ミッドサマーのレビュー・感想・評価
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人々から凝視されていることに気づいた時の恐怖
白夜のスウェーデンで行われているという90年に一度の祝祭が舞台のホラー。
民俗学を研究する恋人の付き添いで行ったはずが、いつの間にか主役として参加することになる描写は、ホラーというよりカフカ的な不条理さがありクラクラさせられます。
「古来からの風習で人間を選び焼き殺す儀式に巻き込まれる話」と言ったら映画ウィッカーマンを思い出すね。
ホラーと観るかメンタルケアとして観るか
アリ・アスター監督作品は「ヘレディタリー/継承」のみ観賞済。
「ヘレディタリー」公開時に絶賛の声をSNSで見ていて興味はあったものの機会を逃していたので、この作品が公開されるのを聞いて「ヘレディタリー」を観賞し、「ミッドサマー」が公開された初週に不安半分恐れ半分で観に行った。
事前にホラー映画と聞いていたものの、観終わった時の印象はむしろ"現代人の為のメンタルケア映画"だった。
冒頭で主人公・ダニーの姉が両親を道連れに自殺する衝撃的なシーンから始まり"映画は冒頭五分間で作品のテーマを描く作品が多い"と言うのを知っていたので、こんな胸糞悪いシーンが一体どうテーマに関わるのか一気に心を捕まれた。
村へと向かっていくシーンでゆっくり上下反転していくカメラワークは"ここからは世の理が通用しない"(ここから怖いシークエンスですよ)って言う比喩として解りやすかったし、村に入ってから"村で語り継がれている寓話"を紹介する体で、これからの展開を暗に(冒頭でも)示すのも後々その展開がいざ来た時に精神的な備えが出来るのは良かった。
この手法を見た時点ではホラー映画としては予め今後の展開を知ってしまうのは恐怖感が薄れてしまうのでは?と思ったけれど、白夜と言う太陽が沈まない季節で明るいからこそ恐怖の対象から目を反らせない恐怖と、その展開を知っているからこそその恐怖からも目を反らせないって言う入れ子の構造が常に緊張状態を持続させて、個人的には暗闇が舞台のホラーよりも怖かった。
「ヘレディタリー」でも思ったものの、この監督は既存のホラー映画が醸し出す"恐怖"よりも日常に潜む"人に対する不快さ"、"胸糞悪い気分"を醸し出すのがとても上手い監督だと思う。
序盤では不眠症に悩まされたり、会話の最中でも意識が散漫としてしまうなどショックを受けた事で情緒不安定になっているのがトイレに駆け込むことで時が何日、何時間も進むなど演出的にも強調されていた。
そんなメンタルがボロボロな状態の恋人に対してクリスチャンは支えようとはせず、悩みを吐露出来るような友人も少ない中、結果的にダニーがホルガ村で"家族"と呼べる存在を見つけたのを見るとアリ・アスター監督自身が失恋後にこの作品を作ったってのも相まって、(カルトかどうかは置いておくとしても)集団生活を捨てた個々でしか生きられない逃げ場の無い現代社会は果たして良いのだろうかって疑問を投げ掛けているようにも感じた。
日本だと言い伝えで「姥捨て山」があったり「TRICK」でカルト宗教を扱っている回があるからこそ、ざっくりとした設定はそこまで新鮮には感じなかった(勿論演出が斬新で鳥肌は立った)けれど、海外では観賞後どういう印象だったのか気になる。
何かと比較されがちな「ウィッカーマン」もいずれ見てみたいな。
多幸感と爽快感
トラウマ必須との前評判に警戒しながら見に行きましたが、見終わった後に感じたのは不思議な爽快感と多幸感。思わず顔がほころんでいました。なにこれ怖い。
家族を失い唯一頼れるのが破局寸前の彼氏だけ。彼氏の友達にも嫌われ、気まずい空気が常に流れる序盤の描写が一番きつかった。リアルすぎる。
舞台となるホルガ村は鬱々とした序盤とは一転、青空と草原が広がる爽やかな夏の風景。
そこでダニーたち客人は異文化交流をするわけですが、内容は割愛。多少のグロはありますが、個人的には身構えていたけどそこまでグロシーン多くなかったなという印象です。
グロに関してはSAWやホステルが見れる人は余裕だと思いますよ。
伏線が割とわかりやすく張られているので、「これってさっき見たアレのことでは?」「今映ったのってまさか…?」と自分で見つけて推理して勝手に不安になりました。
美しい色彩に、可愛い衣装。料理は伏線のせいで美味しそうに見えないのが残念(笑)
お祭りも後半になると、薬でラリってる人のように見てるこちらもふわふわした心地に。
絶望から始まり更なる衝撃と絶望を経て、新たな絆と居場所を得て再生するお話でした。
確かにこれはホラー映画じゃなかった。監督の言う通り「失恋映画」でした。
