チア・アップ!のレビュー・感想・評価
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こんなばーさんになりたい!
面白かった!
かっこいいばーさんsだなー。
マーサもシェリルもタイプは違うけどかっこいい歳の取り方をしていて憧れる。
最初シェリルはトラブルメーカーのババアかと思ったけど、人が好きでちょっとお節介なだけだった。
この作品を見たら、年齢に見合った格好や振る舞いをしなきゃという概念が薄れるし、やりたいことはやったモン勝ちだなと思った。
泣けた…
笑顔の素敵なおばあさん達が踊るお話。見る者を魅了するのは、なんといっても「笑顔」です。
新しいことに挑戦する人たちの物語と聞くと、どうしても気になります。
お年寄りの素人集団が全米のチアリーディング大会を目指すという
とてもハートフルなお話でした。
みなさん年季の入った方々なので
派手なアクションなどは 当然ありません
けれども
一見図々しく見える行動の中にも
基本的に回りに向ける視線は
とても温かく感じられました。
良い作品です。満足。
☆
チアリーディングで全米制覇 と聞いて、
まず思い浮かんだのは
「チア☆ダン」
実はこれは未鑑賞だったので
この作品鑑賞の前日にAmazonプライムで視聴。 (泥縄…)
…
って、別に
この2つの作品に何のつながりもありませんので (当然)
そうする必然性は
全く無かったワケですけれど まあ、なんとなく
で
この二つの作品
比べるのは野暮でナンセンス …
だったら書くんじゃないよ とチコちゃんに怒られそう… ひぇ
あちらは、躍動感あふれる少女の世界
こちらの作品は熟成・しっとり・おっとり
どちらを気に入るかは、気分と好みの問題かと。
☆
この作品の話に戻りまして…
基本的にハートフルなのですが
時折ブラックな場面が…
チームに入りたいおばあさん
ダンナさんに相談するも
「俺が死んでからやればいい」 あら
で、次のシーンがダンナさんの葬式
「薬の量を間違えたんですって」 …んんん
…
まさかね
いやいやいや
…
えー
みなさん優しいおばあさん達です
☆
心に残った場面
高校を舞台に
演技のお披露目をトライするも失敗
その動画をネットにアップされていることを知り
ご立腹のおばあさん達
動画の中の声に気付き
「これ撮ったのあの娘だわ」
撮影した女子高校生(クロエ)の家までやってきて
「どうしてくれるのよ」
勢い込んで責める、ばあさんズ
と
「ごめんなさい…」
顔を見るなり、泣きだすクロエ
(アップするつもりはなかった)
(いつのまにかアップされていた)
この娘はずっと心を痛めていたのね
悪い娘じゃなかったわ
「あらまあ大丈夫よ」
「大したことではないわ」 …おーい
決して敵になど回したくない
したたかで暖かな、おばあさん達でした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ダイアン・キートン最高〜
ずっと若いときから憧れだったダイアンも老いたな〜
いや、演技か?特殊メイクか?
