チャーリー・セズ マンソンの女たちのレビュー・感想・評価
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チャーリー・セズって
人の名前かと思ったら Charlie says なのね。確かに原題は良いタイトルだけど、カタカナにしたときってセッズじゃないかしらと思うし、中黒入れるの変だよね。とまあこれは本編に関係ない文句。中身はおもしろい。チャールズ・マンソン役の人、一見魅力的だけど随所にただようニセモノ感、若者は騙されるけど真っ当な大人ならすぐ見抜けるであろう薄っぺらさ、うまく演じてるわと思ったらマット・スミスなのね。高慢と偏見とゾンビも良かったなー。
タイトルなし
1969年8月9日
女優シャロン・テート殺害事件
カルト教団チャールズ・マンソンと
そのファミリー
実行犯の女性たちに焦点を当てて描かれた
.
なぜこんな男に…と理解できないが
それがカルトの恐ろしいところかも
彼女たちは加害者であり
マンソンの被害者
洗脳からの解脱
贖罪に向き合うとき
苦悩ははじまる
罪は決して許されることではない
カリスマ性を今ひとつ感じなかった
シャロン・テート殺害などを起こしたマンソン・ファミリーを史実に基づいて描く。
タランティーノのワンハリでマンソン・ファミリーが出てきたのでなんとなくのイメージがつきやすかった。あれはタランティーノの創作だったが、本作はノンフィクションを原作にしているので妙にリアル。
とはいっても結局はカルト集団が犯罪に走っていく過程を描いたもの。カリスマの存在と信者たちが狂気に走っていく姿が大事なのだが、チャールズ・マンソンのカリスマ性の描かれ方は今ひとつ足りなかった気がする。そういう意味で物足りなかった。
犯人側の視点で見るシャロン・テート事件
WOWOWでワンスアポン〜ハリウッドの方の放送に合わせてシャロン・テート事件を題材にした映画を放送していたので見比べる為に鑑賞。
事件後刑務所で行われた実行犯の女性のセラピーと合わせて過去の事件を振り返って行く形式で、マンソンファミリーの実情を描く内容でした。
過激な描写も多い様に感じましたが、ドキュメンタリーにもカルトホラーにもならずに実行犯の女性の目線に合わせた展開は面白かったです。
一挙放送されていた3本全て予備知識ありきの映画でしたけど、タランティーノの方はシャロン・テート事件を絡めつつあの時代のハリウッドを楽しむエンタメ映画だった事もあり観賞後に沸いてくるマンソンファミリーもっと知りたいな〜って気持ちにこちらが応えてくれました。
こちらは別視点で事件とあの頃の時代性が見れるので一緒に見ておいて良かった。この後もう一度ワンアポキメたいと思います。
黙示録のイナゴはBeatles?
洗脳が解けない様子は、オウム真理教の地下鉄サリン事件にも共通するが、世界で何が起こっているかを理解しようとしないマンソン・ファミリーの信念が不気味。ルル=レスリー、ケイティ=パトリシア、セイディ=スーザンなどと、チャーリーにつけてもらった名前を名乗り、本来の家族とは絶縁状態だった彼女たち。序盤ではそうした洗脳が解けないほどの悪魔的存在だったチャーリーに興味を持ってしまった。
『シャロン・テートの亡霊』でも気になっていた「ヘルター・スケルター」。ビートルズの通称ホワイト・アルバムが発表され、「ブラックバード」や「レボリューション」から触発された上に「ヘルター・スケルター」の歌詞を曲解していたチャールズ・マンソン。黒人が白人と戦争をして、その後ファミリーが地下に潜った後、自分たちに統治を頼むとかいう、わけのわからない解釈なのだ。現在でも密かに人気があったりするのが不思議なくらい。
元々は原始コミュニティを作っていただけの、ヒッピー文化の派生みたいなグループのように思えた。ゴミ箱を漁る生活もひどいし、中でも牧場主のじいさんが笑えた。フリーセックスや所有を禁止するルールだけなら世間に害を与えなかったろうに、ミュージシャンとして売り出そうとしたことや、ビートルズを誤解したことにより、多くの殺人事件を起こすのだった。プロデューサーのテリー・メルチャーに逆恨みするというのも結局はただの人間であったことがわかる。
カルト宗教は基本的にこんなものだということが良くわかるし、洗脳が解けないことも刑務所内教師カーリーンによって明かされる。びっくり描写としては3人が互いに洗脳し合っていたことだ。背筋が凍り付きそうになった・・・
世間に背を向けて勝手な主張をしている様子は、現代日本におけるネトウヨにも通じている気がする。妄信することによって自分の存在を証明しているかのようでもあり、「エゴを捨てよ」というメッセージも、単に与党に「同調」する現代の構図に似ている気がしてならない。暴力、殺人は何も生み出さない。情報は多い世の中だけど、デマに騙されず、惑わされないようにしなければ・・・
洗脳洗脳洗脳…
恐ろしい。薬の影響もあるだろうが、恐怖、混乱を与えて、周りもそうしている、次第に自らもそう思うようになる。グループの絶対的な存在に認められたい一心で、その存在が全て、否定されたら、この世の終わりとすら思うようになる。時代や国を越えて、こういうカルトの存在は生まれる。と上手く演出されている映画だと思う。逮捕されて尚、暫くは洗脳から開放されない光景に唖然とした。見ていて恐ろしい。
ベッキー?
