ミッドサマーのレビュー・感想・評価
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地球外知的生命体
実話を元にした映画とかだったら申し訳ない。被害に遭われた方達へお悔やみ申し上げます。
ただ、そうでないなら…クソ映画。
監督の前作「ヘレデェタリー」だかなんだかを見てるかどうかで評価が分かれそう。
俺は見てない。
見た人は期待するよねー「あの作品を撮った監督だ。絶対何かあるに違いない。」
色々こじ付けたい気持ちは分かる。映画通としてのプライドもあるだろう。周りの知識人がアレやコレや言い出したら同調圧力みたいな事を感じる事もあるだろう。
でもね、勇気を持って言おう。
「この映画はクソ映画です!金と時間を返せ!クソバカヤロウがあぁぁっ!!」
何十年ぶりかに出会った不条理映画だった。
いやー、つまらなかったわ。
ひたすらに退屈だったわ。
現在の世界の何処かで、実際に行われている事だとしても…その一点だけでホラー映画であると言えなくもないけども、まぁ、つまらない。
脈略などありそうもない。
…ああ、そう考えればコレはコレで現世の理から外れた存在に翻弄されてるのでホラー映画にカテゴライズされるのかもしれない。
いや、ぶっちゃけどおでもいいか…。
俺にはクソ映画でしかないのだから。
釣られたわ…。
踊らされた。
なんかディレクターズカットなんてものを上映するって言うから、そんなものが公開される程面白いのかと、まんまと騙されたわ。
クソー、ムカつく!
追記
なんかとても的を得たレビューがあって、ほーそんな見方もあるのかと感慨深い。
詰まる所アレだ。
俺はこの監督の言語が理解出来ないって事だった。
(視覚的に)とにかく明るいホラー
一体、何を見せられたのか!?
光輝くものに騙されてはいけない。
地獄からの福音
綺麗な映像と音楽をバックに、あくまで胸クソ悪い話を語るアリ・アスター節は健在です、ハイ
ただ前作「ヘレディタリー」の異常な求心力と比べれば、登場人物ごとに視線を振るためなのか、ちょっと散漫? やや長く感じました
前作と違ってネタ(やり口)も割れてるし、序盤のショッキング展開を契機に、一気に本性を表す構成、は重なるものの、作品全体から見ればちょっと効き目が軽いなど、比較すれば原因はいくつかありそうです
前作では「あの件」が全編ずーっと鳴り響いていました(なんなら今でも)が、今回は…?
ビジュアルや世界観(神話の引用とか)など細部の作り込みに比して、展開はだいたい予想通り
もっととんでもない、脳がクラクラして空間識失調を起こすような場面があるのかな…と期待してしまったので、自分が期待したものとはやや違いました
数年前、同様の期待で観に行った「神聖なる一族 24人の娘たち」というロシアの少数民族をモデルにしたエロいようでエロくない、少しエロい映画がありまして、衣装やビジュアル面などからほんのり重なるものを感じました
基本的には前作同様、よくこんなヤナハナシ( ;∀;) 思いつくなー、と呆れるレベル(褒め)
序盤の気まずシーンなんか、気詰まりすぎて観てるこっちまで窒息しそう
主演の二人を筆頭に、全編通して俳優陣の迫真ぶりは文句のつけようもなく、ペレ役の穏やか〜な口調を生み出す発声もよかった
以下、ほんのりネタバレ
↓
実在の風習が元とはいえ、舞台がスウェーデンでは、さすがに現代でこんなことないでしょう、と思わないでもない
NHKの「ヤノマミ」みたいに、直接的ではないにせよモロ惨劇がカメラに収められた実際の風習もあるにはありますが、あれはアマゾンの密林というチートな背景が舞台でしたし…
個人的にはこの手の文明ショックもの大好物なので「ガダラの豚」の映像化もぜひ〜、と(「来る」以来二度目)
「良かれと思って」「相手のためを思って」「迷惑/重荷になりたくない」がために本音を偽り、先送りにし、すれ違って煮詰まりきった人間関係が招く当然の帰結とも言える展開
それが見方によっては癒し、解放の過程のように見えてきて、謎の祝祭感でフィニッシュ、というところまで前作と一緒
ずっと息を詰めているように見えたヒロインに対しては、人前で出せなかった声と気持ちをついに出せてよかったよかったねー、と祝福しかないカタルシスに到達
私のような儒教の国のアジアンにとって格段にオープンに見えるアメリカ流のスマートな気配りがその実、厄介ごとを避けるための単なる欺瞞に過ぎないのでは、とまで思えてくるのも新鮮でした
所変われど社会が存在する限りまた別の地獄が口開けてるだけなんだな
地獄といえばこの世にこんなにも地獄の賢者タイムがあるのか…っていうね
