オフィサー・アンド・スパイのレビュー・感想・評価
全11件を表示
軍内部の差別と腐敗を弾劾したピカール中佐とユダヤ人の冤罪被害者ドレフュスが遺したもの
ユダヤ人故に国家反逆の冤罪によって11年の耐え難い試練を体験した陸軍砲兵大尉アルフレド・ドレフュスの事件を、彼の元教官で防諜部長のジョルジュ・ピカール中佐の正義感と不正追及の立場から、国家的大スキャンダルの史実を丁寧に描いたフランス映画。原作はイギリス人のロバート・ハリスの『An Officer and a Spy』(2013年)で、軍内部の腐敗を扱う内容から“将校とスパイ”の意味になると思うが、映画の題名は「J´accuse ジャキューズ」=私は弾劾する、が用いられている。これはピカールからユダヤ人差別の闇深き冤罪を知り、義憤に駆られた文豪エミール・ゾラがリベラル派新聞の表紙全面に公開状を掲載した記事の大見出しになり、この言葉は以後、告発すべき事件に度々使われる常套句になったと言います。監督は公開年に86歳を迎えたロマン・ポラスキー。1962年に「水の中のナイフ」で長編デビューしてから57年ものキャリアを積んでいる。流石に若い頃のような演出の鋭さは無く、老練な落ち着きと静かに構えた安定感が特徴の地味な歴史映画に仕上がっています。ピカールも含め19世紀末のフランスにおいて反ユダヤ主義が蔓延り、リベラル派市民と対立する世情が時代背景。そんな中11歳で陸軍学校に入学し大尉にまで昇格したドレフュスが優秀であったにも関わらず、35歳の1894年12月に軍事機密漏洩のスパイ容疑で有罪となる。
1895年1月5日の軍籍位階剥奪の公開儀式の長いファーストカットが、ドレフュス大尉が置かれている状況を想像させる。国家反逆の大罪に対する軍の権威維持と、唯一のユダヤ人ドレフュスの軍人の尊厳を蹂躙する見せしめ。多くの軍人が整列して注視し、門の外では市民が非難と野次を飛ばす。ところが防諜部長に就任したピカールが別件の調査で得た資料からドレフュス裁判の証拠となる書類の筆跡に酷似するものが見つかり、更に裁判で重要だったはずのドレフュスの機密書類には頭文字の“D”しか符合しないお粗末さに唖然とする。未公開の裁判を傍聴する立場だったピカールが、その記憶と実際の調査で辿り着く事実を探る中盤までのサスペンスフルな展開には充分見応えがあります。直属の上司であるゴンス将軍に全てを報告しても、忘れろと命令される。その前に彼は軍の上層部の腐敗を理解し、最も信頼するボフデッフル将軍に情報を最初に持っていくが、願いも虚しく見方にはなってくれない。筆跡鑑定の精密な分析始め防諜部の実態の興味深さに、役人の官僚体制に見られる絶対服従で隠蔽される事実とわが身可愛さの器の小ささ。組織の権威とは何かを考えさせる、普遍的な人間の愚かさが浮き彫りになります。
ゴンス将軍と部下のアンリ少佐の上下から対立して孤立無援になったピカールを更に追い詰めるのが、ドレフュスの密書が新聞にリークされて詰問されるところです。要は事実を突き止めたピカール一人を悪者にして左遷させ、事件終結を計る大臣と将軍たちの策略だった。捏造の実行犯はスパイの手法を知り尽くしたアンリ少佐に違いない。この絶体絶命の危機を救ったのが出版界とユダヤ組合のドレフュスの兄、そしてエミール・ゾラでした。事件から4年経った1898年1月、当時のフェリックス・フォール大統領に公開状を発表する形になり、冤罪事件として後世に遺ることになった訳です。日本では1930年に大佛次郎が最初に紹介したとあります。映画の世界では、何とジョルジュ・メリエスが1899年に短編映画にして、ハリウッドではウィリアム・ディターレが1937年に「ゾラの生涯」でドレフュス事件を扱っています。