朝が来るのレビュー・感想・評価
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なかったことにしないで・・・という抒情詩
「きっと君に辿り着くよ。
会いたかった。」
これがこのストーリーの帰着点だと思う。
そして、それは、なかったことにしないでという声を、
一度は消された声から甦らせ、そこから生まれたものだった。
夫婦の想いが、
幼い淡い恋心が、
そこに宿った小さな命が、
なかったことにしないでと囁きかける。
この囁きが映像全般にわたって私たちに語りかけてくる。
煌めくひとつひとつが、
風にそよぐひとつひとつが、
とても綺麗だ。
この彩が鮮やかで、また音もまた抑制が効いて静かである。
会いたかったよ
光
丁寧にしっかりとした作品
原作は未読です。
「特別養子縁組」。それは受け入れた側の戸籍となり、出した(産んだ)側とは縁が切れる。
その双方の話を、時間軸を時に戻しながら進んでいく。
そうなるとわかりにくそうですが。
小説でいうと「第1章:受け入れ側」「第2章:産んだ側」等とメインをチェンジしていく。
なので大丈夫でした。
途中ドキュメンタリー風に進むところもあって。
話にリアリティさを増してました。
時々で受け入れ家庭に、無言電話がかかってきます。
その時の「爪の色」。誰だろう?出した側の女性じゃないよね。でももしや?。
と予測したのですが、そういうことかそれで、ってわかるところは。
出した側の女性の、出産時以降の人生の荒波ぶりを感じたな。
生命の営みとの結果として、命を授かり、生まれる。
その子供がみんなに歓迎される。ばかりじゃないんだよね。
生まれない命もたくさんある。
その難しさを感じました。
重めの内容ではあるけど、見終わった後は「うん」ってうなづける。
140分あっという間でした。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「色々あったね」
一人の人間の命を預かり、育てるという「ミッション」
一つ一つの映像が、どれも美しく、監督の美学が結晶化している。美しいけれど、とても血の通った作品です。この夫婦の人間性が高いので、救われます。そして中学生の二人も本当に純粋に好き合っての縁で。
ただ、つらい状況が続きます。人生には理不尽がいろいろあるね。
自然の情景が、人間の表情と、交互に重ねられていく。
重くエゴの泥沼化しそうな内容も、主人公に感情移入するとか、観客という批評家目線でもなく、不思議な立ち位置で観ました。まるでこの夫婦の友人のような気持ちになっていました。
血のつながりがあっても無くても、
誰かの幸せを願う。それが愛ですね。
でもなかなか足りない、世界には愛が。
愛を乞う人の方が多いから。
周りからはムリゲー扱いされても、中学生が一つの命を産んでくれたからこそ、これだけの「愛する側」になる人が生まれたとも言えます。新しい命は愛を運んで来ましたね。可哀想、とかじゃなく。
迷いのないメッセージ。
一つ大きな論点。
養子縁組の大事な条件が「親のどちらかが、育児に専念できる夫婦」。
一人の女性が質問しました。祖父母もいて、時短勤務もできるのですが、と。縁組仲介者(浅田美代子)が「皆さんにとって、仕事が大事なのはすごくよくわかります。でもそこは譲れない条件です、ご理解ください」とシンプルに、笑顔で、1ミリも揺らがず答えるところ。
世の中の流れ的には、産休育休保育園。女性も男性と互角に仕事人としての活躍が謳われる。一度正社員から外れると、正規雇用復帰は難しい現実。男性一人の稼ぎで一家が食べていくのは難しい時代。
でも本作での設定は専業主婦デフォルトのように捉えられなくもない。それもあえて台詞にして、入れている。ここは議論を呼ぶと承知の上でしょう。
河瀬監督が女性でよかった(男性監督だったら、単に、前時代的な偏見とこき下ろされたかも)。
いいのです、監督が世に問いたいことを描く。
その覚悟こそ映画を作る意味。
母という元型も問うています。
さまざまな母たちが出て来ます。
母になれば愛が自然とうまれる、というのは幻想(不都合な真実)。
いいのです、世の母たちは皆知っているのでは。
外ヅラつい整えたくなる自分たちを。葛藤です。一生かけながら、母も子も(父も)、不測の事態に試されながら、本音で関わり、魂を磨いていくのです、どんな時でも愛せるように。
その覚悟が出来ない親もいる。。。
河瀬監督、美しい映像で、ぐいぐい問うて来ましたね。
その思い切りが、心地よかった。
深い
特別養子縁組を題材に。
この、産みの親と育ての親をめぐる映画作品の中に、
八日目の蝉
夕陽のあと
そしてこの朝が来たが同テーマの三大名作になろうか。
それぞれ、展開と結末は違うがそれぞれに伝えたい何かがしっかりと描かれていて考えさせられる。
辻村深月作品は深い悲しみの中に最後は救いのある結末が多く、本作も河瀬直美監督がどう締めるのかに期待を寄せたが、こんなラストを見せられては誰も文句は言うまい。
素晴らしい!!
