幸福路のチーのレビュー・感想・評価
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幸福はいつも、ここに
見る前の印象は、話はまるで違うが手書きのタッチから台湾版『この世界の片隅に』。
実際見てみると、監督の実体験を基にした子供時代のエピソードがノスタルジーを醸し出し、台湾版『ちびまる子ちゃん』。
でも、それらだけでは無かった。
台湾現代史は興味深く、ヒロインの人生が心の琴線触れ、涙腺刺激される事必至の台湾製秀作アニメーション!
1970年代の台湾。
両親と共に、“幸福路”に引っ越して来た女の子、チー。
この“幸福路”は台北に実際にある町だとか。
何処にでもあるような平凡な町。子供にはちと退屈。
そんな町で、チーは子供時代を過ごす。
肝っ玉のお母さん。
怠け者のお父さん。
平凡だが、優しい両親。
そして、時々訪ねて来るおばあちゃん。
大好きなおばあちゃん。困った時、いつも助けてくれるおばあちゃん。いつも味方になってくれるおばあちゃん。
巫女のような力を持った家族の中でも不思議な存在。
子供は想像力豊か。
チーも想像力豊か。
嬉しい事があると、空想が拡がる。
こちらも大好きな従兄のお兄さんが王子様となって登場したり、アメリカの美味しいチョコを食べた時も、アメリカという国を空想した時も。
嬉しい時だけじゃなく、怖い時も空想が拡がる。
生徒を叱る先生が怪物になったり、大好きなおばあちゃんがニワトリを捌いた時は…。
子供時代の色んな体験。
学校で出来た友達。
アメリカ人の父親と台湾人の母親のハーフ。金髪碧眼の女の子、ベティ。
勉強が苦手な腕白男子。
大好きなアニメ。(ちなみに、『キャンディ・キャンディ』や『ガッチャマン』など我が日本のアニメ!)
下らない台湾人コメディアン。
これら子供時代に絶対ある。万国共通。
腕白男子は父親に勉強より仕事と学校を辞めさせられ、ベティも両親と暮らす為転校。
この退屈な町に残ったのは、自分だけ…。
やがて月日は流れ、チーも成長していき…。
腕白男子と同じく、チーも勉強が苦手。母親が嘆くほど、成績はかなり悪い…。
母親がバイトを増やし、塾に通い、成績は上昇。何と、高~大はエリートコース!
でも、やりたい事が分からない。
そんな時影響を与えたのが、当時の台湾の社会背景。
アジアの近国なのに、台湾の歴史はさっぱり。
戒厳令が敷かれ、母国語が喋れず、北京語しか喋れない。
そんな歴史があったんだ…。
戦時中の日本で言うところの“アカ”。従兄のお兄さんが警察に捕まり、毒入りお茶を飲まされ、色が識別出来ない眼に。
古今東西。民主化運動が盛んになる。
チーは学生デモに参加。民主化や自由を求める運動に傾倒していく。
でも、それだけじゃ食べていけない。子供時代は通り過ぎ、自分もいい大人。
あっさり新聞社に合格。
社会の事をもっとよく知りたい…。
貯金が増えていくのは嬉しいが、働くだけの単調な毎日。
大人って、ただお金を稼ぐだけ…。
ある日再会したのは、子供時代友達だったあの腕白男子。バイクやオートバイの修理店を出し、高層マンションに住んでるほど成功している。
勉強は出来なかったのに、それに比べ私は…。
そんな時、大事件と悲劇が。
1999年、台湾全域を襲った大地震“921地震”。
高層マンションが倒壊し、その死者の中に…。
2001年、アメリカで起きたあのテロ事件。
