マティアス&マキシムのレビュー・感想・評価
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???な展開
監督が自ら出演する作品は、両刃の刃!
他の人では表現できない部分も絶妙に演じうまくいく場合と破滅的な駄作になる場合とで別れる。
これは前者!
監督自身の体験や想いが、目の動き・仕草・言葉の使い方等、細かいところにまでこの作品に表現されていていい作品だと思った。
マティアスの揺れ動く葛藤も見事に表現していると思う。
体の関係(快楽)だけを求めてゲイ行為に走る人はいるらしい。
でも相手のことを、愛しいと思い堪らずに禁断のディープキスをしてしまうという状況は、その範疇を超えている。
それがたとえもうすぐ会えなくなるという差し迫った状況下であったにしても。更には自分がもう少しで結婚してしまうという状況下であったにしても。
果たして男性と女性を両方同時に心から好きになるということが本当にあるのだろうか。
もちろん、色々なカテゴリーの同性愛者はいるだろうし、それは男女間でも言えることだろう。
ただ、好きになった人を振り返ってみると、少なからず傾向があると、拙い自身の経験からは言える。
好きなタイプの顔・体型・性格というのは全てではないにしても一貫している気がしてならない。
弁護士の卵のマティアスの性格は、昔も今もかなり問題アリ。しかも忘れっぽい。弁護士として成功するのか、信頼を得ることはできるのか?
私自身に何か問題が起きた時に、彼のような弁護士に担当してもらいたいとは思わないだろう。
主人公たちは、だいたい30歳という設定だが、そこに大きな無理があったと思う。
揺れ動く思春期、せめて20代前半の設定ならまだわかるけれど、高校時代から12年もの時が流れているのに………
マキシムは、ゲイかどうかもわからない人を、婚約までしている人を、一人だけをずっと思い続けていたというのか。
マティアスが渡さなかった推薦状
出発当日に玄関前に現れたマティアス
顔のあざのことをみんなの前で呟いてしまうマティアス
自分の婚約者が、女性ではなく男性に思いを寄せている事実を受け止めるだけでなく、応援さえしようとしている彼女
自分のお金を確保するために優しく息子に接する偽善者の母親。そしてその豹変ぶり
顧客として登場する男性もかなりやばいナルシスト。
???が多すぎる!
自分が経験・体験したことのない人達、そしてその言動に思考が停止してしまう。
結末は観た人にお任せのスタイルは、好きではないので星も1個減らした。
34歳で惜しまれながら監督業から身を引いたドランさんの他の作品を観てみたいと、この映画の余韻に浸りながら……
消せないあざ・・・みたいな恋心
2019年(カナダ)
グザヴィエ・ドラン監督が自作への『トム・アット・ザ・ホーム』以来、
6年ぶりの主演作。
舞台はカナダのケベック。
マックスとマット(マティアス)は30歳の幼なじみ。
いっそ仲間とつるんで遊んでいる。母親たちも巻き込んで仲がいい。
エリートサラリーマンのマット。
バーで働いてるマックスは仲間の母親に言わせると《悲惨な人生》だとか。
母親が薬物依存症で、成人後見人が必要なのだ。
介護やサポートの必要な母親を置いて、マックスはオーストラリアに働きに行くつもりだ。
そんなある日、友人の妹の大学の課題の映画に無理やり出演させられたマックスとマット。2人は男同士のディープキス・シーンを演じることとなる。
このひとつの事件がマットを劇的に変化させる。
別荘の敷地伝いの湖に泳ぎに行ったマットは帰り道を迷って、とんでもなく遠くまで
行ってしまったり、ほとんど自分を失ってしまう。
なぜならマットには美しいフィアンセがいる身なのだ。
(この辺のマットの気持ち・・・たった一度のキス(高校の時に一度キスした過去があり、)で、そこまで動揺する気持ちが私にはわかりにくい)
マットの動揺を激しいピアノ曲が盛り上げて、いつもながらBGMが絶妙なのだ。
男の子と男の子の《初恋から15年後》みたいなビタースウィートさ!!
グザヴィエ・ドランが幼く見える。
(世界的な人気の監督さんの片鱗も見えない)
マットの動揺は、昇進を受け入れない態度、
フィアンセが命じる買い物や用事や結婚にまつわる準備にも、
きっと不安と戸惑いが隠せないのだ。
演出の手ぶれカメラの多用や、仲間たちのゲームシーンを早送りする手法。
俺たちはまだ大人社会に組み込まれないぞ!!
自由でいたいんだ!!
