マーティン・エデンのレビュー・感想・評価
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芸術映画・・・作家とは、嘘をつく生き物
と、聞いた事があります。
かなり粉飾がありながら、芸術映画に見える不思議な作品です。
大体にジャック・ロンドンはカリフォルニア生まれの生粋のアメリカ人です。
実は「野性の呼び声」創作秘話を期待して観ていました。
ところが思惑は大ハズレ、まったく違ってました。
マーティン・エデン(マーティン・イーデン)は「野性の呼び声」の作者として
世界的に有名なジャック・ロンドンの自伝的小説の主人公の名前(題名)なのです。
イタリア語の映画で2019年作品(イタリア/フランス/ドイツ合作)
どうしてまた、イタリアが舞台なの?
(ジャック・ロンドンの生まれはアメリカ・カリフォルニア州!!)
想像してた映画とは違うけれど、純文学作家の苦悩の自叙伝。
とても奥行きの深い映画でした。
まず主演俳優が好い。
イタリアを代表する俳優の一人のルカ・マリネッリ。
目の下の隈が深い人生経験を伺わせる。
監督:脚本はビエトロ・マルチェッロ。
エデンの過去の記憶が、セピア色の画面でドキュメンタリー・タッチで
描かれている。
忘れてならないのは、マーティン・エデンを小説家へと導く令嬢エレナ。
マーティンがエレナへの愛から小説家を目指したのです。
しかしエレナの求める幸せと、マーティンの目指す方向は次第にずれて行くのだ。
貧しくて、無学、小学校の4年で辞めて働きに出たマーティン・エデン。
船乗り、工場、下働き。
地を這うような生活にも希望を持って生きていた。
作家になる夢の実現のため努力を重ねる。
書いては出版社に送り、それは書いても書いても送り返される。
30遍も50篇も返送されるれる日々。
思い起こせば、その頃がマーティンは一番幸せだったのではなかったか?
文筆が認められ名声を得ても、マーティンの心は満たされない。
(エレナと結ばれなかったからとは、思えないが・・・それは本人にしか分からない)
イタリア・ナポリの労働者層に、社会主義思想が広まり、
労働組合運動が始まる。
マーティンは、思想的リーダー性を求められるが、そこにも居心地の悪さを感じる。
そして遂に作品が認められて、作家の道が開かれる。
実に皮肉な映画です。
ジャックは社会主義者なのに自分がブルジョアに変わると、
贅沢三昧を謳歌する。
その矛盾が彼を苦しめたのかもしれません。
ジャック・ロンドンを主役にせずに、彼の自伝から彼を推測する。
彼の悩みをマーティン・エデンを通して描く。
なぜこの映画がイタリアのアカデミー賞と言われる賞を多く受賞した。
主役のルカ・マリネッリはヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞した。
たしかに玄人受けする芸術作品です。
ジャック・ロンドン(1876年~1916年。40歳没)
世界を股にかけた行動派。小説家、ジャーナリスト、エッセイスト。
「野性の呼び声」(2003年)は世界47カ国で読まれている。
映画のラストは、現実のジャック・ロンドンの最後と同じ。
ジャック・ロンドンは1916年11月、自宅でモルヒネを飲み
自殺しています。
コリン・ウィルソンは違った!
