「娯楽映画の佳作」シン・ウルトラマン 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
娯楽映画の佳作
自分は、初代ウルトラマンはしっかりファン。
しかしウルトラシリーズのファンではない程度。
頭を空っぽ付近にして観る痛快娯楽映画としては4.0。
脚本的な迫真性や、初代ウルトラマンとの比較ありなら3.5。
どちらにせよ、自分としては、娯楽映画としてもリアリティ映画としてもきびしい出来に見えた「シン・ゴジラ」よりは面白く観られた。
以下、長文にて指摘。
なお、あえて一般的になった旧語を用いる。
<よかった点>
初代ウルトラマンのリビルドが、2022年の映像技術で観られたのは嬉しい。
怪獣や怪人との戦闘は大迫力で、興奮した。
<イマイチだった点>
●ひとつの映画として
・脚本
効果的に繋がっていないと感じる要素が多い。
作戦立案担当官神永(中身はウルトラマン)と分析官浅見は「バディ」を組むことになるが、絆が深まるような段取りがなく、シーンごとに信頼と失望を繰り返すような「制作側の、ご都合言葉としてのバディ」で突き進む。実際、浅見よりも神永の元同僚の方がいつの間にか早く信頼関係が築かれているなどの迷走感がある。
中盤は善のふりをして政府に近づき人類抹殺を狙うザラブ、善のふりをして政府に近づき人類の兵器在庫化を狙うメフィラスが続くが、敵としてスケールアップしているものの直感的には伝わりづらく、中盤同じようなエピソードが繰り返されている印象を持つ人は多いだろう。
結局、メフィラスに人類巨大化装置を返しても「巨大化できる可能性があるので滅ぼす」と決めているゾフィーがいた(浅見が巨大化した時点でこの理論が成立する)ので、メフィラスとの戦いは無意味だった。また、ウルトラマンはゾフィーが現われなければメフィラスに負けていたような描写をされており、ゾフィーに助けられたものの今度はゾフィーがゼットンで太陽系破壊に動くので、茶番に付き合わされている内容になってしまっている。ゼットンはウルトラマンの命と引き換え+人の力で撃退できるが、それだけのことで都合よくゾフィーが心を変えてくれて束の間の平和という結末。後半は茶番的な内容が続いてしまっている。また、作中で描かれたのは「ウルトラマンと科特隊の絆」であり、人間神永と科捜隊の絆が描かれていないから、ラストシーンで「人間の神永」が復活しても、科特隊の面々が手放しで喜ぶとは思えない。新たな怪獣・怪人たちの飛来もゾフィーから示唆されているので、かなり絶望的な状況に思える……という風に、諸々においてうまく流れていない。
なぜ地球1つ潰すために太陽系を消滅させるほどの火球を長々とチャージしてくれるのか、神永のUSBメモリを船緑はなぜ数時間~数日放置していたのか、なぜその解析を待たずにゼットンとの一戦目に向かったのか……などは、「クライマックスを作るため」以外の理由がない(作中世界でのリアリティで考えれば変であり、製作サイドの理由しかない)ので、シンプルに雑。
最後の敵が「太陽系を一射で破壊する宇宙要塞」というのも、盛り上がらないと感じた。様々な作品で大ボスやラスボスを「とにかく大きな敵、言葉上スケールの大きいことをしようとする敵」にしたがるが、「同じぐらいの大きさの人型」より盛り上がる要素がないことは、わかってほしい。
また、光の国が恐るべき思想と約定のもとに宇宙活動をしている組織と発覚するが、そうであるとウルトラマンがなぜここまで地球人に肩入れするようになったのかという点において、遡及して疑問が残る。「弱者をかばって死ぬ生物を、知りたかったから」らしいが、今まで他の星でそのようなことはなかったのだろうかと疑問に思い、没入感を損なった。
・演出
