「粗を塗りつぶすような、洗練された人間ドラマ」ゲキ×シネ「髑髏城の七人」Season鳥 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
粗を塗りつぶすような、洗練された人間ドラマ
初演は間に合わず、再演はVHSが擦り切れるほど、そしてアカとアオは生で拝見できたもののの消化不良、
そしてワカドクロは絶賛した者です
このアラウンドシアターのシリーズは、「極」を数年前にゲキ×シネで拝見したものの、
あぁもう自分としては新感線は卒業かなぁと感じてしまったのですが、
この「鳥」を特に拝見しようと思ったのは、阿部サダヲの予告編の決め台詞がとても良かったからですね
結論からすると、粗はあるものの、とても良かったです。元気を貰いました
まず、そもそもこの「髑髏城」という脚本は一幕にかなりの構成の不備があり、
設定自体が複雑なうえ、主要な登場人物が多く、
それをキャストに併せてアレンジしたところ、この「鳥」バージョンは更に更にロースタートになっています
これも台本上の粗だと思っているのですが、特に捨之介のキャラクターが難しいんですよね
元より、設定と境遇は描かれるものの、本人の人間性は極めて希薄な役どころなのですね
最初の古田捨之介から一貫して、役者そのものがキャラクターとなっている座長芝居のような構成なのですね
今回は 時代に併せて女衒の忘八稼業という設定はなくなり、演技で痴者を演じているという形になりました
これでも事件の後、捨之介が底辺に身を落としたという説明にはなるんですが、
八つの仁義を失うほどの心の傷を負いながら関東まで流れ着いてきたという、現在の捨之介の説明にはなっていないんですね
そして小説版を意識してか、沙霧との絆と浅いラブロマンスが要所に語られます
これは逆に言うと、そこを描かないと、捨之介というキャラクターが一切なくなってしまうんですね
設定と過去の重荷はあるものの、それを引きずっての現在性がとても薄いままになってしまう
阿部サダヲも演じるのを苦労したでしょう、そんなスタートです
捨之介でいうと、覚醒すると忍びの技を使う設定改変は、「草」「地」としての役割に合致するため、とても良かったですね もう少し強調しても良かった
先に言及してしまいますが、最終の殺陣の仕掛けは、台本上はとても面白くなっているものの、見栄えとしては、かなりわかりづらく
映画だから理解できたものの、これが舞台だと思うと、かなり地味でわかりにくい逆転劇となっていたため、
たとえば阿部捨之介お得意の、派手な火薬術を併用してくれたら良かったと思います
髑髏城への殴り込みも、今回も大夫の火器が地味になっていたため、
彼が残した火薬武器を併用するなどすると、よりド派手でカッコよい殴り込みになった気がします
序盤は、右近氏や粟根氏の嬉し懐かし安心感ある感じで出迎えてくれますが、これも特にアップデートされた感じはありません
劇団新感線の課題は大きくはここですよね
スターシステムを劇団員が支える仕組みで、ここ30年ほど成功しておりますが
劇団員の新しい一面は 拝見できたためしがありません
それは完成されているという事でもあるのですが、今からでも、新たな劇団員の一面を見たいものです
序盤に話を戻すと、原作の脚本のまま、整理されない一幕は、とにかく人物関係や設定がガチャガチャしており
知っている人にはわかるものの、随所のブラッシュアップを挟みながらも、詰め込み過ぎないつも通りの髑髏城だなぁとなります
ここ、もう少しリメイクの度に、メスの入れどころがないのかなぁとモヤっとします
遊郭のムーランルージュデザインは面白く拝見しました。ただ、無界の里がやはり唐突なので、
たとえば映像でもよいので、ドローン撮影的な、なにもない関東平野に突如現れる明るい遊郭といった、
後の吉原のようなビジュアルが見えると良いのになぁと感じました
あと些細なことですが、映像作家さんの特徴なのか、屋根のひさしの瓦の上にすぐ2階の床があるような、変なグラフィックなんですね
無界の郷もそうですし、髑髏城もそうなのですが、表現したい事はわかるのですが、もう少し、なんというか、日本家屋的な(些細なことなので以下略
少し流れが変わるのは、贋鉄斎が登場してからですね
いつも以上にひどくてずるいですね、池田成志は。あの圧倒的な台詞術の技術を、本当にしょうもない事に費やす
彼のキャリアにとっての息抜きであり、本分なのでしょうかね、新感線は。生き生きと伸び伸びとされてらっしゃいました