ジャック・ロンドンの自伝小説が原作で、貧しい生まれでろくに教育を受けてない主人公マーティン・エデンが、上流階級の家にふとしたことで招かれ上流階級の生活への憧れに目覚めてしまう。
文学や音楽をたしなみ、それを理解して学ぶことが、貧さから脱出するために必要だと感じとり、本をたくさん読みはじめて作家を目指す。
上流家庭の娘エレナは、イケメン好きなのか、マーティン・エデンと恋仲になるが、世間体を気にするエレナは貧しい家の出の彼を心底愛すことができない。貧しさから身を落とし犯罪者、浮浪者や売春婦たちの生活を理解し、作品中に描くマーティンは、エレナに下層の人たちを理解してもらうために街のそういう界隈につれて現実を見せつけるが、理解してもらえず絶縁されてしまう。
これらは、文豪エミール・ゾラが徹底的に描いた世界であり、エレナはきっとゾラは読まなかったのだろう。
マーティンが、いざ人気作家になり、金持ちになると、一度彼を見捨てたエレナが思いを告げるためにやってくる。母も父も捨ててあなたを愛しますというと、マーティンは遅すぎるといって追い返してしまう。あんなに憧れて愛していたエレナを拒絶。一緒になって貧乏になるかそうでないかが基準のエレナの醜さ浅はかさを見てしまった。
そして、愛する人をみずから見捨てたことで、精神崩壊に向かい、最後は…ということに。
でも、同列にできるかどうか微妙だが、イギリスの文学者のコリン・ウィルソンはどうだ?労働者階級の出で、働きながら大英博物館に通いつめ、本を読みまくり、脅威の知識量と記憶力を発揮して文芸評論『アウトサイダー』でデビュー。
SFも書くし、猟奇犯罪やオカルトの専門家にもなるし、博覧強記の凄まじい活躍ぶり。貧しさを物ともせず純粋に本当に学ぶことが好き、本を読むことが好きな人は強い。女にふられるくらい火の粉をはらうがごとし。
マーティン・エデンを越えた真の自力学習で作家になったコリン・ウィルソンの濃密な自伝映画をぜひ誰か作ってほしい!
Martin Eden
米文学作家ジャック・ロンドンについては、その名前と著作『野性の呼び声』を知っているだけだった。学生時代に必修科目で『野性の呼び声』の作品分析をせねばならず、一読したところであまり興味の持てない内容だったのを思い出す。そんな私が今作にのめり込めるのか定かではなかったが、単純ながらたまたま見かけたフライヤーの出来とイタリア映画であることに惹かれ観ることにした。
前半のストーリーはありきたりだった。大成した作家には、大抵雑誌への掲載を目指して執筆を重ねてはなかなか実現に至らないなどの困難が付き纏っているものだ。そしてその過程には必ずと言っていいほど愛する人の存在がある。小学校を途中で辞めてしまったマルティンがエレナと同じ景色を見ようと独学で文学・教養を学ぶ姿勢とそこへ注がれる情熱は確かに凄まじかった。学校で学ぶことだけが決して人間に何かを芽生えさせる可能性にはなり得ないのだろう。
しかしながら彼が作家になろうとした目的は名声を得ることだったのだろうか?身を削り書いてきた作品がようやく雑誌へ掲載され、名声と富を得てからのマルティンはまるで恐ろしい程に別人だった。どこか絶望を感じさせる薄汚れた表情。かつては愛し合っていながらも出自や思想の違いゆえすれ違ってしまったエレナとの再会も、もはや何の救いにもならなかったのだから。
マルティン・エデンのモデルであるジャック・ロンドンは40歳の若さで自死している。汚れたシャツで浜辺に佇み、海へ還っていくマルティン。船乗りとして航海していた彼の最期には、縋れる船もなかったということなのかもしれない。あまりにも美しい夕陽と海が切なかった。
主役の演技は良かった
貧困層の船乗りが波止場で助けた男の姉ちゃんに恋して小説家を目指す話。
モデルが居るようだけど、一生懸命本を読んで小説書いて応募して、不採用になっても諦めず、書き続ける所は共感した。
しかし、売れて、売れたあと彼女が訪ねて来ても追い返すのには共感出来ない。
売れると傲慢になり、自由な時間が無くなるって事か?最後の泳ぎも含めよくわからなかった。
主役の演技は良かった。
【自由主義と社会主義思想の狭間でエデンが学び、体験した社会構造、恋愛模様、そして作家としての成功の果てをアイロニックに描いた作品。ルカ・マリネッリの魅力(特に目力)溢れる作品でもある。】
-既に、優れたレビューが多数投稿されているので(取り分け、”お守り様”のレビューは素晴らしい・・。)簡単に感想を記す。-
・エデンの若き日の、自由奔放だが、実に魅力的な姿が印象的である。
知識に飢えている彼に、エレナが言葉の言い間違えから直したり、彼自身も本を10冊一度に買い込んだり、安物のタイプライターを買い、熱心に打つ姿。
ー資料にルカ・マリネッリは、イタリアのアランドロンと呼ばれているとある。
成程。冒頭の波止場のシーンが、何となく「太陽がいっぱい」に雰囲気が似ているなあ、と思ったのは強ち、見当違いではないらしい・・。
久しぶりに、"パトリシア・ハイスミス"と"ジャック・ロンドン"が読みたくなった・・。-
■貧困層の出身で学のないエデン(ルカ・マリネッリ)が、身分違いのエレナと恋に落ち、必死に雑誌に作品を投稿し続け漸く作家として成功し、エレナと対等に付き合える地位を築いたのに、
1.何故、彼は船上で会い、一度だけ関係を持った女性を妻にしたのか?
