ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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ネタバレ知った上で見ても不快な気持ちに。
なぜドラクエ制作側がOKしたのか意味がわかりません。最後の問題のシーン。要らないです。
「大人になれ」の発言が賛否ありましたが、
それだけではなく、あのクソみたいなウイルスが
結構ベラベラとフィクションに対して
熱烈に批判的な暴言を吐いてくる。
あれは、地獄。
そこからハイっ!元通りー!
と言われても。
私はポカーンでしたよ。
あんなチープすぎるVRブース痛々しさしかない。
一気に世界をぶち壊し、映画自体を
自らスモールスケールに展開したとさえ感じます。
わざわざ「ユアストーリー」とか
言われなくても、
視聴者はじぶんごと化してますよ。
そんなに頭悪くないですよ。
余計な説明、暴論は雑音でしかない。
だったら、最初のはしょりを長尺で
できただろ。
人の気持ちを馬鹿にしてます。
フィクションでフィクションを馬鹿にして
何がたのしいのでしょうか。
明らかに大人へ向けた馬鹿にした映画です。
子供に絶対みせてはならない。
あれを面白いと思ってしまった制作陣、
許してしまった人、意味がわかりません。
誰かストップをかける人はいなかったのか?
膨大な金の無駄遣い。
大好きな作品がゆえ、自然に涙が
こぼれるシーンもありましたが、
最後で台無し。
スラリんも可哀想。なんだあの扱い。
ため息しかでない。
唯一よかったのは、鳥山明先生の作画では
なかったこと。
この話にのらなかったこと。
そうだと感じました。
ネタバレ含みます。
なかなかに酷評が多く期待しないで見に行ったら、ミルドラース(?)が主人公に真実を告げてからの回想シーンにすごく共感しました。
何故、名前が「リュケイロム」ではなく「リュカ」なのか。小説を読んだ事のある人なら映画の主人公に共感できるかな?と思います。
ゲームを始める前にキャラクター名を何にしますか?と聞かれて、本名は「リュケイロム」で愛称は「リュカ」にはしないでしょう。主人公が昔遊んでいたドラクエ5の世界をVR体験できるからこそ「リュカ」なのでしょう。
私も小説を読んだ後にドラクエ5をプレイした時はキャラクター名を「リュカ」にしましたね。もしドラクエ5の世界をVR体験できるならキャラクター名は「リュカ」にします。
この作品は昔を思い出し懐かしい気持ちにさせてくれる素晴らしい映画だと思いますが、純粋に「ドラクエ5」として映画を楽しみにしていた人からしたらVR世界という設定は裏切られたと感じるでしょう。是非、三部作くらいで原作に忠実な映像も見て見たいと思います。
最後に不満があるとれば息子の名前が「ティミー」 でないのが残念でした。
子供か大人かターゲットが判らない
小学五年の子供が最近ドラクエのカードゲームにハマって見に行きたいと言うので行ったのですが、自分は5は中学でプレイしてたので懐かしさから、それなりに楽しく見れてましたが、最後で全て台無しになりました。子供的にはラスボス倒して終わりが良かった様で、何処の層がターゲットか全然分かりません。 子供的には冒険劇で良かったようです。 帰りにどうだった?と聞いたら何でミルドラース出てこなかったの?と落ち込んでました。
何人かの方も言ってますが、ドラクエと言う冠を使わないオリジナルの話なら、あー!ってなったかもしれませんね。
子供が行きたいと言って行こうと思ってる人がいたら、正直おススメ出来ません。
そんなオチは求めてない。
激しくネタバレします。
まず最初に、私はドラクエ5が大好きです。
今までプレイしたゲームの中でNo1だと思ってる。
さて、そんな私にとってですが、めっちゃよかった!
好きなキャラクターがしゃべって動いている。そりゃ最高ですよ。
パパスが死んだシーンでは泣いたし、結婚のシーンでも泣いたし、マーサが死んだシーンでも泣いた。
PS2でのリメイクでも泣いたんだから映画で泣かないわけがない。
そりゃ不満点だってあるさ。
話の導入がスーファミのゲーム画面だったり、少年時代のビアンカとの冒険がゲーム画面のダイジェスト(にすらなってなかったけど)だったり、ヘンリーの性格だったり、マリアが出てこなかったり、奴隷から解放された後のラインハット騒動がそもそもなかったり、大人ビアンカが突然出てきたり、娘がいなかったり、グランバニアが国自体出てこなかったりetc…
でもそんなのは些細な問題だ。
映画の尺の都合もあるし、ある程度は仕方ないと思って見に行ったから、全然問題ない。(ただネタバレは一切見ずに行きました。)
主人公がドジ踏んでるシーンで笑ったし、戦闘シーンも迫力あってすごくよかった!
