「Paradise Next」パラダイス・ネクスト 重金属製の男さんの映画レビュー(感想・評価)
Paradise Next
妻夫木聡と豊川悦司のダブル主演作ということで、勝手に期待値を高めて挑んだら、結果として肩透かしをくらってしまった。確かに台湾の風景や、撮影技法そのものに芸術性を感じた箇所はあったものの、全体的に余白の多い作品であった印象である。
半野監督が元々映画音楽畑出身であり、彼が「ストーリーを語るだけの映画は作りたくなかった」と言うように、脚本が完璧に筋立てられているかどうかよりは、音響や映像美に重きを置いた作品なのだと思う。アジアの熱気や湿度をそれらによって演出するのが狙いであったようだが、台湾原住民のボーカル入りの曲は私には安直なように思え、窮屈ささえ感じてしまった。台湾で撮影することを重要視するわりにはキューバの音楽を使っていたりと、私の美的感覚にはハマらなかった。
キャストに多くを語らせない手法は、観客に想像力を働かせる手段として有効であるし、提示された情報を繋いでいけば映画の持たせるテーマに焦点を当てながら観ることができるが、今作は削ぎ落としすぎな印象があった。あれほど島と牧野の過去を意味ありげにしておきながら、最後まで明らかにしないのは、完璧な筋立てを期待して観に来た人にとっては肩透かしをくらうのではないか。
しかしながら「楽園はあるのか?」「生きるとは何か?」という問いはきちんと提示されていたように思う。死後の世界にあるとされる楽園のように観念的な楽園の存在を問うているのではなく、現世においてその存在を感じられる楽園はあるのか?ということだ。過去の罪から逃れ、常に死と隣り合わせの島と牧野は、シャオエンと出会うことで楽園の存在を見出すことができたのかもしれない。「だって、わたしたちには今がある。それで充分でしょ?」生きている「今」こそが楽園なのであり、生きていく上での苦しみから逃れる者に、その楽園の存在は見出すことはできない。楽園へ向かっていたはずの車が地の果てで炎上する。島と牧野に残された「逃亡之途」は、現世で自分の罪と向き合う途しかないのではないだろうか。