「旧体制からの女性の自立を細やかなディテールで描写」あのこは貴族 marcomKさんの映画レビュー(感想・評価)
旧体制からの女性の自立を細やかなディテールで描写
東京の中にある階級差の表現はなかなかに面白いが、それも俯瞰で見れば旧態依然の村社会・家社会の呪縛で雁字搦めの穴の中、田舎と同じじゃん、そこから脱出した方がいいんじゃねというのがリアルだ。また上流であるほど得られるベネフィットに対して自らの自由度が制限されるのは、最上位の皇室を見るまでも無く明らか。
物語の主眼は旧体制からの女性の自立ということで、友人との起業を快諾して、2ケツ自転車を漕いでいく風景の、何気ないけど自然なカタルシスが良かった。同じく2ケツ自転車のJKを含む、女性のバディのコントラストが強めに描かれ、対する男性陣はかなり影が薄いのだけど、幸一郎の諦念・諦観は高良健吾の憂いを帯びた佇まいと演技と雨で丁寧に表出されている。なんとミキと最初の出会いでノート借りた日も雨だった。
小物の扱いが秀逸で、母の婚約指輪!を始めとして、使い込まれたケリーバック、シャネルのバック、ミキのまっさらなグローブトロッター等、階級差をモノと時間で表現しているのも見事。車と自転車の使い分け、場所の上下感の選択も周到で、作画とフレーミングに往年の巨匠の香りが漂う。華子が幸一郎家にお目見えの際の、お茶事の席入りのような所作の先には、男3人が床の間側、女3人が廊下側で据え膳が整えられていて、幸一郎の膳は炉畳の上に配されているとか、祖父の慇懃無礼な言動と共に、最早化石のような世界を容赦無く描き切る。結婚式の記念写真のど真ん中!に政治家の叔父がでんと陣取り(背が一番高く、悪人面)、撮影直後そそくさと幸一郎を庭に連れ出し既に政治活動が始まっている描写も行く末を暗示していた。
金持ち喧嘩せずというが、華子とミキの面会時の「お雛様展のチケット」の入った茶封筒が出てきた時、心の薄汚れた私は「手切れ金」かと思ったがさにあらず、母と一緒に美術展→姉妹毎のお雛様→クリスマス、これらはマウント取っているのではなく、唯々邪気が無く言っているのが凄いのだ、だからこそミキはアッサリと幸一郎との腐れ縁を切る決心をするのだろう。ちなみに三井家所蔵のお雛様....なので場所は日本橋か、榛原家は三越の「外商」枠なのだろう。華子が自立するにあたっての修羅場での、幸一郎母のビンタにはちょっと驚いた(嫁の両親のいる前で)が、すかさず幸一郎父の、「事を荒立てる訳にはいかないので、今日のところはお引き取りください」と言うところまでがコトバ通りの「手打ち」で、流石の顛末だった。
一方で、幸一郎とミキの「手打ち」は、キャバクラ再会後に行った馴染みの町中華で。背景にちらっと見えるメニュー立てに再会時はメニューは机上で「使用中」だったのが、最後は「納まっていた」のが穏やかな終わりを暗示。そこでミキは初めて自分の出身地を帰省土産の「ホタルイカの天日干し」でもって表明する。
快調なテンポ感と無駄のない緻密な作画、小物やディテールへの細やかなこだわりが素晴らしく、複数回の視聴に応える映画。ラストシーン、高いけどステージから遠い幸一郎、ステージに降りる階段途中の華子の位置関係、認め合って微笑む二人が希望を感じさせて爽やかなエンディングだった。