いやぁ面白いなぁ、と思って観てました。
ゲマを倒すまでは。
なんですか?あの後出てきたヤツ。
何?ゲーム落ちって…
元々がゲームだからって、「ここはゲームの世界です」はないだろ!?
ショックすぎてその辺の会話が耳に入ってこなかったし、そいつを倒してもテンション一切上がらず。。。
もはやエンディングもどうでもよかった。
終わりよければ全てよし、って言うけど、終わりが悪かったらすべてブチ壊しなんだな、というのを身をもって思い知らされました。
返せよ、俺のワクワクを…
あなたは『勇者』になれましたか?
知恵と勇気で絶望に打ち勝つのが『勇者』なのだと、リアリティを持って伝えてくれた、とても熱いメッセージの込められた映画でした。
映画鑑賞後、様々な考察や賛否両論の感想を楽しく拝読する中で「最初から『この映画はドラクエプレイヤーの物語です』と広報してくれたら良かった」との一文があり、これを読んでようやくこの作品の一つの意図に気付きました。
最初からドラクエそのものではなく、ドラクエプレイヤーの物語であると知っていたら、問題とされているラストの展開による主人公の驚愕や絶望を、他人事のように感じていたと思います。それではダメだったんです。
同一視した主人公の絶望を自分の事のように感じ、それを乗り越える事で観客自身が『勇者』となるように導く、というのが一つの目的だったように思います。
これはただストーリーのみをなぞるような気の抜けた映画より、原作であるゲームの「プレイヤー自身が勇者である」という姿勢、真髄へのリスペクトに溢れた、粋な試みではないでしょうか。
お客様気分で安全圏にいる観客に『物質的・客観的な事実』という『幻』を見せ惑わす魔王。
突然絶望の淵に立たされた観客は、その事実を見据えた上で「キャラクター達やドラクエの世界は自分の心の中で魂を持って生きている」と知恵と勇気を持って信じ、魔王に打ち勝たなければ、選ばれし『勇者』にはなれません。
この構成は、非常に見事にドラクエの勇者観を再現していました。実に王道の勇者物語です。
キャラクター達が、少なくともこの『映画ユアストーリーの主人公』の心の中で、魂や心、自我を持って生きている、というのは、主人公自身が掛けた自己暗示プログラムを、占いババに扮したフローラがごく自然に覆した事で、象徴的に表現されています。
私はこの優しく、親切に描かれたフローラと映画製作者の好意的行為に甘え、他にも様々に施された演出を無い『知恵』絞って読み解き、映画の表現を受け入れる事でユアストーリーの主人公と同じように、自分の心の中でも、ドラクエのキャラクター達や世界、「主人公達は平和を取り戻し、末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし」のストーリーが「魂を持って生きている」と、『勇気』を持って信じる事が出来ました。そして「もしかしたら全部死んでいる、ハリボテで作り物の偽物なのかもしれない」という魔王が与えた絶望を倒し、選ばれし『勇者』になれたのだ。と、ゲームクリア後の勝利感に酔っている所です。
いやー、してやられましたね。面白い作りの映画兼ゲームでした。3日間ぶっ続けでプレイしちゃいました。まあこの読み解き方も数多ある解釈の内の一つに過ぎませんが、こういう仕掛けだったのではないかと想像したら、私はドラクエユアストーリーを、より楽しめました。
あなたは『勇者』になれましたか?