そう表明しているように見える。
一見、良さげなラストにも、なんの将来の展望も描けないけれど、
もう少し時間を、マティアスとマキシムにあげよう。
監督の全作品を観てる私には「大人になれや!!」と、物足りなさの残る映画だった。
おしゃれ
友人達といる時が本当に楽しそうに見える
2人の気持ちを皆薄々気付いてるんだろう(彼女も含めて)
本人達は撮影でのキスで自覚したのかと思ってたけど最後の推薦状?を内緒で渡していなかった所からずっと気付いていたのかな?って思う演出なかなか好きでした。音楽も映像もおしゃれ。フランス映画はおしゃれなのが多いのかな…?
多くは語らない。けど映像から伝わる雰囲気がすごく好きです。
友情か愛か
冒頭は罰ゲームでキスをさせられただけの幼馴染の悪友2人。
しかし次第に彼らが置かれた格差を浮き彫りにしながら映画は進む。一流企業に勤め、婚約者もいるマティアスとバーテンで精神疾患を抱えた母を持つ母子家庭のマキシム。
視聴者の想いがマキシムへの同情に傾斜する一方で、真に彼と彼の未来を応援すべきマティアスの態度は冷たい。
ラストへ進むにつれ、友情を保てないほどの屈折した思いが彼の中で膨れ上がっていく。
グザヴィエ・ドランの映画は多くを語りません。しかし、窓・色・登場人物の名前・ライトの点滅など、感性豊かな演出で実に明快なメッセージを視聴者に伝え、説明的な解説を脚本から取り払い、リアリティを維持したままストーリーを展開しています。
ジョン・F・ドノヴァンの生と死は、そのリアリティの部分が欠けてしまったように感じていましたが、本作ではしっかりと復活していたようで安心しました。
そうだったのか…
オーストラリアに行かせたくなかったから推薦状を渡さなかったのか。となると、時間軸が定かでないが、自主映画でキスする前から、ずっと好きだったんだろう。そこから我慢できなくなってきてという感じ。男性同士の激しいキスシーンもあるけど、互いを想う気持ちが一気に噴き出したシーンだった。音楽が良かった。
マティアスをどう見たいか。
【あらすじ】
フランス。秋のある日を馴染みの友人たちと過ごす休日。知的で有望な勤め人(弁護士?)であるマティアスと、精神を病んだ母親に苦心し、自身はこれからオーストラリアでの新しい人生を始めようとするマキシムは、友人の妹が自主制作する映画に出演することになる。しかしその内容は、男同士のキスシーンだった。内容に動揺する二人。その一件から胸のそこにある感情から目を反らせなくなっていくが、マキシムの出発の日は近づいてくる。日を追うごとにマティアスのマキシムへの想いは、日常生活や、それまで付き合っていた友人たちへの接し方にも影響が現れ、ついには心無い言葉で彼本人をも傷つけてしまう。しかしその勢いのせいか、二人はお互いの欲望をぶつけ合い、お互いの感情が通じていることを確かめあうが、冷静さを取り戻したマティアスがその場を去る。
マキシムの新天地での仕事のあてはまだない。弁護士であるマティウスの父親の推薦状をもつことで、身持ちの硬さを証明する心算でいた彼であるが、その推薦状はマティアスから一向に渡されない。いよいよ出発というタイミングで直接マティアスの父に電話をすると、代理人から帰ってきた答えは「すでにマティアスに送っている」というものだった。その言葉を聞いて涙するマキシム。スーツケースを持ちドアを開けると、そこに待っていたのはマティアスの姿だった。
【感想】
意図せず同性愛を取り上げた映画が続きました。
この映画は友人と視聴したので、鑑賞後から感想を言い合えたのでそこのあたりも含めてここに書こうと思います。全体を通して、考えてみるとそれも伏線か?みたいなものが多い映画の様な気がします。それと、これは個人的な好みですが、こういった映画の場合、ちょっと映像が汚いくらいのほうが人物の心理描写に集中できるような気がしています。湖で泳ぐ彷徨えるマティアス、綺麗な音楽とともに流れている映像がきっと何か示唆的なものがあるのだと感じさせるのですが、ぬらぬらと動く水と腕の動きに気を取られ、どこか滑稽な印象でした。前半は他にもそう言った細かいところに疑問が浮かびましたが、後半にかけては入り込めた様な気がします。ストーリーがいくつか読める物語かもしれません。それはすごく面白いことですね。
○ラスト、マキシムの涙の意味?