主人公の女の子が余りにもソックリでビックリだったが、今作は、正に日本での公開タイミングが絶妙であり、クエンティン・タラティーノ監督へのドンピシャなセンタリングといった格好である。
この手の類似事件は世界中で起きていて、そのメカニズムの解明はある程度プロファイリングされているとは思う。特に重要なのは今作でも実行犯としての従者である女性陣がフィーチャーされているが、核となるリーダーの男からの影響を、問題を起こす前にどうやって解くことができるかは余り公表されておらず、かなり難しい事案なのか、それとも誰にも知り得るように公表することが、悪意の人間への利益供与になってしまう恐れを鑑みているのか、いずれにせよ、今作品のテーマである“洗脳”という観点で改めて思い返してみる。思えば、今作品、至る所にその“洗脳”を仕掛けるシーンや、台詞、演技が散りばめられている。しかしそれを鑑賞中はハッキリと意識は出来なかったのだ。鑑賞後にネットで調べて初めてストーリー内として必然だと思われていた数々のチャールズの行動にブレインウォッシュの仕掛けが施されている事に驚愕する。アバンタイトル自体がすんなりと理解出来ず、女性を引っ掛ける手口だということを遅くなって分ったので予習というのは大事な事なのだろう。何せ誰がチャーリー・マンソンなのかを勘違いしていたのだから(苦笑
とはいえ、もう少し観客に優しい説明が欲しかったと思うのは自分だけだろうか。それともアメリカではその辺りの全容は国民として当然周知なのかもしれない。チャーリー・マンソンが決して計算とは無関係な天然な男などではなく、用意周到に振る舞う詐欺師だったこと、その生い立ちや成長過程の劣悪さだったこと、人生の大半を刑務所内で生きてきた中で、悪事を反省することなく、周りの人間の悪事すら吸収し研究、実践していたこと、その全てが“悪魔”としての役割を嬉々として享受していたことを作品内に言及できていれば、見間違うことなく鑑賞できただろうと、手前勝手な誤解釈にいたたまれなくなる。
何故、奴はファミリーという集団を形成したのか、何故そのような狂気の集団に無知蒙昧な若い女性達が近づいたのか、そして、その首魁の命令は何故に何故に絶対的だったのだろうか。勿論、ドラッグ投与が女性を傀儡に変えた殆どの主原因なのだが、この類い希なる集団を形成できた外的要因が“ヒッピー文化”という時代そのものであった。カウンターカルチャーがもたらすものは、人々の開放であるが、それはだれもが信用できる関係を築けるという楽観主義がベースであり、その中にそれを利用しようと企む輩が紛れている事実というものを、軽視していた負の側面“刹那”を曝いてしまったのである・・・と、その辺りの時代背景との偶然で最悪な親和性があったというバックボーンを勉強していないと今作品の物語が深く入り込めないということを強く認識させられた。アニメーションだったら、オーバーリアリティな演出で、徐々に蝕まれていく女性達の姿を映し出せるのだが、表面的な狂気をなぞっているような感じで、ファミリーそれぞれの追い詰められた内面を表現仕切れていない印象を持ってしまった。刑務所内での3人の未だ洗脳が解けていないあの状況も、家庭教師の苦悩の表現が甘いせいか、それとも主人公を除く二人の人生が分らないので作品に没入出来にくくなってしまっている。
