「(原作既読)子供の母は一人でよいと誰が決めた? 原作では読者の想像に委ねた「育ての母」と「生みの母」との絆を目に見える形で示した映画化、はたしてその正否は?」朝が来る もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
(原作既読)子供の母は一人でよいと誰が決めた? 原作では読者の想像に委ねた「育ての母」と「生みの母」との絆を目に見える形で示した映画化、はたしてその正否は?
①題名の「朝が来る」。さて、“朝”は誰に来るのだろうか。佐都子にでもない、ひかりにでもない、そう“朝”は真人君に来たのだ。映画は原作よりそのことを明確に示す。「生みの母」のお腹の中にいたときに一緒に見たのは夕日、そして次に「生みの母」と一緒にみたのは朝日なのだ。朝斗という名もそれを予め意識して作者が選んだのかもしれない。②河瀬直見は映画作家としては日本映画界でも頭ひとつ抜きんでている監督にはちがいない。映画をよく分かっている。ただ、同じ奈良県出身だから応援したいところだが、奈良県を舞台にした映画は何故か観念的なものが多くもひとつ好きになれない。しかし演出力は確かにあって『あん』は素晴らしい佳作となっていた。原作ものの方が会うのかも知れない。そういう意味で期待半分不安半分だった今作
。③前半は原作通りの展開ではあるが映像化としては申し分のない出来。井浦新はフツーの人とそのリアクションとを自然(に見える様)に演じているがこれは実は一番難しいこと。この夫婦像がぶれないことが映画に安定感を与えている。④ほぼ完璧とも言える前半に比べ後半はやや調子が乱れる。原作でも後半の解釈は難しい。映画では浅田美代子の浅見が原作以上の存在感を持って描かれる。同じく「生みの母」になれなかった浅見は家族関係に恵まれず堕ちてしまった娘たちの一時的とはいえ「育ての母」となる。この映画における三番目の『母』である。「時間ですよ」のミヨちゃんが、ノーメイクで慈母のような女性を演じるのに感慨ひとしお。やや乱調が見られる後半だが、ベビーバトンの姿を「ドキュメンタリー番組」の形を借りて描くのは映画的に良い処理方法だと思う。⑤原作では作者は冷酷なくらいひかりを堕としていくのだが(風俗までは堕とさないけれど)、映画はもう少しひかりに対して優しい。それでも突然現れた借金取りに脅されて泣き出す蒔田彩珠の自然な演技が良い。彼女から自然な演技を引き出した河瀬直美の演出は称賛されるべきだろう。⑥脅迫の言葉を伴って訪れたひかりが“本物の”ひかりだとわかってからラスト最早行くところがなくて街をさ迷うひかりを佐都子が見つけるまでの佐都子の心の動きを原作は具体的には描かない。映画は“広島のお母ちゃん”の手紙に一度書いて消された一文の筆圧に気づいた佐都子にその一文を見せることで具現化する。『なかったことにしないで』。ひかりが回りの大人のいう通り(14歳で子供を産んだことを)なかったことにしたら、彼女は普通の人生を送れたかもしれない。しかし、なかったことに出来なかったひかりはきびしい道を選んだ。そのひかりの心情を一瞬で悟り大粒の涙を溢す永作博美の名演。そういう意味からこれは本当に泣ける話なのだ。⑦あと、原作では関東であるひかりの故郷を奈良に変えている。中学生たちが話しているのは関西弁だし、撮される風景にも既視感があると思っていたらやはり奈良でした。こういうところは奈良に住むものとしては嬉しい。