「妻は、夫の母親じゃないんだからね」マリッジ・ストーリー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
妻は、夫の母親じゃないんだからね
ニューヨークで劇団を主宰するチャーリー(アダム・ドライヴァー)と劇団の看板女優ニコール(スカーレット・ヨハンソン)。
ふたりは夫婦で、間には8歳になる息子がいる。
円満だったふたりだったが、西海岸から出てきて現在の地位をなったニコールは、自分のキャリアについてある種のもやもやを引きずっていた。
もう一度、西海岸で女優としてのキャリアを築きたいと感じた彼女をチャーリーは快く送り出したはずだったが、コミュニケーション不足からなのか、夫婦関係に生じた亀裂は徐々に広がり、協議により円満離婚をしようとしていたが・・・
といったところから始まる物語で、シリアスなドラマ・・・ではなく、コメディ。
え、コメディ? と思うひとも多いかもしれませんが、コメディ。
たぶん、米国ではゲラゲラ笑っている観客が多いだろうなぁ、と想像します。
離婚、それも円満な協議離婚でなく裁判沙汰になってしまうと、とかく、本心以上に相手のことを罵って、何が何でも勝とうとする弁護士が登場する。
そこだけが、コメディなんじゃない? と思うかもしれないが、東海岸と西海岸ではまるで考え方や行動様式が異なるようで、西側ではとにかく「ここは広い(英語ではスペース、スペース)」を連呼している。
この西と東の文化の考え方の違いが、全編に散りばめられていて、そこいらあたりで、たぶん米国ではゲラゲラ笑っているだろうなぁと感じました。
まぁ、わたくしはそこまではわからないので、いくつかのシーンが可笑しい程度でしたが。
で、笑いの部分はさておき、夫婦問題の観点からみると、もっと円満で建設的は解決策だってあったろうに、と思わざるを得ません。
ニコールには、劇団を離れてニューヨークで活躍を目指すという道もあったんじゃないかなぁとも思うけれど、そこはそれ、西海岸が生まれ育ったひとは西海岸がいいわけで、日本流にいうと「東男に京女」の結婚みたいなもの。
生まれ育ったところが一番、という想いは捨てきれない、だから、話がややこしくなったのでしょうなぁ。
映画でいちばん唸らされたのは終盤の罵りあいのシーン。
「負けず嫌い」のふたりが、どんどんどんどんエスカーレートして、口汚く罵りあってしまう。
が、最後の最後にチャーリーが「アイム・ソーリー」といって崩れ折れるところ。
『ある愛の詩』では「愛とは、決してソーリーと言わないことです」(後悔しないこと、は飛躍した訳)という名セリフがあるが、「結婚とは、ソーリーと言うことです」と思いました。
ニコールはチャーリーにとって、妻であり、看板女優でもあったけれど、あまり良好でない関係の両親のもとで育った故に、母親でもあったかもしれません(これは、離婚協議のランチの際にチャーリーがメニューを決められなかったり、最後にニコールが彼の靴紐を結んでやるというシーンから読み取れる)。
もしかしたら、ニコールにとっては、この「チャーリーの母親」という役割が嫌だったのかもしれませんね。
ということで、この映画、実は、「妻は、子どもの母親だけれど、夫の母親じゃないんだからね」ってやんわりと教えてくれているのかもしれません。