の側面が強調されている。
ラストのゼットン戦にしても、同身長の怪獣に惨殺される元版の衝撃と比べれば、横スクロールシューティングゲーのボスキャラみたいな巨大要塞に特攻して墜落する流れは、「痛みを伴わず」「なぶり殺しの怖さがなく」「そもそも殺されていない」。
要するに、このウルトラマンには、生臭さがないのだ。
肩で息をしながら、ボロボロになって闘って、痛みの実感を伝えてくるよりは、
とても、強くて、正しくて、でも無機的で、得体の知れない、知的で健全な存在。
なんだろう? こういう言い方をすると語弊があるかもしれないが、「アスペルガーの神様」っていうのかなあ。
アスペっぽい挙動がマイナス査定されずに、逆に人間を超越する存在の証として前向きに評価されている幸せな世界軸で、逆に「人間を愛してる」とか言っちゃってみせる偉大な存在というか。
もしかすると、庵野は、ウルトラマンという「人と異なる存在」に、「オタク」というアウトサイダーとして生きる自らを仮託しているのかもしれない。
そして、なぜ自分が人と異なるかといえば、それは「人より自分が高次元の存在だから」と、その全てを肯定しちゃいたいという庵野の内的欲求がおのずと現れた結果なのかもしれない。
自分のウルトラマンと庵野のウルトラマンの「ズレ」は当然興味深かったが、「ズレ」ているがゆえにハマり切れなかったのも確かで、その辺が星評価にもつながっている。
さて、中盤でどうでもいいことを書きすぎて、紙幅が尽きてしまった(笑)。
1点だけ、冒頭あたりの長澤まさみの撮り方が窃視的って意見があるみたいだけど、むしろこれって、ダーレン・アロノフスキーが『レスラー』とか『ブラック・スワン』でやってた「尾行撮り」だよね。てか、異常に量の多いカット数とか、窮屈そうなドアップの連続にもアロノフスキーのヒップホップモンタージュっぽい感じがすげえ出てる気がするんだけど、影響関係とか、どうなんだろう。
全体的に、長澤まさみに対してセクハラ的かと言われれば、まあそれはそうなのかもしれないが、最初から言っているとおり、特撮やアニメというのは、性的に未分化な幼児にとっての原初的な性志向と激しく密接に結びついたジャンルであることは間違いないわけで、特撮オマージュで作られた特撮にセクシャルな要素が介入してくるのは、むしろ「当たり前」のことである。
そのセクシャルな内容が、大人の仕事のできる美女(庵野は怒るだろうが、安野モヨコもしくは、安野モヨコの描いた「働きマン」のような女性)を性的対象とした、女体の巨大化だったり、匂いフェチだったり、下からの仰視アングルだったりというのは、むしろ健全すぎて、本当にびっくりするくらいだ(笑)。
少なくとも、少女性や処女性に縛られつづける宮崎駿&新海誠や、ケモ耳フレンズの細田守よりは、よほど「健やかな」フェティシズムだと僕なんかは思うのだが。
追記:この感想を書いてから5日後、売り切れだったパンフの再入荷分があったので買ってきた。
「ネタバレ禁止」との紙帯が巻いてある。外してざっと読んでみた。
まさかの……「庵野」成分ゼロ!
インタビューがないどころか、彼のスタッフ紹介すらどこにもない!
てか、庵野に触れた頁自体、1頁もない! 鷲巣さんや米津くんですら、1頁もあるのに??
「庵野の不在」が帯でバレ禁止にされてる「ネタ」ってオチか??
どうやら、別途販売されている『デザインワークス』のほうに、庵野成分はすべて分けてあるらしいのだが、客にだまってそんなことするか?
これってさすがに詐欺なんじゃないだろうか……「これは樋口の映画」ってことにしたいっていう庵野の意思表示なのかしら。うーむ。なんか釈然としないぜ。
「百聞は一見にしかず」私の好きな言葉です
観るまで不安はなくはなかった。
が、観れば分かる!
