「陽の存在のウルトラマン 陰の存在のゴジラ」シン・ウルトラマン suquippyさんの映画レビュー(感想・評価)
陽の存在のウルトラマン 陰の存在のゴジラ
人間社会の陰の部分を描いたのがゴジラなら、陽の部分を描いたのがウルトラマンである。
それはウルトラマンが、映画館に行かなくても毎週特撮を子供達に楽しんで欲しいという純粋な動機で創られたことからも伺える。
人間の陽の部分の象徴として、隊員は底抜けに明るく前向きで、命懸けで体を張って怪獣と闘う。
純粋無垢で常識に縛られない子供達が宇宙人であるウルトラマンと人間の、心の交流の橋渡しをする。
命懸けで地球を守る大人、即ち勇気と純粋な子供の心、即ち愛があって初めて、勇気と愛の化身であるウルトラマンとの友情=契約が成立するのである。
ウルトラマンが毎週泥まみれになって、表面がボロボロになっても闘うのは、人間の心意気を高く買っているからだ。
さて本作はどうか。
ディテールだけに拘り過ぎたのと対象年齢を無理に引き上げたので、子供達の存在が忘れられている。
大人も会議室や作戦室で会議しているばかりで現場で身体を張らない。
よって勇気と愛の象徴が無くなってしまい、
ウルトラマンがどうして地球を守るのか、分からなくなってしまった。
こうなってしまうと、後に残るのはウルトラマンのような何かしかない。
ウルトラマンは隊員達の身体を張った勇気を見て、人とは何かを直感で理解するべきなのに、なぜかよくわからない本をわざわざ読む。
大人達の命懸けの作戦も少なく、逆にウルトラマンの足を引っ張るような打算めいた政治駆け引きばかり。
僕がウルトラマンなら、メフィラス星人の人類を巨人兵器化しようという誘いにうん、その通りだ、自分勝手でウルトラマン任せな人類は守る価値なし(最終回)となってしまうだろう。
宇宙人交流ものなら例えばETは本当に良く出来ていて、ETと友達になりたいと誰もが自然に考えるように誘導してくれる。
一方で本作はドラクエ同様、何の選択肢を選ぼうが最後の結末は同じという強引さが目立つ。
そういうわけで残す期待は特撮パートになるが、ここも期待はずれ。
前半の怪獣の動きはシンゴジラの幼生のコピペ。
震えながら小刻みに動く表現は既視感が強い。
後半の宇宙人戦は予算か制作時間不足なのか、ふわふわと空中戦が増え、重量感がなくなり、これは…エヴァ?となり、メフィラス星人のデザインでその疑念は確証に変わる。
最後のゼットンはとうとう予算切れか大きいだけで動かない。というよりスケール的にも、機能的にも、退治プロセスも、どう考えてもスターウォーズのデススターそのものである。見てない人を探す方が難しい映画だからこれまで以上に既視感やばし。同じならスターウォーズのデススター戦のほうが何十年前の映画ではあるが迫力やスピード感も段違い。
このようなつまらないありきたりな形でゼットンを出すなら、メフィラス星人に尺を取って、ここをクライマックスにすると映画としての収まりや満足感が上がったと思う。
最後にウルトラマンの表現について、CGになった結果、生き物的な生々しさが抜け落ちてしまった。ラテックスの表面のシワには妙に拘っているのに、土埃や意図せず発生したくたびれた感がなく、必死に闘っているように見えない。旧ウルトラマンの特徴である取っ組み合いや寝技中心の総合格闘技のような泥臭いストロングスタイルは少なく、すぐに光線に頼る安っぽい演出。
旧作は思った攻撃が効かないとウルトラマンはめっちゃ焦るように中の人が演技しているのだが、今作はそれが全く無く、無生物感が強い。演出と言ったらそれまでだが…それでは人間と融合した設定の意味がないではないか。やっぱりスーツアクターは欲しい。
最後に怪獣や宇宙人のチョイスも今一だった。
ネロンガとガボラはどちらも四足怪獣で動きが同じ。ザラブとメフィラスは強敵過ぎて最後のゼットンの強敵感が薄まる上に、体躯が似ているから同じアクションに成りがち。
ゼットンは先述の通り、様式美崩しで初めて成立する怪獣だから、前にあまり強敵を置くと、ウルトラマンが常にピンチになってしまい、ゼットンの絶望感が消え失せる。
こう考えると個人的に出して欲しかった怪獣はピグモン、ゴモラ、ペスター。
ピグモンは子供達との友好の象徴として欲しいし、ゴモラは二足怪獣かつ地底怪獣で夜間に出る怪獣なので演出に幅が出せそう。
ペスターは形が面白いからCGで動かすとどうなるのか凄く興味がある。
もっとシンプルにメフィラス星人のストーリーを主軸に、科特隊は素直に自衛隊や警察上がりの熱い現場組織にして、過去に倒した怪獣を活用する等、適当な設定で架空兵器もほどほどに出し、子供達との交流を増やせば、筋が通ってワクワクする映画になったのではなかろうか。
シンゴジラ、エヴァンゲリオンの成功で、予算も時間も取れたはずなのでなおさら一層惜しい映画。
シンゴジラの成功体験がウルトラマンとゴジラが対極の存在であることを忘れ、同じアプローチで作ってしまった…そんな気がしてならない。