「頭文字D」オフィサー・アンド・スパイ kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
頭文字D
自身もユダヤ人であるロマン・ポランスキーはどうしても撮りたかったであろう作品。ちなみにピカールの不倫も監督自身の汚点を象徴しているような気がする。ナチスによる大量虐殺以前のフランスでも反ユダヤ主義があり、迫害され続けるユダヤ人の姿が痛々しく感じてしまった。映画ではそれを強調するシーンとして、冒頭にドレフュスが軍人資格を剥奪される、言ってみれば公開処刑のような場で野次馬たちが罵るところが最初の衝撃!さらに終盤には決闘や自殺・・・
防諜部長に命じられたピカールはドレフュス事件に関する証拠を集め、やがて彼が無実である証拠を次々に見つける。そして真犯人がエステラジーという少佐への疑惑が高まってくるのだ。話は前後していたが、筆跡鑑定人のベルティヨンを演ずるマチュー・アマルリックが強烈な印象を与えてくれる。アマルリックはこうした脇役でありながらどんな作品でも目立ってしまうんだよな~もちろん主役もいい。昨日観た『さすらいの女神たち』(2011)とか、未だ感想を書いてない『潜水服は蝶の夢を見る』(2008)とか。
もっと演技を見たかったのはエミール・ゾラ。大手新聞社主の方がスクリーンでは目立っていたけど、「J'ACCUSE」という見出しで糾弾するところが凄い!気持ちいい!ドレフュス事件の概要は知っていたけど、ゾラについては知らなかった・・・女性だとばかり思っていたし(恥)。彼や記者オドール・ヘルツルのおかげでシオニズム運動、イスラエル建国へと発展していったんですね(メモメモ)。wikiで見てみると、ジュリー・ドレフュスはアルフレッドの子孫に当たるとかで・・・『キル・ビル』じゃ痛々しかったけど。
お腹いっぱいになるほど、史実に忠実に重々しく描いた大作とも言える今作品。ただ歴史の勉強だけではなく、冤罪についての現代的テーマも含まれているように感じる。単に間違った捜査によるものじゃなく、人種、思想、その他もろもろのしがらみによって偏見を持たれ、その上権力者によって真実が隠蔽される構図。一事不再理の原則や裁判官や権力者のプライドも邪魔をするが、真犯人が見つからなかったらどうなってたことか・・・
アメリカでは多くの州で反SLAPP法があるという。社会的地位の高い者、経済的に余裕のある者による、弱者への恫喝的訴訟を阻止するというもの。当時のフランスにはもちろん無かったし、権力者への批判がしにくい状況だった。今の日本にもそんな法律がないため、言論の自由が一部阻害されているのが現実だ。冤罪で無実を叫ぼうにも、巨額の弁護士費用などの負担も考えなくてはならないなんて、いやな世の中だ。
また、ナポレオンの肖像画や、博物館の彫像(贋作)なんてのもフランス批判に繋がっている気がした。事情はよく分からないが、カンヌの常連でもあるポランスキー監督がベネチア国際映画祭に出品したのもこのためなのかな?