期待どおりの面白さだった。
監督補:摩砂雪
副監督:轟木一騎
准監督:尾上克郎
総監修:庵野秀明 / 監督:樋口真嗣
…これ、本当の監督は?
樋口監督が庵野秀明のイメージを職人的に実写化したのかなぁ…とは思うのだが、『シン・ゴジラ』と同様の“庵野組”による布陣は役割分担がよく分からない。
手前に障害物を置く窮屈な構図と、人物を仰角で捉えるエゲツない構図のオンパレード。
イントロダクションの読ませる気がない明朝体テロップ、早口で聞き取り難いセリフ、長澤まさみの尻叩き…と、庵野のオタクぶりが散りばめられている。
いったい、樋口シンジくんの演出はどこだろう?
基本的には原典シリーズの幾つかのエピソードを再構成しているのだが、大筋を崩さない程度のアレンジでありながら、結局は庵野ワールドへ着地させているのだから見事だ。
しかも、物語がトントン進んで心地よい。
究極はゼットンを生物型の最終制圧兵器にしたアイデアだ。つまりは「使徒」だと言ってしまえば簡単だが、いかに庵野の中でエヴァの世界感が確立されたものであるかが解ろうというもの。
ただ、ウルトラマン対ゼットンの闘いは、熾烈な“格闘”であって欲しかった。ウルトラマンシリーズの魅力は、肉弾戦にあると思うから。
付け加えて、ゾフィーの役割の改変はほぼ反則。
成田亨氏の初期デザインに拘ったと聞くが、カラータイマーは置いておくとしても、ウルトラマンの細身のフォルムには違和感がある。テレビシリーズでも数話目でリフォームされた姿は大胸筋が大きく力強さがあった。肉弾戦には体の厚みは必要だ。
原典の設定では、護送中に逃亡したベムラーの追跡にハヤタ隊員を巻き込んで死亡させてしまったウルトラマンが、彼と同化することで生き返らせたのだが、人間の姿の時はあくまでもハヤタだった。
本作では、命を捨てて子供を守った神永シンジ(斎藤工)の行動に興味を持ったウルトラマンが、シンジに身を宿してカトクタイに入り込む。シンジの姿をしていてもウルトラマンなのだ。
また、ハヤタがウルトラマンだったことは誰にも知られずに終わったはずだが、シンジがウルトラマンだと早々に知られたうえに、“ウルトラマンの男”の争奪戦が起きる。
こういうところは大人向けの捻りが効いていて、感心する。
浅見弘子(長澤まさみ)のキャラクターは葛城ミサトに近く、庵野の女性観が反映している。
原典のエピソードで巨大化したアキコ隊員は本物ではなかった(本物は幽閉されていた)と記憶するが、浅見は本当に巨大化させられていた。ブルーシートの中で元に戻った時のセリフが絶妙だ。
浅見はスニーカーで出勤してオフィスでハイヒールに履き替えるが、普通は人目に触れる通勤ではおしゃれをし、勤務場所では楽な格好をするのではないかと思う。
逆の行動をさせて、浅見の合理主義者ぶりを示しているように思う。
「宇宙人」を「外星人」(←この字か?)と言うのは良いが、「禍威獣」という当て字は高架下の壁の落書きみたいで戴けない。「怪獣」で良いと思うのだが、「科特隊」を「隊」ではない怪獣対策の専門室に設定を変えても略称をカトクタイにするためには、“カ”という一文字が欲しかったのだろう。よく考えたな…とは思うが、やっぱり戴けない。
キャスティングが効いている。
長澤まさみがなんと言っても一番良い仕事をしている。男勝りで色っぽく、説得力を持って台詞が吐ける女優は他にいないのではなかろうか。
斎藤工は役者としてはあまり好きではないが、あの無表情が人間の姿でも外星人である設定に合致していた。
島田久作の総理大臣は意外性があって面白い。一方で、ゾフィーの声が山寺宏一なのは安直。
名無しの役人で竹野内豊が出演していたので、長谷川博己のカメオ出演もあればよかったのに。
絶好調!長澤まさみ
絶空調!斎藤工
激ヤバ光線!