まず、最後のマキシムの涙の意味について。これはかなりこの映画全体の印象を左右するところだと思いますが、僕がはじめに受けた印象は悲しみの涙でした。一度は気持ちが通じたと感じたはずのマティアスですが、金曜日のフライトを日曜にずらして一緒に週末を過ごすという提案は、おそらく実現されていません。その時にマキシムがしたかったのは気持ちを「確かめる」ということだと言っています。それが出来ずに終わった出来事は、これはお互いにですが、拒否と捉えられるものではないでしょうか。それから出発まで疎遠になったマティアスとの関係を考えると、3週間前に渡してあった推薦状を渡さなかったマティアスの行動は、マキシムとの関係を断ち切ろうとする意思と読めるのではないかと思ったのです。推薦状を渡さなかったからと言って、マキシムの出発がなしになるわけでもなし、初めはキスのことがあり距離を置いていただけだったのが、それが愛情であると気づいたころには、すでに婚約者もいるマティアスの中には大事にしたい生活がありすぎて、その状況から「推薦状を渡す」という優しさを彼に見せることが、彼自身怖かったのだと思うのです。距離を置かれていたことを察したマキシムが見せたのが、あの涙ではないかと思いました。
けれど。一緒に鑑賞した友人は、喜びの涙と感じたようです。というのは、推薦状を渡さないことが、彼をフランスにとどまらせることができる方法ではないかと考えていた、あるいは行かせたくないから、推薦状が渡せないでいたというものです。推薦状がないからと言って出発をなしにするとは思えないので、そこは分からないのですが、行かせたくないから、という理由はシンプルですが説得力はあるように思います。やらなくちゃいけないと分かっていても、それが出来ない時があるのが人間なのだと思いますが、それが彼の様な真面目で理性的に描かれた人間がとった感情的な行動だと思うと、またそれがマティアスという人間性の魅力を増すような気がします。マキシムは、マティアスが見せたそのある意味での幼さに、愛情を感じたということでしょうか。
マティアスという人間をどうみたいか、というところに関わってくる様な気がします。もっと大きく言うと、どんなジャンルの映画が好きかにも左右されるのかもしれません。「無常」みたいなものが好きだと、僕の様な見方になるのかもしれないですね…。
なので、最後にマティアスが登場する時のマキシムの感情は、いずれにしてもハッピーなものだとは思いますが、照れ臭そうに立つマティアスの気持ちは、果たしてどんなものでしょうか。
○会話のリアリティ
この映画で印象的なのは、談笑のシーンではないでしょうか。冒頭からの男性数名のいかにも若者ノリの談笑。マダムたちの談笑。同じメンバーですが、パーティの夜のゲームをする若者たち。時にはあまりにもノリがすごすぎて、やや誇張された明るさがあるような瞬間を感じてしまいましたが、会話のテンポ、接続詞などに少し英語を混ぜて話す感じ(これも現地の若者風なのかな?とか考えました)には説得力があったと思います。映画全体がそうですが、語弊のある表現を恐れずに言うと、ときおり自主制作風?のチープなカメラワークを感じる時がありました。しかしそこがまたその場の空気感を再現してくれてるような気がします。
抗えないほどの好きを体験してみたい。
マティアスとマキシムと、お友達が楽しんでいた言葉のゲーム?は全然よくわからなかった。
グッドウィルハンティングの小ネタがちょろっとあった。
マティアスとエリカの兄の家はなんか裕福そうだけど、マキシムは違う。過去は裕福だったのかもしれないけどそこまでは読み取れず。
マキシムは家族を顧みない弟がいて、多分ジャンキーの母がいて、母に貶されて育ってる。
マティアスは妻か婚約者がいて、弁護士らしい。
マティアスとマキシムの間に生じたような好きを、わたしも体験してみたいと思った。
大変だろうけどね。
マキシムが母に作ってた料理でキッコーマンの醤油を使ってて、おぉ醤油ってグローバル調味料なんやなぁと思った。
おそろしく稚拙で愚かな男ども
知性のある男は、情緒に欠けるのか。
言葉遊びをするわりには、行動の意味を考えない。
焼きもちの表し方が幼稚園児並で、あまりに稚すぎて、国民性なのか性差なのか、何だか腹立たしくなってしまった。
しかも相手の身体的な弱点を突くなんて、卑劣としかいえないし。幼馴染だから許せるのかもしれないけど、謝る相手違うし。
恋愛映画としては、まったく共感できない展開でした。
セクシュアル・アイデンティティはどこまで「無意識」か