山崎貴の次回のルパンの映画にも期待
皆様がレビューしている通り、最後の最後がとんでもなくダメな展開でした。観ている人、当時プレーしていた人を裏切る行為です。少なくともドラクエでわざわざやる必要は無かったと思います。
でも、
ここまできたら「大人になれよ」っていうくだりを、今度公開される山崎貴のルパン三世でもやって欲しいです。笑
一人で観に行くと心が折れるので、みんなで観に行くといいです。
ネタバレ知った上で観てきました。
40代のドラクエで育ったおっさんです。1からⅩ迄は発売後すぐにプレイしてきましたが、リメイク版とかはしたことないのでⅤの物語も20年以上前の記憶しかなく、そういえばそんな感じだったかなと懐かしく感動しながら見ました。
今回の映画化で息子(もう成人)と一緒に行こうと声をかけるが評価よくないしとあまり乗り気ではなかったので自分でレビューをみてネタバレを知った上で迷いましたが一人で行ってきました。
結果行ってよかったなと思ったんで初レビューです。確かに問題の場面でのダメージは有りますが自分としては映画館でドラクエのBGMが大音量で流れてⅤのストーリーが進行していくだけで、何度も涙しました。少数かもしれませんが自分のように正直Ⅴの細かいところはもう覚えてないし気にしない。そしてネタバレの耐性があるよって人にはおすすめです。
なんて不粋な創造力讃歌
僕はわりとテレビゲームをプレイするが、RPGは昔から
苦手で、『ドラゴンクエストV』(以下『ドラクエV』)
は近所の兄ちゃんのプレイを横でぽへ~っと眺めていた
記憶しかない。せいぜい「話の筋にかすかに聞き覚えは
ある」という程度の人間なのだが、本サイトや会社の
同僚等々から伝え聞く評判がすこぶる荒れ気味なので、
「逆に知識の薄い人間が観るとどうなるんだろ」
という妙な興味が湧いてきて鑑賞。
(こういうのを炎上商法と呼ぶのだろうか)
感想を最初にまとめてしまおうか。
「日本の3DCGアニメも結構やるね!」という
技術面での賞賛を跡形もなく吹き飛ばすレベルで、
シナリオ運びとテーマの訴え方が不粋だと感じた。
先述通り僕は原典に対して思い入れが深い訳では
ないが、これをもし自分の好きな物語でやられたら
たまったもんじゃないだろう。
...
とはいえまずは気に入った点を書く。
CGはさすが日本VFX界の雄・白組。ピクサーほどの
繊細さを要求するのはさすがに酷だと思うが十分に
イケてるレベルと思うし、日本のCGの進歩を感じた。
また、前半はさておき後半から終盤にかけては
盛り上がる場面もある。2人のヒロインはどちらも
健気で魅力的だったし、クライマックスの戦闘シーン
はなかなかの迫力。邦画CG映画でよくぞここまで。
だが、それ以外は正直……。
...
まず前半は、『これで後半盛り上がるの?』と心配
になるほどに無味乾燥だ。世界観もキャラの背景も
ドラマも、ダイジェストのような流れとドット文字
の説明だけでチャッチャと済ましてしまう。
例えば連続ドラマなどで“前回のあらすじ“だけ見て
感動したりエキサイトできる人は少ないと思うが、
本作はいわば前半まるまる“前回のあらすじ”である。
キャラクターや世界観への感情移入が薄いまま、
散文的に挟み込まれるアクションシーンだけで
どうやって気持ちを盛り上げろというのか?
英雄のように慕う父親が仇敵に殺される流れまでも
ダイジェストのように処理したのには唖然としたし、
主人公が冒険を通して成長する流れをまたしても
ダイジェストのように処理した所には辟易した。
...
もうこれ『ダイ(ジェスト)の大冒険』に改題
した方がいいんじゃないかと考え出したところで
2人のヒロインが登場し、そこから多少は腰を
据えてドラマが描かれるようにはなるのだが――
それでも物語の展開は抑揚も余裕もないし、
ヒロインと感動の再会!という場面も「感動も何も
ドット絵しか見てないから、性格も馴れ初めもよく
知らんし……」という感じで居心地が悪い(×2回)。
ことあるごとに「ドラゴンオーブが……」「あの城
での冒険で……」とかドット絵でサクサク処理した
部分が重要な要素として語られるのも、それらを
ゲームで体験していない人間からすると完全に
蚊帳の外に置かれた感じでやはり居心地が悪い。
まともに映画化したらそりゃ4時間でも6時間でも
足りないのかもだが、あれもこれもと浅く薄く描く
くらいなら、焦点を定めてそこだけ濃く描いた方が
まだマシだったのではと思える。
...
