「音楽とダンスとに乗れない(私は乗れなかった)と楽しめない映画ではないとは思う。一時人気を誇っても権力に抵抗しても結局歴史に埋もれてしまう諸行無常の物語…(なにせ「平家物語」ですから)」犬王 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
音楽とダンスとに乗れない(私は乗れなかった)と楽しめない映画ではないとは思う。一時人気を誇っても権力に抵抗しても結局歴史に埋もれてしまう諸行無常の物語…(なにせ「平家物語」ですから)
①「犬王」のことをWikipediaで調べただけで事前知識まったくなしで鑑賞。②アニメ映画は余り観ないし通でもないので、あくまで個人的な意見だがアニメーション(絵)としてはとても良く出来ているのではないかと思った。仮面の目の穴を通して子供の犬王が外の世界を見るカットとか新鮮だったし、南北朝時代は京都でも星は綺麗に見えたんだろうなぁ、とか細かい描写に美しさ・斬新さ・面白さを覚えた。③歴史好き兼奈良県人としては、南朝や大和猿楽に触れたシーンでは“おおっ”と思ったが、それ以上先に進まず残念。観阿弥・藤若(世阿弥)と犬王との絡みも有るかと期待したが、それもなく残念。ただ話の本筋ではないので仕方ないでしょう。④「平家物語」の中の“壇之浦に三種の神器が二位の尼(平時子)と安徳天皇と共に入水した部分”と、足利義満の代で三種の神器が南朝から戻り南北朝合一した歴史とを結び付けて、この物語の背景とした着想は面白い。⑤犬王が、恨みを残して死んだ平家の亡霊の言いたいことを代弁した(歌った)度に身体の一部が普通の人間の身体パーツに変わっていくところは『どろろ』かい?と思ったが、最後まで観るとやっぱり『どろろ』だった。⑥“平家の亡霊がこんなに沢山”という台詞のシーンがあったが、京都1000年の都(この映画の時代では400年の都ですか)は怨霊の都であり、平家だけでなく平安京遷都以来の後継者争いに敗れた皇族・主権争いに負けた藤原氏の傍系や政争に負けた他の貴族・源氏・平氏・北条氏・南北朝京都合戦で死んだ人々等の怨霊も渦巻いていた筈で、その中で平家の怨霊だけチョイスするのもどうかと。⑦新しい”能”としてロックミュージックを持って来たのは新しい様でいてありきたりだと思った。クリエーター達が“ロック=反体制の音楽”という意図であったかどうかは勿論分からないが、もしそうであれば他の映画で前例があるので別に驚くような試みではない。広い範囲で言うと今では最早“ロック=反体制”ではないし、現代では能や伝統芸能のほうが逆にロックかも。⑧自分の好きなタイプのロックミュージックでなかったので、ただうるさくて単調で歌詞も良く聞き取れず、その上長々と続くのでこのシーンだけ眠たくなってしまった。QUEENのリアルタイムファン(正確には『JAZZ』までのファン)だが、京の河原で“WE WILL ROCK YOU”を聞かされてもねぇ…⑨踊り(ダンス)も既成のダンス・パーフォーマンスを採り入れたものばかりで(ストリートダンスやブレイクダンス、アイスダンスや新体操その他諸々)何かアッとさせるパフォーマンスはなかった。金閣寺?(義満の北山山荘)で演じられたパフォーマンスも背景の絵の方に心奪われた。⑩知魚が元々旅に出た目的は、自分と父親とがこのような目に遭った理由を探ることだった筈だが、琵琶法師が口承で虐げられた人々の事を伝える(平家物語は軍記物で決して虐げられた人々だけの話でもないんだけれども)と知って琵琶法師になり名も“友一”と変え、犬王と新しい芸能を立ち上げると共に自由と独立心とを持った「ここに有る」と“友有”と名乗る(犬王という一緒に何かを作り上げる友が出来たという意味もあるのか)。しかし、幕府が平家物語は“正本”しか今後詠ってはならね、という御触れを出した時、長いものに巻かれろ、という先輩法師の忠告を振り切り、それでは自分の「平家物語」は語れない、虐げられた人々の思いは伝えられないとして最後まで抵抗し、結句京の河原で打首となる。その時、自分の名前は“友魚”だと言いつつ死んでいく。幽霊になった時に呼んで貰う為とも思えるし、最後自分の出自である一漁師に戻っていつも為政者の犠牲になる庶民としての矜持だけは保ちたかっのかも知れない。何故彼が盲い父親が死なねばならなかったのか、その元凶は三種の神器を揃えて南北朝を統一し自分が日本国の最高実力者になる足利義満の権力欲であったことを、友魚は最後に知るが恨みを晴らすことなく京の河原に果てる。カタルシス無し、である。彼の歌に狂喜乱舞した京の庶民も彼の処刑を遠巻きに見るだけ。⑪一方、犬王の方は、足利義満の寵愛を受け、“もう「平家物語」の正本でしか踊るな、今後は婉美な踊りだけにせよ”と言われると、一瞬逡巡はするが驚くほどアッサリと義満に靡く。友有の命乞いもしない。元々猿楽師の家に生まれた彼としては、やはり天下の権力者の庇護のもとで自家の猿楽を栄えさせる事が最終の目的だったのか(史実でも彼は生涯義満の寵愛を受けたそうだが、その割に唄等残ってないのは考えて見ると不思議。踊りの婉美さは世阿弥も称賛するほどだったということは書いたもので残っている。)。ここでもカタルシス無し。⑫権力の前に真逆の道を選んだ二人だが、ラスト、600年後に再会した二人が出会った頃の二人であったのはせめてもの鎮魂か。