「想像させる作品、大人のウルトラマン」シン・ウルトラマン Dポッターさんの映画レビュー(感想・評価)
想像させる作品、大人のウルトラマン
昭和のウルトラマンのシリーズは作品としての評価をおいておくとして子ども向けのヒーロー物の一つとして多分多くの人に認識されているように思う。
一方で個人的に本作は「大人のウルトラマン」だと思った。
長澤まさみの色気やらカメラアングルやら匂いやらフェチが詰め込まれている所もそうだが(笑)
国際社会に先手を打ちたい政府の思惑、異星人(外星人)との政治的駆け引き、組織、圧力、科特隊(禍特対)という各省庁から選りすぐられた人事としがらみ、バディ…
冒頭のシン・ゴジラテロップからの画面転換はそっちで散々やったからとでも言いたげに端折ってテンポ良くはじまる。
これまでの禍威獣についてはダイジェストで紹介して色々あって日本はなんとか凌いできたけれどいよいよ手詰まり感がという所でウルトラマン登場となる。(何故か日本にしか現れない点について深く言及されないが実は重要な点なのでは…)
やや意地悪に言うなら「これまでのヱヴァンゲリヲン」などでたっぷり訓練されてきた人たちへの問いかけ(Q)のようにも思える(苦笑)
エヴァファンからすれば禍威獣はまるで特撮として表現された使徒のようだし、ウルトラマンの戦い方はまるでエヴァを特撮で観ているような気持ちにさせられる。
巨大すぎる敵に対してのまるで歯が立たない圧倒的な力の差、人の無力さ、そして諦めと沈黙と足掻く様…
限られた上映時間の中で語り尽くすのではなく、余白によって鑑賞者の枯渇感と想像力を刺激する点でやはり庵野作品だなと思った。
少しずつトレーニングするように人が強大な敵に闘う術を身につけるというよりも、強大な力を持つ存在に問題を丸投げしてしまう辺りなど現代の皮肉を込めた風刺のようでもあった。
個人的な考察としてカラータイマーがない代わりに体表の赤いラインが緑に変わる表現などは血と自然への回帰(死)だろうか。
最初の登場シーンで赤いラインがないのは人とまだ同化し終えていなかったからか。
カラータイマーがない点はシン・ウルトラマンの大きな特徴でもあるが、どうも弱点や3分という時間制限など我々の既知のウルトラマンへの思い込みでもあるように思える。
勝手ながらシン・ウルトラマンの弱点は「人」を理解したいと望んだ種への渇望や衝動のように思えた。
光の国(ウルトラの星?)は死後の世界で既に光となって散ってしまったのだろうか。
ゾフィーとの森での会話も、人類や地球が滅んでもどうということはないと言われたのに対して反目するウルトラマンや傷ついて横たわるウルトラマンとゾフィーの異空間での会話から語られている言葉通りではない意味を重ねて語られているように思えた。
光の国や異星人の傲慢さは何処か人の他の動物へのそれと似ているし、上位存在やマルチバース、他にも地球を狙う異星人がいる事などの伏線も散りばめられ色々と想像を膨らませてくれて楽しめました。
ゾフィーとウルトラマン、ニセウルトラマンの違いがほぼない点などは異星人の違いなど人は見かけからは分からないという事だろうか。
【追記】ゾフィーがゾーフィと呼ばれ、ゼットンを放ち人類どころか太陽系さえも滅ぼしてしまう元ネタは「宇宙人ゾーフィ」による混同された事から着想されたものらしい。