劇場公開日 2019年12月13日

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「働けど働けど搾取される名もなき人々」家族を想うとき HALU6700さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5働けど働けど搾取される名もなき人々

2019年12月29日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

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知的

イギリスの名匠、ケン・ローチ監督の映画はそんなにも多くの本数は観ていないのですが、NHKの『クローズアップ現代+』でのケン・ローチ監督と是枝裕和監督との対談番組を観て、今回、一度は引退を表明していたのをあえて前言を撤回してまで撮りたかったという、この話題作を心待ちにしていましたが、公開日から出遅れましたが、ようやくながら、12月26日(木)に京都で唯一の公開館であるMOVIX京都まで鑑賞に出向いて来ました。

率直な感想と致しましては、今作には本当に泣かされてしまいました。
今年の劇場鑑賞は映画納めのつもりで鑑賞に出向いたのですが、最後の最後で、凄く強烈な訴求力を持つ映画に出会ってしまいました。
それ程に、まさしく傑作でした。

イギリスのニューカッスルで家族と共に暮らすリッキー(クリス・ヒッチェン)は、効率よく稼げるという謳い文句の宅配ドライバーの仕事に就く面接のシーンから、映画は始まります。
フランチャイズの「個人事業主」として運送サービスを提供し、給料ではなく運送料を受け取るという契約。
「勝ち組になるのも負け組になるのも自分次第」というのが、独立ドライバーという触れ込みでした。

借金を背負い生活も苦しい中で、妻の訪問介護の仕事用の車を手放し、大きなバンを購入すると、彼は早速仕事を始めました。

10年前、世界的な金融危機のあおりを受けて、住宅ローンが組めなくなり、持ち家の夢も、安定した仕事も一度に失ったリッキーは、妻と二人の子供たちの幸福、そして自分自身の誇りのために、1日14時間の週6日勤務という過酷な環境の中で、真面目に勤務を続け、生活を立て直そうと宅配の仕事に賭けるのでした。

ですが独立ドライバーとは名ばかりで、実際には「本部」が決めたスケジュールに従って働きづめ。しかも何かあったら自己責任の上に罰金が科せられる。それがこの業界でのルール。
彼の給料だけでは二人の子供を育てていくには家計の遣り繰りが出来ないため、夫婦共働きで、訪問介護の仕事をするアビー(デビー・ハニーウッド)も、「本部」からの理不尽な決まり事に振り回されて困惑しているのでした。

この様に、「本部」のほんの一握りの支配層の人間のみが莫大な利益を得るといった巧妙な搾取の構図に、末端の独立ドライバーであるリッキー達や、或いは民営化された訪問介護の介護士として働く妻アビーは、金・時間をからめとられて、やがて疲弊していく。

また、両親の仕事が忙しくなるにつれて、家族が一緒に過ごす時間が減っていき、小学生の娘のライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)は不眠症気味になり、高校生の息子のセブ(リス・ストーン)は不登校になり、街でグラフィックアートと称してスプレー缶で落書きをすることに没頭するようになるのでした。
といった様に、家族を守るために、いつかマイホームを持ちたいという夢を叶えるため、その日のために懸命に働いているのに、少しずつ家族はすれ違い、家庭が揺れ始めて行くのでした・・・。
といったイントロダクションの映画でした。

携帯電話やインターネットの普及、情報化の加速、レスポンスの即応化などにより、世界経済はすっかり一変し、人々は時間に追われ、余裕を失ってしまい、いつしか人間らしい生活がないがしろにされてしまった。
低価格競争、24時間サービスの提供、顧客満足度の指標化による管理体制など、そもそもその舵を切ったのは、国の経済政策や事業主なのかも知れないですが、その背景には、私たち消費者個人の際限なき欲望があります。
そして、今作の宅配ドライバー達の雇用主でもある上司マロニーは言う。
「ドライバーの寝不足なんて誰も気になどしていない。興味があるのは、いかに安く、より速く、という事だけだ。」と。
疲弊した労働者、冷たい目の雇用主、そのどちらの立場もが我々自身の姿にも重なる。利便性と効率化を突き詰めた先に一体何があるのか。「このままで良いのか!」とケン・ローチ監督は、この人間性を失いつつある社会の構図に、怒りをこめながらも、労働者たちに取材した上で繰り広げられ、淡々と見せつける、この現実に即した物語が、魅力的な役者たちの身体を通して私たち観客の胸に迫ってくる。