2.そして、訪ねて来たエデンに一度はキスを交わしながら、態度を豹変させて、あの様な態度を取ったのか?
3.何故、彼は目の下に隈を作る程、不健康で、不機嫌な表情を浮かべ、粗野な態度を取るのか?
<その理由は、あの夕陽が沈む海を一人、沖に向かって泳いで行くシーンを見れば、明らかである。
彼は成功の引き換えに愛する”自由”を失い、忌むべき社会構造の中に”いつの間にか”取り込まれたと気づいたのだから・・・。>
久々に良い作品に出会った
ドキュメンタリー作品を続けて観たため、ストーリー性のある作品を観るとやっぱり私はこっちが好きだと再認識する。
努力して売れっ子作家に成り上がったマーティン・エデンは
令嬢と恋に落ちるも彼女の家族に反対され、彼が成功して何年か経った後に彼女は彼の元を訪れる。マーティンの彼女への対応を見るに、そりゃそうでしょうと。まぁ、あるあるですよね。夢を追う若かりし頃というのは儚く美しい。作家らしい人生の描き方をしていて、意外性はないけど、期待を裏切らないなという意味では良かった。
露骨なる意図。
ルカ・マリネッリが目立つのは、主人公だからというだけではなく、さまざまなシーンで、彼のポジション(立ち位置)や写されるアングルや陰影や、まあ魅力的になるように計算しつくしているからだろう。演技や存在感は十分あるのに加え、それをさらに増幅させるカメラや照明の渾身の働きがある。という露骨なる意図を、さすがに感じさせてしまうほど過剰なのだが、まあニュースター誕生と叫びたいイタリア映画界の総意もそこにあるのかもしれない。
さて映画なのだが、唯一の疑問。これって、背景となる時代はいつなんだ!?ということ。まあ、20世紀の数十年をまぜこぜにして、アールヌーボーなシチュエーションにテレビジョンが存在したり、荷車の向こうにコンパクトカーが駐車してあったり。このあたりの雰囲気、監督が狙ったであろう<紛れ>に対して、いい感じに没入していても、時々我に返って違和感が生じてしまう。この醒めた瞬間が気持ち悪かった。
全く合わなかった
良い作品悪い作品などは全く別として個人的にはびっくりするほど全く合わない作品となってしまった。
年に数回そういう作品に当たることがあたる。まぁそれだったのかな。
TENETの後に見たという順番も悪かったかな。
貧しい生活から金持ちの娘に恋をし、そこで文学を学び作家としての成功を掴むわけだが、その困難な壁を乗り越えていくシーンがこの作品の肝となる。それが全く合わず退屈に感じてしまった。そこに退屈してしまうともちろん作品全体を楽しめるわけがない。
とにかく長くて厳しかった。
ただ僕が観に行った劇場では涙をする観客もちらほらいた。決して悪い作品でない事がわかる。自分とは合わなかったのが残念だった。
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