「考えるな感じろ映画では、ない」犬王 みうさんの映画レビュー(感想・評価)
考えるな感じろ映画では、ない
芸を極めていくごとに異形が解消されていくという設定に一瞬どうなんだ、それは…と思ったけれど、貴族との宴会シーンで仮面の中は美しいのか醜いのかと聞かれた犬王の「俺の仮面の中は美しい。しかしその仮面の中もまた仮面だがな。」「どういうことだ?」「すべては作り物だという事だ」といったセリフがアンサーとなっていると思う。あと「平家らは俺を呪っているわけではないと思う。ここにいると歌って欲しいのだ」というセリフ(うろ覚えだが…)。
作中では何度も目の見えない友魚が見ている世界、またその顔を隠すために仮面を付けた犬王の仮面越しの視点が描かれる。歴史と同様に「美しさ(または、異形)」の定義もまた、社会によって(強者によって)作られる。だからこその「異形」目線での歴史の語り直しの物語。犬王の「異形」に見える部分は、強者によって語られてこなかった名もなき者達の物語。
しかし犬王が自分の物語を捨てた後「犬王はその後も重用されるが歴史に残ることは無かった。一方で世阿弥は自作の謡曲を作り続け後世まで…」のような文章をわざわざ文面で出した意図は汲めない。少し説教じみすぎているように感じた。ほらね、だから自分の物語を捨ててはいけませんよと言うような。または別の意図があるのだろうか…。素朴なことだが、友魚と対照的に、犬王が自分の、そして語られてこなかった者達の物語をあっさり捨てたこともよく分からなかった。もはや犬王は「異形」ではなくなり、体制に取り込まれてしまったということなのか。しかし勝者によって語られなかった物語を異形目線で語り直すということ自体は体制と距離を置く行為であるし、作中でもそのように描かれていたと思うが。
それと、犬王達がブレイクしはじめた当初の街の庶民たちのセリフがどう見ても批評の言葉(≠庶民の言葉)だったのが気になった。批評=現代(未来)からの目線だと仮定すると色々考えられそう。
考えるな感じろ映画だとか言われているけれども、メッセージ性自体はてんこ盛りだと思った。しかしこの作品が、どこまで行っても逃れられない人間の身体そのものというテーマに向き合っていることは確か。私たちを縛る不自由な身体。考えるな感じろ映画だという評価はそういうところから出てくるのだろうか。
とにかく、アヴちゃんの声が本当に良かった。上手すぎる。