ケン・ローチ監督は、前述したNHKでの是枝裕和監督との対談番組で、労働者階級の問題を捉えた作品には、労働者階級の出自までにも拘ってキャスティングするというだけあって、主人公のリッキー役は、元配管工の労働者で、40歳を機に俳優業に挑んだというクリス・ヒッチェンを起用するなど、あまり知らない俳優陣でしたが、俳優業のプロ、アマを問わずにその役柄の雰囲気を醸し出すキャスティングに徹したそうで、半ばドキュメンタリー映画っぽく見えるのもそのせいかも知れないですね。

そしてまた、映画化に当たっては、徹底的なリサーチにより、ドライバー達がトイレに行く時間がないのでペットボトルに済ませるとか、盗難保険に入っていない品物はドライバーが弁償するなど、業界の裏側が具体的に描き込まれてもいました。

先に挙げた様な新自由主義的な経済政策や行き過ぎた個人主義がいったい何をもたらしたか。
凝視をいざなう人間ドラマの力は、どんな文章を連ねるよりも雄弁とも言えるでしょう。

また、原題の『Sorry we missed you』には2つの意味を有する、所謂、ダブルミーニングなタイトルですが、1つは、映画の中にも出てきますが、宅配の不在票に書かれた「お届けにうかがいましたがご不在でした。」という慣例表現。もう1つは「あなた方を見逃していてごめんなさい。」という文字通りの意味で、ここにケン・ローチ監督自身の気持ちが顕著に表れていると私は思いました。

スキャナというちっぽけな機械端末に押し込められた宅配ドライバー達。或いは、置き去りにされた老人達。利益を生まなければ無駄として切り捨てられる現代社会。何かが少しずつ歪み、噛み合わなくなっていき、この物語のリッキー一家も、両親が家族との時間を取れないがために、非行に走る高校生の息子セブに振り回されて、急遽、休みを取ったがために配送サービスでの収入が入らない上に、罰金が科せられるシステムから負の連鎖が始まり、映画の中での妻アビーの台詞ではないですが、「蟻地獄へ足を取られてズブズブと沈んでいくのを止められなくなっているのが怖い。」状態へと突き進む。

そして、家族崩壊の危機に直面し、小学生の娘が採ってしまった行動には思わず泣かされてしまいました。
また後半に、雇用主でもある上司に妻アビーが電話口で怒鳴ってしまうシーンでは、いくら雇用主と取り交わした契約に基づくルールとは言え、私もあまりにもの理不尽な要求に怒りが込み上げると同時に、このシーンでも泣けてきました。

1936年生まれの御年83歳のケン・ローチ監督は、前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)にて、今の社会への痛烈な異議申し立て的な社会派ドラマにより、カンヌ国際映画祭にて自身二度目の最高賞のパルムドールを受賞したこともあってか、年齢的なこともあり、次回作を作るかどうか明言を避けていました。
でも今回も撮った。現代社会の片隅で苦しむ人々に心を寄せて、彼ら彼女らを取り巻く理不尽な現状への怒りを全カットから静かに滴らせる映画を。

従いまして、私的な評価としましては、
ラストシーンがちょっと気懸かりな終わり方ではありましたが、概ね、現代社会における人間性の欠如を捉えた、今の社会への痛烈な異議申し立て的な社会派ドラマとして充分にガツンと来る作品として強烈な訴求力を発揮した映画でしたので、五つ星評価的には、ほぼ満点の★★★★☆(4.5点)の評価も相応しい作品かと思いました次第です。
今年(2019年)のベスト10圏内にも相当する映画かとも思いました。

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HALU