突然、新聞社がデモの標的に。学生時代、デモに参加していた自分が、今度はデモ“される”側に。
自分の周りで、世界は激しく、目まぐるしく動いていく。
子供時代から退屈だったこの町。嫌いだった町。“幸福”とは程遠いこの町。
この町から出たい。
そしてチーは、子供時代から憧れだったアメリカへ行く事を決意する。
アメリカで出会った優しい男性。
恋に落ち、国際結婚。
つまり、ずっとアメリカで暮らすという事で、そう易々と帰っては来れない。
両親との別れは寂しい。
そして、アメリカに居住を移し…。
キャリアウーマンとして働き、夫は優しいアメリカ人男性。
アメリカ暮らし。
誰もが憧れ、順風満帆の人生!…のように思える。
…一見は。
話の展開は、現在と子供時代が交錯。
引っ越しで、夢溢れていた子供時代。
久し振りの帰郷で、浮かぬ顔の現在。
と言うのも、帰郷の理由が大好きだったおばあちゃんが死去。
それに加え、順風満帆!…かと思いきや、人生に行き詰まり。夫との関係、そしてまだ夫に打ち明けてない事が…。
おばあちゃんの死去と今の自分の人生…それらの事で、現在のチーは序盤から冴えず、意気消沈。
様変わりした町並み。
老いた両親。
長らく帰郷していなかったので、浦島太郎な変化に戸惑う。
そんな中で、思い出すこの町で過ごした子供時代…。
今思えば、今の私より幸福だったかもしれない。
今思えば、あの頃はどんな事も楽しかった。
どんな些細な事も。平凡な事も。ありふれていた事も。
それを教えるかのように、子供時代の自分が、今の自分の前に現れては通り過ぎていく。
もう一人現れるのは、おばあちゃん。
死んでも尚、助言してくれる。
でもそれは、子供時代の優しいものではなく、もっと深い意味を込めたような激励。
お前はもう強く、逞しく生きてるじゃないか。
今の幸福は自分で掴んだんじゃないか。
自分の人生に負ける事なんてない。
帰郷して、嬉しい再会が。
子供時代一番の友達だったベティ。
転校して以来一度も合っていなかったが、それには複雑な家庭の事情が。
子供時代は引っ込み思案だったベティ。
でも、今は…。
元気な2人の子供を育てる母親。母親と共に小さな店も開いている。
聞けば、彼女のこれまでは波乱。
生きる為に、ストリップで働き、妻子ある男性と不倫関係を持ち、自殺を考えた事も…。
それらを乗り越え、今やっと掴んだ幸福。
平凡だけど、穏やかで温かな幸福。
その姿はチーにある影響を与える。
両親もチーの帰郷を温かく迎え入れてくれた。
老いたとは言え、あの頃と変わらない両親。
父はまだ働き、母は家庭を切り盛り。
自分もこんな家庭を持ち、子供を育てられるのか…?
そう、チーは妊娠していた。
これが夫との関係不和の理由。
子供が欲しい自分と、どうやら子供が要らないような夫。
その狭間で苦悩していたが、この町に戻って、“母親”や“家族”に触れて、ある決断をする…。
舞台は台湾。台湾の現代史も絡む。だからと言って、敬遠する理由は何処にも無い。
“あの頃の自分”はどの国も同じ。
生き方に悩む。
家族や普遍的な営み。
幸福の在り方は、どの国も誰だって共感。
本当に最初から最後まで、この作品の隅々まで、心満たされた。
公開は昨年。ミニシアターではなく、全国公開で昨年中に観ていたら、間違いなく昨年のアニメ映画ダントツのBEST1! …いや、年間BESTにも入っていただろう。
幸福って…?
