「【パレスチナ】」天国にちがいない ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【パレスチナ】
予想外に考えさせられる作品だと思う。
スレイマンが話す場面はたった一度。
人々に伝わってるのは、この一語だけと言いたいのだろうか。
言葉は人が信じているより無力だと言いたいのか。
前半部分は、必要最少限の登場人物だけで、街に人はいない。
そんななかで、日常的にある隣人とのやりとり、クレーマー、暴力、親子喧嘩などを散りばめ、こんなシーンは、パリの映画製作会社でのやり取りまで続く。
パリのカフェのスレイマンの視線がいかにも、まあ、男のそれ、そのものなので笑える反面、相対的に豊かと言われる僕達の生きる世界の欲しているのは、こんな程度の事だと皮肉ってみせているのだ。
そして、映画製作会社の男の話しの示唆するところ。
パレスチナのことは、なかなか伝わらないのだ。
だから、前半部は、パレスチナのことを言葉にして伝えても本意は伝わらないのではないのかという、パレスチナの惨状を伝える側への皮肉も込めたメッセージでもあるのだ。
しかし、ここから、街に人は溢れる。
だが、パリジャンもパリジェンヌも、公園の椅子を取り合うとか、そんな日常で、このパリの人々もパレスチナの事など考える気など実はないという皮肉なのだ。
伝える側と、受け取る側のすれ違い。
では、国連本部のあるニューヨークはどうか。
タクシー運転手が、アラファトをカラファトと呼び、ここでも十分な理解などされているとは到底思えない。
銃やバズーカを携えているニューヨーク市民は、何を象徴しているのだろうか。
やはり、自分達のことだけでいっぱいいっぱいなのだ。
帰国したスレイマンの家の庭には、隣人が勝手にレモンの木を挿し木して育て、さも恩着せがましい表情で、増やしてあげましたと言いたげだ。
ありふれた日常。
バーで、踊り狂う若者たち。
パレスチナの若者も、みな同じなのだ。
なぜ、それが容易に叶わないのか。
スレイマンは、この作品で、
伝える側の問題、
受け取る側の問題、
パレスチナの人々の本当に欲しているところを、
この作品の中に凝縮して見せたのだ。
もし、これを観て何かを感じた人は、考えて欲しい。
そんなふうに思う。
今晩は。
新聞、ニュースでは、私の知る限りでは、そこまでの規制が東京で入っているとは知りませんでした。
私の居住区での変化点としては、座席予約が当日のみになった事位でしょうか・・。只、公開作は激減していますね。
地方都市なので(普段でも座席の埋まり具合は5%~50%です)、ジブリの映画が延期になったのは、映画館にとっては非常に厳しいと思われます。(昨年から出来る支援はしていますが・・)
昨年の様にならないように、祈るのみです。
映画館は、清浄な空間だと思うのですが、大都会では人の流れを完全に止めようとしているのは知っていましたが、まさか映画館までとは・・。
それにしても、ワクチン接種率のイスラエルと比較しての低さ及び実施方法の(素人でも分かる)稚拙さ・・。うーむ。日本は医療大国であった筈なのに、クスリばかり過剰にバラまいていた付けが来た感がありますね・・。
あ、又映画と関係ない事を書いてしまいました・・。
コロナ禍の一刻も早い終焉と、終息した後、日本の対応の稚拙さを鋭く抉ったドキュメンタリーを観る事が出来る日を心待ちにしています。