皆様の感想を見ると、私はグッドトリップ派なんでしょうね。癖になる多幸感と爽快感をもう一度味わいたくて、また見に行く気予定です。
言葉が出ない
深い考慮とか
内容どうだとか
私には無理かな
説明できない
冒頭オープニング20分くらい(時間はおよそ)
辛い出来事があり
祝祭に向かうまで
映像が陰と陽みたいな感じで
魅せ方うまいなと
中盤以降エログロ耐性ないと
つらいかも
私にはなぜか笑えた
監督がホラーではないと言っていた
ブラックコメディという人もいた
私にはちょっとグロエロの
後者に感じた
深い考慮、意味とかあるんだろうけども
私には深すぎる
とりあえず二度と見ることはない作品
決して否定しているわけではない
がもう一度みたい作品ではなかった
評価もわかれるんだろうな
パンフレット売り切れでよかった
パンフレットみて考慮とか
絶対したくない
否定はしてない
人を選ぶ作品なんだとおもう
いやーなんとも言えない😓
新鮮な演出
2人が同じ画面に入るようにクリスチャンを鏡越しにうつしたり、逆さまに道を撮ったり、カメラワークが新鮮でよかった
不安定だったダニーが依存先を見つけられたハッピーエンドだったけど、結局ダニー自身はまだ共同体に染まりきらずに自我を保ってたのがよかった
この先どんなふうに共同体と関わっていくのか想像するとちょっと楽しい
あとダニーの部屋のベッドの上に飾られてた、花冠をかぶった女の子と熊がおでこ合わせてる絵、なんだか意味深だな〜
美しく、グロく、ちょっぴりエロい逸品
めちゃくちゃ美しいけどめちゃくちゃ胸糞悪かった
今作はセットがメルヘンで色鮮やかで美しく、白夜なのでずっと明るい。それらが、幻想的というか違和感を引き出してた。そして、容赦無い描写の数々で普段見慣れてないから滅入っちゃった😓
最初の方は主人公が家族を失った悲しみでちょっと狂ってるのかなぁぐらいだったのが、夏至祭が進むにつれ段々と感じる違和感、そして崖から飛び降りるシーンから「えっ、あかんでしょ」と常軌を逸しまくりの村人の文化、思想が明らかになる。あんなことしといても馴染み深く、愛着を持っている文化故、罪悪感どころか幸せそうなのが怖い。
クリスチャンが他人の文化は尊重しなくちゃみたいなことを言っていたが、その文化の外にいる人に危害を与えてる時点で尊重すべきでないだろうと思った。
そして、村人たちの同調意識?の異常な高さ、皆んな同じリアクションをすることがある(同調した方が楽だもんね)。最早理性を失っているように感じた。例として終盤、ダニーがクリスチャンの裏切りセックスを見て、泣き叫んでる時周りの女たちも叫び出す。
ラストシーンの笑顔も、全て吹っ切れたからか、それとも周りと同調することを選んだのか?
後フローレンスピューの出てる作品初めて見たけど、結構ハスキーボイスなのね。ポストスカーレットヨハンソンになるかもね☺️
個人的に好きになれない監督とわかりました
「肉体は無条件でいつか僕達を裏切る」
ラジオ番組“アフター6ジャンクション”内でアリ・アスター監督が答えていたパンチラインである。心気症でもあると告白されていた監督ならではの、精神と肉体の乖離、又は不一致性を端的に今作品に表現せしめた“金言”である。それを如実に印象づけている幾つかのシーンの重要なアイテム達を羅列してみると、幾度となく使用されるドラッグや媚薬は説明するまでもなく、肉体を制御不能にさせるモノ。そして、『Ättestupa』は日本『楢の山節考』のよりアグレッシブ版として、肉体の老いに対する一つの結論。そして主人公の女が恋愛、家族の不幸、そして奇っ怪な集団に駐屯している状況の中で、肉体が自然と同化していく幻想(手に草が生える、足も土に溶けていく感覚)。そんなシーンを散りばめる中で、強迫観念にも似た心身の不同一を丁寧に表現している手腕には狂気すら覚える程の作り込みである。更に、精神にも異常を故意に与えることで、正常性を排しそれを超えた別の社会性への帰依を図るカルト宗教的手法を表現することで、人間の脆さをも訴える構築となっている。マチズモの代表であるアメリカ人達が、次々と血祭りに上がる件、そして単なる“子種”としてしか必要とされていない対象、“メイクイーン”と呼ばれる、女性が長である社会性、心情を軽くスルーするやり方や、一方でオーバーリアクションを演劇やコンテンポラリーダンスを彷彿とさせる“型”に落とす動きで日常性の排除を催す動作に、精神さえも剥がれ落ちる若しくは脱皮するかのようにラストのクライマックスでの何とも言えない笑顔は、“狂気”という言葉さえ当てはまらない炎極がスクリーンに映し出される。これを34歳の若い監督が描いている事実に、驚愕という言葉でしか言い表せない己の陳腐さを嘆かざるを得ない。