マルチバース・・・これは私の好きな言葉です。印象に残る台詞もいっぱいありましたが、ほぼ笑ってしまったために覚えているのメフィラスの山本耕史のみ。忘れっぽくてイヤになってしまいます。
オープニングから凄い!絵の具をぐしゃぐしゃにした逆回転からのウルトラQ、シン・ゴジラ、シン・ウルトラマンへとタイトルが変わる!これはTV版ウルトラマンのオープニングも「ウルトラQ」から「ウルトラマン」へと変わるのと同じ。ずっとウルトラQのテーマ曲が流れているのも驚き。そしてウルトラマンの造形。美しさを強調したあまり、カラータイマーが無い!あぁ、これだ。スペシウム133なる元素についてもね、すごく嬉しかった。あぁ、なるほどね。そういう意味があったんですね。などなど。
数々のオマージュとパロディが組み合わされ、『シン・ゴジラ』のように早口言葉で専門用語をまくしたてる。カイジュウは中身が同じ(使徒っぽい)?これは円谷プロがカイジュウの着ぐるみを使い回していたことのギャグなんでしょうか。
宇宙人を「外星人」と呼ぶのも興味深いし、メフィラスが名刺を差し出したり、皮だけの存在だったのも面白い。長澤まさみが巨大化させられたのもオリジナルと同じです(オリジナルではバルタン星人が化けていた)が、それよりも匂いを嗅いで追跡するシーンが最高!あ~~風呂に入ってないのに~
『大怪獣のあとしまつ』では国防大臣だった岩松了が今作では防災庁大臣。『シンゴジラ』でも『大怪獣のあとしまつ』でも外務大臣だった嶋田久作が今作では総理大臣。微妙に絡んでるんですね。そして最後はゼットンの登場。着ぐるみではなく、『エヴァンゲリオン』に出てくるような動かない奴。敢えてマルチバースというワードを使ったことで、『シン』ユニバースの存在さえ想像させてくれた。ゾフィーは当時の児童誌での混同から着想を得たという存在になっていて、今後のウルトラ兄弟の物語はややこしくなるだろうね。
それにしても諸外国との政治的駆け引きや、簡単に外星人と条約を結んでしまう愚かな政治家達。風刺も含んでいて面白かったけど、ちょっとやり過ぎ感があった。特にアメリカの援助。「空想」と名をつけるのなら、もっと違った設定が良かった気もします。それにしても、禍特対の本部ってオリジナルの科学特捜隊と違って、単なるオフィスみたいでしたね。みんなサラリーマン風だし・・・
映画館リピはないけど円盤で確認したいところはある
ウルトラマンと融合したあとの神永の無表情とか、死んだ神永をみる神永(ウルトラマン)とかドッグタグとかよく考えられてるし、巨大化した女性隊員とかいろいろオマージュを感じるし、外星人もウルトラQ味あるし、巻き戻してみたいシーンも多々あったし、多分特撮映画として良い出来だとは思います。
しかし。ハッピーエンドを求める私にはラストが悲しすぎたし、私が半世紀愛してきたゾフィーを返して。
マニアの予備知識が必要?
1966年の初代ウルトラマンのストーリーと大伴昌司監修 「怪獣ウルトラ図鑑」(1968年)の間違いネタが下敷きになったリブートで随所にマニア泣かせの演出が散りばめられた仕上がりになってます。
巨大生物が街を破壊する政府の対応はエヴァ、シンゴジラと共通してグダグダな組織イズムを描きつつも、異星人を国家がどう扱うかが庵野色が濃く出ています。
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