同じ話の繰り返しになってしまうが、今作品は予習をキチンとしていくことで、作中の演出意図や、登場人物の背景、背負ってきた諸々の事情、何より時代背景との濃密なリンクを幅広く熟知している観客が、その奥深さと緻密な演出に納得させられる作品なのであろう。ラストの“IF”シーンは(あのバイクの男はデニス・ブライアンなのか、認識出来なかったので、ご存じの方ご教示願います。)、幾つもあった地獄から抜け出せる岐路をイメージしたのだろうが、主人公が後ろを振り返ると、チャールズ・マンソンが『出て行け』とのボディアクションを以て、そのかたくなで負けん気の強い性格が、すっかり視野を狭めてしまっているという症状を現わしていて、あれはあれで評価できる構成であると思った、興味深いオチであった。
終末論と私怨と盲信と
1969年に起きたロマン・ポランスキー監督夫人の女優シャロン・テート他、無差別殺人事件を犯した実行犯と、彼らの在籍したチャールズ・マンソンに洗脳されたカルト集団の話。
入館時に鑑賞後にお読み下さいと手渡された事件の概要が記された資料を事前に斜め読みしてから鑑賞。…事件のことをまるで知らなかった自分は先読んでおいて良かった。
事件から3年後、3人の主要マンソンガールズが獄中で学び洗脳を解除して行く様子に、彼女達がカルト集団に入りハマり事件に至るまでの出来事を織り込んでみせていく。
自分からしたらどこにどう惹かれるのか理解出来ないけれど、甘い言葉で主に女性達を引き寄せて行くチャーリーが不気味だし、ハマって行く女性達も不気味。
実際にはどの程度みせていたかわわからないけど、結構身勝手な部分が出ちゃったりするしでそれ程カリスマ性を感じないけどなあ…集団心理なのか周囲に流されるからなのか…。
傍からみると何の根拠も何の説得力もないオカルト話を信じたり、疑いつつも従って行く様子がおぞましかった。
不甲斐ないカリスマ性
オウム真理教の麻原彰晃や若松孝二が描いた「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」なんかを想起させられる内容で、基本的に共通している気がするのはトップの人間にカリスマ性も無ければ、魅力も皆無。
60'sポップカルチャー?の一人として今だに祭り上げられているようなチャールズ・マンソン、意味も解らずにTシャツを着ている輩も存在する現在進行形。
レコードを出せたなら、あんな酷い行動に突き進むコトもなかったのかなぁ!?
皮肉にも刑務所に入ってから音源は世に。
少女たちが崇拝し洗脳されてしまう程の説得力は伺えず、ショッキングな内容も映像ではあまり描写しない演出に物足りなさも。
60年代後半ヒッピー、カウンターカルチャーの雰囲気は思う存分に、洗脳の怖さやチャールズ・マンソンのカリスマ性に教祖としての魅力は希薄に感じた。
ゴア表現は控えめか?
約2年前にWEBニュースでチャールズ・マンソンが病院に緊急搬送されたと.......。この人、まだ生きていたのか!!!
映画の冒頭、60年代のカウンターカルチャーの執筆で知られるエッセイストの言葉でこの物語が始まる。
Many people I know in Los Angeles believe that
the Sixties ended abruptly on August 9, 1969.
