「ひとが変わる瞬間を描き続けてきたダルデンヌ兄弟」その手に触れるまで りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ひとが変わる瞬間を描き続けてきたダルデンヌ兄弟
ベルギーに暮らすムスリムの少年アメッド(イディル・ベン・アディ)。
13歳の彼は、ごく最近まではゲームに熱中する普通の少年だったが、兄とともに食料品店の二階にある小さなモスクに通ううち、イスラム原理主義に傾倒していった。
ひとつには従兄がジハードの名のもとに散ったことが大きいが、それだけが理由とも思われない。
彼の補習を担当する放課後教室の女性教師イネス(ミリエム・アケディウ)、彼女もムスリムであるが進歩的な考え方をしている。
ある日、ある事件がきっかけで、アメッドはイネスをナイフで切りつけるという行為に及んでしまう・・・
といったところからはじまる物語で、ダルデンヌ兄弟ではムスリムを描くのは初めてのこと。
社会的な事柄を題材にすることが多い監督であるが、彼らの弁によると、決して社会派監督ではない、という。
ケン・ローチとは方向性が異なる、と言っている(『サンドラの週末』上映の際のティーチインでの発言)。
個人的には、ダルデンヌ兄弟が描きたいところは、「ひとが変わる瞬間」であろう。
はじめて観た『ロゼッタ』が、まさにそんな作品だった。
「ひとが変わった瞬間」に映画は終わる。
この映画も『ロゼッタ』と同じで、アメッドが変わったところでスパッと終わる。
日本版タイトルどおりに、である(ちなみに原題は「LE JEUNE AHMED」、若いアメッド)。
アメッドがイスラム原理主義に傾倒していくのは、やはり、自身の立場を不幸と感じ、その理由をムスリムでありながら戒律を守らないことにある、と考えているからだろう。
考えている、と書いたが、思考停止とも言える。
父親がいないのは母親の飲酒(ほんの寝酒程度だが)や、姉たちの自由な行動・・・
いずれも戒律を守っていない・・・
思考停止によって短絡的な行動に出てしまう。
こう書くと、なんだかバカらしい話のように思えるが、同じような話は巷間にごまんとあり、身近ともいえる。
映画は、アメッドが少年院に入ってからの後半が実にスリリングでサスペンスフル。
女性教師イネスに対する憎悪が消えないアメッド。
アメッドとイネスとの面会のシーン。
課外教練の農作業をするあいだに手に入れた歯ブラシの先端を尖らせて・・・というシーンはゾクゾクするし、教練担当の教官の娘と農作業を行ううちに・・・というのも繊細に描かれていて、どうなるのかと興味深いです。
最終的には・・・
どうなるかは書かないが、個人的には、観ていて「あっ」と声が出ました。
そして、触れるその手の先にあるものは・・・