それも懇切丁寧に描かれるため、多くの男性が縮み上がること必至では
互いを縛りあう家族関係に疑義を呈する監督のスタンスからすれば、家族の起源である性行為そのものが、元より忌むべき対象なんだろうかなどと疑いたくもなります
基本は偏差値の高いモンド映画だと思うので、エクストリーム描写は笑いと紙一重のレベルで楽しめます
なんなら実際に笑ってしまって、自分がサイコパスではと焦るほど
でも一番エグいのはそこじゃなく、そもそもの土台、登場人物たちの振る舞いに対する当然の報いという二階建てなので一切の逃げ場ナシ
観終わった直後、わざわざお金と時間を費やしてこんな目に遭いに来てる自分がアホなのかな? と一瞬我に返ったりもしましたが、
同時に観ている間じゅう、地獄の人間関係を生き延びて作品として昇華しつづける監督の存在こそがすでに福音、としみじみ感じたのも事実
こと「小屋」に関しては、相当ヤバい思い入れがあるとしか思えず、過去に一体どんな出来事が…と考えてしまいます
言ってしまえば作中に登場する事物のほとんどは作り物ですが、それを生み出すに至った元凶の方はまちがいなく実在する🌸🌺🌼🌸🌼🌺
ところで、映画の感想とやや離れますが、社会的に容認されている残酷ショーってつくづく怖いけど、ありふれてるよなあと
身勝手な振る舞いや暴力への願望は、普段ならあらかじめ相手からの反撃や社会的評価を想定することで抑圧/回避されていますが、
ひとたびそれがシステムの一環として正当化されてしまった時、犠牲者、ターゲット側の視点は無化され、「黒い羊」への袋叩きは娯楽にまで発展します
さらに一見、それが犠牲とは見えないような仕組みが巧妙に張り巡らされ、あくまで周囲や本人の受け止め方次第、と責任すら被害側に丸投げされてしまうとすれば、もはや邪悪そのものの構図
抗議はおろか、加担の誘惑に抗える者すら稀なのに、
そんな場面自体は、ホルガ村どころでなく日常のいたるところに潜んでいて、最後の咆哮は犠牲者側からのささやかな抗議だったのかな、と思いました
せめてもの慰撫に思えたあのセリフがよりによって嘘、ないしはおためごかしだったとしたら…と考えると、劇場を出たあとも寒気が走ることうけあいです
ラストシーンは、通常人が直接認知することができないと言われる現実の世界、それが社会のフィルターの裂け目から姿を現わす瞬間だったのかも知れません
そうなると、実は主眼は「供物を捧げる」行為の方であり、視点はあくまで生け贄の側あるべきなので、序盤のショッキング展開が直球のフリだったようにも見えてきます
ただ、だとしても主人公との関係性がそもそも希薄なので痛みは限定的だし罪の意識に乏しく(他で代替されてはいるが)、そして主人公が供物としての恐怖を味わう話にもならないためにブレが生じ、「ヘレディタリー」のストロングさと並べてしまうと弱く感じるのかな
あれですね
マニアック2000と同じ構造ですね。
出血量少な目のハシェルゴードンルイス。
外界から隔離されている地域の無垢な住人によるお祭り。ホラー映画の伝統的なジャンルです。
ただ、広大な大地と白夜という空間と時間のスケール感が前述の同ジャンルによる既視感=退屈さを感じさせません。
画の繋ぎも、小気味良くしがちなところをよく抑えて
ゆったりさせており、牧歌的な環境での狂気を際立たせています。
結局、彼女も双極性乖離障害(躁鬱病)だったんだね。
あっ、笑いもありますよ。
監督、スタッフが優秀なので次回作にも期待。
90年に1本の奇作
この内容なら半分の時間で十分
2020-15
もういい。
『ヘレディタリー』は、観賞後、灰色な気持ちになったことぐらいしか覚えてないので、きっとこの作品も灰色な気持ちになるんだろうな、と思っていました。
それでも観たかったのは、舞台がスウェーデンだから。
人生の半分以上を過ごした故郷です。
でも、もういい。
映画のクオリティや凝ってる部分じゃない。
私には無理だった。
私にはスウェ文化を汚損でもなく、踏みつけられたのでもなく、ぽいっとされたような悲しさを感じた。
おそらく私が日本で見てるからというのも大きい。遠い日本で、スウェーデンがこう描かれているのを見ているから。
スウェで、スウェの友達と見てたらここはこうだよね、これはないよね、とか語れて、納得できるかもしれない。
長年住んだとはいえ、伝統まで深く知らないから語れる筋合いがないのは十分承知で、私情が多いにある、あまのじゃくな意見ですが、私にとっては居心地の悪い時間でした。
こんなレビューで申し訳ありません。
話題性に釣られて鑑賞するも?
