「「値段」は決まるが「価値」は決められない」アートのお値段 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
「値段」は決まるが「価値」は決められない
映画を見終わってみると、予告編はなかなか良いデキで、この映画を観るにあたっての重要なキーワードが、ほぼすべて入っていることに気付く。
レンブラントの名品は、今となっては値段が付けられず、市場にもまず出ない。
本作で話題となるのは、果たして50年後には残っているかどうかさえ疑わしい、「価値」が定まらず、リアルタイムで「値段」が変動している“現代アート”である。
もっと言えば、「価値」が誰もさっぱり分からないからこそ、逆説的に「値段」が常軌を逸するのではないだろうか?
原題は「The Price of Everything」だが、Everythingというのは、値段は高いが無価値かもしれない作品に対する皮肉なのか・・・。
市場は、まずはアーティストとギャラリーなどと購入者の間の「一次市場」で始まるが、もちろんそこでは終わらない。
今、活況を呈しているのは、作品が元の持ち主から離れて、オークションなどで転売される「二次市場」だ。
そこでは、世界中の超富裕層が資産価値だけで購入するために、倉庫に塩漬けにされている作品も少なくない。真摯なコレクターにとってさえ、半分、通貨や株券のような存在と化しているようだ。
とはいえ、この映画はオークション顛末記ではないし、マネーゲームに特化した内容でもない。
コレクター、批評家、画商、オークション会社だけでなく、超有名人を含むアーティスト本人が多数出演していることが、この種のアート系ドキュメンタリーには珍しい特徴ではないかと思った。(ただしリヒター本人の出演はわずか。)
つまり、いろんな立場の人間に、バランス良く軸足が置かれている。
ただ、上映後のトークイベントを参考にすると、これでも十分ではなく、世界中に支店を持つメガ・ギャラリーが、この“アート・ゲーム”のプレーヤーの一員として欠けているようだ。(美術館に貸し出して展示したという来歴が、作品の“箔付け”となって、高額な売買を可能とするといった話だった。)
また、資金がなく、ゲームに参加することすらできない美術館サイドの話も、ほぼない。
アーティスト本人は、いくらオークションで作品に高値が付いても、直接的に儲かるのは転売したコレクターとオークション会社だけであるから、一喜一憂せず、いささか困惑している場合が多い。(むろん、間接的には利益があるはずだが。)
個人的には、先人にすべてやり尽くされてしまった後の、哀れな世界の狂騒曲に思えた。
正直に言えば、6人のアーティストのうち、ナイジェリア人のジデカの絵以外は、好きになれなかった。他の作品は、あたかもファッション業界のように、過去の作家の作品の蒸し返しや亜流にしか見えなかったのだ。
しかし、今を生きる以上、レンブラントや「フェルメールの作品世界に戻る」わけにはいかない。
「価値」ある作品とは、こういう馬鹿馬鹿しい狂騒の中にあって、多くの年月と人々の鑑賞を経てコンセンサスが形成されて、最後まで生き残ったモノのことだというのが、今日の不都合な真実なのだろう。
「アート界を笑え」である。