いや〜フランス系の映画は本当に難しい………セリフ以外の情報(景色の映像や音楽)からキャラの心の機微を読み取るのが本当に苦手なので、そもそも映画鑑賞に向いてないんだけど笑。映画はやっぱり独特の疲労感があるよね………。
僕は自分がトランスジェンダーのパンセクシュアル。だから、マット!ぼけ!ビビんな!マットがすこしでも動いたら大きく変化するのに!って思って見ていたけれど、それは僕が自分のセクシュアリティを自覚しているからの立場なんだろうな、って見終わって気づいた。
キスはするのに下着を拒む、理性と感情のあいだでグラグラ揺れるもの。そういう「本人ですら知らないセクシュアルアイデンティティ」。でもセクシュアルアイデンティティってなんなんだろう?とも思った。
好きな人を好きだから好き、とシンプルに思えたらいいのに、いろんなことが立ちはだかるがゆえに、自分の感情「だけ」に従うわけにはいかないのが、すこし悲しさすらあった。そういう意味ではとても悲しくて切なくて、だからこそ「じれったい」、「子どもじみた」恋だった。
マックスもマットもほんのり自覚はしていたけれどあえて無視していたものに、火をつけられてしまったんだろうなぁ。マックスはなんか……「きみがきてくれるなら拒まない」という、受け身だけれど強い気持ちがあるように感じた。あの嵐の夜のシーンで。だからトリガーはきっとマットにあった。
本人ですらコントロールできないような感情、あるいは本人ですら「これがなんなのか」わからない胸の痛み、それをある程度の年齢や地位になってから手にしたらそりゃ驚くしもてあます。
推薦状を最後まで渡さなかったのは、「行ってほしくなかった」からなのか、「ギリギリまで会う口実ができる」からなのか、マットもよくわかってなかったのかなぁ。
あのラストシーン、なんだよ、来たのかよ!って思いつつ、その後の彼らがあまりにも気になる。どうするんだろう。
「どうなるんだろう」ではなくて、「どうするんだろう」、と思う。あのあと彼らがどうするのか。あそこまできたら流れに身を任せて「どうにかなる」嵐の夜の二の舞ではなく、自分たちで選べるでしょう。自分たちがどうするのか選べるはず。どうするんだろう。マットの立場とフィアンセ、マックスの渡航。いちばん「欲しい」のはなんなのか、それがわかれば障壁も対応も見えてくるけれど、「欲しい」という本能にどこまで彼らは従えるんだろう。
続きを求めるのは野暮だけれど、気になるよね……。
これは野暮な予想だけれど、なんだかんだ、出発日を遅らせる話が本当になって、ふたりでホテルかどこかで最初で最後の恋愛関係を楽しんだあと、もうマックスは二度と帰ってこなかったんじゃないかなって気がする。マットは最後は必死に笑って送り出す。爽やかに。爽やかってすごく切ない。
君がいなくなるのは奇妙だ
今更ながらドランの虜になりそうです...
「君の名前で僕を呼んで」が大好きで、ドランがこれを見て感銘を受けて作った作品と聞いてずっと楽しみにしていました。「君の名前で僕を呼んで」とは全く違うが通じる新たな傑作でした。
全編通して非常にリアルな作品でした。特にマティアス達、幼なじみの集まりはリアルというかもはやドキュメンタリー?と思うくらいにみんなの会話や表情が自然。一人一人の心情のアップダウンを、鼓動が聞こえるようなリズムのカメラワークで撮っていて、ハラハラしながら見ていました。(特にゲームのシーン)そしてマティアスとマキシムの心の揺れは、細かな表情や長すぎじゃない?!と思うくらい丁寧な間によって、痛いほど伝わってきました。だからこそ雨と切れかけの電球の音の中、部屋へ進むマティアスのシーンは印象的でした。慌てて洗濯物を取り込むみんなとすりガラスの向こうで愛を確かめる2人の対比は、素敵すぎました...
そしてなんといってもラストが好きです。この作品はラブストーリーというより人間愛だと思います。だからこそ最後の電話で知る真実は、男同士の恋愛とか友情を超えた愛とか、そういう軽いラブストーリーじゃなくて、このあとくっつくとかくっつかないとかどうでも良くて、もっと深いものなんだと思い知らされました。
キスシーンのための映画
湖や食事シーン、ピアノの音、離れてしまう彼
ドラン版"君の名前で僕を呼んで"
ストーリーはその映画をドランさんの脳に通したら
こうなるというような感じ。
マティアスの悶々とした姿にはわらけてくる。
中盤〜終盤のキスシーン
あれが1番撮りたかったのではないかと
思われるほどの美しさだった。
とても官能的。
…気づいたら手を合わせて見ていた。
煙たがられていた友達の妹の台詞が
この映画の真髄なのかな?
