「The place that I treasure in talented hands....."You are the future of Downton. "次はスピンオフか?」ダウントン・アビー Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
The place that I treasure in talented hands....."You are the future of Downton. "次はスピンオフか?
力強く蒸気機関車が疾走するシーンから映画が幕を開ける。テレビシリーズが2015年で終了して以来5年が経とうとしている。しかしダウントンの世界ではまだ2年もたっていない設定。モノの移り変わりは、さりげない描写で時代の変化を見る者に印象付けている。冒頭の機関車のシーンを含め、ダントンアビーの城が動くわけもないのに、カメラワークのせいか、なぜか躍動感があるように映り、この映画が始まるにふさわしい期待が出来るオープニングとなっている。そしていつも聞きなれた曲はスロー・テンポで始まり・・・・・・
カメラはダウントンアビーの現在の様子をテレビシリーズでおなじみのメンバーが今日も忙しそうに働いている。しかしカーソンさんがリタイヤをして屋敷にいないにつけて、あの皮肉屋で自己中のバローが執事として使用人の長に立っていたが、灰汁が抜けすぎているキャラになって帰ってきていた…あれっ、面白さが半減か?
話が急展開するのは、そんなに時間はかからない。彼らが住むダウントンに国王両陛下が訪れるとの一報が来たもんだから、さあ大変!
第一次大戦のソンムでの激戦やタイタニック号の悲劇が起こった時代背景に、世間が貴族に対して”凛”として生きることを許さないでいた過渡期の時代。失業率の高いことで判る経済状態の変化や貴族としての伝統としての威厳を保つのが難しくなる社会秩序の変化の中で、貴族を一つの効率の良い企業体と考える進歩的な人。レディー・メアリーを中心として新しい貴族観を見せつつ、執事同士の人間関係やその時に起こる陰湿ないさかいなど、また殺人事件までも取り上げているこの映画の原案者であり、脚本家で、しかも製作総指揮も務めているオールマイティー的存在の天才、エジプト生まれのジュリアン・フェロウズがいなければお話にならない。ただし、やり過ぎ感もあるが...?
この映画のシナリオはテレビシリーズで言うと数話分を集めて凝縮したものを2時間の枠で見せるという一見そうなると複雑になったり大味になったりするところを一本の筋の通ったシナリオがすごく見やすく、しかも話が飲み込みやすくできている。前半の一時間は、英国国王がダウントンアビーを訪問するところを伏線にダウントンアビーの従者と頭ごなしの権威を振りかざす国王付きの従者との対立があり、家政婦長のローズさんや一時的に復帰した執事長のカーソンさんを巻き込んで、今回も鮮やかに一泡を吹かす侍女のアンナが痛快に解決に導いている。その一方では、アイルランド人として、多少社会主義者的雰囲気のあったトム・ブランソンが、英国国王暗殺事件を未然に防ぐ活躍も描いている。トム・ブランソンを演じたアレン・リーチ。今回は減量したせいか精悍に見えている。
モーズリさんが、国王陛下を招いたパーティでいつものようにやってくれましたが...それが反って遅咲きの恋の始まりか!?
I'm afraid I made rather a fool of myself last night.
You could never be a fool to me.
Do you mean that really?...I do. And I think you know how much.
後半は、初登場のルーシー・スミスの素性にかかわる話を中心にトム・ブランソンとの関係やバイオレットのいつもの強権がなぜか少しトーンダウンしたように感じた序盤の様子が実はこうでしたということがわかるシナリオとなっている。また20世紀初頭のイギリスにおける死刑自体が無くなったとはいえ、まだソドミー法が現存していた時代をバロー自ら体現している恋愛模様も描いている。
この映画は、ドラマでも見せている言葉の後にくる何か意味があるのではないかと思わせる台詞を使う独特な手法は健在で、完璧と言えるほどの完成度に加え、映像もテレビよりもはるかに超えた解像度のおかげで室内の美術品や調度品もさることながら、部屋自体が鮮明に明るく蘇り家具のシンメトリーさも含めて美術監督の才も冴えわたっている。女性のしわも...? 全体に女性陣は老けたような。失礼しました。謝るぐらいなら、書くなってか?
理解が出来ないのが、一つある。いくら国王暗殺を未然に防いだとしてもアイルランド人に直接、英国国王自ら謝辞を示すシーンは、行き過ぎに感じる。この映画の時代背景が1927年、”The Irish Story”などを含めアイルランド系の文化・歴史・生活関連のあらゆる全ての情報サイトでは、1920年 = ”Bloody Sunday” となることを考えると違和感の何物でもない。その前から数えて約一世紀以上にわたり、英国の君主はアイルランドの地を訪れていない。そのことは2011年5月のThe New York Timesの社説”Queen’s Ireland Visit Seen as Significant Advance”から読み取ることができる。現在はアイルランドとイギリスの関係が良い方向に向かっていると言いたいのか?
映画ウエブサイトでは、「期待しているすべての映画の要素をあなたは見る。映画自体が波に乗り、モノの本質を知っている。しかも全てがそのように運んでいる。」なんて端的に紹介しているサイトもあります。
テレビドラマとは別物とまではいかないまでも、それなりに娯楽映画としては成立しています。あくまでも上から目線で........。
ただ言えるのは、ファンなら必見 !!