性描写、狂ってる!
監督がダニーに投影されているとしたら他の登場人物もモデルがいるのだろうか?
一体何を見せたかったんだろう。
自分にしか描けない世界観? アートのような美しいサイコ映画? 監督が届けたいことがさっぱり入ってこない映画だった。美術を頑張ってるのも、作りたい絵があるのも分かるが、それだけで120分はのめり込めない。なにより、その世界観というのが、どこかでみたことがあるような、なんとなく既視感があるものばかりだったし、話にドラッグを登場させることで、都合よく撮ってみたい絵を撮っているようにしか感じられなかった(妹の死についても、ありがちな一家心中で、妹と家族とのつながりも何も分からぬまま死だけ描かれるので、ただかわいそうな経験をした鬱気味の主人公、程度にしかパーソナルを掘り下げられてなかった)
儀式のありよう、恋人とのうわべだけの関係性、馬鹿な男友達、集団による強迫観念、喜びや悲しみのない生と死。どれもがステレオタイプの描き方。一見、ステレオタイプに見えないのは撮り方や美術をすこーし凝ってるから。ただ、それだけだった。
冒頭20分、村に着くまではそのすこーし凝ってる、だけで楽しめた。これから先、本質が出てくるんだろう、、、と思って。でも、村に着いてから、凝るだけ凝って、中身はスカスカ。踊って、人殺して、裸写したり、セックス映せば、なんかすごい映画!ってなると思うなよ!
時間の無駄でした。
生命のループの美しさ
個人評価:3.8
こういったジャンルでは良作であり、作品性も高いと感じる。生命のループを描いていると感じ、草木や花など動植物では当たり前の理を、人間に当てはめ描いている。生命の引き継ぎの美しさが根底に流れているので、草木・花や自然の素晴らしさを同時に描くのはテーマと一致し、映像の美しさと恐怖がリンクしている。
また最後に主人公が生命のループに加わる事で、苦悩や恐怖から解放され、単なる恐怖映画ではない想いを受け取る事ができる。
しかしながら生贄を外部から連れてくる事と、この村での鉄の掟が一致せず、その部分の掘り下げが足りない。これでは生贄系の量産型ホラーと変わらない構図になってしまう。他にも表面的なグロテスク描写や、意味の無いホラー要素が作品性を低くしてしまってるのも残念。そのマイナス評価の違和感があるシーンを、完全版で説明してくれれば、そちらも是非見たい。
マイノリティをどこまで認められるか?