とにかく、やはりいい女優さんです。
人はどう生きてきたか、どんな最期を迎えるか。そのどちらも問われるのでしょうけど、生きている最中には、あまり意識しないように思います。
今、自分がどんなふうに生きているなんてことを考える余裕なく、日常は過ぎていく。
けれども、死が目の前に迫ると、急に後ろを振り返りたくなるんでしょうね。
その振り返り方に、その人の生き様が出るのかもしれません。
マーサの人生がどうであれ、最後が充実していたのであれば、その人生はその最後を用意するためにあったのかもしれませんね。
生きてきた時間が長くなり、残された時間に限りが見えてきた今、他人事ではないな〜と。
死の直前まで、ネバギヴですかね。
歳を取るのは素敵なこと
ありきたりの手法なのに、妙に軽妙で面白い。
元はへっぽこダメプレーヤーが、仲間との友情で練習するうちに、ひょっこり上手くなっちゃう、スポ根友情コメディの典型的パターン。
練習シーンはもちろん、音楽に合わせてモンタージュ。
『がんばれベアーズ』あたりからの王道路線。最近だと実話系で『シンク・オア・スイム』も。
邦画だと『シコふんじゃった』『ウォーターボーイズ』『スイングガール』などなど。
若者が「老い」を「みっともない」としたり、中年の男が母親(老人)を子ども扱いしたり、また男が女子高生を尻軽ビッチ扱いしたり。
同じ年寄りでも「老人らしくしろ」「歳に見合わないことは禁止」と、制限しようとする人もいて。
あらゆる差別や偏見、決めつけと抑圧に対し、主人公の老人たちが「見返してやる」「好きに生きる」という反骨精神に溢れているのが楽しかった。
この点で、年寄り向けではなく、全ての人に楽しめる作品になっているほど、ランクアップした気がします。
「歳を取るのは素敵なことです」と、中島みゆきの歌の詩にもありましたが、主人公役のダイアン・キートンが、チャーミングだからだと思いました。
永遠のベストジーニスト~ダイアン・キートン
「シンプルに生きる」そんな暮らしを求めてシニアタウンに移り住んだ主人公マーサ
初日からお節介な隣人シェリルに悩ませる・・
なのにいつの日かマーサ自身の弱さを初めて見せられ寄り添ってくれる大事な存在になって行く・・
チアを通してチームの仲間との絆も生まれていく姿を見ていたらしばらく会えてない友達の笑顔がたっくさん浮かんで来ました✨
シェリルの孫やチアの振り付けをしてくれたクロエ・・世代を越えての交流も素敵でしたね
後、登場人物以上にキャストの方々はもの凄い練習をされた事でしょうね
ラストのステージシーンは動きもキビキビして身体のキレも・・どこか引き締まっている印象も受けました
華やかで輝くチーム皆の笑顔にウルっとしました💦
いつまでもチャーミングでファッションアイコンとして絶大な支持を得るダイアン・キートン!この方の作品を見る度にファッション欲を煽られます!こんな風に歳を重ねて行ければ・・と
観賞時、まさかの「貸し切り」状態で嬉しいやら切ないやらで・・出演者世代のお姉様方にこそ見ていただきたい作品ですが時期が時期だけに・・残念です
・・遺品セールと花火の人生終幕に興味津々な私でした😅
幸せに泣ける佳作
74歳が跳ねる。ダイアン・キートンほど年老いても若々しい女優はいない。本作品の主人公マーサはゲラゲラ笑うし、ボロボロ泣くし、嫌味をたっぷり言うと思ったら、酷い目に遭っても許してしまう。それでもって主張すべきところでは言いたいことをちゃんと言う。若者にはウイットに富んだアドバイスをし、スクエアな人物の説教には耳を塞ぐ。天晴れなおばあちゃんである。演じたダイアン・キートンも天晴れだ。
日本では就活(就職活動)をもじった終活(人生の終いの活動)という不気味な言葉が市民権を得ていて、終活アドバイザーなる資格もあり、驚いたことに終活アドバイザー協会なるものまである。死ぬのにアドバイスをもらわなければならない時代になったという訳だ。
ピンピンコロリという言葉もあって、死ぬ寸前までピンピンしていて、朝出かけていったら死んで戻ってきたみたいな場合を言うらしい。確かに死ぬ前に病気で苦しんだり、認知症や植物状態になって家族が疲弊したりするのは好ましくない。死ぬならある日突然、苦痛もなく死にたい、しかしできれば死にたくないというのが人間の本音だろう。
