「怪獣プロレスと異星間権力政治における「他力本願」」シン・ウルトラマン けろ教授さんの映画レビュー(感想・評価)
怪獣プロレスと異星間権力政治における「他力本願」
『シン・ゴジラ』が面白かったので、二匹目のどじょうにも期待したが、残念ながらまったくの期待外れであった。前半は「禍威獣」2匹とウルトラマンの「怪獣プロレス」であった。中盤から後半は(嶋田久作演じる頭の悪い首相率いる)日本政府を詐欺にかける「外星人」2人(?)と光の星からの使者ゾーフィがゼットンで人類(と言っても出てくるのは日本人のみなので、この映画では人類≒日本人である)を滅ぼそうとする「異星間権力政治」であった。双方に一貫してみられるのが、日本人の手に負えない「プロレス」と「権力政治」における日本人の(西島秀俊曰く)「神頼み」と思慮の浅さである。
ウルトラマンが、在日米軍の比喩であるということはさんざん言われてきたことなので、ここでは繰り返さない。しかし、それでも遠い昔に見たオリジナルでウルトラマンを倒した怪獣ゼットンは科学特捜隊の兵器(無重力弾)によって倒されたのであって、ここに製作者の矜持が見られた。子供にでも分かる「自分たちのことは自分たちで守る」という明確なメッセージである。
しかし、この映画では、有岡大貴演じる(知性を感じられない)物理学者がメタバース空間で衒学的なセリフを繰り出した後の結論は、ゼットンへのウルトラマンの特攻であった…。何、この展開。最後の最後まで「神頼み」?ウルトラマンの無条件の「優しさ」に甘えすぎである
『シン・ゴジラ』と比較すれば、この点についてよくわかってもらえると思う。『シン・ゴジラ』が面白かったのは、最後の最後まで日本人が知恵と勇気で正体不明の怪獣と張り合ったからである。実際、「ヤシオリ作戦」開始時での長谷川博己の演説は泣かせる。他方で、『シン・ウルトラマン』では有岡大貴が斎藤工にウルトラマンの特攻作戦を伝えたときの、斎藤工の「自分の命を使ってくれ」という発言には、ウルトラマンの人類(日本人?)愛に敬意を抱きつつも、ドン引きしてしまった…。
樋口監督は、「庵野の本(脚本)と寸分違わないものを作ったつもり」「2度、3度と見てほしい」といっているが、正直な話、once is enough であるだけでなく、時間とお金の無駄だったと後悔している。庵野さん、紫綬褒章が泣いているよ。