「誰が貴族だって?」あのこは貴族 kwmdさんの映画レビュー(感想・評価)
誰が貴族だって?
原作は読んでいませんので、原作に対する評価や脚本演出に対する評価は混ざってしまいます。
さて、『クレージー・リッチ!』は普通じゃない金持ち一族が出てくるコメディーでしたが、海外が舞台だとしても華僑にはこういう人もいるなと思わせるだけのリアリティーが在りました。本作はどうでしょうか。貴族という言葉に見合うだけの人は出てきたでしょうか。劇場でもときどき笑いが起きていましたが、昔の大映ドラマの嫌みな金持ち一家程度での設定にしか見えませんでした。コメディーならよいですが、コメディーではたぶんないので、見ていて辛いです。役者の皆さんの縁起が良いので、嫌みに見えないので余計に困ってしまいます。
まず、病院経営者の一族。医療法人の理事長は医者しかなれませんし、医師免許は世襲ではありません。金持ちの医者がいても、もともとお金持ちなのに医者になった場合を除き、成金みたいなものです。『貴族』的な特徴はないと思いますよ。また、婚姻関係にない医師を呼んできて後継者にするということは、せっかく作った法人を乗っ取られるので、簡単な問題ではありません。必死に結婚相手に医者を探すが、皮膚科のお姉さんを跡継ぎにするはずです。別に皮膚科+整形外科で良くない?
高良健吾のうち。本当の貴族的な金持ちは、びっくりするほどの資産がありますが、昔から普通にお金があるので、お金があるから高いものを買うのではなくて、買ったものが結局高価なものであった、普通の人には選択肢に入らないような、となります。なので、大きな古い家でも別荘でも高級外車でも普通なことなので嫌みに見えません。他人には優しく、普通の人を見下したりはしません。気付かずに残酷なことをする場合が有りますが。誰かが亡くなると、資産分配の前に相続税が大変で、土地を切り売りしなくてはならないので、高齢のメンバーが無くなった場合の想定はしてあります。この一家も貴族には見えません。
松濤、アールグレー、慶応幼稚舎、Moe et Chandonなど属人の想像する金持ちワードが出てきますが、笑いをとろうとしているのか、鑑賞者の理解できる金持ちの設定はこれでいいよね、と思っているのかと思ってしまいます。そもそも、金持ち=貴族ではないので、貴族らしい伝統や奥ゆかしさなどをを表現すべきでしょう。はいからさんの伊集院家のおばあさまのように。
また、原作者が富山の方のようなので真実なのかも知れませんが、地方出身者の描き方もあんまりな気がします。
今どきの結婚かからも離れているし(『貴族』だとしても、結婚しても働く人なんていますよ)。親が失業したってせっかく受かった慶応を中退せず奨学金を考えたり、さすがに、キャバクラバイトなら何とかやってけそうですが。親が経営者なら『絶対、商学部』の様な気がします。ジャズの話をしているとき、店でかかるジャズも、なんだかなぁ。関西弁の男性は確かにお付き合いしたくないけど、ダマって消えるのは失礼です。外に婚外子が沢山いる父親もいやだなぁ。
章立てがされていますが、時間が動くだけで、リズムや画像は同じなので、なぜこうしているかわかりません。
高良さん、門脇さん、水原さんは結局自分の人生を歩んでいくわけですが、きっかけが希薄ですし、結果として立場は変わりましたが、それぞれがあまり成長しているように見えません。オズの魔法使いを見ない位で別れるなら、もっと沢山嫌いなところがアルでしょう。とってつけたような複線に見えます。高良さんなら、気の利いた言い訳をして起こらせないでしょう。
それでも、この映画が印象に残っているのはキャストの頑張りです。高良さん、他の人だったらオモテ裏のある嫌みな人になってました。うそはついていないと思える演技でした。門脇さんは『貴族』には見えませんが、箱入り娘で時代から取り残されている感じがしました。水原さんは素敵です。豊島区の本屋の娘にしては洗練されすぎていると思ってましが、今度はいけてます。入学式のいいういしさや、田舎での気だるさや、自分のポジションをみつけて生き生きしているところのそれぞれ味わい深いです。その他、石橋さんや山下さんは始めてみましたが、そういう育ちのそういう仕事をしている人にちゃんと見えました。
まとめ、せっかくいいキャストなので、ちゃんとコメディーにまとめるか、若者が成長していく群像劇にすると良かったのではないかと思いました。ちゃんと、貴族を定義づけして、それに合わせた貴族像をリサーチするとよいのではないでしょうか。