(その後イギリスでケン・ラッセルがテレビドラマにしています)この戦前の映画は、偉人の伝記映画の名匠ディターレのアカデミー賞受賞作品として有名で、名優ポール・ムニがゾラを演じ、ドレフュスを演じたジョセフ・シルドクラウトがオスカーを得ました。ゾラの視点からみたドレフュス家族の苦難が描かれ、ギアナ沖の離島ディアブル島に幽閉された悲運を強調したヒューマニズム映画になっています。このアメリカ映画と比べると、脚色していない事実の段階を丁寧に描いた記録性のためか後半が説明的に終わって、ゾラが登場しても目立つ場面は無く、敏腕弁護士ラボリの活躍も控えめです。そのため暗殺されるシーンにそれ以上の感興はありません。ゾラが国家に対して名誉棄損の罪に問われて有罪となりイングランドに亡命した逸話や、1906年の忘れられた頃に漸く無罪を勝ち取り、ドレフュスが苦難に耐えた兵士としてレジオンドヌール勲章を受章し、大臣になったピカールに面会するラストシーンがもっと盛り上がって欲しかった。このラストの昇格を直談判するドレフュスと法改正しなければ無理と受け付けないピカールの会話は、映画冒頭の試験で点数操作したのではないかと詰め寄るドレフュスと否定するピカールのシーンを想起させます。当時の反ユダヤ主義が主人公ピカールの中にもあった事実は否定できないのです。
全体として後半の脚本の迫力不足が惜しまれるが、俳優陣の充実は素晴らしい。ピカールを演じたジャン・デュジャルダンの貫禄のある軍人振り、何処かショーン・コネリーに似た雰囲気があって親近感もある。意外だったのは、ベルドリッチの「ドリーマーズ」や最近作「グッバイ・ゴダール!」に主演したルイ・ガレルの渋さでした。ドレフュスの孤独と怒りを感じさせる演技力に感服しました。ピカールと決闘するアンリ少佐を演じたグレゴリー・ガドゥボウも肥満体の体格を生かしたキャラクターとして役柄をこなし、将軍たちのベテラン俳優陣にも隙が無い。ピカールの愛人ポーリーヌ役のエマニュエル・セニエはポランスキー夫人故のキャスティングであろうが、個性の強い有閑マダム風の貫禄があって適任でした。それとラボリ弁護士のメルヴィン・プポーは、フランソワ・オゾンの「ぼくを葬る」以来です。改めてフランス俳優陣の演技力の高さを感じました。撮影はポーランド出身のパヴェル・エデルマン、薄曇りの空と淀んだ空気感の灰色掛かった色調が当時の時代再現として終始一貫していて良かったと思います。
(この事件を取材したハンガリー生まれのテオドール・ヘルツルは、ユダヤ人に対する偏見と差別に衝撃を受け、ユダヤ国家建設を願うシオニズムの提唱者となり、20世紀半ばのイスラエル建国につながったとあります。歴史の勉強を兼ねて色々調べると興味深いことにつながるものです。これも映画の良さですね。ヘルツルが1860年生まれとは、ボヘミア生まれの作曲家グスタフ・マーラーと同じです。ユダヤ人として疎外感を感じながら音楽界で名声を築いたマーラーのことも思い浮かべてしまいました)
重厚な空気感に引き込まれる
信念を貫くピカールをジャン・デュジャルダンが好演。佇まいが美しい。
ポーリーン( エマニュエル・セニエ )がポランスキー監督の奥様だと鑑賞後に知り、驚くとともに、奥様に対する深い信頼と愛情を感じた。
防諜部の描写が興味深い。
絵画のように美しい色彩と重厚感は、巨匠ポランスキー監督ならではの一作。
-その後、二人は二度と会うことは無かった
映画館での鑑賞
ただ正義のために
1894年に起きたドレフュス事件を史実に基づいて描いた映画。事件の名前だけは知っていたが内容はまったく知らなかったので、興味と知識欲から映画館に足を運んだ。
スパイの罪を着せられ終身刑として離島に収監されたドレフュスの無実を突き止め、正義のためにフランス陸軍そして自らの上司達と戦ったピカール中佐の話である。
