わたしは光をにぎっているのレビュー・感想・評価
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わたしも光をにぎっている
内にこもり言葉を失ったかのような澪(松本穂香)。長野の湖畔の民宿。雫の両親は早くに亡くなり、雫を育てた祖母が澪にとって母だった。自らの病で民宿を閉め、澪を東京に送り出す祖母の思いが滲みる。
東京に出ても澪の言葉は足りなかった。人に思いを伝えられなかった。
思えば澪を受け入れた父の友人(光石研)も言葉が足りなかった。彼が営む銭湯での二人の無言のやりとりが愛おしい。言葉が足りなくても心が繋がっていく感覚。
再開発や区画整理の名のもとに閉めざるを得なくなった銭湯、そして周りの商店街。その店主たちをとらえたドキュメンタリーライクな映像も印象的だ。
「しゅんと終わらせる」という澪の言葉に彼女の成長を感じた。彼女は確実に成長していた。人と繋がったと思った。
ラストの二人の笑顔がどれほど愛おしかったことか。人と繋がるということは再会の喜びでもあったのですね。
束の間の時間を生きる我々にとって、この作品の無常観は真っ当だと思う。変わらぬものはない。だからこそささやかなふれあいが愛おしい。
そう、わたしも光をにぎっている。
演技をしている人の違和感
作品の意図や、オチまで、よく分かったし、映像的な工夫も納得できた。
しかし、正直、退屈に思ってしまった。
俳優を生業としていないだろう人が結構出演していて、そういった作風なんだと思えば違和感なく見られたけれど、一方でうまく演じている事柄すべてが不自然に思えてしまい、そう感じてしまうと逆に途轍もない違和感を持ってしまって、全体的にまとまりにないものに見えてしまった。ちゃんと作ろうとしているなーなんて嫌な見方になってしまったし・・・
この作品の間の取り方が自分には合わなかった。
下町情緒溢れる。田舎の自然の豊かさ。
監督の作品への意気込みが伺えるシーンひとつひとつの切り取り方。どこを観ても美しいと思ったしお金をかけて映画館で見て良かったと思わせるクオリティでした。とにかく風景に圧倒されるし自分もスクリーンの中に入り込みたいくらいでした。主人公も最後はしっかりしてきてて成長してたなっと思いましたね。
最後までやり切りましょう。どう終わるかって、多分大事だから。
主人公が田舎から上京してきて、父親の知り合いがやっている銭湯に住み込みながら、地元の様々な人たちと交流し、暮らしていく、しかし再開発によりその街は失われる
そこで、どう終わらせるか、という話。
キャストの面々が結構豪華だったのもあって見に行きましたが、メインは松本穂香さんと光石研さんで他の方々は物語をよく引き立てていましたが、登場回数はあまり多くないです。
とにかく映像が素晴らしく、自然と下町を綺麗に切り取っているのですが、劇場版 そして、生きるとも違う詩的で幻想的な世界観が素晴らしかったです。
ただ、幻想的なんだけれどどこか懐かしさもありました。本当に少し前にはどこの街にでもあったであろう商店街や飲み屋街の独特な風景だったので、すごく身近で懐かしい雰囲気が心地良かった。
そんな心地良さと映像美、暖かい物語に後半眠くなってしまうほど。
劇中、主人公の澪が好きになる渡辺大知さん演じる銀次がドキュメンタリー映画を撮っていますが、まさにそのようで、普通の映画とは一味違います。
必ず、最後は暖かな気持ちで劇場を後に出来る、そんな作品でした。
(因みに、僕はエチオピア料理の店員さんが好きになりました笑)
日本の美しさが溢れていました
まず景色の美しさに、見とれてしまいました。あの湖、光の美しさに息を飲みます。
ひしめき合ったような街並みや、ひなびた店の佇まいが、昔の懐かしい思い出と重なりました。
エチオピア人の方々の相手を思いやる気持ちが、感動しました。ここに敢えて外国の方を登場させたのが、良かったと思います。
こんな優しい暖かい映画は久しぶりでした。
誰もが光をにぎっている
引っ込み思案でろくに言葉も喋らない田舎育ちの少女が上京をきっかけに、その町での人びととの触れ合いを通して、自分自身の手に握っている「光」を解き放つ物語。
人は「見る目」と「聞く耳」で自分の手に握る光を解き放てる、その光を誰もが手のひらから放つことが出来るチャンスやタイミングがある。
