「一寸だけ残念。」シン・ウルトラマン mark108helloさんの映画レビュー(感想・評価)
一寸だけ残念。
今回の作品に5点満点を付けない贅沢は他の作品と比較しての事ではない。あくまでも庵野作品の中における位置と認識してもらいたい。今回の作品は庵野のウルトラマン愛の思いの丈がふんだんに出ていて、オマージュを乗り越えてコラージュになっていると言ってもいい。その1点こそが見る側から見るとちょっと物足りないa。しかし庵野は思う存分楽しんだはずである。庵野的表現がないとは言わない。むしろ満載、進化、昇華に近い表現となっているにもかかわらず我々は今回の🎦シン・ウルトラマンには実相寺を見出し、成田亨を見出し、金城哲夫を見るのである。今回の作品に関しては性的な表現が多いと難色を示す評も多いが、これこそ彼がオタク全開で長澤の巨大化、と臭いと言う究極のファクターであるメタファをフェティズム的シンボルとした点において構造主義的な尖鋭性が見て取れる。西洋人が日本人の持つ本性に気が付くには後200年は掛かるであろう。長澤の巨大化は明らかにあの会を見て目覚めたメトセラの子(ここではハインライン的な意味合いで)である庵野や樋口を形成し、一方で少し遅れて新潟の会田誠をも呼び起こす。会田はそのADHD性認識力によって、葛飾北斎の『蛸と海女』と言う世界を驚愕させた傑作に換骨奪胎を試みた。会田は快作『巨大フジ隊員VSキングギドラ』を発表しさらに世界を驚かせる事になる。同じころ村上隆は『マイ・ロンサム・カウボーイ』は16億でNYで落札されたことで、一気に日本アニメと日本美術のコンテンポラリティが世界の注目の的となる事を実証して見せた。世界がその背景にある成田亨の価値に気が付くのにそう時間は掛からなくなる。同じころ少し遅れて成田の母方の故郷である尼崎の隣、神戸では生頼範義が生まれ、成田は武蔵美の彫刻へ、生頼は芸大の彫刻へと道を進める。成田のデザインしたウルトラマンはスピルバーグの🎦レディ・プレイヤー・ワンの目玉として据えられていた話は有名であるが著作権の関係で臍を噛んだスピルバーグに遅れながらも見事一番手を取った庵野の🎦シン・ウルトラマンは世界で理解されるのは遥か未来であるように作られている。これぞ庵野の強み。一方成田より先に世界デビューを果たすのは生頼の方で、ゴジラのイラストでルーカスを虜にし日本人として初のSW公式アーティストの座を獲得する。ゴジラの造形から円谷に関わっている成田を、🎦シン・ゴジラで関わる庵野を差し置いて先に世界に打って出たのだ。しかし、生頼はその殆どがイラスト制作と言う弱みから、世間から少しずつ忘れられ始め、その名が再評価されるのには近年まで待たねばならなかった。一方、父方の生まれ故郷である成田の第二の故郷である青森の県立美術館が公立美術館としては初のサブカルとコンテンポラリをそのコレクションの中枢に据えてそのコンセプトの中核に縄文を置くことで棟方志功芸術に再度世界の目を向ける事に成功する。その三本柱は棟方志功、奈良美智、成田亨である。このコレクションコンセプトは強烈である。そこには棟方の縄文性、奈良の日本における母系文化の幼児性、成田の世界最大級の仏像の持つ神性の体現性。これ以上強烈な日本文化の体現コレクションは見当たらない。さらに今回の🎦シン・ウルトラマンではその体躯が一つの話題になっている。その神々しさである。成田亨がウルトラマンのデザイン的ヒントにしたのが仏像であることは広く知れ渡っているが、その詳しいデザイン特性に言及したのは知る限りイラストレイターのみうらじゅんが最初だと思う。みうらは小学生の時の怪獣好きが高じて仏像の特性とウルトラマンのデザインの類似性に目覚める。京都生まれのみうらは「京都・広隆寺にある国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像は「ウルトラマン」の世界観と同じだということに小学生の時に気づいたんです。」と言う。さらには「弥勒菩薩は釈迦が入滅して56億7000万年後にこの世を救いに来られるという設定もそうですし、顔のシンメトリーさとアルカイックスマイルが初期のウルトラマンの口元と同じなんです。さらに口元に手を当てて、足元にもう1本の手を乗せているんですが、そのもう1本の手を上げていくと「スペシウム光線」になるんです。」とも語る。あの、仏像研究の第一人者でせんとくんの生み親である籔内佐斗司の恩師で、仏像研究の世界的権威である水野啓三郎をも唸らせたみうらの仏像研究は、だれよりも成田の仏性を、しかも弥勒性を認識せしめていた。今や青森県美のコレクションとなった成田のウルトラマン立位の一連のデッサンは明らかに国宝の弥勒菩薩とプロポーションが一致する。そしてそれを巨大化した際にその神性、仏性を維持しながら見上げるアングルは庵野が身体的特性を持つ父を見上げる視点と一致する。余談だがみうらじゅんは成田亨の武蔵美の後輩にあたると言う巡り合わせについても触れておかねばなるまい。最後に庵野の拘りの音楽であるが、🎦シン・エヴァで宇多田を、🎦シン・ゴジラでは鷺巣詩郎を、そして🎦シン・ウルトラマンでは米津玄師と来たのを捉えて1点豪華主義で安直だと言う評を見たが、宇多田がそのPVで見せた視覚芸術性の高さとそのPV制作のパートナーである元夫の紀里谷和明のキャシャーンへの拘りなどを見たら庵野との同時代性を感じずには居れない。また鷺巣詩郎に至ってはその父は自らが興した特撮会社ピープロの創業者で、当時の📺ウルトラマンの裏番組であった手塚先生と深い関係性のある📺マグマ大使の制作会社社長である。その前に魔神ガロンのアニメ化の代替え案である魔神バンダーをプロデュースした、当時有名な有名なマンガ家でもあり巨大ロボットアニメの走りに関わった作家である。その長子は現在ピープロの社長を務めながら世界的なミュージシャンとして活躍しており庵野の初期作品からの常連であり同士である。おそらく樋口よりも付き合いが古い。斯様な運命の関連性は庵野の神格化を深めていく。また米津に至っては、ミュージシャンとして成功しながらも通っていた学校は大阪芸大付属大阪美術専門学校であり、庵野の孫的後輩にあたる。すべてが庵野を通じてこうして一本の幹に収斂されていくその芸術体系は次の🎦シン・仮面ライダーで完結するが、そこには重要なコンセプト「改造」がテーマになるであろうことをここに予言する。庵野の父へのオマージュがどういう形で昇華されるかがとても楽しみだ。