権威失墜を恐れ、またユダヤ人への差別意識から冤罪を決して認めようとしないフランス陸軍は、まさに(腐った)権威の権化みたいなもので、ドレフュスの無実を主張したピカールもまた陸軍の裏切り者の汚名を着せられ収監されてしまう。辛いのはユダヤ人への差別意識は一般的なもので、民衆までもがユダヤ人ドレフュスがスパイであることを盲目的に信じ込み、ピカールの敵に回ったことである。
しかしピカールは新聞社や出版社などのマスコミ、作家ゾラなどの知識人を巻き込み、最終的にはドレフュスの無実を勝ち取りフランス陸軍に勝利する。
興味深かったのは最後の場面である。事件が起きてから12年後、釈放されてからは数年後、ピカールとドレフュスは再会する。正義のために戦ったピカールはその功績を認められ(たのかな?)軍事大臣へと出世を果たす。一方陸軍への復帰が認められたものの、その8年のブランクはそのままに軍に復帰しただけのドレフュス。ドレフュスは収監されていた8年分の年功(冤罪なのだから)は認められるべきだと抗議をするためにピカールのもとに訪れたのだった。ドレフュスにとってピカールの役職からすれば、彼のとった勇気ある行動、戦いは当たり前のことだったのかもしれない。大事なのは真実と正義であり、ドレフュスはピカールに一言の礼も言わなかった。無罪を勝ち取ったピカールとドレフュスの感動的な再会はなかった。これもまた文化的違いによる価値観の相違なんだろうか。そうか、ユダヤ人のポランスキーが監督だから、これってユダヤ人的思考法、ユダヤ人的行動として遠慮なく描いたんだろうね。多分。
この場面が僕にはおもしろく、これでプラス0.5。
最後
中盤から後半に向けては展開も早く、権力VS正義のやり取りが面白かったが、最後が「えっ?」と言う感じであっさりと終わってしまい、最後は辻褄合わせ的になってしまったのが残念。歴史的事実だから仕方ないのか分かりませんが。
僕のイメージどおりのフランス映画
人種差別、事なかれ主義、悪い意味での上意下達ぶりなど、もはやステレオタイプといってもいいくらいの「大組織あるある」のてんこ盛り。
主人公は、正義感というよりも組織人&軍人としての合理的精神に基づいて、間違いを正そうとしているように見えた。
法廷ドラマでよくある大逆転劇は起きず、マスコミ&文芸&ユダヤ組織の連合で対抗したものの、結局は軍部側の雑な捏造がバレましたってことらしい。
無論、その自爆を導いたのは主人公たちの粘り腰ゆえではあるのだけれど、そこを過剰に演出しないのが「いやー、僕が思うフランス映画っぽいなー」と思った。
主人公は人妻との不倫関係をずっと続けているし、彼女の離婚が決まりかけてもなお婚姻関係には至らない。
アメリカ映画なら確実に再婚するだろうに。
ラストシーンも、冤罪を晴らした軍人と出世した主人公とが、個人的な友好を深めたわけではないということが明らかになるだけ。
でも、鑑賞後の気分は決して悪くない。
すべての隣人を愛することができれば、それはそれで理想的かもしれないけれど、本作のようにヒューマニズムではなく組織&職業の倫理に基づくやりかたでも、ある種の正義は達成できるのではなかろうか。
映画「ドリーム」では、「職業上のミッションを達成するための不合理を排除する」という観点から、人種差別への批判が描かれていた。
本作も同様に、人間として理想的な倫理観を持ち合わせていなくても、己が所属する組織や仕事に誇りがあるからこそ、それらを貶めたり職務の遂行に不要だったりする「無意味な嘘」は排除すべし、という論理は納得できる。
むしろ、一点の曇りもない正義というものには警戒が必要だと思う。
いわゆるハリウッド映画的なカタルシスには欠ける作品だけれども、だからこそ自分の生活の延長線上にある=他人事ではない物語だと思った。
良い映画
