「良かったが、響かなかった」シン・ウルトラマン Chuck Finleyさんの映画レビュー(感想・評価)
良かったが、響かなかった
先年、期待もせずに「シン・ゴジラ」を観に行き、その後「なぜ俺はこんな何回も観たくなるのだろう?」の検討用も含めその年5回も鑑賞してしまった私ですが、非常に残念ながらこの映画はその再来にはなりませんでした。う〜ん、決して悪くはないのですが、ウルトラマンのいる現代日本がどうしても「そこに自分もいる可能性が僅かでもある世界線」と思えなかった。
じつは私、シン・ゴジラ上映の頃は「エヴァンゲリオン」に全く馴染みがなかったので、一部エヴァファンが言っていた
「シン・ゴジはエヴァンゲリオンの使い回し」
「エヴァ > シン・ゴジ」
みたいな批評にかなり反発を感じていました。音楽や戦闘シーンが確かにそっくりなのを知ったのは、後の話。
ところが今回シン・ウルトラマン鑑賞の最中に、
「なんかコレ、いまいちシリアスさと現実社会感の乏しいシン・ゴジラ日本みたい。シン・ゴジ > シン・ウルだなぁ」などど図らずも思ってしまいました。だってどうしても基本的な舞台設定が似ているぶん、
巨災対 > 禍特対
ゴジに対する政府と世界の真剣度 > 外星人に対するしょぼい対応
ゴジ片付いた、これからどうする > ゾーフィ納得した、これからどうなる
というような無粋な相対比較が頭をよぎってしまう。さらに例えば長澤まさみが巨大化するのは、一部から笑いを誘ったゴジラの第二形態よりもある意味よっぽどシュールで、かといって笑いを取るためのシーンとも思えず、正直ちょっと戸惑ってしまった。
ただ一方本作は、禍威獣なんてものがなぜ地球(便宜上日本のみ)に出現するか、ウルトラマンは何故来たか、外星人がなぜ人間に接近するか、ウルトラマンが何故地球に居たいのか(少々人間愛が過剰だけど)などの理由付けつまりSF的脚本構成については、非常にうまく構築していると思いました。例えば異星人がなぜ地球侵略・人類の家畜化を仕掛けるかについてなど、様々な大作映画やドラマが「海水や特定鉱物の収奪」「人間の生体エネルギーを栄養に」などの理由で、「えぇ?そんなのちっさい一惑星まで遥々来なくても他の星々から取れるのでは?」的なこじ付け設定も多いですが、この映画の理由・進行はワタシ的には説得力を感じました。