特に後半手前まで顕著だが、浅見に対してなかなか濃い趣味のセクシャルさを感じるシーンが多い。人間が生来的に持つ身体的な美をモチーフにしているのかと思えば、男性や同じ女性である船緑に対してはそういう撮り方がないので、意味不明というか、制作側の下品な趣味要素を見せられたように感じる。そして、そう思えるほどそのやネタが頻度が多い。本筋や映像演出として効果的に絡んでいる要素ではないので、ノイズと感じた。脚本的には尺が足りていない状態なので、浅見の背後を映し続ける登場シーンをあそこまで長々と入れたのは趣味を優先したミスに思う。
●初代ウルトラマンと比較して
初代の脚本や演出をパロディしていた要素は当然に理解する。
しかし、いくらマルチバース世界観?とはいえ、残念に思うアレンジがあった。
・ゼットン
前述の通り、持ち運び可能な、太陽系消滅の超巨大砲台ユニットとなってしまった。
殲滅力は(空想科学読本も踏襲して)スケールアップしたが、初代最終話のゼットンの恐怖感と比べて「怖さ・絶望感」があったかというと、かなり落ちてしまっている。つまり「設定上のもっとすごいものを作ったが、映画上でははるかに弱く見えている」という、55年前の脚本・映像に対する敗北が起きている。
・光の国
各ウルトラマンの故郷だが、本作では「地球人はいずれ自分たちに並ぶ存在になる可能性があるから、大事を取って殲滅することにした」「1億何千万ある、生命を抱える星の1つが消えるだけだ、何も問題はない」という、メフィラスの方がまだ理性的という超理論をぶつけてくる。将来有望な新人がいるから、とりあえず抹殺しておこうという理念で動いているらしいのだ。善悪の段階でわかり合えないのもつらいが、とにかく器の小ささにがっかりする。これだけは、忘れたい出来事。
・結局ウルトラマンの力で勝ったラスト
初代では、ウルトラマンが敗れ、科特隊(人間)がそのゼットンを倒すという結末だった。いわゆる人類の親離れ、独立を描く結末が美しかったと感じている。
しかし本作では、人類も希望を捨てず頑張る展開があるものの、それでなお最終的な決め手はウルトラマン頼みである。外来星人(わかりあうのが困難な相手)と人間の相互理解・共闘による勝利、というテーマに変えたとも見られるが……自分としては、初代のテーマ性の方が好きだった。これは、好みの問題でしかないと自覚する。
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以上となる。
戦闘シーンを楽しみに観る娯楽作と思えば、不満は薄い。
なので、観て後悔したというようなことはまったくない。
光の国の設定が残念すぎるので、このシリーズで続編が出たときに観るかどうかは考えどころ。
>孔雀ノリさんへ
ありがとうございます。
同じ映像のままでも、セリフを少し変えれば「突っ込みたくなる気持ち」を減らせると感じる箇所が多かったので、その点は惜しく思いました。
今回の総監修・脚本は庵野秀明さんですが、偉大な監督というのは間違いなくとも、脚本次元についてはユーザーと「大事にするもの」の優先順位がかなり違ってしまっていると感じています(感情が乗るように段階構築するのではなく、設定を語って完全クリアしたことにしてしまう)。その結果として、ユーザーが話運びにもの申したくなる歪みが出てしまうのかなと。
シン・仮面ライダーは予告を見た限りはバランスが良さそうなので、楽しみにしています。
とても素晴らしい解説ですね。
感服しました。
私はこの「シン・ウルトラマン」
話の展開が強引で早く、結果つまらなく感じた者です。
私はこの映画の評価は「2」にしました。
(特撮は楽しめたので、)
映画読みさんの様な的確なレビューを私は書けていませんが、
(何だかなぁ?)と思った点は多々有りました。
この映画、興業成績は多分よいのでしょう。
ですから続編は作られるかと思います。
その時は映画読みさんの指摘されている点を改善した作品にして欲しいものです。