「定型が壊れる」スウィング・キッズ taroさんの映画レビュー(感想・評価)
定型が壊れる
物語の前半はアメリカの青春映画で見たような既視感のあるシーンが何度も登場する。「ありきたり」「模倣」という言葉が浮かぶ(その中でも中国人民軍兵士の登場人物は異彩を放っていた)が、一方で、気楽にタップダンスのリズムに身を委ねる心地良さも感じた。
しかし、後半は、そうした「ありきたり」感が破壊される。娯楽映画としての定型が朝鮮戦争、南北分断という現実によって破壊されるのである。この場合の現実とは、史実の具体性や悲劇性と言うよりも、共産主義者(あるいは反共主義者)と見做されたら一瞬で殺されるという状況を生きてきた経験のことを意味する。それは、反共を国是とした軍事政権下を生き、現在も〝アカ〟〝親北〟といった言葉が一瞬で相手に何かしらのダメージを与える韓国に生きる人々にとっては地続きの経験なのであろう。
破綻した物語の定型は、観ている者に快楽を提供するという本来の役割をもはや果たし得ず、壊された夢としての無残さを観ている者に突き付ける。それがタップダンスのシーンを痛ましいほどに美しくする。
ハリウッドの表現様式を自家薬籠中としつつ、その表現様式を破綻させてまでも自分たちの加害と被害が入り組んだ苦痛に満ちた歴史経験を表現しようとする。そうした娯楽と社会批評のせめぎ合う緊張感が本作を優れたエンターテイメント作品にしている。
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