だが医学の知識が一般に普及して、5年生存率などの言葉も多くの人が知るようになったいま、医師からステージ4の癌ですと告げられたらどうするか。ステージ4はいわゆる末期癌だ。もしかしたら終活アドバイザー協会に連絡するかもしれない。
人体の耐用年数は50年ほどらしい。そういえば信長も桶狭間の戦いの前に「人生五十年~」の謡で有名な「敦盛」を舞ったそうだ。信長は47歳で死んでいるし、同時期の武士たちもそれくらいの歳で死んでいる。家康は73歳まで生きたが、23年間は耐用年数の過ぎた身体に鞭打って頑張ったという訳だ。江戸幕府で将軍になったのが60歳のときである。
日本は少子高齢化で世界の最先端を行く。褒められたものではないが、超高齢化社会がどのように展開するのかについては世界の注目を浴びていると思う。当方としては死ぬ前の準備としては情報を残すだけでいいと思っている。個人番号と口座の暗証番号、保険の情報、ネットのアカウントとパスワードなどを一覧にして残しておけば十分だ。あとは残った人が判断すればいい。あれこれ指示を残すのは負担になるだけだ。
その点、本作品の主人公マーサは家族がいないから残すべき情報もない。全財産を売却して最期を看取ってくれる施設に移る。それがマーサの終活だ。外国では遺品の整理はあるが、死ぬ準備のために私物を生前整理することはない。バザールみたいに並べて売っていたら、買う人は遺品整理だと思うだろう。客とマーサのやり取りはシニカルで笑える。
かなりガタがきている上に病気の身体を抱えて、しかし調子がいいときはやりたいことをやる。マーサは自由闊達で優しさに溢れている。歳なんか関係ない。やりたいと思ったときが始めどきだ。終活なんぞ糞食らえなのである。
狂言回し役のシェリルを演じたジャッキー・ウィーバーが上手い。序盤からダイアン・キートンのマーサに感情移入してしまったので、施設の人々がいちいち癇に障り、特にシェリルの我儘放題にはイラッとしてしまうが、マーサのおおらかさが逆にみんなを包んでしまう。懐の広いおばあちゃんには敵はいないのである。
こんなふうに晩年を過ごせたらいいと羨望するとともに、何かをするのに遅すぎるということはないと思い直した。生は死を内包しているから、死に方は生き方に等しい。どのように死ぬかは、つまりどのように生きるかなのである。五十肩でも坐骨神経痛でも腰椎分離すべり症でもチアダンスはできるのだ。幸せに泣ける佳作である。
ダイアン・キートン、美脚。
隠しているけど実はガンを患っている独り身の女性が、シニアのための地区に引っ越し、その年寄りじみたコミュニティの中で、自分とは正反対の性格のおせっかいなお隣さんと、高校時代夢半ばで諦めたチアリーディングクラブを結成する。個性豊かなメンバーのオーディションのシーンも笑える。当然、周囲はバカにして嘲笑するか、親切な知人は必死で止めるが、彼女たちの頑張る姿を見て心を動かされた、高校で友達の少ない隣人の孫息子や、その憧れのチアの女の子が協力してくれ、18歳以上のチアのコンクールに出場する。と、だいたい予想できる話の展開だが、主人公のガンは悪化し、花火葬の後まで話が続く。コンクールに登場した彼女たちは明らかに他のチームより技術が低いのに、観客もライバルたちも温かい声援を送るところに心が動かされ、意外と感動。
元気に明るく。
(ありがとう)
静かな余生を過ごそうとシニアタウンに引っ越してきたマーサが、おせっかいな隣人や個性的なおばあちゃん達と一緒にチアリーディング大会を目指す中での出来事を描いたハートフルコメディ。
老人たちがとにかく楽し気に暮らす街では、何かのクラブに入ることが決まりとなっている。
特に入りたいクラブがなかったマーサは、ある出来事がきっかけで自らチアリーディング部を立ち上げることに。
皆にバカにされたり怪我したり…で色々な壁がありつつも大会を目指すというストーリーはシンプルだけど、愉快なおばあちゃん達の微笑ましさやブラックジョークで終始飽きさせないつくり。
でもアリスばあちゃん入部のくだりはブラックというよりもはや暗黒ジョーク!?(笑)
いや、きっとホントに飲み間違えたのでしょう、きっとそうだ、うん。
ハートフルコメディとしてよくある展開やストーリーであるものの、キャラクターは揃いも揃って魅力的だし、メッセージ性のしっかりある作品。
単にお年寄りが頑張るだけの話ではなくて、若者は若者の挑戦が大切だということ、人生は短いものだということも教えてくれる良作だった。
笑えてほっこりの映画はやっぱり良い!!
