アイたちの学校のレビュー・感想・評価
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自己同一性
自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。ここがこの作品のテーマであると思う。そしてそれを深く抉るドキュメンタリーを期待したのだが・・・
想像するに、今作品に匂う“活動費”目的みたいなものが、仕方がないのだがその作りに始終しているように思われてならない。高校無償化の対象外という状況に追いやられた学校がその窮状を訴えること、そしてその活動費の捻出の為という形での映画制作が容易に透けて見えてしまうのは、一映画ファンとしては寂しい限りである。勿論、その状況や、過去の歴史等を鑑みるに、訴えること自体は否定どころか応援をしたい気持である。但し、ドキュメンタリーもどんどん進化をしている。昔のような“某国営放送が制作した品行方正番組”という殻から脱皮して、モキュメンタリーを隠れ蓑に本当は裏の裏は表的アイデアで作られるモノや、一筋縄ではいかない印象の転換を随所に盛り込む構成、それこそマイケル・ムーアが得意とするフォーマットも用いられることができたのではないだろうか?鑑賞後の感想は正に免許センターで更新講習を受けた際のビデオ鑑賞そのものである。何よりもつまらなくさせたのは、都合の悪いところを隠したこと。お涙頂戴、子供には罪はない、勉強する権利の要求、そして何より歴史の引っ張り出しを重ねる毎に、彼らの世界では溜飲が下がるだろうが、益々日本人との溝は深くなるのではないだろうかと、些か心配さえ覚えてしまう。
ドキュメンタリー中に出演する、アイドルのような女優志望の女学生、東大に入った男の子、プロサッカー選手や、サッカー北朝鮮代表に選出された女学生。その他、映像で流れる華やかなクラブ活動等々。そんな学校紹介の合間に過去の悲惨な歴史をミルフィーユのように挟み込む作品構成は、唯々、観客を飽きさせる展開だ。前述のいう例として、“首領親子”の肖像画はなぜない? せっかく『パッチギ!』を制作した会社の紹介をするのならば、品行方正の方の学生だけではなく、不良連中のこともクローズアップすべきでは?そして一番の問題は、金の流れをきちんと表明すべきでは? と多分彼らにしてみれば耳の痛い話だし、そもそも自分たちで作る内容にわざわざ自分たちを陥れる要素をいれる必要もないのだろう。となると、どうエクスキューズしても今作品は体の良いプロパガンダ映画の類としてのレッテルがついて回ると思うのだが・・・戦後の差別問題の根源はGHQからとか、自分にとって新しい情報が得られたことは興味深かったのだが、ならばなぜアメリカはその方向に向かったのかの理由も組み入れる必要があったのではないだろうか。ヘイトスピーチの映像も、これこそスリリングな画だった筈なのに効果的に使われていない。学校宣伝のシークエンスがあれだけ多いと、これは想い出作りの一環?といらぬ勘ぐりまでしてしまう始末。
そもそも、冒頭で書いたように、今作に於けるキモは、“民族=アイデンティティ”を理解して欲しいという事なのではないだろうか?それとも本当に学校無償化問題をどうにかしたくて今作品を作ったのか?
多分、今作品の有り様そのものが現在日本人がなかなか寄り添いにくい問題点を現しているのではと感じざるを得ない。余りにも感情ばかりが先走りしていて、理性と論理を丁寧に紡ぎ出しながら、そして少しのウィットと自虐を放り込みながら観て欲しい観客に寄り添える作りでなければ、何一つ共有できないし、カタルシスもない。
観客は“にっくき日帝”なのではなく、喩え幻想だとしても世界平和を願う庶民一人一人である。自分たちの近所だけで家庭用ビデオカメラで作成した作品を上映してその後飲み会を開くなんてレベルではない筈。自分たちの不遇の歴史は、今の日本人には分らないし殊更押しつけることでもない。大事なのは一緒に共生する“未来”なのではないのか?少なくても“民族=首領様”だと大人達がその世界観を守ろうとするならば、良い答えは得られにくい。一応、自分は募金のつもりで鑑賞したけどね。
PS:自分の感じたアンデンティティはひとえに“母国語”獲得。もうこれ以外に、サッカーや舞踊、その他の才能を得ることなどない一般の人間の唯一の主体なのではないだろうか。そこはキチンと盛り込んであったことは非常に納得出来た。
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