主人公達の周りの人達の台詞を噛み砕きたくなる。
やさしい人々に囲まれたふたりの物語
幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)。
もうすぐ30歳のふたりには、ふたりのほかにも幼馴染の友人たちは何人かいて、いまでも仲がいい。
友人の別荘で仲間と過ごすことになったある日のこと、友人の妹の依頼で、マティアスとマキシムは彼女が製作する大学の課題映画に出演する羽目になってしまう。
そしてふたりに求められたのは、男性同士のフランス式ディープキス。
たしか、ふたりは高校時代にも一度だけ、パーティの余興でキスした経験はあったが・・・
といったところから始まる物語で、ゲイのマキシムに対して、マティアスは女性の婚約者もいる。
しかしながら、マティアスもマキシムのことが気になってくる・・・
公開中の日本映画『窮鼠はチーズの夢を見る』と同じく、同性愛者と非同性愛者間の恋愛を描いているが、まるでアプローチは異なります。
あちらは作り物感が強かったのですが、こちらは自然。
本当に登場人物の感情の動きが自然。
オーストラリアに旅立とうとしているマキシムは当然のことながら、新進の弁護士として働くマティアスの、揺れ動いていく感情がちょっとした仕草や視線で表現されています。
で、それだけならばそれほど傑出した映画とは思わないのですが、この映画の素晴らしいところは、周囲の仲間たちの描き方。
いろんな社会的地位にいる仲間たちなのだけれど、マティアスとマキシムの間柄については、どことなく何となくなにかあることには気づいている。
しかし、腫れ物に触るような態度ではなく、ごく自然。
ひとりの人間同士としての付き合いをしているが、ここぞというところでは優しくなる。
終盤、クライマックスのラヴシーンの直前、仲間内でいざこざが起き、最終的にはマティアスがマキシムに対して「この赤痣野郎」と罵ってしまう。
それが恋心の裏返しだと、仲間内では気づいてしまう。
ここからの微妙な空気感がいい。
それとなくマティアスとマキシムの関係を修復しようと、さりげなく、ふたりを近づけていく・・・
このような優しさは、その直前にも描かれていて、マティアスの婚約者が「旅立つ最後のパーティだから」といって、はじめは出るのを渋っていたマティアスを会場まで自動車で送り届ける。
女性の婚約者としては、マティアスがマキシムに恋心を抱いていることを知りながら・・・
この映画にある種の透明感や清涼感を感じるのは、マティアスとマキシムの純粋さだけではなく、周囲のひとびとのやさしさにあるのではないかしらん。
映画での汚れ役は、マキシムのヤク中の母親(半年はクリーンだと説明されているが)と、家族に干渉しないマキシムの弟で、マキシムにとって、もっとも厄介だったのが家族だということがわかる。
それは、彼の顔の赤痣のようなもので、切っても切れないものなのだろう。
と、誉め言葉ばかりを並べたが、グザヴィエ・ドラン監督のいつもながらの気取った映像表現はいくつか気になりました。
冒頭のフランス式ディープキスのフェードアウトは効果的だけれど、その後、何度か登場するフェードアウトは、時制を混乱させている感があります。
また、終盤のラヴシーン、またもやフレームの上下を狭めて、ふたりだけの世界を表現するのだけれども、これも余計な感じ。
ということで、ま、悪癖はあるものの、私的で詩的な透明感のある映画、と評価します。
幼なじみの恋?
うーむ、BL物は個人的には好まないけど
ちょいと違うのかな?と期待して鑑賞。
心情の移ろいが画面からひしひしと伝わってくる
よい作品でした。
けどね、厳しいかも?だけど男女の幼なじみの
恋愛ドラマが、男男に置き換わっただけとしか
思えないんだよなー。
同性を愛してんの?
あれ?友達として見れてないの?俺?
って葛藤が全く描かれてないって思います。
だから、とっても仲良し、7歳の頃一緒に牧場を
作る夢があった無二の親友としばらく会えなくなる
ことに関して、最初は冷静を装っていたけど、実は
離れて生活することが辛い、辛すぎるほどに想いあって
たってことがわかりました!
男って大事な友達に素っ気なく対応するもんだし、、、。
こんな話に強引にラブシーン挟んだに過ぎない作品に
見えちゃうんだよなー。
僕の感覚は古いのかな?
今の時代、同性愛の葛藤なんて描くこと自体
アレレ感なのかな?
同じ年にドラン作品を2作も観られるのは嬉しい限り。 期待値あげ...