Joan Didion, THE WHITE ALBUM
この映画の特徴として、今までの映画では、シャロンテート事件を描いたものは、どちらかというとマンソンが中心で彼女が殺される凄惨なシーンがよくとりあげれていたけれども本作は、実行犯の3人の女性、特にレスリー・ヴァン・ホーテンに焦点を当ててマンソンとの出会いから、カルトにのめりこみ、行きつくところは刑務所と絵にかいたような転落劇なのだが、カーリーン・フェイスというこの映画のキーパーソンでしかも女性権利活動家の面を持ち彼女たちの死刑が持ち越されて不定期のつまり終身刑と同等の死刑囚監房に一生いることになるために精神的よりどころとなってもらいたいと所長から頼まれるところから始まる。
シナリオとしては、レスリーを含め実行犯の3人の独房生活の次元と、通称:"Family"と呼ばれたマンソンとその信者の生活の次元がお互いに交互に"Nonlinear narrative"形式で表現されている。カルト教団の教祖が№1で何でもかんでも自分の考えを押し通す矛盾、例えば、信者には“エゴを持つな”と言っておきながら、あなた自身がエゴの塊ですよと言いたくなるシーンなどが出てきてしまい、挙句の果てには、その矛盾の解決先は暴力となり自己破壊の末路となる。いわゆるステレオタイプのカルト教団の崩壊と獄中の3人の女性の精神的変化を約2時間で表現している。
仮にこの映画が、スーザン・アトキンスに焦点があてられたとしたなら、ギミックをふんだんに使ったすごく凄惨なゴア表現を監督はしないといけなくなる。というのも元ストリッパーの弱冠21歳のアトキンスが、最も3人の中でマンソンとの距離が近かったと伝えられている。その上、シャロン・テートのお腹めがけて、十数か所、刺したのも彼女で、一説には妊娠8か月の赤ちゃんを.......! この後は凄惨すぎるので書けません。すみませんでした。
♪Garbage dump oh garbage dump♪
♪Why are you called a garbage dump? ♪
なんて歌いながら、"Family"のメンバーは、ごみ箱から食べ物を探していたのに......!?
Now we put the piggy in the chair.
Who's the piggy?
Who's the piggy?
.....................
Kill the piggy.
Kill the piggy!
Now imagine we just yanked this piggy out of his car.
..................
and I want you to scare him to death!
チャールズ・マンソンは、彼自身が信者に与えるLSDの管理をしていて、紙に含ませたLSDを口に入れたりするシーンや性的なシーンも出てくるのでR-15指定となっている。
途中、獄中でいまだに洗脳が解けていないシーンが、映画でも出てくるが、その映像は実際に行っていて、Flickrというコミュニティサイトやほかの多くのサイトで、その写真が掲載されている。
レスリー・ヴァン・ホーテンが、ひとり寂しくつぶやく。
"It was all for nothing." (洗脳はとけたのか?)
コロンビア大学ビジネススクール、シーナ・アイエンガー教授の言葉がラストシーンにつながる。「選択肢は多ければ多いほどよい、そう考えているあなたは間違っています。」
この事件そのものが、人違い殺人とされているが、この映画ではあくまでも個人的な意見として聞いていただきたいのだが、マンソン自体が本当は、圧倒的なものに対しての畏怖の念があるように描かれていて、音楽プロデューサーのテリー・メルチャーが家にいないのを実は知っていたのではないか、と思わせる描き方をしている。多くの彼についての著作の中に記されているように音楽プロデューサーのテリー・メルチャーを狙った殺人計画だったのだけれども? そんな中で意外だったのが、メルチャーその彼がドリス・デイの息子とは知らなかった。この人は、50~70年代にかけて活躍された女優と歌手という肩書をお持ちの一世を風靡をされた有名な方で、先日お亡くなりになっています。
原題の「Charlie Says」はマンソンが神の存在から、彼の言葉が啓示として信者に示されているためか?
New York Magazine/Vultureのレビュー「映画製作者がかき集めたものよりも高い次元の極悪非道性を彼ら自身がくっぷしてしまうようなものを見たいと思うことがある。」あるブログから「このチャーリー・セズという映画は、ハロンの最高の映画であるとは言えないが、それにもかかわらず、アメリカの歴史の中でも理解できないほど悲劇的な出来事を理解しようと試みるためにそこから断続的にのめり込み、また予想外の角度になっている。」
マンソン自身は、直接殺人には、手を貸していないけれども殺人の教唆も含め、非常に強くかかわったとして、死刑判決を受け、ほか4人も同じ刑を受けていたが.......!!!
その当時から死刑に関して根強い反対意見があったためか、一時カリフォルニア州の司法は、死刑を撤廃していた。その恩恵?をもろに受けたのが、彼ら5人ということになる。そしてまた死刑を復活させたのが、偉大なる唯一無二の犯罪者、チャールズ・マンソン、その人である。また今年になってから、死刑をまたカリフォルニア州が"一時中止"の署名を知事が行っている。全米で最多の死刑囚737人を抱えているということは、世界一。どうするの知事さん、この人たちを.....?
後の話は聞き流してほしいのだが、シャロンテートの夫であるロマン・ポランスキー監督、性的行為を理由としてビル・コズビーとともに映画芸術科学アカデミーから除名されていて、しかもアメリカの地は踏めないものとなっている。
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