「ドレフュス事件」というと、昔、世界史の授業で出て来たなぁ…ぐらいの記憶しかありません。どんな"事件"だったかなんて、全く覚えていませんでしたが、ユダヤ人を標的にした冤罪事件だったわけですね…ふむ(笑)
正直、"反ユダヤ"というのは、宗教的な背景が我々日本人とは違うので、感覚的に分かりづらい…いつまで経っても、これだけは。ホロコーストとかになると、宗教云々を置いといても、ヒロシマ・ナガサキと同じで、無差別大量殺戮に対して、色んな感情が湧き起こって来て、共感しやすいんですけどねぇ…。
さて、この作品…
ラスト、やっと自由の身になったドレフェスが、自分の無罪を証明するために命まで賭けてくれたピカールに、お互い牢屋にぶち込まれて軍籍の空白期間が生じていたにも関わらず、釈放された後、(その空白期間に応じて)どうして君(ピカール)の方が"位(くらい)"が出世してるんだ?僕(ドラフェス)だって同じく階級が上がっていても良いではないか?と詰め寄るところが、なんとも可笑しかったです。ドレフェスの、そういうところ…利己的というか、何と言えば良い?…こういうところって、ユダヤ的だったんでしょうか?自分の命や人生を、いわば他人のために尽くしたにも関わらず、こんな事言われたら、そりゃ、もう2度と会いたくはなくなるわな…(笑)そりゃそうだ…。
オープニング、ドレフェスが多くの兵隊や群衆がいる中で「わたしは無実だ!」と叫ぶ場面…。ドレフェスはもちろん無実だったのですが、思い返すと、また違う感情が湧き起こって来ました(笑)
"ユダヤ人狩り"を実際に経験したことがあるロマン・ポランスキー監督(フランス人)…。この作品から受けたユダヤ人のイメージは、あまりよろしく無かったかなと…(笑)
(ユダヤ人云々は関係なく、ドレフェスの個人的な資質なんでしょうけど…)
それとも、監督は皮肉を込めて描きたかったのか?
それは、ユダヤ人に対して?ユダヤ人に苦難を強いた非ユダヤのフランス人に対して?…もちろん、この作品のテーマから行くと、後者なんでしょうけど…。
ひとつ思い出しました…。
ドレフェスは、かつてアメリカで児童への強かんで嫌疑をかけられた監督自身なのかも知れません…そう考えると、この作品の明確な意図が見えて来ました(笑)…あぁ、そういうことか…笑
ちなみに、この作品、2019年・第76回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞しているそうです。
ピカール中佐
最後近くのシーンで、ピカール中佐が大臣にまで上り詰め、その彼にドレフィスが自分には8年間のブランクがあるとはいえ、いまの地位は不満だと漏らすと、法律があるから仕方ないと突き放し、それ以降2人は会うことがなかったと字幕が出る。
最初は、冷たいと思ったが、ピカール中佐はちゃんと法律に則った手続きをせず、反ユダヤ主義でドレフィスを貶めた事実を追及しただけで、英雄行為でも何でもない。だから、大臣にまで上り詰めたのではないか。
そういう意味では、日本の官僚、検察官、裁判官に、彼の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
ピカールの定理
堂々たる映画である。
ドレフュス事件は、日本の世界史の教科書など見ると数行の記述のみで、ユダヤ差別についてもことさら触れていない。また、告発者としてエミール・ゾラやアナトール・フランスの名は出てくるが、この映画の主人公ピカール中佐についての言及はなかった。
思い返せば、ジョン・フランケンハイマーが「フィクサー」を撮り、スティーヴン・スピルバーグが「シンドラーのリスト」を撮り、そしてもちろんポランスキーがかつて「戦場のピアニスト」を撮ったように、ユダヤ系の映画監督にとっては避けて通れないテーマなのだろう。