そんな事を想いました。
やりたいこと、やれること
幼い頃に両親を亡くし祖母の営む野尻湖畔の民宿を手伝っていた主人公が、祖母が入院し民宿を閉めるのを機に単身上京し、父親の旧友の営む葛飾区は立石の銭湯に居候しながら仕事を探し始める話。
民宿を祖母と切り盛りとはいうけれど、その様な描写はなく、寧ろホントに働いていたのか?という感じさえするモジモジ助け船待ちな主人公。
劇中映画は下町の説明的要素として上手くはめ込んでいたけど、「いや~下町なんで」という感じが透けてみえるあざとい描写もあったけど、まあそういう所だよねw
序盤は甘ったれのダメダメちゃんが、銭湯の主人や常連さんや異文化との交流の中で、自分のやれることをみつけて行動し始めていく姿は、少しだけど確かに成長していたし、最後はちゃんと意気込みもみえて、おっ!と思わせてくれた。
やっと見られました
野尻湖の美しい風景から都会の下町にでてくるという風景、描写がとてもきれいに描かれていて、観ていてとても心地よく癒やされました。
澪ちゃんの消極的な感じ、言葉足らずなところ、番台に座るなら「いらっしゃいませ」「ごゆっくり」「ありがとうございました」
が言えないのかな〜?って思ったり、でも澪ちゃんなりにそこに馴染んでいく様が寡黙に描かれていて知らぬ間に映画の世界に引き込まれていました。
ここからは私情を挟んでの感想お許し下さい。
私は、ここが舞台になった伸光湯の娘です。
父と母は55年間必死になって伸光湯を守ってきました。何度も体調不良で止めるのかという時期がありましたが夫婦二人三脚で頑張ってきました。映画のオファーがあり撮影場所となりこの作品が出来上がるのを楽しみにしていました。家族で観に行きました。まさか上映前に廃業になるとは思っていなかったので、この作品がヒットして伸光湯にたくさんのお客さんが来てくれてよかったねとなるというシナリオだったのですが、公開を1ヶ月前に閉店となってしまいました。
映画を観た父と母は何度も泣いていました。取り壊されるシーン。これから現実になる光景、光石さんが男湯で泣いていた切なくて悔しい気持ち‥同感だったと思いました。廃業になるにあたり素晴らしい作品を残してくださり有難かったです。
私は当事者として観ていましたが、観に来てくださった方には現在の銭湯事情と銭湯を経営していた裏側を知って欲しかったです。
これからは清瀬市に伸光湯という皆に愛された銭湯があったことを知って欲しい限りです。
私情を挟んで申し訳なかったです。
高く飛翔するのだけが成長譚じゃない
ふと立ち止まり後ろを振り返る、
歩んで来た足取りを見つめ直し、
おっかなびっくり、
少しずつでいい、
慎重な足取りで歩んで行こう。
セミドキュメント風味もエッセンスと成り、
切なくも明るさ見える良い終幕でした。
現代版・魔女の宅急便とは言い得て妙
“普通の”サラリーマンからすると、ありえないほどののんびりした時間の進み。でもこれを観たいから映画館に来るんだ。家でDVDで観たら一瞬で寝てしまうだろう。でも映画館でみると、固唾を飲んで見入ってしまう。映画館マジックだと思う。
端的には20歳の女性の成長物語であり、現代の魔女の宅急便とは言い得て妙。中川監督は、四月の永い夢と言い今作と言い、世代はバラバラでも人生に迷う女性の姿を描くのが(自分は男だから上手いかどうか分からないが)非常に印象的。
スピード感のある映画ではないし万人受けして大ヒットもしないだろう。でもこういう作品がある限り自分は映画館に足を運び続けようと思う。中川監督の次作にも期待しよう。
☆☆☆☆ 〝言葉が在れば大丈夫。言葉は光だから〟 形有る物はいつか...
☆☆☆☆
〝言葉が在れば大丈夫。言葉は光だから〟
形有る物はいつかは壊れる運命(さだめ)
但し。人の心の中生き続けているモノを、強制的に壊すのはどうしても受け入れ難い。
ヒロイン役の松本穂香がとにかく良い。
おそらく、暫くは彼女の代表作になるのでは?と思わされた。
如何にも典型的な《田舎娘》の彼女。これから都会で暮らして行く事に対して、心に不安を宿す雰囲気が。言葉を発せずともしっかりと表現されていた。
作品中に、彼女を巡っての《処女論争》が在るのだが。その後に、謎のエチオピア人達と打ち解ける彼女の姿は、まさに《処女性》を溢れさせており。おじさんちょっと嬉しくな……ゴホっ!