相方の阿部サダヲも楽しそうです
生収録を愉しんでいるのはベテランの特権ですね、さすがに爆笑いただきました
森山未來は怪演ですが、まぁ持芸のうちというか、とにかく背が低いw しかし、そのリーチの短さを活かした殺陣と所作はとても良かったですね
相方の早乙女太一はホストのようなビジュアルで、適材適所というか、こちらもまぁ あくまで本人の得手の範囲なのですが、
森山未來との耽美な世界観は引き込まれるものがありましたし、
最期の際の、呼吸しない速さの殺陣の殺意は流石でしたね、これまでのキャリアのベストアクトなのではないでしょうか、圧巻でした
極楽太夫はとても難しい役どころで、結局彼女も、設定と生い立ちがあるだけで、現在の彼女のキャラクターというのはとても希薄な役なのですね
演じる女優次第、といえば聞こえは良いものの、松雪泰子の持つ気風の良いドスと儚げな悲劇性も、あくまで本人の持ち味の範疇でしかなく、
再演の高田聖子のような「花魁の着物を脱ぐとノリノリなおねえちゃんになる」といった、彼女の新たな一面の魅力が描かれなかったのは残念です
感情面を丁寧にトレースすると、松雪大夫の演技は台本上、とても正しいのですが
兵庫がそこで惚れ直す流れがなかった事が、終幕での歪な流れに繋がります
橋本兵庫の流れを継承したような、今回の福田兵庫はとても良くて、演技面では何度も涙を誘いました
愚直なまでに直球の演技が良いのですね、不器用なのに軽やかで愛嬌がある はまり役でした
ただ一方、殺陣は苦手なようで、肝心の鎌アクションでは効果音ばかりで、なにがどうなっているのか、さっぱりわからない内容となっていました
これは最大の盛場である百人斬りに繋がるのですが、個人的には、ワカドクロのときの演出が高評価で、
物語上、後半失速しがちな兵庫に与えられた見せ場が、今回は、池田成志と団体戦に託される形になりました
これは新しい形であると同時に、このホンをやる上で、是非こなさねばならないタスクを消化試合で逃げたような、
ちょっとモヤっとした展開になっていました。阿部サダヲも身体は良く動くものの、
座長芝居にありがちな、捌く殺陣は得意なものの、自らが動く殺陣はそこまで得意ではなさそうで、
これは致し方ない要素を、団体戦で補った形であり、悪くはありませんが
大向こうを掛けたくなるような、そんなキレの良い見せ場ではなくなっておりました
話を兵庫に戻すと、俳優の年齢に即して、兄弟が親子設定になっていましたが、それもそれ以上の理由はなく、
特に親子として描きたかった内容がなかったのも残念でした
しかし福田転球氏は関西ではいぶし銀のような俳優で、あぁもうこのようなお歳でしたかという衝撃と
よく動く身体と、そして何より、やはり直球の演技がとても良いのですね
子分に対する演技、大夫に対する演技、息子に対する演技、そのどれもがとても良いのです
終幕の家康も、過去作では少しわかりにくかった「首」の展開が、これは本来の台本にある、
捨之介と天魔王が同じ俳優が演じないといった課題を
このように違う形の見せ場を用意したのは理解できるのですが、そこから、金の件につながる流れが唐突で、継ぎ接ぎの粗を感じました。
大夫を金で買う買わないが描かれないのも、昨今の価値観に合わせた表現なのでしょうが、
終幕の、大金を各々が どう扱うかといった、物語上の余韻に繋がる最後の流れに
水を差してしまっているのは、やはり勿体ないと感じました
話を少し戻しますが、
髑髏城へ七人が駆け上ってゆくクライマックスへのスケッチも、各階に配置された四天王や配下を登りながら撃破してゆくという
少年ジャンプ的な展開が痛快なのですが、アラウンドシアターとは相性が悪いのか、
「登ってゆく」という表現にならないのは、やはり残念に感じました
総じて粗ばかり述べてしまいましたが、ただ、相当に面白く、今までの髑髏城よりも
感情面で何度も涙したのは間違いなく、
特に今まで感じなかった裏切り者である渡京の背負った設定が、まるで捨之介と重なり、
それだけでなく、この物語に登場するほぼすべての人物が背負っている
「かつての最盛期を苦い経験で乗り越えてきた人々の達した諦めと人生のセカンドステージ」、
それまで己のすべてだった大切な価値観を捨てた後の人々が、更にこの困難を どう乗り越えてゆくかという
物語性が今まで以上に際立った風に見えたのは、表現側の手腕が洗練されたのか、鑑賞するこちらの目が
ようやく同じ目線に立てるようになったのか、そのどちらもなのかと思いました
とても良かったです
ありがとう