「新たにレッテルを貼るための映画」主戦場 武島さんの映画レビュー(感想・評価)
新たにレッテルを貼るための映画
デザキ氏は、おそらく、日系アメリカ人が受けた差別と、旧併合地域である朝鮮半島の人たちとを重ねてみていると思う。
出発点から、彼の意識は、日本人の側ではなく、差別されてきた人という意識の中にあって、自分たちの体験と同一視した先入観ありきで作った映画だと思う
彼は客観的第三者の視点でというような事をいっているけれど、それは全くの嘘だと思う。先入観ありきの映画
もし第三者で客観的に公平に両論を聞いて作ったとすれば、一番最初に、歴史修正主義者である。というレッテルを貼って映画が始まるのは、不自然だし。冒頭で、結論を言って、この人たちは、歴史修正主義者であると、宣言して、見る人の生き氏を誘導している
ここからして第三者の客観的な立場で話を聞いたという姿勢はないという事がわかる
そして、物語の進み方も実に公平ではない。毎回、否定派の話のあとに、活動家やいわゆる”良心的”知識人と言われる、左翼知識人などの話を上からかぶせる。
最初に話た内容を、必ず、”良心的”知識人や活動家が否定して終わるというスタイルで話が進む。全く公平さはない。
みる人がうける印象をそうやって誘導している
ちなみに、レッテルを貼られた、慰安婦の強制連行否定派の人たちも脇ががら空きで、何を言っているのだろうか?と呆れることは言っている。
ただ、この問題は、この人たちで代表されては困る話で、きちんとアジア基金や、韓国のニューライト財団系の韓国人知識人、日本の慰安婦研究者のうち、”良心的”知識人の案に、異論をのべてきた反対側の知識人に話を聞いていないという、致命的な欠陥映画だった。
日韓の和解を前提に、苦言をていしてきた、韓国の知識人である朴裕河さんが唯一登場しているけれど、その扱いも酷い。
朴裕河さんの主張を部分的に切り取ったあげく、朴裕河さんの本をまともに読んでさえいないような、韓国の活動家の意見を、上からかぶせるという編集をしている。
唯一、慰安婦問題で、何がこじれているのかで登場したのが朴裕河さんだけだったという。低レベルな取材力
アジア基金に話もきかず、ニューライト財団に話もきかず、慰安婦問題の葛藤の何がわかるというのだろうか?????
この監督は慰安婦問題がなぜこじれているのかを知りたかったのではなく、おそらく、日本側で、目立った活動をするともすれば韓国の活動に感情的に反応して反発して、エスカレート気味に語ってしまう事がある人たちだけを、スケープゴートに切り取りして、日韓の本当に横たわる、この問題の本質や葛藤を矮小化してみせた。
一部の人たちだけ切りとりして矮小化して、日本側の反対意見をこの人たちがすべてかのように全体化して、改めてレッテルを貼って、ネガティブキャンペーンをやったのと同じだ。
ほんとうに慰安婦問題の葛藤を描くつもりがあったのなら、こんなくだらない切り取りはしなかったはずだ。
また、映画の中で、彼は、アメリカ政府は、日系人強制収容問題を謝ったと、インサートした。しかし、本質的にずれているのが、慰安婦問題について、日本に何かいいたいのなら、日系人強制収容所問題ではなく、そのものずばり、アメリカ軍が利用してきた、在韓米軍慰安婦の訴えについてどう向き合ってきたかを取り上げるべきだし、RAAや、ベトナム戦争時のキャンプフォロワー、世界各国のアメリカ軍向け売春施設の被害者にどう向き合ったかを描くべきだった。
日系人強制収容所問題を謝ったなどというのは、詭弁だ。全く違う題材をもってきて話をすり替えている。
映画の中で繰り返し主張していた、強制性については、在韓米軍慰安婦にも、朝鮮戦争慰安婦にも、RAA日本人慰安婦にも、ベトナムキャンプフォロワーの売春婦にも、すべてに当てはまる条件であり、それに向き合わないでいるアメリカについて彼は一言も映画で向き合っておらず、同様に、韓国も同じ人権問題であるにもかかわらず向き合ってこなかったことについては、一切触れていない
あげく、後半、なんだこの映画は、と思ったのが、アベガー、安倍一味がー、日本会議がーと、安倍政権および日本会議陰謀論をおどろおどろしく語るという意味不明な、政治的イデオロギー洗脳映画になっていた。
慰安婦問題はどこへ行ったのかという展開に呆れたし、陰謀論も、通り一遍すぎて、軽薄な内容だった
結論として、ああ、この人は、従来の古いタイプの日本人左翼と同じ考えかたがあって、きめつけて映画を作ったんだなと言う事です
ということで、お金をだしてみる価値があるとは思えません
この映画をみるくらいなら、アジア基金のHPや、賛否両論の本を図書館でも借りれるから自分で読んで考えた方が
1000000万倍ましです。
この映画は、左翼プロパガンダといってもいい、偏向思想でつくられた映画だと思います。