「真面目な映画だが、内容に乏しい」オフィサー・アンド・スパイ Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
真面目な映画だが、内容に乏しい
自分は、大佛次郎の「ドレフュス事件」で予習して、映画を観に行った。
昭和5年という、時代の転換点(翌年は「満州事変」)に書かれたこのノンフィクションは、「社会講談」と著者が謙遜するものの、この事件を平易かつ網羅的に教えてくれて、とても有り難かった。
ゾラの「弾劾文」の全文が載っているという点も素晴らしい。
この映画は、脚本に参加しているロバート・ハリスという英国人の小説を原作にしているが、観に行く前の印象は「ピカール中佐が主人公で、映画になるのか?」だった。
そして、観た後の感想は、「やっぱりピカール中佐では、映画にならない(笑)」だ。
正義と軍人という立場の間で引き裂かれた良心の人であるが、「ドレフュス事件」を描くには、取りこぼしが多すぎるのではないか?
もちろん、2時間の映画で「ドレフュス事件」を描くのは不可能だ。しかし、この事件を社会問題にした、もっと大きな流れが、ほぼ描かれていない。
反ユダヤ主義、軍国的な風潮と反ドイツ感情、新聞を使ったプロパガンダ、殺気立った国粋派の群衆、そういう社会背景描写がない。
弁護士ラボリは目立つが、ゾラを始め、落選中のクレマンソーなど、再審を求める側の活動は、ほとんど出てこない。エンタメなのだから、画家モネや小説家プルーストくらい、ちょい役で登場させても良いだろうに。
本作においては、“正義”はピカール中佐だけに集約され、他の“正義”は蚊帳の外という異例の展開だ。
何より、それほどまでに登場人物や社会背景描写を切り捨て、限定したわりには、主人公ピカールの人物造形が浅すぎる。
エリートだったのに左遷され、1年も投獄されたピカールの怒りが伝わってこない。ピカールの後任の参謀本部情報部長アンリに決闘を申し込んだのは、ピカールなのだ。
そして、勝手な創作にすぎない、ポーリーヌとの“ロマンス”を延々と描いて、お茶を濁すのである。
こういう感じがポランスキーの映像美学なのかもしれないが、実在の事件を描くには不適当だと言わざるを得ない。
ピカール中佐を主人公にするなら、最も描かれるべきは、組織防衛のために嘘と隠蔽に追われた軍内部の動きであろう。
彼らにもフランス軍の尊厳を守るという、大義があったことを忘れてはならない。
しかし具体性を欠き、誰が誰だか分からないような、ステレオタイプ的描写に終始しているのは残念だ。
また、獄中のアンリが、なぜカミソリで自殺できたのか、そのカミソリは何処から来たのかという疑問にも、答えようとしていない。
真面目な映画である点は、好感がもてる。
「モリカケサクラ」の某元首相を告発できない、腐敗した司法のもとにある日本においては、ちょとした清涼剤となる作品かもしれない。
しかし、内容に乏しく、たいした映画ではなかった。