「ハッピーラッキーを綿毛に乗せて」魔女見習いをさがして TOYさんの映画レビュー(感想・評価)
ハッピーラッキーを綿毛に乗せて
最高の映画でした。
物語や演出、画面に隠された意味を考えるたびラストシーンの涙が止まらなくなる上手い作りになっていました。
巧みです。
以下考察です。
主人公は女性3人。
魔法を夢見ていた少女はそれぞれ19歳,22歳,27歳と大人になり、人生に難しさを感じています。
魔法さえ使えたら…そんな3人がホウキに跨り空飛ぶどれみたちを見上げるオープニングからこの物語が始まります。
手にはホウキではなく″それぞれの夢″を手にして。
(ラストまで見た時、これがこの物語の大きなキーになっていたことに気付きました。)
オープニングが終わると日常を描くシーンが始まりますが、ここであることに気付きます。
主人公3人を演じる役者の芝居が拙い。
いや、それでは失礼なので正確に書くと「アニメっぽくない」。
それもそのはず、3人を演じているのは声優ではありません。
3人どころか登場人物の大半に、おそらく「声優」が当てられていません。
そうか、ここは現実。
アニメやファンタジーの世界じゃなく、現実なんだという、この上ない表現になっていたんです。
そんな中で登場するミレ職場の後輩。
当てられているのは「石田彰さん」。
おかしい、なにかが。
ここまで現実を表現しておいて、職場の後輩にこれほどの声優…。
その視点で見ていると気づくことがありました。
レイカの父親もおそらく声優
ソラが出会った子供や、塾の先生も声優
自分たちが魔法を発揮すべき人、
自分たちにハッピーラッキーを届けてくれる人に声優が使われている!!!
声優とファンタジーの世界とが紐付けられていて、
どれみたちの世界観に唯一結びつく、そんな存在には声優 が当て嵌められていたんです。
それ以外にも随所に声優さんがモブとして登場するシーンがありました。
「魔法が使えなくても、日常にハッピーラッキーが溢れてるよ」と、そんな声が聞こえてこんばかりの配役です。
そんな仕掛けも隠された物語を追って、衝突もしながら3人が答えを出すきっかけになるセリフ。
「どれみが人気者だったのは、魔法が使えたからじゃない」
この言葉にこの映画の全てが詰まっていました。
ラストシーン。
3人が辿り着いた答え、その場所に綿毛が3つ舞い降ります。
オープニングでどれみたちをバックに舞いあがった無数の綿毛。
ポスターにも使われた象徴的な言葉。
「ハッピーラッキーみんなに届け。」
それをようやく受け取った3人は、幻か想像か、どれみたちを目撃します。
そんなどれみたちと話しているのは過去の、魔法が使える何にでもなれると信じていた自分たち。
しばらく話していると、どれみたちはまたホウキに跨り飛んでいってしまいます。
でも3人はもう分かっていました。
魔法が使えなきゃハッピーになれないわけじゃない。
魔法が使えなきゃ願いが叶えられないわけじゃない。
この物語を通して、子供の頃に夢見た「魔法」と同等の意味を持つ宝物を3人とも見つけていたんです。
目の前の子供時代の3人は、なんの戸惑いもなくホウキに跨り、どれみたちを先導して夜の空を飛んで行きました。
現実にぶつかった大人にこそ響く、最高の映画をありがとうございました。