……で、あのオチである。
あのオチが無くても僕の判定はせいぜい2.5前後
だったと思うが、オチで更に判定を1.0下げている。
『物語は作り物でも、物語が人生に与える感動は
本物である』と、この作品のテーマと思しき部分だけ
を書き出せば、多少は高尚な作品にも聞こえるだろう。
だがこの作品は、原作への思い入れの少ない僕にすら
往年のファンを蔑ろにしているように感じられる。
主人公が『ドラクエV』を人生の糧としているという
部分をしっかり描写できていれば、映画の主題にも
少しは説得力が生まれたかもしれない。しかし作品内
での主人公の描かれ方は、物語から得たもので人生に
立ち向かう勇気を奮い立たせる姿ではなく、2人
のヒロインを巡って軽薄な言動を繰り返し、現実
ではただ暗闇でプレイに熱中するギークな姿のみ。
それが作り手の考えるファンの姿なのだろうか?
あのウィルスの言動も不愉快でしかない。
もし作り手の『ドラクエV』という創造物にかける
情熱がそれまでの物語から伝わってきていれば、
「あのウィルスは創造物に対する最も低劣な批判
として生み出されたキャラクターで、作り手は
物語を創造することへの敬意を逆説的に伝えよう
としたのだろう」と信じられたかもしれない。
だが「ファンなら分かるでしょ」と言わんばかりの
ダイジェストのような流れで世界観の説明やキャラの
感情描写を放棄し、父子の愛情も身分を越えた友情も
薄っぺらにしか描けないような物語のどこに作り手の
愛情を見出だせる? それは単にファンの記憶
と情熱に乗じた“逃げ”や“媚び”ではないのか?
...
これが『ドラクエV』という既存の物語ではなく
完全新規の物語なら、僕も少しは納得できただろう
(そもそもキャラクターが誰かの想像の産物だったと
気付くメタ構造の物語ならいくつもある訳だし)。
だが、これがもし自分の思い入れのある既存の物語なら?
人生の節々でその言葉や教えを思い出しては勇気付け
られるような物語が、きっと誰にもひとつはあると思う。
だがもしその物語のあらすじだけを聞いた他人
からこんなことを言われたらどう思うだろう。
「つまりはこれこれこういうのが結論なんでしょ?
どうせ誰かの作り話だしそれを本気にするのも
大人げないと思うけど、それを人生の教訓に
するのは君の勝手だしね、いいんじゃない?」
本作から感じる不快感はそういう類のものだ。
この映画の作り手自体、自分の敬愛する作品で
同じようなことを言われたら心底厭だと思うし、
本作でそういうことを言うつもりは毛頭なかったとも
思うが、最終的に僕が感じたのはそんな不快感である。
創造された物語が持つ力は巨大だと僕は信じているし、
優れた物語やキャラクターは、作者の意図や思惑をも
超えて本物の生命の輝きを放つものだとも考えている。
だが、それをこんなにも不粋な形で表現した
作品を、僕は恐らく今まで観たことがない。
<2019.08.09鑑賞>
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余談:
本作のタイトルそして季節とリンクして
大滝秀治の有名なCMフレーズを思い出した。
「つまらん! お前の話(YOUR STORY)はつまらん!」
岸部一徳がマジメ顔で世の正論だけを語っても
ちっとも大滝秀治の心に響かなかったのと同じで、
物語って聴き手がどう感じるか、どう伝わるかに
寄り添いながら語るべきだと思うんですよね。
(そういう教訓のCMだったのアレ?)
リュカの名を勝手に使うのはダメだけど
みんなが知っているリュカだからこそ、感情移入しやすかった。これが勇者「えにくす」だったり、「ああああ」だったら、多分気分は萎えただろう。それゆえに、キチンと手はずを整えてリュカの名を使えなかったのはもったいない。
作品への愛もリスペクトも溢れていた。音響、BGM、アニメーション、キャラクターデザイン、声当てとも、原作ファンの望んでいたものだと思う。
ストーリーは原作ファンにとっては辛いモノもあるかも知れないが、「ゲームのドラクエ」という観点からすると、敵としては至極全うで面白い精神攻撃だと思う。
リュカの件さえなければ満点を捧げたいと思うほどであった。
たかがゲーム、されどゲーム
あのラストにする事で、少なくともフローラ派は救われたのではないか。
あのラストにする事で「もう一つの人生を体験する」というドラクエVの本質を捉えていると思う。
あのラストにする事で、映画を観た後「自分ならどんな選択をするか?」と想像する事ができた。
ドラクエVをやり込んだ人こそわかる気がします。
評価は賛否あるようですが、結果的には良かったと私は思います!最後のオチが賛否をわけるようですが、あの部分に全て込められており、メッセージがあるのだと思いました!