同じ年にドラン作品を2作も観られるのは嬉しい限り。
期待値あげるクセがついているので、本作はかなり落ち着いた気持ちで鑑賞。
人物に寄せて表情をみせるカメラアングルや美しい情景をさしこむ映像はドラン監督の相変わらずの感性の素晴らしさ。
マカフィ=ケヴィンのシーンなんて、スローな映像と選曲にしびれたし
看板の画図らを見上げるところは、マックス色々拗れてるんだなぁとちょっと心が辛くなった。そして、リヴェットやフランシーヌの優しい目線。
感情や表情を作品の中にとけこませる感覚はやはりドランて凄いなぁと感じる
一方で、ドラン監督ならではの激しい会話の応酬の演出と沢山のエピソード。
これらが自分には供給過多に感じてしまった。激しさと静けさのシーンの対比が魅力の一つなんだろうけど、なかなかその魅力を感じる感覚をつかむ気持ちになれなかった。
大好きな「アンヌ・ドルヴァル」が久々にドラン作品に戻ってきて嬉しかった反面、彼女の役柄の姿が自分には悲しく写ってしまったのもあるかも(母親の内面像はいつものドランだったので気になりませんでしたが)なので、あまり感情移入することなく時間だけが過ぎてゆくわりと辛い時間、、
だったのですが、、、
ラスト15分の感情の爆発
Mの農場!!
あぁ、作品の題名はそういうこと!?
あぁ、爪噛むマティアスいたよね?!
なんといおしい!
120分中105分が全てはこの時のためにあったとは、、
15分でこれほどまでに感情を沸き上がらせてくれるとは正直、全く想像してなかった。
マティアス父のオフィスとの電話なんて、
マックスの気持ちがめっちゃくちゃ伝わるから涙無しには見られない
そして、あのラスト
もうズルいよ、マティアス!
でも、本当によかった!
あとは二人で勝手にやってね by フランク
全てを知った上でもう一度観たい
若き天才は堕ちない
グザビエ・ドラン監督作の中で最も好きな作品となった。
初の英語作品である「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」から
次の監督作が本作。そして本人が主演を努める。
前回の大作映画から一変、インディーズのような雰囲気を醸し出す本作は
私の心を最も射止める一作となった。
わたしが同性愛映画に求めるものは、
「もはや同性愛者がこの世に存在することに意味など無くなること
(言い換えれば、その存在に誰も疑問を持たなくなること)」だが、
この作品はまさにそんな映画になっている。
印象的だったシーンをいくつか書き出したい。
①マキシムの母の表裏
これはマキシムがオーストラリアに向かう前に母親の家に寄ったシーンで、
料理名は忘れたが、マキシムが好きだった何かを作ろうかと母親が問う。
母の優しさを感じるいいシーンかと思いきや、最後に母親の態度は様変わりする。
息子に金を乞うのだ。
この行為でもし前半のやり取りが純粋な思いからだったとしても、
白が灰色になるように、100%の優しさではなくなってしまう。
でもこういう裏切り方をしてくるのが家族だよな、とこちらまで
胸が痛くなるシーン。
②マティアスがエレベーターに乗っているシーン
会社のエレベーターに乗り合わせた男性社員と思われる2人が
女性のほうをちらちら見てコソコソと話す場面。
女性のほうも気づいているようで、ほんの少し顔を傾ける。
しかしこれに男性社員のほうは気づかず、気づいているのはマティアスだけ。
そのときの悲しげな顔と言ったら・・・
(たぶんこのシーンで泣いた。)
今でも書いていて泣きそうなんだけど、たぶんこれは自分にも経験があるから。
マティアスはこういう環境でずっと過ごしてきたんだなと思うと、
その心の内の孤独に耐え難い寂しさを感じる。
③マティアスが窓越しに、マキシムが途中まで吸ったタバコの火を消してポケットに入れるのをみて笑顔になるシーン。
このシーンは本当に今年いちばんいいシーンだった。
こんなシーン撮れたら、本当に監督冥利に尽きるよなあ…。
たぶんなんとも思っていない人が、同じ行動をしてもそれこそなんとも思わないというか、
むしろマイナスな感情になるはずなんだけど、そこで笑ってしまうのが
本当に"愛"というか、可愛くて仕方ないんだな~って感じで。
何歳になったってキュンとするシーンだよ。
マティアスって他にあんな笑顔みせるシーンなんてないよね。
他にも書きたいシーンが山ほどあるけど、
・若手弁護士とカフェにいくシーンとか(こんときのマティアスの表情も絶妙で、演技がお上手なのだなきっと)
・弟の留守電がくだらないシーンとか
・怪我したマキシムを世話してくれる同僚がなんか無駄に可愛いしエロいとか(関係ない)
もちろん雨の中、窓越しのキスシーンも最高でしたな。
(最初の映画撮影でのキスシーンは見せないで、この後半やっと見れた!