しかし、それにしても楽しそうなシニアタウン。自分もおじいちゃんになったらあそこに是非住みたいですね。
【自分の人生を自ら鼓舞して、最期まで彩る事の大切さを描いた作品。】
ーマーサ(ダイアン・キートン)は、身近な数々の物を”遺品セール”で売り払い、新しい町に越してくる。そこは、人生の終末が近くなった人々が住む町であった。-
・新しい町の住人は女性比率が高く、隣人のシェリル(ジャッキー・ウィーバー)は派手な格好で、おしゃべり好き。
ーこのシェリルさんが、とても良い。押しの強さ、明るい、言うべきことはキッチリいう。思わず”大阪のおばさんか!”と心中軽く突っ込む。ー
他のチアリーディングクラブの面々も多士済々。嬉しかったのは、久しぶりのパム・グリア。-奪ったお金で、幸せになったんだね!-
愚かしき息子に自分の財産を管理されるちょっと可哀そうなおばさんや、不思議なナマステおばさんなどなど・・。
-愚かしき息子は当然、お仕置きされる・・。-
ここからは”予想通りに”物語は進むが全く嫌ではない。面白いし、少し涙ぐむシーンも幾つかある。
年齢差50歳のチア同士の友情や、居丈高な女性管理人の部下の男性の行動も良い。
チア・ダンスをテーマにした映画って、何で面白いんだろうなあ。人を鼓舞するからかなあ・・。
<それにしても、後期高齢の方々を描いた映画って、なんで女性が主人公だと、明るいトーンになり、男性が主人公だと暗めのトーンになるんだろう・・「終わった人」とかね。
まあ、答えは明白なんだよなあ・・。>
勇気づけられる作品
とても見応えがあり心が温まり勇気づけられる作品となった。
予告でうたってるように主人公のマーサが余生をシニアタウンで過ごすことを決め、最初の出会いは決していい出会いとはいえなかった隣人のシュリルと一緒に過ごす時間が増える事で、かつての夢であるチアリーディングをシニアタウンの仲間たちを集めて活動する話である。
もちろん年齢を考えると中々うまくいかない。実際にメンバーが怪我をしその息子からもクラブの存在を否定される。シニアタウンを率いるボスにもクラブの存在を否定され活動場所がなくなるなど前途多難な活動であった。
しかし一度活動を始めたメンバーの熱は消えず、色々模索しながらなんとか活動を続け最後には大会に出場する事ができた。
この話はもちろんチア活動がメインだがそこが大事なわけではない。
チアは若い者がやるものだ、お年寄りは活動を制限し余生を送る事が彼らにとって健康で幸せな事だ。こういぅた心の奥にある偏見を否定し、可能性の先にある美しさを感じ心に響く作品であった。
マーサも決して当初からやる気満々でシニアタウンに入居したわけではない。
最初はシェリルの存在を否定する事から始まったが彼女を認めた事でチア活動を行えるきっかけとなった。
メンバーの家庭では息子や旦那が活動をすることを否定する家庭もあった。
もちろんそれは各々相手の幸せを思っての事だが、独断偏見で可能性に蓋をする事は不幸である事をこの作品では痛感させられる。
チア活動をする事がなくてもマーサを始めとした仲間達が余生を幸せに過ごせたかもしれない。ただ一つ言えるのは彼女らはチア活動をする事によって彼女らの人生、ストーリーに深みをもたらせた事は事実であろう。
こんな素晴らしい深みを周囲の偏見で逃して人生を終えるのは非常にもったいない事である。
この作品での偏見はいわゆる「年齢」が枷となるわけだが、自分に置き換えても色んな偏見や独断で可能性を断つ事はあると思う。
「どうせ無理」、「やっても無駄」こんなことが歳を重ねる事に増えてくる。もちろんこれは人生あらゆる経験してきたからかそ生まれる判断ではあるが、この作品のように本来の行動目的以外にも一つの行動から派生する素晴らしい可能性はいくらでもある。そういう可能性を大事にそして楽しむ事が人生ではないかとこの作品では思わせてくれた。
大会出場後マーサは永遠の眠りについた。死が間近ですら人生大きく変わる出来事が待っているわけだ。
それらを振り返ると人生は大事にしなくてはならないし何事もチャレンジする事が大切だと思わされる。
きっとマーサが学生時代にチアを断念せざるを得ない状況になったのは、今回のメンバー達とチアができる為の運命だったのかもしれない。
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