人それぞれ。
金持ちになる事、成功を収める事。
だが、誰もがそうはなれない。
幸福って、掴めるようで掴めない。
でも、誰もが掴める幸福もある。
寅さんの台詞じゃないが、誰だって生きてると、幸福を感じる事がある。
人によっては他愛ないものかもしれない。
が、自分にとっては、優しく、温かく、心を身を包み込んで満たしてくれるような、幸福。
人生、辛い事、悲しい事も沢山ある。
それと同じくらい…いや、帳消しにしてくれるくらいの、溢れる幸福。
自分の身の回りや心の中…。
幸福はいつも、ここに。
とてもよかった
台湾からアメリカに留学する人はたくさんいるのか分からないが、特に著名でもない一般女性の人生の物語で、国際結婚の破局で心が揺れる。ご両親がご健在でよかった。もうちょっとドラマとして仕掛けがあってもよさそうな感じはしたのだが、そうしたら全然別のものになってしまうかもしれない。
僕はちょうど90年代の終わりごろの台湾は毎年訪れていたので、自由化した直後の雰囲気は見覚えがある。すっごく楽しかった。久しぶりに行ってみたい。
この世界の片隅はここにもありました。ある少女の物語 in 台湾です。
予告を見たときから気になっていた作品です。
台湾のアニメ作品は、あまり見た記憶がありません。
ようやく観ることができました。
主人公チー。台湾で育った女の子。
祖母が亡くなり、アメリカから帰国。
久しぶりの故郷で出会う、家族や古い友人たち。
昔のことを思い出しながら
これからのことに思い悩む。
小さなチーを力づけてくれた祖母。
大人になった今、そして亡くなったはずの今も
チーを励ましに現れる。
☆
普通の女の子 の 普通の人生
「この世界の片隅」は、台湾にもありました。
「おもひでぽろぽろ」 を見ているような
そんな気分にもなりました。
ノスタルジー感の漂う良い作品でした。
いま、身近にチーがいたら
きっと応援したくなる
そんな気がします。
☆
チーのおばあさん
とても良い味を出していました。
昔の日本にも、このようなおばあさん
沢山居たような気がします。
ガッチャマン
台湾でも放送していたのかと思って調べてみたら
1977年に放送していたのですね。
タイトルが「科學小飛俠」
科学のピーターパン という意味らしい ふむふむ。
雰囲気はなんとなく。
エンディング曲
歌っているのはジョリン・ツァイさんという台湾の女性歌手。
いい曲でした。
もう一度聞きたくなりました。
余談です
この作品とは全く関係ないのですが
帰宅途中、↓ このフレーズが脳内でリフレイン。
「倒れたら立ち上がり 前よりも強くなれ ♪」
※宇宙刑事シャリバン 「強さは愛だ」 詞:山川啓介
人生の応援歌みたいで 好きな曲です。
頑張れチーちゃん。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
人生に間違いなどない
台湾の「幸福路」という小さな街で育ったチーは、いまはアメリカで結婚して暮らしている。
そのチーに台湾から祖母の訃報が届く。
祖母のお葬式に参列するために故郷の街に帰った彼女は、家族や懐かしい友人に再会しながら、これまでの人生を振り返っていく。
なんだか「おもひでぽろぽろ」を思い起こさせるが、ここに戒厳令からの解放、激しい市民運動などがあった戦後の台湾史が重なる。
チーは夫との第一子を妊娠しているが、実は離婚を考えていた。
ところが、彼女は離婚のことも妊娠のことも両親に話せずにいる。
思い悩むチーに関わる家族や友人たちは、ときにはチーを苛立たせたり迷惑をかけたりする。
でも、それらすべては彼女への優しさからきている。
もちろん、だからこそ、ややこしさもあるのだけれど。
登場人物たちの優しさに触れ、観ているこっちも途中から泣きっぱなしになる。
チーは「私の人生は、どこで間違ったんだろう」と呟く。
子どもを作ったほうがいい。
女性でも仕事で活躍したほうがいい。
離婚はよくない。子どもがいれば危機を乗り越えられる。
夢を追ってチャレンジすべき。
現実を見ろ、お金がなければ生活は苦しい。
これ、全部、正しいし、間違っている。
そう、人生に正解も間違いもないのだ。
少なくとも生きているうちは。
