「コンテンパラリーダンスにこめられた意味」エンテベ空港の7日間 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
コンテンパラリーダンスにこめられた意味
イスラエルは、おそらく世界で最もコンテンパラリーダンスの盛んな国だ。
イスラエルは、新しい国家ということもあって、この特定の伝統に依らないコンテンパラリーダンスを後押ししているのだ。
床に強く倒れ込む場面について、演出家が言う。
「怪我はつきものだ、怪我を恐れていては、優れたパフォーマンスは出来ない」と。
まるで、争っている限り、人は傷つき、死ぬのだと示唆してるようだ。
軍人の恋人を心配しつつも、自らは怪我の恐れのあるパートを渇望する。
僕達の世界の抱える矛盾と何か共通しているではないか。
大戦後の中東政策でイスラエル建国を認めた西側諸国、
イスラエルのパレスチナ圧政に対して異を唱えながらも、イスラエルの核開発に手を貸すフランス、
ナチの亡霊に怯え、巨額の賠償金を払い続けてもパレスチナ圧政に口出ししないドイツ。
独裁国家を築き東西の狭間で、権力基盤を固めようとしていたアミンは、大量虐殺でも知られる人物だが、この事件のあと失脚し亡命生活となる。
エンドロールの前に流れるコンテンパラリーダンスも秀逸だ。
トレッドミルの上をひたすら走りを続ける長いスカートの女性の手前で、身体をくねらせ世界をかき乱さんとばかりに、足をくるくる回す男性。
お互い交わるところなどないのか。
アイデンティティとは何だろうか。
国家だろうか、民族だろうか、宗教だろうか、理想だろうか、信念だろうか。
作中のコンテンパラリーダンスが答えているように感じる。
まわりで少しずつ自らをさらけ出していく者たちいる一方で、1枚も身につけているものを手放せない自分は、倒れ込み続けるしかないのだ。
アイデンティティとは現在の自分を形作った全てを手放さずに持ち続けることではないのではないか。
色々手放してみて、最後に残ったもの、そう、自分自身がアイデンティティなのではないか。
宗教の価値観も数百年のスパンでは大きく変わってるはずだ。
きっと越えられないようなものはないように思う…が、
現在の世界は、エンドロールの前に流れるコンテンパラリーダンスと同じだ。
あの青い長いドレスを着た女性はどこに向かって走っていたのだろうか。
いや、走っているようで、その場に止まっているだけなのだ。
これが、世界の現状だ。
ラビンもシモンも和平に近付こうとしたが、何も変わらなかった。
プライベート・ウォーで隻眼の戦場記者を演じたロザムンド・パイクが、今度は祖国を離れ理想を求める女性テロリストを演じた。
どちらも命を落とす役だ。
そして、一見、この二人は真逆だが、根底にあるのは似たようなものかもしれないと矛盾を感じ、切ない気持ちになった。