「ウルトラマンを愛するすべての人々に観ていただきたい。心に刻むべき作品だ。」シン・ウルトラマン LET IT Aさんの映画レビュー(感想・評価)
ウルトラマンを愛するすべての人々に観ていただきたい。心に刻むべき作品だ。
嚙み締めれば噛み締めるほど、味わい深い作品。
ウルトラマン草創期にこのたぐいまれなるシリーズ作品を産み出した作家・演出家たちへのオマージュ、リスペクトが映像の隅々にまでにふんだんに満ち溢れたた娯楽芸術作品だ。
願わくは、円谷英二に、円谷一に、成田亨に、実相寺昭雄に、上原昭三に、飯島敏宏に、野長瀬三摩地に見せたかった。誰よりも金城哲夫に見せたかった。彼へのリスペクトはこの物語世界そのもの、ウルトラマンの存在意義そのものが重なる。
そしてウルトラマンを愛するすべての人々に観ていただきたい。心に刻むべき作品だ。
テレビ版ウルトラマンの元となった物語は以下のようになるだろう。
第1話「ウルトラ作戦第一号」ウルトラマン初登場、ベムラー(シンウルトラマンでは、ベムラーの代わりがネロンガ)
第3話「科特隊出撃せよ」ネロンガ
第9話「電光石火作戦」ガボラ
第18話「遊星から来た兄弟」ザラブ星人、にせウルトラマン
第33話「禁じられた言葉」メフィラス星人、バルタン星人、ザラブ星人、ケムール人、巨大フジアキ子隊員
そして第39話(最終回)「さらばウルトラマン」ゼットン、ゼットン星人、ゾフィー
番外で、実相寺昭雄へのリスペクト回。ウルトラセブン第8話「狙われた街」メトロン星人(もちろん金城哲夫にも)
なぜ上記の話数回がモチーフとなったのだろうか。ちゃんと理由がある。
前半の第9話までは、歴史的な名作シリーズとなった円谷プロ作品、しかも円谷の名を世に知らしめた劇場作品「ゴジラ」から、空想科学シリーズと銘打って制作されたテレビドラマ「ウルトラQ」「ウルトラマン」の連続性をきちんと提示するためである。冒頭の「シン・ゴジラ」のアイキャッチ。空想特撮映画ウルトラマン、そして怒涛の情報量で禍威獣、禍特対に関する映像がわずかな時間に目まぐるしく展開する。
わりと知られた話であるが、当時の円谷プロは、制作費を抑えるため怪獣の着ぐるみをうまく使いまわしていた。ガラモン(Q)⇒ピグモン(マン)、海底原人ラゴン(Q、マン)のようにそのまま使われたものから、一部を手直ししたものゴジラ(劇場)⇒ジラース(マン)、ぺギラ(Q)⇒チャンドラー(マン)など。
そして最も多く使いまわされた着ぐるみが、バラゴン(劇場)、パゴス(Q)、ネロンガ(マン)、マグラ-(マン)、ガボラ(マン)、、、(その後も続く)なのである。この着ぐるみの使いまわしを逆手にとって禍威獣襲来の連続性に結び付けているのだ。これがシンウルトラマンの前半である。(実はウルトラマンの造形も3パターンあって、シンウルトラマンでも最初の登場から地球人神永新二との融合度合いによって微妙に造形が変化する。これもテレビドラマの三世代のウルトラマンの着ぐるみが使われたことへのオマージュである。)
そして外星人が登場する後半18話33話29話に共通する事項はなんだろうか。こちらは知る人ぞ知る、かの実相寺昭雄をして「天才」と言わしめた企画・脚本家、金城哲夫(きんじょうてつお)が脚本を書いた回なのだ。(第18話は共同脚本)
なぜ異星人ではなく「外星人」なのかを深耕すると、この背景が読み解ける。
「あなたは地球人なの外星人なの?」浅見弘子の質問にウルトラマンはきっぱりと答えた。「両方だ」
エイリアンに対する日本語は異星人だ。(宇宙人という言い方は地球人も含まれる)しかしシンウルトラマンの世界では「外星人(がいせいじん)」と呼ばれる。この耳慣れない言葉に金城哲夫への奥深いリスペクトを感じる。どういうことか。日本人は自国民以外の人々を通常、外国人と呼ぶ。(異国人、異邦人という言葉もあるがふつうは外人だ。)島国で生まれ育った日本人独特のムラ意識、内向きの国民性を暗示的に語っている。ただし、それは必ずしも否定的な観点ではない。仲間意識、チーム意識に通じ、バディのあり方にもつながっている。地球人以外の宇宙人は、日本人の精神文化からすると「外星人」となる。ウルトラマンの「両方だ」という言葉は、どちらの立場も理解し、その間に立って両者の橋渡しを行おうとの決意表明ともとれる。この立場は、50年前に日本に「復帰」した沖縄人である金城哲夫その人の立場に重なる。