昨今世界ではアイデンティティの尊重や、マイノリティを否定しないことを美学とする風潮がある。とくに欧米ではその傾向が強いように思う。
本作はまさにそれらをどこまで認められるか?を問われていたように感じた。
主人公たちは、スウェーデン人の友人から「地元で90年に一度の由緒あるお祭りがあるから行こう」と誘われる。
人間というのは不思議なもので、'お祭り'というだけで奇妙な催しを受け入れてしまう。ここはこういう文化だから尊重しよう、と勝手に納得してしまうのだ。作中であきらかに常軌を逸した儀式が行われるのだけど、主人公たちはそれを戸惑いながらも受け入れる。
もしこれが、「うちの宗教団体で90年に一度の儀式があるんだけど」って誘いだったら即通報してると思う。(そもそも行かなかった可能性が高い。)それだけ'お祭り'というのは世界的にパワーワードであり、人間の警戒心が薄れる言葉なのだと感じた。
いくら他人のアイデンティティに関わる事でも、時には「それってどうなの?」と反発(≠否定)することも必要なのではないか。最近は反発=悪という風潮が強すぎる。この作品は、何でもかんでも受け入れるのが常に善となるわけではない、と言っているように思う。
作中では常時理解しがたい催しが起こり、細かい経緯が描かれていないものも多々あるが、この映画はそこを自分なりに想像したり、理解できないモヤモヤだったりを楽しむ映画だ。観たあとに自分の想像力が膨らむ体験を、ぜひ味わってほしい。
まるでサウナ
公開前の評判がすさまじかったこの映画。ふたを開けてみれば、期待以上にえぐかったとか、期待しすぎて拍子抜けだったとか、いろいろな感想がネットを駆け巡っていた。
私には正直、映画のほとんどが退屈でつらいもののように感じられた。それはまさに「サウナで整うってことを教えてやるよ」と先輩に言われて嫌々交互浴に付き合う後輩社員の気持であった。しかし、私はミッドサマーでしっかりと「整う」ことができた。
まず、ホルガに行くまでが長い。カメラワークも独特で、これから観客を不安な気持ちにさせてやるぞ、という製作者の気持ちが見えるようであった。その状態でおそらく30分…しかもカメラワークだけでなく、内容も面倒くさいダニーとうじうじしているクリスチャンのグダグダ喧嘩がほとんどで、スウェーデンの明るい青空と緑が現れた時にはホッとした。
そしてそこからがまた長い。前振りとして人物紹介をし、コミューンの明るさの中にある不気味さを醸し出していく。特に儀式で命を落とす2人を待っての食事シーンにはイライラした。マークの気持ちもわかるというものだ。
そしてやっと最初のグロシーン。老人2人が崖から飛び降りて顔面や脚をぐちゃぐちゃに破壊する。あとから飛び降りた死に損ないの顔を若者たちがハンマーで砕くシーンは中々。だが、それほどグロくはない。アイアムアヒーローやロボコップが平気なら大丈夫なレベル。
ここまででたぶん、90分くらい。つまり、最初の山場までですでに上映時間の半分以上を使っている。正直、しんどい。しかもここからめくるめく邪悪な儀式に邁進するでもなく、じっとりとした不穏な空気をじわじわと醸し出していくのみ。
しかし、今思い起こすと、不穏な空気の作り方が非常に優れていた。誰かと誰かが険悪な雰囲気になるだけではなく、画に映る全員が各々の目的を基に、一丸となって、”観客に”ストレスを与えるために行動していたのではないかと思わせるほどに、事情が複雑であり、それでいて理解の及ぶものでもあった。大変すばらしい。
ただ、”お客さま”たちをグロテスクな方法で殺害したのは、正直意味が分からなかった。禁忌を犯したマークやジョシュはわからないでもないが、サイモンとコニーは何かしたのか?お客様たちは儀式的な方法で殺さなければならないが、コミューンのメンバーは自分らの自由に死なせていいってのはムシが良すぎないか?
と、コミューンの面々が何を考えているのか全くわからずに、ダニーとクリスチャンの仲もまったくよくならなかったので、いったいこれでどんな着地をするつもりなのだろうとずっと不安だった。クリスチャンが生贄として炎の中で死にゆくときも、考えていたのは「おいおい、あと数分しかないぞ!これで本当に終われるのか!?」だった。
だからこそ、最後のダニーの微笑みで衝撃を受けた。これはコミューンに囚われた哀れな観光客の話でも破局寸前のカップルに起こった悲劇でもない。ダニーの心が救われて”家族”を得る話なのだと。
そこに気が付いた瞬間、私は整ったのでした。
…この整いを大事にしたまま終わればよかったのだが、公式HPで観た人用の解説ページを読んでしまったので、ちょっともやった。簡潔にまとめると、「アリ・アスター監督はこんなにディティールに凝っているよ」という話が延々と続いているのだけど、正直どうでもいい。
もう一度観れば新しい発見もあるだろうが、それはダニーとシンクロして得られる「整い」を上回るものなのか?ダニーはコミューンで共感してもらうことで救われた。ならば我々もダニーに共感して整うことを重要視するべきなのでは?
ルーン文字の意味や儀式的な殺害方法の意図、「隠された顔」など、分解すれば面白いものがたくさん出てくる映画だとは思う。しかし、観るときは無心になって、ぜひ「整う」ことを優先してもらいたい。
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