いつの時代にも子供を育てられないのにデキてしまうという「することしておいて、無責任な!!」という事が繰り返される。
事情も様々あるが表向きは結局そうだ。
いつも苦しむのは女性側であり、この映画でもワンシーンで象徴的に見せた相手の男の高校通学の姿。
この差がホントに辛い。
ついて離れない産んだ子の行く末。
これが気にならない産みの親はそうそういまい。
若干14歳で産んだこの子もそう描かれてストーリーは進む。
2時間19分の重く長い作品だが、各自の揺れ動きが余すとこなく出ている。
何より、単純な時系列で作品を繋がずに、産みの親、育ての親(夫婦)の展開の過去と今を素晴らしく編集して作品全体をまとめたところに私は感動しました。
これは見逃せない一本となりました。
久々の邦画。演技力に圧倒
透明感と衝撃
奈良学園?
実親と里親とは完全に接触を断つべきではないのか?と引き渡しのシーンで違和感を感じ、それが最後まで続いた。共働きはNGという規定にも疑問があったところ。育休取って良しといった制度にしたいところ。
しかし、養子縁組制度のあり方について論じているようではなさそう。むしろ、寄る方ない少女の救済論のように思える。蒔田彩珠の荒んだ表情と穏やかな表情の落差が良い。おじさんに切れた時の揮発性は思春期らしい演出。びんたで応酬した中島ひろ子も際立つ演技。同じく荒んだ少女役の森田想にも好感。
少し長いが、演出、演技は充実していると思う。しかし、制度的にはそのような着地は無理があるし、True Fatherの方は全く触れないというのも偏りがあるように思える。
何故実在の学校名を使うのか?理由がよく分からぬ。
素晴らしい作品
2本立て2本目。川瀬監督作品、しかも高評価。邦画初勝利の予感。 幼...
2本立て2本目。川瀬監督作品、しかも高評価。邦画初勝利の予感。
幼稚園事件、ありそう、緊張感漂う。
遡って不妊治療から養子縁組へ。うちも不妊治療の子です。養子までは考えなかったなぁ、人様の子を愛せる自信がはなからなかった。
養子を受け取る際、「母親に会いますか」ここで一気に冷めた。米国🇺🇸などでは産む側と育てる側との非接触は常識。浅田美代子が所長だから(笑)では済まされません。
しかもここからドキュメンタリータッチの映像が続き、かえって嘘臭さは増幅するばかり。主人公は産んだ中学生に交代です。永作はどこいった!状態です。
エンディングもまた不思議。金まで要求されたただただ邪魔な産んだ側に理解を示せます?
