「名前しか知らない人物に、心からの声援を送りたくなる、希有な作品。」アルプススタンドのはしの方 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
名前しか知らない人物に、心からの声援を送りたくなる、希有な作品。
75分という、劇場公開作品としてはかなり短い上映時間の中に、鬱屈とした気持ち、互いを分かり合おうと対話を重ねる姿勢、そして勝利に向かって無我夢中で声を張りあげる姿、その他諸々をみごとに凝縮させた作品。
城定秀夫監督は成人指定映画から青春映画まで、これまで多数の作品を手がけてきており(フィルモグラフィを一読すると、タイトルでおぉっとなってしまう)、そうした作風の幅広さが存分に活かされた作品です。
とりわけ印象に残ったのは、登場人物が誰も、相手の言葉を拒絶していないところ。アルプススタンドの限定された空間で、高校生達(と一人の先生)がそれぞれの思いを抱えたまま座ってるのですが、徐々に言葉を交わし、関わり合うようになります。その過程で、一言では言い表せない鬱屈を彼らが抱えていることが明らかになります。それは本人にとっては生々しい傷で、それを指摘する側にとっても心が痛む行為なのです。しかしどのような言葉であれ、彼らはその言葉を拒絶したり、断罪するのではなく、いったん呑み込むのです。そして呑み込みつつもかかわり合う中で、やがて心境と行動に変化が訪れます。
こうした内面的な変化の演出は、ともすれば冗長になりがちですが、城定監督は自身が編集も手がけることで、全く無駄なく描ききっています。
本作が心揺さぶられる要因として間違いなくあるのは、ここで描かれている高校野球の風景が、少なくとも今現在、叶わぬ「場」であることも間違いなくあるでしょう。
先日、ふとしたきっかけで、たまたま今夏の高校野球地方大会を観る機会を得ました。その会場では客席スタンドへの入場を制限をしており、接触を心配する必要もないほどガラガラ。そして応援演奏や声援も一切なしでした。この作品が凝縮して描いてきた、そしてつい最近まで日本各地で当たり前のように行われていた営みはなくなっていました。そんな「失われた情景」に対する痛切な思いと、日本の多くの高校生達が、現状を受け入れざるを得ない状況であることを思うと、画面内の彼らの一つひとつの動き、語り方に胸が一杯になりました。
もちろん城定監督もスタッフの方々も、こうした状況は全く予想外のことだったに違いありません。そんな時代の変化の狭間にあって、図らずしも本作は、青春群像劇を超えて、「かつて存在した日本の光景」の映画アーカイブの意味も帯びることになりました。再び日常が戻ってきて、この作品を観た時のなんとも言えない気持ちを、懐かしく思い出せる日が来ると良いですね。必見です!
コメントありがとうございます!一体どれだけの学生さん達が、日々の練習の成果を発揮できず、涙を流したでしょう…。
しかし、たとえひのき舞台に立てなかったとしても、努力は何らかの形で実るという確信を、本作は力強く肯定していると思います!
演劇だって、今の情勢下ではなかなか開催できないですよね。数多ある叶わぬ場のひとつです。コロナ禍に青春時代を過ごさざるを得ない若者への痛切な思いが伝わってきました。