劇場公開日 2019年5月24日

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「なぜ親鸞の言葉を求めずにおれないか」歎異抄をひらく タナ賢さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0なぜ親鸞の言葉を求めずにおれないか

2019年6月13日
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知的

親鸞の教えを求める動機はいろいろあると思いますが、個人的には親鸞の出家の動機でもある“死後どうなるか”という点が最も重要だと思ってます。

仏教の話自体は、人生の暗い部分を見つめなきゃいけないようで毛嫌いしてました。ところが一度自分が溺れて死にかけた時、今まで聞いてきた事の重大さが分かって驚きました。
人生が、本当に言われていた通り、何の前触れもなく一瞬で終わってしまう衝撃と、何より最も恐怖は「まって、今から自分はどこへいくの?!」という不知でした。
今まで自分が誇りにしてきたこととか、気にかけてきたこととか、全部どうでもよくなり、すべての関心がこの一点だけに集中されました。
たった1人で暗黒に突入する焦りと不安は、まだまだ生きてられると思ってた時には想像もしなかったものであり、今まで聞いてきた話は決して恐怖を煽られている訳ではなく、紛れもない事実でした。
映画の中の、いまから処刑される、というシーンのとき、あの瞬間を思い出して、辛くなりました。

暗い部分を忘れてどう好きに生きても結局”自分はやがて死ぬ”こと と“死後どうなるか分からない”というこの2点は絶対に変わらないと思うと、何をしても空虚に思える。そんな自分は、第一章から親鸞の心からの歓喜の言葉に満ち、人生の目的をはっきりと述べられた歎異鈔の言葉を求めずにいられなくなります。また、多くの偉人がこの歎異鈔を賞賛した理由も、まさにここにあると思います。

この映画は、そんな歎異鈔に初めて触れる人目線で描かれているので、どの人が観ても分かりやすいと思います。映画で気軽に、深いことが教えられている歎異鈔に触れることができるのは素晴らしいことだと思います。

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タナ賢