幼少期から青年期、ゲマを倒すところまで全てを2時間には詰め込めない。そうなると、詳しい人からはあそこが良くない、何であの部分をはしょったのかなど、色々な不満が出てくると思います!
はなから、あれだけの壮大なストーリーをたった2時間でやろうってことが無理なんです。
スラリんがいた事や、ベビーパンサーの名前がゲレゲレだとか、それぞれの選んだゲームの進め方があるんです。主人公の名前もそうです!ビアンカとフローラの選択も。それぞれがやってきたルートが違うからこそ、不満があるのだと思います!それを全てのオチで伝えていると思います。みんなそれぞれが勇者でそれぞれの物語なんだと。ドラクエVをやりこんだからこそ生まれる不満、でもこの映画はこの映画の人のゲームの中のストーリーなんです。ドラクエは主人公は自分自身、名前も決められる。自由な設定なんです。FFは逆にキャラがしっかりと決まっています。なので、自分の進め方と違いがあり、当然!それを最後のオチが表していると思います。この映画の主人公になり切ればなるほど、不満と共に最後に現実に戻されます。でも、ゲームの素晴らしさも伝わるのではと思います!
星5ではない理由は双子の妹がいなかったのが残念だったからです
未プレイでも憤りを感じます
ドラクエというゲームを私はプレイしたことがありません。
一緒に観に行った相手も5は世代ではなく、思い入れは薄いです。
しかし、ドラクエというコンテンツのファンは恐らく監督が思う以上に多岐に渡って存在しています。
ゲーム未プレイでもタイトルは聞いたことがありますし、スライムの存在は知っているなど、ある程度の認識を持っている人が多いのです。
好きな作家が「俺はビアンカ派だった」と意気揚々と話すところを見たことがありますし、友人の年の離れた弟が小学校から帰ってくると「スライム大好き!」なんてはしゃいでゲームをする姿も見ています。
そして、大人になったいまも、ドラクエの新しいタイトルが出たら同僚の多くが発売日を楽しみにする情景があり、その後はどこまで進めたか和気藹々と話している姿を見てきました。
彼らがあんなに楽しそうにプレイしているゲームはどんな物語なんだろう?
ワクワクしながら前売り券を買い、初日に鑑賞しました。
結果、多くの批判と同じくラストがあまりに酷いと思いました。
ビアンカたちのテクスチャが剥がれ、主人公に向かって大人になれとウイルスが言うシーンはどんでん返しでもなんでもなく、不快感を与えただけでした。
上映が終わり明るくなった劇場内は恐ろしいほど静まり返っており、観客が一体となって暗澹とした空気に包まれたことだけは貴重な体験でした。
ただし、2度と体験したくありません。
お金を払ってまでして、大事な宝物を目の前で叩き壊され、侮辱されたファンの方々の心情を思うと胸が痛いです。
監督にそのつもりはなくても、観客が感じた答えがすべてだと思います。
ゲームに対してだけではなく、映画を含む創作物を素晴らしいと思う心そのものを傷つけられた気分です。
あっと驚かせる展開にしたかったのかもしれませんが、そういった力量も感じられませんでした。
監督が思いついたアイデアや台詞は使い古された既存のものです。
それを、ご本人はナイスアイデアだと思っているのであろうインタビューを拝見して愕然としました。
寸前までこの仕掛けに気付かなかった人が大半でしょうが、それは監督による手腕ではなく、まさか今更こんなオチを、こんな醜い形でやる者はいないと思っていたからでしょう。
これだけ有名な作品ですからゲーム未プレイの私にも先行知識はある程度あったので、散りばめられた違和感の伏線は膨大なプレイ時間のドラクエ5を一本の映画にするためには仕方のない表現なのだと良心をもって目を瞑りました。
結果的にそういった多くの善良なファンを騙し討ちしてしまったことも、ここまでの酷評を生み出したと思います。
その後のフォローも、あの短時間で浅い台詞では不十分です。
むしろ、傷つけた者自身が被害者を癒し操ろうとするモラハラのような薄ら寒さを感じました。
また、近年はゲームの実況が流行っており、この映画も他人の実況中継に過ぎなかったという意味でも時代遅れでしたし、サブタイトルの「ユア・ストーリー」のアンサーにもなっていません。
ゲームのドラクエ5経験者から言わせれば「こんなの私の物語ではない!」と拒否反応が出ても致し方ないことです。
やるなら最初からVRだとわかる形で進めていき、ゲームのキャラクターだとわかった上でビアンカたちに親しみがわいてくるような展開にしなければならなかったと思います。
今回の場合は物語が終わる寸前にビアンカたちは作り物だと冷や水をかけられたので、その後たとえ姿形だけは元に戻ったとしても、観客の失った愛着までは元に戻りませんでした。
映像だけはきれいでしたが、監督は目に見えるもの以外のものも見えるようになってほしいです。
親子三代による物語というのはありがちな勇者物ではなく良かったですが、これに関しては原作=ゲームのシナリオですよね?