権力の腐敗と隠蔽は時代と場所を問わず、あまねく存在しているのだろうし、ドレフュス事件は最終的に露見したが、闇に埋もれたままの方が圧倒的に多いに違いない。この映画は肝心のドレフュスの無罪決定を字幕だけであっさり片付けていて、(おそらく監督の狙いなんだろうけど)肩透かし感はある。最後のピカールとドレフュスの再会シーンは、実に皮肉なエピローグだ。
真実が脅かされたとき
ドレフュス事件
19世紀末普仏戦争で
プロイセン帝国に負けるも
その後の経済復興に沸くフランスで
起こった国家権力の腐敗を
露にした冤罪事件
背景には敗戦からくるプロイセンへの
憎悪を煽る急進右派と
宗教的背景からくる
ユダヤ系移民に対する元来的な
レイシズムが引き起こしており
この事件後にユダヤ系移民で
起こったエルサレムの地を
取り戻してユダヤ人の権利を
侵されぬ国を持とうという
「シオニズム運動」から
イスラエル建国につながった
事件と言える
ユダヤ系出身のロマン・ポランスキー
が扱うのは当然であろうテーマで
世界史の教科書で見たような
サーベルを公衆の面前で折られる
有名なカットを完全再現するなど
していました
国家権力の暴走がもたらす
恐ろしい事を多面的に内包しており
非常に考えさせられる映画でした
話は
国家機密漏洩罪で有罪となり
軍籍を剥奪されたユダヤ人の
ドレフュス大尉が無実を訴えつつ
孤島に収監されるシーンから始まり
その様子を複雑に見つめる
軍学校でドレフュスに指導していた
ジョルジュ・ピカール大佐の姿から
話が始まっていきます
ドレフュスはピカールにとって
軍学校で点数を低くつけた時に
私がユダヤ人だからかと問い詰めて
きたりする「めんどい生徒」で
あった事を覚えているものの
自分としてはそんなつもりはなく
公平に務めていたつもり
そんなドレフュスがその
機密漏洩に関する疑惑を持った時も
ピカールはそうなのだろうと
思っていましたが
そんな彼に防諜部トップへの
転属指令が来ます
前任者が梅毒になり
業務不能となった事に
よるものです
防諜部はその名の通り
フランス軍の機密漏洩に関して
目を光らせる部署ですが
ピカールが着任してすぐ気が付いた
のは役立たずの守衛や昼間から
遊んでいる工作員等の姿
前任者から続く部下アンリも
独自に私文書を入手し処理
しているなどどうも怪しい感じ
ピカールは前任者を訪ねると
病床ながら調査に関する資金と
スパイ疑惑のある軍人のリストを
渡され「真実を暴け」という
ニュアンスの助言を受けます
手始めにピカールは
・役立たずの守衛や工作員はクビ
・文書はまず自分の所に持ってくること
・信頼できる警察官と組む事
など組織改革を行います
ピカールが調査を進めると
そもそもドレフュスが対外的に送った
軍事機密に関するメモは筆跡鑑定人が
ドレフュスと一致したからという理由で
有罪となったと言われているが
調べていくとスパイリストにもあった
エステラジーという軍人の書いたもの
であるという事実をピカールが
突き止めます
そもそもドレフュスがスパイに加担する
金銭的問題を抱えていたわけでもなく
そのメモ以外何ら証拠がなく有罪に
された事について驚きます
ちなみに軍がドレフュスを陥れようと
するシーンについてはもう客に
明かされてしまいます
上層部もアンリもグルで
ユダヤ人のドレフュスに罪を
擦り付ける気マンマンなとこは
ハッキリしてます
(このシーンの挿入については
もっと後でよかったかな)
ピカールは真実の追及に基づき
エステラジーが追及されず
ドレフュスが陥れられた理由を
たどっていくと将軍に呼ばれ
この件に触れるなという
「命令」を受けます
ピカールは真実を曲げることは
できないと突っぱねると将軍は
防諜部に来てドレフュス
