ホール・イン・ザ・グラウンドのレビュー・感想・評価
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画面が暗くて見づらい
穴は「巣穴」であり、地底で生まれたその生物は、地上で暮すために地上の人間に擬態する。擬態するためには、その人物に触れる必要があり、同人物が2人いては不自然なので本物は巣穴に閉込め(?)ておく。擬態する際、「餌」から得る栄養分の中にある程度の記憶が流れてくるのか、その人物の行動もコピーできている(?)。おそらく、擬態の精度=触れていられる時間が多いほど、より精巧なのかもしれない。
アリ地獄の罠を張り、地中で時期を待ち、穴に落ちた人間とすり替わって地上で生きていく謎の生物は、宇宙人なのか、地球上に今も生息する生き物なのか。その辺は不明に終わる。。。
ただ…物語の中で、「本当の息子じゃない!」と見破られたその生物は、結局「暴力」で解決しようとする。原始的すぎるその様はまるで原始人のようで、人間そのものに見える。もしかしたら、冷凍マンモスのように昔に生きていた人間の祖なのかもしれない。…までも、全体的に画面が暗くてちょっと見づらい。
続きで「息子じゃない!」と言われた謎の生物が母親と揉めるシーンで、2人がフレームアウト→コントみたいな殴られる音とともに→母親だけ飛んできて(画面にフレームイン)テーブルに当った・のには、笑ってしまった。
不思議な力でも、未知のウイルスでもない、巧みな心理操作でもない、単純な暴力に頼って種の繁栄を目指す謎の生物には、興ざめしてしまった。
アイルランド製ホラー
この作品は、ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger)という幻覚について知っておられる方なら話が早くなるのだが、今では日本でも有名な作家、芥川龍之介が、この体験をした後、自殺をしたのではないかという都市伝説まがいなものが、もっともらしく伝えられている。その自己像幻視を見たものは、少なくとも数日後に死んでしまうという事をまことしやかに伝え聞く。この映画は、その幻視を扱った、ある意味珍しいサスペンスの色の濃いいホラー映画として成立している。
いつものように学校の送り迎えの帰り道、サラとクリスの乗ったレンジローバーの前で、またしてもブレイディ夫人が道路の真ん中に立っていた。以前そのことが原因で彼女を一度撥ねてしまいそうになったのに、また!? しかし、今回は何故か、彼女の雰囲気が違う。
It's not your boy.
He's not your son!
Not your son!
車のドアガラスにブレイディ夫人は頭を打ち付けてまで叫ぶ
Here. Come here.
母1人、子1人、新しい生活を始めるために引っ越してきた田舎の古い家を女手一つで改装している母親。その母親として、気の弱い息子に少しでも接してやりたいという気持ちとは裏腹にそんな時間もお金も余裕を与えてくれない。そんなある日のこと、家の近くの森に大きな穴があり、クリスが一度、あることが原因でその近くで母親のサラがクリスを見失ってから、何かしらクリスの態度が少しづつではあるが、何かがおかしいと感じ始める。大好きな人形を森に置きっぱなしにしたり、以前では嫌いだった生徒とも友達になったり、しかも決定的だったのが、嫌いな蜘蛛を.....! 最後に2人の間でしか通じない合言葉も完全に忘れていた。
自分の子供と思っていたものが自分の子でない! そんなことを1ミリでも考えたことがなければ、にわかに信じることができないのが当たり前で、その恐怖をゆっくりと、しかもアイルランドの昼間でも暗い森の青白い風景も相まってこの恐怖映画が、成り立っている。何といってもシナリオの進行がとてもゆっくりなのでそのスピードに耐えれる方しか受け付けないような映画と思っていただければよいかもしれない。
amazon.comではすでにプライム・ビデオとして配信していて、会員になれば無料で見れるのと同時に英語字幕付き、しかも映画解説も見たければ左側にあるアイコンをクリックすだけでトリビアや俳優の略歴や映画音楽の作者なんかも知ることができる。ただし、日本では× アメリカのアマゾンのプライム会員になってもプライムビデオの大半は、著作権の関係から日本では、みることができないとされている。
1831年創刊の南半球最古の新聞紙、Sydney Morning Heraldによると「この不気味なアイルランド - フィンランドの共同制作品、その恐怖は、子育てのトラウマについてのより現代的な不安と結びついて、土壌を入れ替えるように新しいものだ。」1881年に創刊の中華系アメリカ人がオーナーの新聞紙、Los Angeles Timesの批評の一部「彼は単なるモンスターやjump-scares(ホラー映画などで、突然の大きな音と映像の変化で観る人を驚かせる手法)以上のことを念頭に置いている映画制作者にとって印象的な長編デビュー作である。」
クリスを演じたジェームズ・クイン・マーキー君のはじめ本当のクリスの時の彼のヨワッチィ子供だった印象だったのに、偽のクリスになってからの何故か成長したようで、いやに落ち着いた表情が、怖いものを連想させてしまう。そのことで彼の演技に対しての頑張りがわかるし、ラストシーンで母親のサラがクリスを助けに行くところは、閉所恐怖症の者にとっては、はなから無理な行動で自分自身、見ることを拒否してしまいそうになった。
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