何度も差し挟まれる過去の回想シーンがあるが、いくら過去をたどったところで、過ちなど見つかるわけはない。
こうして本作はチーの人生を肯定していく。たが、本作のメッセージは強い。ゆえに普遍性を持つ。だから観る者は、チーを応援しながらも、観る者自身の人生が肯定されていくのを感じるのだ。
本作は全編が絵本のような優しいタッチの絵柄なのが特徴的。
本作はチーの過去の回想や想像世界を行ったり来たりするのだが、この絵柄は、こうした要素を相対化させ、うまい具合に混ぜ合わせるのに効果的だと思う。
傑作。
特に大人の方にオススメです。
女性監督の時代
早すぎる「自叙伝」、であろうか。
半分くらいは監督の実体験が元になっているという。
現在と過去のフラッシュバックが入り乱れて描かれ、過去が現在に追いついたところで、映画が終わる構成となっている。
話は全然違うが、最近観た映画「レセプショニスト」も台湾出身の女性監督の作品であり、最終的には故郷に帰って再起をはかる女性の物語という点は共通している。
第一印象は、なんという悪趣味な色使いか、ということだった。
煙は赤やピンク色だし、影が黒色であった例はない。
明度の高い、様々な色調のパステルカラーが、ゴチャゴチャに入り乱れている。
意図はともかく、結果的に「幸福路」という奇妙な地名と釣り合った、“異空間”が表現されている。
主人公は、台湾原住民の中で一番多いという「アミ族」出身の祖母をもつクォーター。
ビンロウを噛み、鶏を殺す“野蛮”な祖母が、主人公は大好きだ。
(とはいえ、この件がトラウマになったのか、冒頭で鶏肉アレルギーを示唆するシーンがあったと記憶する。)
主人公は、鶏に乗って空を飛ぶ、この祖母の亡霊のアドバイスだから、“ということにして”、“心の目”の命ずるままに生きていく。
興味を引いた点が2つある。
1つは、“かわいい”という、欧米人には伝わり難いと思われる感覚が、日本と台湾で共通しているらしいことだ。
絵柄そのものがそうだし、全体としても、感覚的にシームレスに“通じる”ものがある。
日本の漫画やアニメの影響が、もしかしたら今日では、すでに“彼ら自身の文化”として、血肉化されているのではと推測された(ただし、監督は京都大学でも学んだそうだ)。
もう1つは、台湾現代史が垣間見える部分で、少しだが歴史の勉強をさせてもらった。
「蒋介石」が死んだ時に生まれ(1975)、「蒋経国」の葬式(1988)の時には中学生。
小学校では、“台湾語”が禁じられ(罰金になる)、下品とされる。
「戒厳令」が解除されて(1987)、台湾は自由化・民主化へ向かう。
“医者になれ”という親の説得を拒否して、文学・哲学の道に進んで、大学ではデモに明け暮れる。
独立派の「陳水扁」が当選(2000)した頃に、大学を卒業してメディア会社に勤め、“金を稼ぐ機械”と化す。
「921大地震」(1999)で、バイク店の友人を失う。
「9.11」(2001)が起き、「陳水扁」が“疑惑”の再選(2004)を果たした頃にアメリカに渡る。
親中派の「馬英九」が当選(2008)(母は大喜び?)。
結婚するが、子供を持つことに消極的な夫に失望。祖母の葬式をきっかけに台湾に戻り、妊娠を知りながら、離婚を決意する。
そして、学生が「立法院を占拠」(2014)した頃、映画は終わる。
“総統”の入れ替わりが、時代を画するものとして機能しているのは面白い。
なお、よく見ると、時系列や時間間隔は、必ずしも厳密には作られていないように思われる。
その他、いろいろと盛りだくさんの作品である。
何度も、“絵本”風の幻想が入り込み、ヒーローが現れたり、小学校の先生は怪獣に変化する。
父や母の描写が非常に多く、「チー一家の物語」と言っていいほどだ。台湾帰国後の、母の逮捕や衰えの描写は、胸に迫るものがある。
また、金髪・碧眼のベティとの交流を通して、多面的な視点も取り入れている。
(女性ではないので)自分には正直なところ、いろいろ勉強になったものの、特に面白い話でも、感動的な話でもなかった。
ただ、過不足なく「自叙伝」を描き切ったというのは、並大抵のことではないと思う。
ベトナム映画「第三夫人と髪飾り」といい、これから先、アジアは“女性監督の時代”なのかもしれない。
ぜひ成功してほしい!
