「Neighbourhood dispute」隣の影 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Neighbourhood dispute
ご近所トラブルを描いた作品。黒沢清監督作品群、又は映画“葛城事件”を彷彿とさせるプロットと思う。
主人公の男の夫婦問題、そしてその男の母親の隣人トラブルのエスカレートが過ぎてゆく荒筋である。
そもそもが大人として成熟してない、ダメ男というキャラ設定は、北欧映画に於いては珍しく感じた。それは登場人物である男の父親、隣の主人、男のマンションの住民会議のまとめ役、その全員が揃って男としてどこか未成熟で、女性の尻に敷かれているようなイメージを与え続ける。そしてストーリーが進むにつれ、徐々にそのフラストレーションが溜まってゆく恐怖を感じ取れることができる。母親の異常な行動は男の兄(母からだと上の息子)の失踪で、警察は死亡確定をしたいところを停止されているというそんな現実直視できない理由があるとはいえ、平常心をとっくに失っている言動に周りが振り回され続ける事が原因であり、その長男の代替である、庭に植えている大木やネコに思い入れが強すぎる余りの行動は常にエッジが立っているのである。そして思い込みの激しさはもう誰の耳も貸さない状況だ。ネコを殺された(と思い込んだ)腹いせに、隣家の飼い犬を剥製に変えてしまう件は、そのホラー度は正に白眉であり、恐怖の絶頂である。アイスランドでは生きた動物を剥製にしてしまう事が当然なのだろうか?
そもそものメインストーリーは男のしでかした情けない行為(隣の夫婦の営みに伴する喘ぎ声に触発されての結婚前の恋人との性行為動画を視聴での自慰)が引き金での離婚トラブルだったのだが、そちらが段々と色彩が変化するように両親の隣人トラブルにグラティエーションしていく構成はどういう意味合いを持たせたのだろうか理解が難しい。余りその必然性を感じられなかったのだ。クライマックスである、木を切り落とそうともみ合う最中で倒れた木の下敷きになってしまう男の切なさと憐れさは充分汲み取れたが、そもそも庭のテントで見張らせる為に無理に男のトラブルを作ったのではと穿った見方をしてしまうのだが…ラストのオチは、まぁ万国共通なのだろう。ネコが戻ってくるというベタは分かり易い反面、喜劇を強調しすぎていて、ウケ狙いを感じてしまった。一人残された母親のヤサグレ感も同様である。