(が書いたことになってる)
メモをアンリと組んで持っていき
翌日に新聞の一面にその文書が
大々的に公開されピカールは
「機密を漏洩させた罪」に問われ
査問を受けます
そしてかねてより関係があった
外務大臣の嫁さんとの関係も
暴露され完全に報復を受けます
国家権力が完全に腐敗して暴走
それでも自分が軍人ですから
八方ふさがりと思ったピカール
ですがそこで名乗り上げたのが
ユダヤ人作家のエミール・ゾラや
オーロール紙などの民間メディアが
ずっと名誉回復運動を続けていた
ドレフュスの弟などと共に協力を
申し出ます
もはや自浄が困難な巨大組織の
是正は外的に行うしかありません
この時にゾラがオーロール紙一面に
乗せたフランス軍を相手取った
この冤罪事件に対する告発文
「J`Accuse(私は弾劾する!)」
によって世論はフランス軍が正しいか
真実の追及かと二分されます
(原題がこのJ`Accuseなんですよね)
月日は費やしたものの
これらの努力によりピカールらは
ドレフュスの再審まで勝ち取ります
とはいえ
19世紀といってもまだ原始的であり
ピカールがアンリが文書を捏造したと主張
アンリは捏造などしていないという主張
の正解を「決闘」で決めるなど原始的な
事が行われます
結局ピカールはそれでも勝ちますが
アンリは収監先で自殺し真相は闇の中
状況的には完全に軍の捏造で裁判を
進めれば進めるほど軍が不利なのに
弁護士を暗殺されたりして
結局ドレフュスは完全な無罪を勝ち取れず
禁固刑を食らいます
印象的だったのは
もう罪を認めた方がドレフュスは早く
家族に会えるのにと言われても
ピカールは
「それでは意味がない彼は無実なのだから」
と意に介さなかった部分
月日を惜しんで真実を曲げてしまう
可能性もある場合があると言う
恐ろしさも描写しています
ドレフュスは禁固刑後軍務に復帰し
大臣となったピカールに面会を求め
要求した事は「剥奪期間中の階級の回復」
あんたその間に大臣になったんだから
という事で相変わらずの「めんどくさい奴」
ぶりを発揮しながら変わっていない姿に
ピカールは私の立場は「君のおかげ」と
不思議な感謝をして終わります
この事件の要点をまとめておくと
この事件のポイントは
・ドレフュスは完全に証拠不十分の冤罪
・軍は機密情報漏洩を盾に罪を着せた
・では何が機密情報かは客観性ナシ
・真犯人は国外逃亡
と国家のさじ加減でどうにでもなってしまう
民主主義国家であっても十分ありえる
事が19世紀にもう起こっていたこと
今でも国税局の職員の給付金詐欺の
真犯人なんて納税してる立場からすれば
なにがなんでも見つけ出して晒しものにしろ
と思ってしまいますが
どーせ公務員は保護されます
なんか最近だとマスコミも
擁護するじゃないですか
マスコミは一回滅ばないといけません
身内の不祥事に甘い奴らなんて現代も
変わらないのだからこの映画を観ると
昔の話ながら全く身に迫る思いに
なってしまうと思います
映画としてはつまらない
史実なのだからつまらなくても仕方ないのだが、この内容なら再現ドラマで十分。上層部に逆らってまで真実を暴く動機が不明で、ラストも再審しても有罪。ピカールとドレフュスに関係が生まれるわけでもなく、淡々と事実を重厚な語り口で見せられるだけの映画。フランスの「反ユダヤ感情」が影響していることは見ていて重要なのだが殆ど説明されないのも不親切かな。
不倫してる清廉潔白でもないピカールがそこまでして真実を追い求める理由が不明だし、クライマックスの法廷シーンも消化不良で、敢えてカタルシスを感じないように演出してるとしか思えない。映画を見に来ているんだからせめてそこはスッキリして劇場を後にしたかった。自らのキャリアに重ねた結果だったのか?
全11件を表示