映画の冒頭から何がどうなっているのか皆目見当がつかず、そして、あからさまにデフォルメをされたようなアニメを意図的に見せつけられている感覚になったが.....? なんだ?一体これは....?
この映画の監督に対して、謝らなければならない自分がいることを言っておきたい。いつもは、自身でも解説など頼らずに、映画を見るのだが、今回に限って、一見してデフォルメされたような画風のアニメなところや、またこの映画の内容が、"子ども時代の懐かしい思い出を振り返りながら"という部分から早合点してしまい、スタジオジブリ製作、高畑勲監督の映画「おもひでぽろぽろ(1991)」の亜流だと思い込んでしまっていた。失礼なことをしたと思う。
Granny is a savage.........?
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It says in our textbook...the aboriginals from Alishan chop people's head off.
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Kiddo, listen to me...people can call us whatever they want
-savages or aboriginals
To survive, we need to eat Since this chicken was sacrificed to feed us.
We must eat it without wasting.
That's the way we show our respect to it.
最近では、ミレニアムを過ぎた頃より、よくマスコミでも取り上げられる日本人の"孤食”の問題。それが心がまだ成長過程の子供からするともっと問題になる。子供の時は、分からなかった食物の大切さをチーのおばあちゃんは、分かりやすく説明し、その言葉は厳しく響く。"残しちゃだめよ!”
最初に違和感があった映像でも見ていくうちに、分かりにくいとされる"Nonlinear narrative”形式のシナリオがちーちゃんの成長とともにアットホームな日常を描いている中に台湾で起こった事件や騒動、また震災などの台湾人では決して見逃すことのできない歴史的事実を踏まえながら進行していくにもかかわらず、お隣の国なのに個人的に台湾の歴史をあまり知らない者でもサックと観ることが出来た。
I wish I weren't related to Chen Shui-bian at all.
陳 水扁(ちん すいへん)の娘とされる女の子のセリフなんかも出てくるけれども、一見政治色があるのかなと思われるが、これも監督の避けてはいけないものかもしれない。ちーちゃんも蒋介石がなくなった、その日に産声を上げる設定で、ソン・シンイン監督は前年の1974年に生まれているので、ちょうど彼女と同じ年を重ねて投影しているように作られているのかもしれない。それとは別にちーちゃんが、よく見る夢の中には、有名な映画のワンシーンや監督自身が日本にいた経験からか、日本のアニメのヒーローにちーちゃんが変身をしている日本アニメにオマージュしているところも見どころとなっている。
約130年の歴史を持つアメリカの日刊紙、Los Angeles Times。その記者が言うには、「視聴者が映画の多様性の向上を求めているとき、映画「幸福路のチー」は、有望な新しい女性の代弁者としてアニメーションンでその入り口を示している。」しかし、2019年の3月のキックオフイベントで監督が、50代以上の男の人が涙する映画として質問に答えて、監督自身も市場調査などからこの映画の特質も考えて、女性を対象にする映画だと思っていたが、50歳を過ぎた男性たちから、"今まで歩んだ人生を肯定してくれた。""また自分の人生の一部がある"という発言から共感を得られたと述べている。
Can we really see things with our hearts ?
But the eyes in my heart seem to be clouded.
Growing up means more things..........
いつの間にか、涙する自分に気がつく。
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