「【家族になる】」朝が来る ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【家族になる】
多くの人がコメントしてるかもしれないが、エンドロールの最後まで席を立たないでください。
多分、この一瞬のために、この作品を撮ったのではないかと…、持って行かれます。
僕は、この原作が好きで、あっというまに読み終わったのを覚えている。
原作のエンディングは、とても叙景的で、心をものすごく揺さぶられる。
河瀬直美さんの監督で映画化されると知った時は、原作のエンディングをどのよう撮るのか、とても興味を持っていた。
だから、少し期待を裏切られたと感じていたところ、エンドロールが終わって、あっ、やられた、でも、これだったのかと、原作を読んで感じた自分の印象と比べて、改めて感じ方は人それぞれなのだと…考えた。
(以下ネタバレあります)
↓
物語は、不妊と中学生の妊娠という社会問題を扱い、優しさも憤りも、切なさ、虚しさや、悲みがちりばめられ、佐都子にも清和にも、ひかりにもそれぞれ感情移入する人がいると思う。
佐都子とひかりの境遇は一見真逆だ。
子供を授かることが難しい年齢と、早すぎる年齢。
夫が原因の不妊と、相手の不見識による妊娠。
養親と、生みの親。
朝斗を引き取ってからの充実した生活と、周囲の理解も少なく朝斗を手放してからの空虚で押しつぶされそうになる人生。
しかし、この作品を通じて感じたのは、ふたりには、きっと、このふたりだからこそ理解しあえる大きな共通点があったのではないかということだ。
それは、夫の不妊を知っても愛し、辛い不妊の治療を目の当たりにして、自らの子を諦めながらも、ベビーバトンの試みを知り、新たな家族、朝斗を固い決意で迎えたこと。
家族や兄弟など親族に対する心の距離感を抱え、自身の支えとなるような別の家族を渇望してしたこと。漠然とはしているが、こうした葛藤を抱える人は、案外多いのではないか。
清和は、佐都子の良き理解者であり、良き夫だ。
一方、ひかりの愛した巧は、若く、責任感に乏しい。
だが、それぞれが愛している、或いは、愛したという事実に変わりはない。
そして、切望したか否かにかかわらず、ふたりの子供に対する愛情は深い。
ひかりは子供を手放してしまったが、手紙にあったように、なかったことなどには決してできないのだ。
その後、ひかりは空虚な人生を送るようになってしまったように思えたが、僕は実はそうではなかったと思う。
原作では、風俗嬢のコノミが、ひかりに、いつか自分の産んだ子に堂々と会えるように頑張りたいと話し、ひかりもこの言葉に触発されて、身を粉にして働いていたように思う。
映画では、浅見と語らったベビーバトンでの短い生活で、改めて、「なかったことにはできない」想いが強くなったのではないのか。
だから、副次的にだが、自堕落な仲間にでさえ思いやる気持ちも持つようになったのではないのか。
周囲が望もうと望むまいと、我が子は我が子だ。
その後、一連の出来事は、思わぬ形で、そして、ひかりが想定していたよりも早く、ひかりを、この家族に引き合わせる。
エンディングは胸を打つ。
原作は、雨が降る朝、ひとり佇むひかりを、佐都子が後ろから強く抱きしめる。
広島のお母ちゃんだと言う佐都子と、ちょっと驚いて、広島のお母ちゃん?と聞き返す朝斗。
雨雲の切れ間から、朝陽が差し、3人を照らす。
きっと虹がかかるのではないかと思うような光景だ。
ひかりは、家族になったのだ。
映画はご覧になった通りだ。
会いたかった。
ひかりは、家族になったのだ。
家族とはなんだろうか。
興味のある人は原作も読んでみてください。
※永作さん、惚れるわ😁