ラ・ポワント・クールトのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
結婚4年目で倦怠期を迎えた夫婦(フィリップ・ノワレ、シルヴィア・モンフォール)。
夏のバカンス期、夫のふるさとである湖畔の漁村ラ・ポワント・クールトへの帰郷。
だが、先に帰郷した夫に対して、妻は5日遅れてやって来る。
「別れるかどうか」「愛しているかどうか」と、ふたりは斬り合うがごとく話し合いながら、漁村のあちらこちらを歩き続ける・・・
といった物語。
背景として描かれる漁村の暮らし、それはイタリアン・ネオレアリズモのよう。
湖畔での貝漁の様子は、ロッセリーニ『ストロンボリ』のマグロ漁を思い出す。
漁村のあちらこちらで繰り返される倦怠夫婦の会話は、フランス的でやや観念的。
現実的なリアリズム描写と観念的な会話、その対比の妙。
そのふたつが、それぞれ映画の異化作用として効果を発揮している。
編集を担当したアラン・レネは、この後、『二十四時間の情事』を撮る。
レネが影響を受けていることはありありと見てとれる。
本作と『二十四時間の情事』は姉妹編ということも可能なほど。
ヴァルダが「ヌーヴェルヴァーグの母」と呼ばれる所以、改めて認識した次第。
すったもんだするだけの話。
女性の監督だが、男目線な話。
要は浮気をした男が、女性の怒りをかって、その女性に捨てられ、男は自分の故郷に帰ってきた。しかし、何故かそこへ、その女性が現れ、すったもんだする。それだけの話。男の哲学めいた言い訳が腹立たしくもバカバカしい。
バカ男と、理屈はこねるが騙されやすい女の話。
今では男女の性差を考慮に入れて、夫婦を語る必要がある。従って、この映画で語る夫婦は、男目線の古臭い価値観で語っている。だから、
何も学べる事もなければ、共感できる事も無い。
画像も美しいと評価される様だが、僕の母親の実家の霞ヶ浦に酷似している。だから、僕にとっては物珍しくは無く、美しいとも思えなかった。
やはり、フランスヌーベルヴァーグは僕には合わない。
しかし、この海汚すぎる(水は澄んでいるようだが、ゴミが沢山捨てられている)。ヘドロと猫の死骸には閉口した。
湖と訳されているが、アサリもボラも一応海水生物。
追伸
南仏は第二次世界大戦中、ナチスに加担した政権があった土地。住んでいる人達も保守的だと思う。そもそも、この映画の時代設定が全く語られていない。従って、何一つ評価できない。
頭で愛する 心で愛する
ヌーヴェルバーグの走りと言われる本作だが、ヌーヴェルバーグにそもそも関心がないため、単純に市井の恋愛事情を描いた映画として鑑賞した。
環境破壊も行政の監査もなんのその、したたかに生きる漁村の人々の暮らしにおける喜怒哀楽に、二組の恋愛模様が絡まる。
一方は漁村に暮らす純朴な男と同じ村に暮らす若い娘。もう一方は、都会で結婚し、帰省した倦怠気味の夫婦。
前者は心で、後者は頭で互いの愛情を確かめ合っているようだった。
あの若い二人が、もう一組の夫婦のように、延々と愛とは何かを語り合いながら心がすれ違っていく関係に、いずれは陥るのだろうか。
どうしてもそうは思えなかった。
漁村に生きる者と、都会で生きる者との、交わり難い生き方の違いが対照的に描かれている。村人たちの祭りの夜、人々をかき分けて都会へ帰っていく二人の夫婦の姿は、希望への再出発なのか、故郷からの哀しい離別なのか、観ていて迷ってしまった。
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