ゴア表現ばかりが取り沙汰されるが、確かにジャンル映画としてのホラーでもあれだけの攻めた演出は、R指定を避けたいコマーシャリズムに果敢に挑戦していることをハッキリ見て取れるが、それ以上に注目なのは劇伴の細かいアレンジ調整の妙である。例えば、崖の上から投身するシーンでは掌の裂傷の前迄、音楽がメジャーコードなのにそこからマイナーコードへと転調することで不穏不吉さを劇的に演出たらしめている。音楽との親和性の高さ、そして裏切る演出も又サイコホラーとしてのジャンルの新機軸かも知れない。
今迄の家族をリセットし、新しい家族に取り込まれる。家族という共同体からは一切逃れられず、その十字架を次の世代へと背負わす。日本の昔の因習と同じ土着社会は実は世界共通であったことをありありと本作は突きつけてくる作品である。
本作は、他の数多くのレビュアーが仰るように、観る人を選ぶ特異な映像である。所謂『なんだ猫か・・・』的手法とは真逆の位置にある、決して陽が沈まない明るさの中での気が狂う殺戮のアイデアを提示している。身体は眠いのに、頭は冴える。そのアンナチュラルな季節を経験したことがない自分としては、バッドトリップの想いに耽るうってつけの、ジャストフィットな作品であった。多分、監督のバイブスに自分はかなりシンクロ率が高いのではと、勝手に判断してしまう悪い癖である。
【明るすぎる白夜の下の、唯一無二の”集団パラノイア”】
アリ・アスター監督は、つくづく”因習”、”継承”というワードがお好きだと見える。
そこに”A24"が絡むのだから、普通ではない作品になるよな、と思いながら独特過ぎる世界感にどっぷり嵌る・・。
物語は、序盤から、不穏な空気が立ち込める。
家族を事故?で失ったダニー(フローレンス・ピュー)は失意の中、彼氏のクリスチャン(ジャック・レイナー:久しぶり)の誘いで彼の友人達(含む、ウィル・ポーター 君がいるだけで、怖そうだぞ・・。)たちとスェーデンの”どこか”で行われる祝祭に参加する・・。
ほぼ一日中明るい土地で行われる、数々の因習を見ているうちに、こちらまで”何かを飲まされたかのように”脳内トリップ”していく。
”私、今を何見ているのかな?”
白を基調にした、貫頭衣のような衣装が印象的な人々の姿。(刺繍された花柄及び幾何学文様が素敵。一着欲しい・・。)
妖しいが、美しい。美しいが、妖しい・・・。
<見事に夏至祭の”サクリファイス”になっていく”外からの訪問者達の姿”も印象的な、アリ・アスターワールドを堪能した。>
ー 今作、地元のシネコンでまさかの上映。
いそいそと足を運んだが、当地では良い感じの客の入り(3割位かな。)で少し、ホッとして(何故?)劇場を後にした作品。ー
省みることの外側にいる人間
気持ち悪くなる映画
まず、気持ち悪くなった。
始めのほうの車が走っている時に上下が逆さまになるシーンや、会場に向かう人たちを上から見下ろしながらカメラがぐるぐる回るシーンなど
「この映画は気持ち悪くなりますよ」というサインだったのかもしれない。
なぜこんなにも嫌悪感を覚えるのか。
それは我々がいつもの生活で無意識に触れないようにしていることを、この映画は普通に見せるからだと思う。
死、性、近親相姦、ドラッグ
どこかタブー的なところがあるものたちがいとも容易く行われる。
崖を登る時に「飛び降りるかも」と誰しも思ったはず。
でも、「まぁ違うだろうな」とそうなって欲しくないと思う。
でも普通に落ちる。
始めのほうに、陰毛を食べさせたりして最後は結ばれる的な絵があった。
誰しもが「この通りになるんだろうな」と思い、「でもそうならないで欲しい」とも思う。
でも普通に性交をする。
胸糞悪いという表現は合わない、なんとも言えない嫌悪感にやられてしまった。
美しすぎて狂いすぎて良い意味で二度と見たくない
凄いぞ!!この世界観!!!
わかりやすい人生の参考書
凄く現実的な作品でした。小さな世界で人生の縮図を見せられている気分になりました。人の命は有限であり、群れる生き物だからこそルールがあり、学び悟り次世代へ引き継いでいく。とてもわかりやすく表現していました。
ただ…見知らぬ村の戒律を見せつけられている観光客を、お金を払って私が見てるっていう滑稽さ。たまりませんね。ドMではありませんが。
あれだけグロいシーンを目の当たりにしながらも、最後はダニーが笑顔になれて良かった、ペレは良い家族になれるだろうな、とハッピーな気持ちになれたのが不思議でした。
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