ウルトラマンの放送が開始された1966年、沖縄はまだ日本ではなかった。アメリカ施政権下にありその住民は言葉が通じる外国人だった。金城哲夫は、東京で大学を卒業した後、縁あって円谷特技プロダクションに入社する。みるみる頭角を現し「ウルトラマン」という歴史的シリーズの立ち上げに尽力し、これを成功させる。円谷を去ったあと、沖縄に帰って海洋博の企画に参加するなど、日本人、沖縄人どちらの立場も理解しその間に立って両者の橋渡しに奔走し、37歳の若さでこの世を去る。
金城哲夫は、沖縄人と日本人の両方のアイデンティティを持つ立場で、その二つの世界の懸け橋として自らを捧げたのだ。
沖縄復帰50年。いまシン・ウルトラマンが公開されたのはもちろん偶然ではないだろう。
シン・ウルトラマンは、若くして他界した金城哲夫へのリスペクトにあふれいている。
彼の象徴的な言葉は、実際にメフィラス星人登場回第33話「禁じられた言葉」に出てくる。
「さて、サトル君。私は自分の星からこの地球を見ているうちに、地球とサトル君がどうしても欲しくなったんだよ。でも、私は暴力は嫌いでね。私の星でも紳士というのは礼儀正しいものだ。力ずくで地球を奪うのは私のルールに反するんだ。そこで地球人であるサトル君に了解をもらいたいと思うんだ。サトル君は素晴らしい地球人だ。どうだね、この私にたった一言、『地球をあなたにあげましょう』と言ってくれないかね。」
「やだ!絶対やだ!」
「そうだろうね。誰だって故郷は捨てたくないもんだ。でも…、これをご覧。」
メフィラスはサトルの心に語りかける。
「宇宙は無限に広くしかも素晴らしい。地球のように戦争もなく、交通事故もなく、何百年何千年と生きていける天国のような星がいくつもある。どうだねサトル君、地球なんかサラリと捨てて、そういう星の人間になりたくはないかね。」
「いやだ!」
「聞き分けのない子だ。なぜ『地球をあなたにあげます』と言えないんだ。私は君が好きだ。私の星で永遠の命を与えようというんだぞ。」
「ボクだけがどんなに長生きしたってどんなに豊かな暮らしができたって、ちっとも嬉しくなんかないや!ボクは地球の人間なんだぞ!」
ウルトラマンがメフィラスに言う。
「とんだ見当違いだったな。地球を売り渡すような人間はいない。サトル君のような子供でも地球を良くしていこうと思いこそすれ、地球を見捨てたりは絶対にしない。」
「黙れウルトラマン!貴様は宇宙人なのか、人間なのか!」
「両方さ。貴様のような宇宙の掟を破る奴と戦うために生まれてきたのだ。」
「ほざくなっ!この手で必ずこの美しい星を手に入れてみせるぞ!我々は人類が互いにルールを守り、信頼しあって生きている事に目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力を振るう必要は無い。人間同士の信頼感を無くせばよい。人間達は互いに敵視し傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ、いい考えだろう」
地球人の愚かさは、メフィラスに見抜かれている。
そして同じく金城哲夫の手によるウルトラセブン第8話「狙われた街」のエンディングのシナリオは以下のようなものだ
「メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです…。え、何故ですって?…我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから…」
シナリオでの金城哲夫の予言は、現代においてそのままあてはまる。地球は何も変わっていないのだ。
をををを!素晴らしいレビュー!!あらためて感動しました!
金城さんの脚本、やっぱいいですね。子供シリーズだから難しくせず、ワンメッセージで(一つだけ)伝える。だからこそ、子供の頃はちょっと難しいと感じた回が、大人になっても記憶に強く残っているんでしょうね。
メフィラス星人の回、ホントにありがとうございました。