ってなる感じも上手!)
本人は「君の名前で、僕を呼んで」を意識したと言ってたけど、
それ以上に美しかった!!!まず手にキスするのも最高だった!!!
出演者も本当の友人たちのようだけど、その空気感も良かった。
ドランは最初自分が出演する気は無かったらしいが、ドランだったから
こんなにも美しい作品になったんじゃないかな。
(というか本人が出たがってなかったのが結構意外だった。)
この作品で、今までのドランのイメージが覆された部分があって、
もっとふわふわした軽い付き合いをする人だと思ってたんだけど、
全くそんなことないんだね。
マティアスもマキシムたぶんドランなんだろうし、
そしてわたしなんだなあ・・・(どことなく気持ち悪い文章)
そのくらい共感しきってしまった・・・。
パンフレットも買ってしまったし、
あ~2回目観に行こうかな~~・・・
言いたいことは沢山あるのだが
まず一言でまとめるなら中々難しい作品だった。
大前提として私が洋画を見慣れていなく、字幕を見ながらテンポの速い掛け合いについていけなかったというのがあるのだが、、
上級者の振りをして道路のセンターラインを車で走っているような演出はなんだったのか、定期的に(私が確認できたのは2回だが)犬が横切るシーンはなんだったのか、水面との境目を溺れてるように映しているのはなんだったのかなどというのを考えようとしたのだが、そもそもストーリー展開についていけずそんなことを考える余裕がなかった。
映画を見るのは中々難しい。
さて、この映画のラストシーンだがハッピーエンドともバッドエンドとも言い難い、そんな簡単な言葉では言い表せないようなラストだった。基本そのどちらかだろうと今まで考えてきた私はまだまだ初心者なのだろう。
予告動画を見た段階ではお互いの恋愛に対する葛藤が描かれているものだと思っていたが、そもそも中盤では2人の絡みがほとんどなくお互いをどう意識しているかというような描写もなくどちらかというと家族関係を中心に描かれていた。
恋愛映画という単純な括りではないのではないか?と感じた。
もう一度見たら理解できるのだろうか。否、見方が変わるだけで物語を理解するにはまだまだ考え方が足りていないだろう。
フランス語でも勉強してみようか
愛の伝え方を知らない2人
マティアスは男女の恋愛しか知らないし、
マキシムはストレートとの恋愛を知らない。
最後まで手探り状態の2人。
観ていて焦ったくてモヤモヤ。
距離の縮め方はハラハラした。
痣を舐めるシーンもう一度観たい。
青年2人の戸惑いと葛藤と、2人を取り巻く友情の話し
87本目
友達の妹が撮る短編映画でキスシーンを演じることになったマティアスとマキシムの幼馴染2人が、そのキスをきっかけに互いの秘めた気持ちに気付いてしまうラブロマンス。
正にグザヴィエドランの撮る青春映画って感じだった。
(青春というのには大人過ぎるかもしれないけど、青春に歳は関係無いよね)
大人になっても仲の良い男友達同士で集まって子供の頃のように過ごすの、めちゃくちゃわかる〜!と思ったし、その長年の友情の中に「恋」という異質な、でもあまりにもピュアな感情が芽生えてしまったことへの戸惑いと葛藤がめちゃくちゃ伝わってきて切なかった。
そりゃあ拗らせちゃうよね。
自分だったらどうするだろうか、マティアスのように遠ざけようとするだろうか。マキシムのように自分が遠ざかろうとするだろうか。どちらにも共感できちゃうから辛い。
この作品、青年2人の恋模様もそうだけど、そこに寄り添う「友情」もテーマの一つだったように思える。
2人の友情と、それを取り巻く友人たちとの友情。
「友達は頼りになるけど、友達と一緒でも時には迷子になってしまう。仲間はお互いを頼りに出来るけど、それが出来ない時もある。決断を受け入れる時だ、受け入れなければいけないのは「変化」。でも、友達は側にいる。」
※パンフレットからの抜粋
まさにそういう事だなと強く感じたのは、友達とハメを外すシーンや喧嘩して仲直りするシーン、みんなで歌うシーン等、とにかく「みんな」一緒のシーンが多かったところ。
思えば20代後半〜30代くらいの絶妙な年代の友情を描いた映画ってあんまり観たことないかもしれないな。
10代の若者が主役ではないけど、現代の問題を扱ってるっていうのが説得力があって良かった。
自分の年代と重なるから余計に刺さるだけかもしれないけど、まだまだ友達と馬鹿やってたい気持ちと「大人」になりきれてないことへの焦りがないまぜになって、それがジェンダーの問題とも重なることで感情がぐちゃぐちゃになっちゃう感じが上手く描かれていたように思う。
