ホモ・サピエンスの涙のレビュー・感想・評価
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不幸せが大小同じ重さで
_φ(・_・途中退場止む無し、、、撤収!
眠れる映画
夢十夜
夏目漱石の「夢十夜」。「こんな夢を見た」という書き出しで様々な異世界な物語を語る実験小説。もちろん、映画化もされた(2006年)。そんな「夢」を観たようなロイ・アンダーソンの作品。すべてが彼の夢で見た情景の断片が只管に並んでいく。なんの脈絡もなく、もちろんストーリーの接続もなく。ただただ、夢の主題ではなく、導入部や終幕後の余韻のようなエピソードが羅列されていく。で、そうであることに気づいた観客は、描かれている世界を食い入る様に凝視するが、気付かなかった観客は、抗いがたい睡魔が訪れる。ともあれ、スクリーンの長方形の窓の外に、カメラ的な移動が一切ないまま四角い空間の中で起きる夢の断片が、観る者によっては至福の時間を齎すことになる。
精神の広大さを実感する
全体にモノトーンの印象が残った。カラーのシーンもほぼ白黒のような色調である。イメージが淡いせいで分かりにくい印象の作品だが、難解に考える必要はないと思う。
人間は往々にして人生のちょっとした問題にぶつかる。そのときその人がどのように振る舞うのか。そういったシーンをコラージュのように並べ立ててみたという作品である。当人にとっては大変な問題だが傍から見れば大したことではない。人生の問題というのは大抵そんなものだ。
牧師が信仰をなくしたら、本人にとっては大問題である。しかし信徒にとって何が問題だろうか。牧師に信仰ががあろうがなかろうがその人間が牧師のように振る舞えば牧師なのである。大事なのは彼が牧師であり、教会に牧師として存在しているということで、彼の内面がどうであろうがまったく関係がない。それよりもバスの時間が気になるのだ。
戦争や災害で街全体が廃墟になったとしてもその上を飛行機で飛ぶひと組のカップルにとっては単に眼下の光景でしかない。カップルがそこに絶望を見たとしても、地上では復興のエネルギーが満ちているかもしれない。
道端のカフェで話している若者は、人生の試練について話しているのか、または天下国家を論じているのか、あるいはどうでもいい世間話をしているのか不明だ。それよりもどこからかやって来ていきなり踊りだした三人娘が気になる。
何かを悟ってニーチェのように「すべてよし!」と叫んだ男は、酒場の酔っぱらいとあまり変わらない。歯科医には患者の自己矛盾まで解決する義務はない。
価値観は常に相対的で、壮大な思想もそれを語る人の体の大きさに収斂されてしまう。世界は観測者の視界の中にあり、観測者は固定されていない。あたかも相対性理論を人間の日常生活に持ち込んだかのような作品である。絶対的な価値観を喪って人間はそれぞれに悩むが、その悩みさえも相対化されてしまうのだ。
映されているシーンは常に小さな世界だが、すべてのシーンが人類ひとりひとりの頭の中にあるとすれば、人体の小ささに比して精神の広大さを実感する。そういう映画だと思う。何を肯定するでも否定するでもないのだ。
神業の合成技術
悲喜交々な、とくに「悲しみ」に支配された瞬間を絵画的に切り取っていました。
モネのような印象派から、シャガールの超自然主義まで、様々な絵画の1枚のような、細切れのシーンのみ。
その背景に何があるのかを、観る側が想像することで成り立つ世界。
緊張感をもって、美術館で絵の前に立つ趣で映像に対峙するならば面白いが、気を抜くと一瞬で眠りの世界に落ちる…
いやぁ、眠い眠い。
眠いなんてもんじゃなかった。
まだ、そこまで老成もしていないし、人生の機敏も重みもない我が身には、「この芸術をわかれ」と言われても……
あまりに人としてのレベルが俗すぎて、内容の理解はしかねました。
私にとっての見どころは、特撮でした。
シーンを撮るために用いられたミニチュアとか、マットペイントとか、レンズとか、合成技術とか。
巨大スタジオに作られた遠景など、もはや現実にある街と言われても信じるレベル。
これらの神業レベルな、技術としての素晴らしさの方がよくわかりました。
俳句みたいなもの
静的な映像と心地よい音楽とともに・・・
ロイ・アンダーソン美術館へようこそ
30余りの、“動くタブロー”。
“展覧会”を観た、という感覚だ。
ロイ・アンダーソンは、“ナラティブな(物語性のある)絵”を映像で描きたかったのに違いない。
シーンはE.ホッパー的であり、彩度の低いグレーな世界はユトリロのようだ。戦争のシーンはO.ディックスの影響か。
そう考えれば、テーマが雑多であることが説明できる。
日常のスケッチから、銃殺刑のシーンまで。苦悩する牧師から、廃墟と化したケルンの街の空を飛ぶ男女まで。何のつながりもない。
公式サイトの「全人類に贈る-愛と希望を込めた万華鏡」とは、誇大な宣伝だ。
ハッと目の醒めるような画は、画面の隅々までピントが合っている(被写界深度が深い)ことによるものだろう。
そして何より驚いたのは、物体の「影」が極小であるということ。
どうやって実現したのだろうと思ったら、CGではなく、巨大なスタジオで作り上げた映像らしい。小さい照明が沢山あるに違いない。
その他、「All of Me」(@シャンパンを飲む男女のシーン)は、良かったな。
自分が一番好きなのは、ラストシーン。最後に来て、荒れ地で立ち往生する男の話とは(笑)。
なるほど、「人間の脆(もろ)さ」を描いた映画の仕上げにふさわしく、「年齢や時代を超え」た「永遠(Endlessness)」がここにある。
とはいえ、朝イチの鑑賞でなければ、確実に居眠りしただろう。そういう映画であった。
かなり凝っているのだが!
【オマージュ】
スウェーデン語の原題タイトルの意味は、「はてしない物語」。
神はいずこと絶望する牧師。
十字架を背負わされて歩く夢。
宗教は、人を縛り、救済などせず、逆に暴力に駆り立てているように見える。
戦果で荒廃した街。
シャガールの絵のように、それを上から眺める恋人同士。
人は茫然自失するだけなのだろうか。
北欧の青空や太陽が降り注ぐことの少なさを象徴するような曇天。
やるせない気持ちになる場面も続くが、愛に導かれるシーンや、歌い踊るシーンで、それでも人々は生きて行くのだと、メッセージを発しているように感じる。
宗教は少しずつ形を変え、人々に寄り添おうとしてるではないか。
荒廃した街は放置されずに、建物は新たに建て直されたではないか。
振り返ってみたら、確かに、人々はこうして生きてきたのだとあらためて思う。
エンディング。
エンストした車に四苦八苦する太ったおじさん。
まあ、僕達もそんな感じだろう。
でも、ずっとそこに止まっているわけではない。
きっと誰かが助けてくれたり、解決策はあって、また、前に進めるのだ。
物語は続くのだ。
抑揚が抑えられた場面展開で、退屈に思う人もいるとは思う。
ただ、この作品は、我慢強く、黙々と物語を紡いできた人々へのオマージュで、それを表現するための仕掛けではないのかと思う。
人間はポテトとトマト
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