おっちゃんも《処女論争》を巡るバカな男なんざんすね〜(@ ̄ρ ̄@)
そしてもう1つ。この映画の主役となるのは。やがて再開発によって消え行く運命(さだめ)にある、葛飾・立石の路地裏の魅力的な風景に違いない。
東京に出て来た彼女が、踏切に立っていた場面で直ぐに「あ?立石だ!」と分かる。
映画に出て来る路地裏も(住んでは居ないが)大体の位置関係が分かるのは、下町に住み続けている強みか?( ^ω^ )
やがて、1人の男が舞台となる小さな銭湯から後ろ姿で現れ。
その後ろ姿の一瞬だけで光石研と認識出来。その瞬間に、自分の中で「この映画は当たりだ!」と確信した。
最近の光石研はどんな役を演じても良いのだが。この映画のキャラクターもまた絶品!
いづれは立退かねばならない銭湯の主人の悲哀を絶妙なバランスで演じていた。結構な頻度で酔っている役だったが( ˘ω˘ )
この映画には、やがて解体される運命(さだめ)の建物や場所・商店等が数多く登場する。
そのどれもが、その地に住む人々の心にしっかりと根付ていたモノだった。
実を言うと、我が家周辺でも再開発の波が止まらない。
今や東京を代表する建造物が近くに有る為に。地主は、「今が売り時!」とばかりに…。
生まれた土地に住みつつ、後数年後にはこの地を後にしなければならない運命(さだめ)
それだけに。今の自分の気持ちと、作品の訴えるモノが痛い程に伝わって来る。
【聴く耳】そして【見る目】
困った事が有ったら、それを心に明日へと立ち向かおう。
言葉が在れば大丈夫!
言葉は光だから!
光は1人1人の心の奥に宿っている筈。
何の情報も無しに観たら、思いのほか素晴らしい作品と出会えた喜び。
これこそが、映画フアンとしての最大の喜びに他ならない。
だから明日も映画館へ行くのだ!
(おそらくは)全く評判にまならない存在の映画かと思いますが。今年の日本映画を代表する1本だと確信しています。
2019年11月17日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン1
うーん…
前作にも感じた上っ面の綺麗事が並べられてて腹が立った。
あと、主人公の銭湯における日常の風景が、丁寧に切り取られていたが、あまりにもぎこちなさすぎて違和感しか覚えなかった。雰囲気映画の極北と言って感じ。詩人だもんね。ただ上っ面の人間賛歌にはほとほと嫌気がさしてきます
色々なものの終わり方の話
松本穂香さん目当てで鑑賞。ホンワカして可愛らいが、ホンワカしすぎかも(笑)
映画の主題もわからず観ていました。前半はとても綺麗な映像があったりしますが、良くも悪くも普通の生活。どちらかと言えば、「もっとシャキッとしろ!」と言いたくなる。
後半は言いたいことが分かり、ようやくしっくり来ました。
銭湯と単鑑映画館。
どちらも時代と共に無くなりつつあるもの。
単に古いものを無くさない、古いものを大切に、という事ではなく、どうやって終わるのか、終わり方が大切。人生も同じだな、、という感想です。
ただ、出演者、立石、商店街、などに思い入れがらないと辛いかも。
後味はとてもいいし、文字で説明できない独特な雰囲気だった。
【”形あるものはいつかは無くなる。が、言葉はいつまでも残る・・”銭湯がある街は住みやすいに決まっている、と勝手に思っている・・。】
ー 銭湯がある街は住みやすいに決まっている、と勝手に思っている。ー
■ある事情のため、美しい景色に囲まれた地方の町から都会の中の古き商店街の一角にある銭湯”伸光湯”に住むことになった澪(松本穂香)。
最初は都会の生活リズムに戸惑う。
しかし、商店街の人々(古いミニシアター関係者、中華ソバ屋、八百屋さん、カレー屋さんに集う異国の心温かき人々・・)と触れ合う中で頼りなげだった澪の生きる姿勢が少しづつ変化していく様を優しく映し出す。
・そして、銭湯を営む酒好きの中年男が抱える複雑な想いを光石研が流石の演技で魅せる。
・自分の目の前の、出来ることから少しずつ・・。
・終わりまできちんとやることが多分、大切・・。
・劇中の何気ない言葉の数々が心に沁みた。
・澪が生活する事になった街の、猥雑だが、どこか懐かしき風景が美しい。
<山村暮鳥の一片の詩を基に、商店街の人々が「都市再開発問題」の中で悩みながらも、逞しく生きる姿と生活する音を、澪が自分の”目”と”耳”できちんと感じて成長していく姿が愛おしく、商店街の人々の姿も尊く感じた作品。>