分かりづらいし抽象的な描き方が多いけど、直接描いてない部分を音楽とドランらしい美しい映像で魅せてくるのは流石でした。
ドランは音楽に気持ちを乗せるのがめちゃくちゃ上手いな。
65mmフィルムの質感も良かった。
本当に、どの瞬間を切り取っても絵になるよね。
最後はきっと清々しい気持ちでオーストラリアへと送り出せたし、旅立てたんだろうなと思わせてくれる余韻の残るラストが最高でした。
まぁ唐突に終わった感も少しあったけど。。笑
そんな感じかな。
あと、これは映画とは直接関係は無いけど、同性のカップルが仲良さそうに観に来てたのがとても良かった。
こうやってジェンダーの問題に世の中がもっと順応していくと良いなと思う。
【”幼き日に二人で描いた「Mたちの農場」” 男同士の友情が”ある事がきっかけで”恋愛感情に変容していく様を、困惑しながらも、その感情を受け入れていく姿を描き出した美しき作品。】
ーマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)は30歳になっても、気の合う仲間たちと一緒に過ごす機会が多い。
問題のある母親と同居するマキシムはオーストラリアで働く決意をし、マティアスを通じてアメリカで弁護士をしている彼の父に紹介状を頼んでいるが・・、何故かいつまでも紹介状が届かない・・。-
■グザヴィエ・ドラン作品の魅力、幾つか
1.映し出されるシーンの色彩の美しさ、とりわけ刺激的なシーン。
-今作品では、ストリップバーのシーンであろう。-
2.劇中に流れる音楽のセンスの良さ。(含むタイミング、ボリューム)
3.カメラアングルやフォーカスの上手さ。
4.役者の微妙な表情の変化の撮り方とそれを彩る衣装、意匠。
5.何より、作品から醸し出されるグザヴィエ・ドラン独特の雰囲気、世界観。
ー難解なようで、キチンと観れば問題ない。ー
■印象的なシーン
・マティアスとマキシムの現在のそれぞれの境遇の違い。マキシムは朝から煙草をふかしビールを飲むだらしない母親(息子の顔に唾を吐きかけるのか!)と荒れた家で同居している。一方、マティアスは弁護士として高級そうなスーツを着こなしている。
が、二人は仲間たちと会うときは対等に、楽しそうに言いたいことを言っていたが・・。
・友人リヴェットのちょっと生意気な自主映画製作をしている妹、エリカから映画への出演を依頼される二人。マキシムは承知するが、マティアスは強く拒む。だが”ゲーム”に負けて嫌々ながら出演することに。
シーンの内容は二人が秘めていたお互いへの想いを、抑えきれないものにしてしまうには十分な程だった・・。
ー 二人のシーン前の”準備する姿”が良い。又、そのシーンの撮り方・・。そして、あのシーンをゲームに負けたとはいえ、マティアスが受け入れたという事は・・。-
・嵐の夜の、張り出し窓での二人のシーン。ここはコメントしない・・。
・中々届かない紹介状の状況を確認するマキシムが真実を知った時の表情。そして、引き出しの中で見つけた幼き時に、マティアスと書いた色彩豊かな農園の絵を見つけた時の表情。
ーマティアスの想いを、全て理解するマキシム。ー
<青年期の終盤、人生の岐路に立つマティアスとマキシムが、各々の心に封印していた筈のお互いへの想いが再び沸き上がり・・。
マティアスとマキシムが、”たった一度だけ”お互いへの想いを確かめるシーン。
グザヴィエ・ドランの作品の幅が更に広まり、深みを持った事を素直に喜びたい。>
或る出来事をきっかけに互いへの感情に気付く二人・・・友愛それとも恋心?
主演の一人マキシムを演じたグザヴィエ・ドラン、監督もされていた事を鑑賞後に知りました。
もう一人の主演マティアスを演じたガブリエル・ダルメイダ・フレイタス、苦悩するクールな青年を繊細な演技で熱演。
わ・・・なシーンも有りましたが( ○○を吸っているシーンもモンダイですね。。)、青春を共に過ごした仲間達とのワサワサとした様子( ホームビデオで撮ったような温かい雰囲気がいい。)、母親が息子の友人達を我が子のように心配し愛情を注ぐ描写にノスタルジーを感じました。
「 君が居なくなると淋しくなるよ。」
私が鑑賞した時は、女性の方が多めでした。女性の皆さん、そして男性の方も、是非映画館でご鑑賞下さい。
映画館にて鑑賞
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