極め付けはエンドロール最後、ただただ寒かった、怖かった。
私的採点ではここまでのハズレは久しぶりでした。朝ドラモネの妹は素晴らしい演技なのに残念至極。
日韓対決は残念だけど今回も韓国の勝利でした。
免罪符系ホラー
河瀬直美には、なんかがあるような気がしていた。
寡作な印象があるが、wikiページを見ると1992年から年一ペースで、映画をつくっている。すごいキャリア、かつ多作だと思う。
ただ、作風が地味なので、公開規模は狭かったと思われる。
カンヌをとった殯の森(2007)以降は注目されたが、おそらく大衆認知に至ったのはあん(2015)だと思われる。
あんにもその次の光(2017)にもお涙臭があった。
確実に「可哀想な主人公」で釣る作風だった。
あんや光は一杯のかけそばの「貧困」が、ハンセン病や盲目に変換されただけの話だった──と思う。
で、河瀬直美はなんかがあるひとではなく、たんにメロドラマの作家だと、個人的には認識した。
ただし、かつてはメロドラマが顕著ではなかった。
憶測に過ぎないが、アーティスティック(げいじゅつてき)な作風だったけど、大衆に下野する必要が生じて、──つまり、プロデューサーに「なんかもっと売れるもんつくってくれませんかねえ」と言われて、本来の姿「メロドラマ」が顕現した──のであろう。と思われる。
メロドラマの作家ならば、ザ日本映画の系譜にすんなり収まる。あんを見たとき「なあんだ、ふつうのザ日本映画の監督なのか」と思って、ある種ホッとした。
日本映画を見ていて思うのは、なぜエクスキューズするのかなってこと。
われわれ、大人は、現実世界で、同情を誘うような姿(人様から気の毒に思われてしまうような様子)を不特定多数に見せない。お恵みを乞う──意図がなければ。
ところが日本映画には、「わたしはかわいそうなんだぞ!」と絶叫しているような人たちばかりが出てくる。
お恵みを乞うているわけ。
たんじゅんに、同情を誘っているのですよ。
わかんないのかなあ。
にもまして、映画向きの、まことに好都合な不幸。小説(原作)ならば、暴れない筋書きが、映像になったことで突飛な話になっている──気がした。
登場人物は「むしろそんなところに嵌まる方がむずかしいんじゃね」──と言わざるを得ないような、トクベツに特殊でトクベツにお誂え(おあつらえ)でやたら強引な「可哀想さ」のある状況に陥っています。その(逆)御都合主義。不幸がなけりゃ、わざわざ探し出して、自らそこに入りこんじゃう人たちです。
また、なかったことにしないでって字があらわれる部分が社会派から探偵小説に飛んじゃったみたいで、ムリ感が半端なかった。
さらに大仰。シンプルに客観視するなら、たんに子供ができないってだけの夫婦だよね。そりゃ当人にしてみれば、悲しいことだろうさ。だけどな~んか仰々しい悲嘆が鼻につく。にんげん、四六時中、シリアスな局面で生きてるわけじゃない。適当に気を抜いたり笑ったりもするさ。絵にリアルはあるけど、人物像はリアルじゃない。
また永作さんの見た目が、やつれ感を強調しているのだろうけれど、あまりにも野暮。この人、演技がうまいのか、わたしには解らないが、おばさん(にしか見えないひと)を、これでもかというほど近接でとらえていて、ひたすら辟易した。これは容姿ではなく、絵のもんだい。
たとえば、是枝監督はリアリティに寄せるけれど、役者選定はかなり面食いをする。海街も他の映画もリアリティも追及するけれど前提にきれいな役者を使うわけ。つまりリアルなのはいいけれど、見にくい絵は、やはり見にくい──という話。
(ホラー映画で人物の表情を近接にとらえて皺や陰影を強調して醜悪に見せる手法(HereditaryのトニコレットやMilly Shapiroみたいな)があるけれど、この映画は、ほとんどそれに近かった。それが誤算度きわまりなく、案外ホラー映画と言っても差し支えない。──とわりとまじで思った。)
不憫・哀れっぽい・痛々しい、ひたすら気が滅入る話。田舎者の感性。いつもながら空間のリアリティだけは、ある。が、ありえねえって思えるコテコテの不幸をムリムリに設定して、しれっと免罪符にしちゃってる映画。ださい作風です。0点。
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