<2019年11月16日 伏見ミリオン座にて鑑賞>
生き方が不器用でも良いじゃないか
時代の最先端を行かないor行けない。時間の早い流れに戸惑う。そんな生き方ってダメですか?ダサいですか?まったりと生きるのもあるよね。そんなことを考えてしまう映画です。
この作品を見て「イラッと」した人は、心が、人間離れした時間の流れや欲に絡め取られてしまっているかも。(かくいう私も、少しイラッとしてしまった。まだまだ修行が足りないみたい笑)
画面が語りかけてくる映画
序盤の、上京する主人公を見送るシーンで、画面を4分割した右下に人物が固まっている構図を見て、失敗した!と思いました。
背が低いので、前の人の頭でスクリーンが見えないストレス回避の為、劇場では最前列の端を狙って座る癖がついているのですが(さすがに最前列の中央だと画面全体が見にくいので、端から全体を見る作戦)
この作品は、正面から見たかった〜。
食堂の椅子…いいなぁ。
あ、カーペットのこの感じ…いいなぁ。
入り口のガラス戸越しの湖もいいなぁ。
よくこんなの見つけてきたな〜。と感心しきりでしたが、この駅前の4分割シーンを見た時に、そうか!実は見せたいのはこれだったのか!!と気づきました。
監督曰く「人のいる風景」
人間が集まって“場所”を作っていると思いがちだけれど、場所によって人が生かされることもある…そんな監督の場所への思いが詰まった映画でした。
ゆっくり、じっくり見せられるワンシーンからは、いろんな声が聞こえてきます。
主人公が身を寄せる銭湯も、いちいちイマジネーションがかき立てられる!
光石研さん演じる涼介について、多く語られる事はないけれども、その部屋で彼の人となりがわかるww
そして、主人公に与えられた部屋の、ものすごく日に焼けた襖!!
家具の後も残っていない波打った畳からも、使われなくなって随分年月が経っている事がわかる。
もしかして、以前この部屋を使っていた人って…と想像が広がる一方で
カーテンの無いガランとした部屋は、私自身が一人暮らしを始めた日の、不安とドキドキが混ざり合った気持ちまでをも呼び起こし、一気に主人公に近づいた気がしました。
どこかで知っている風景に感じる、記憶のデジャブとでも言いますか…。
場所に対する懐かしさと愛おしさが随所にあって
それらは全て、映画のクライマックスに明かされる出来事に繋がっています。
いったい彼女はどんな居場所にたどり着くのか?
不器用ながらにも、一歩を踏み出す主人公を応援したくなる映画でした。
追記:後半にかけての光石研さんの演技が素晴らしい。
やさぐれた酔っぱらいは名人芸の域だし、カップラーメンを食べる姿に泣けます。
新しいビルばんばん建ててるけどこういう色んな想いをちゃんと知って覚...
新しいビルばんばん建ててるけどこういう色んな想いをちゃんと知って覚えておかなければなと。にぎって開いてみたらなくなっていたら嫌だからずっとにぎってる。でもそれじゃだめ。
鍋のとことかどう感じればいいかちょっと戸惑った。カメラがずっと遠目なので、ずっと見守っているような、一定の距離感で覗いている感じ。もう少し余裕のある人間になったら澪をあったかい目でみれるかなー
野尻湖の朝、銭湯での光の差し込み、いろいろ美しい。
暖かい
汐留にて舞台挨拶+試写会に参加。
ほっこり、という言葉の意味はよくわからないが、こういう時に使うのかな、と思った。
監督は、私の住んでいる登戸出身。その風景が変わっていくのを見たのが、この作品を作るきっかけだったとの事(確かに今、むっちゃ開発されてる)。
私が登戸に越してきたのは、もう13年前。監督が高校生の頃。多感だったんでしょうね。
最後に挨拶して頂いた時、「次は登戸を舞台にした映画、撮ります」との事。
むっちゃ、期待してます。
無くなるもの、残るもの
ふんわりと優しく降り注がれる優しい光は心を紡いでくれるようだった。
傷んだみかんあげるよ、コロッケ余ったから食べてね、人と人が行き交うごちゃごちゃした街並み、いつかは無くなってしまうかもしれないけれど、形を変え、確かに存在するものがある。
でこぼこした、街並みが、今はとても恋しいです。寂しさと、嬉しさが込み上げてきた。
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