前述ではVRにするのならとコメントしましたが、主人公は主人公だけど勇者ではなく、その息子が勇者という展開も感動的なのだから、へんなオチなど考えずに作れば良かったのでは?
小説やコミックを映画化した場合、これは実は作り物です!現実に戻りましょう!なんてしないですよね?
なぜゲームもそういった創作物のひとつの物語として向き合えなかったのでしょうか。
また、映像は良かったと言いましたが、ゲーム未プレイのせいか全編を通していまいち感情移入できませんでした。
やはり、幼少期を飛ばしすぎたと思います。
上映時間の問題上、省略するのは仕方ありませんが、幼少期のビアンカとの絆だけはもっとうまく見せてほしかったです。
初見のせいか、嫁選びの場面で、あれ? ビアンカと幼なじみって聞いたことあるけどフローラとのほうが仲良し? フローラとのほうがいい感じじゃない? と混乱しましたし、フローラにプロポーズした翌日にはフローラとの縁談を破棄してビアンカを選び、よりによってフローラが住む町でビアンカにプロポーズする主人公はろくでもない男に見えました。
そのデリカシーのなさに気付かないあたりに、ラストに最大級のデリカシーのなさをやってしまう所以があるのでしょう。
また、フローラが独自に動いて主人公とビアンカのお膳立てをしてあげることは、ゲームのキャラクターに過ぎないというオチに反したストーリーなので、いっそフローラをウイルスに対抗するすべがある設定にしたら良かったのでは? という気もします。
せめて、最初からGCも何もかも出来の悪い映画だったら残念感はあってもこんなものかとファンの方々の傷も浅いもので済んだかもしれないですね。
職場ではいまもこの話題で持ちきりです。
もう大人に成長しているファンは自分自身で心の整理をつけられるが、夏休み上映にしておいて子供たちが傷付くような騙し討ちを用意しているなんてあんまりだ、と。
私はこの監督のことを監督としてではなく、人間として軽蔑しました。
子供を含む多くの人を傷付けた作品としては、つまらない映画よりもたちが悪いので、たとえ部分的にはスタッフの頑張りを感じたとしても申し訳ありませんが星0,5です。
ドラゴンクエストとしてあるべき姿のひとつ
ドラゴンクエスト5は何度かプレイ済み。ネットのネタバレ感想を一通り読んだうえで映画館で鑑賞しました。個人的には、全編を3DCGで構築したアクションファンタジーものとして存分に楽しむことができました。ただしラストの展開に必然性がなかったので☆4としました。
以下、ネットで見受けられる批判に対する、当方の分析を記載させて頂きます。
批判1:ドラゴンクエスト5(以下、原作)と設定や展開が違う。
批判2:ラスト15分がメタ視点で展開する。
上記について、各々理由を推測しました。
〇批判1:本編と設定や展開が違う。
⇒あらすじを下記します。
「(冒頭、SFC実機の画面。幼少期がダイジェスト的に流れる)父親をゲマに殺された主人公のリュカは、ゲマに捕らえられ、大神殿で奴隷として10年間働かされる。何とか脱出して故郷のサンタローズに戻り、父の敵を討ち母を探すことを目的に旅に出る。紆余曲折を経てサラボナでブオーンを倒し、ビアンカと結婚したリュカ。サンタローズで新婚生活を送るなか子宝に恵まれるが、夫婦ともども石にされてしまう。8年後、石化を解いてもらった子供はなんと息子のアルスだった。リュカと仲間たちは大神殿の麓にいたマスタードラゴンの背に乗り、ゲマを打倒すべく頂上へ向かう」
上記を概ね2時間程度で進行します。原作をプレイした方にとっては自明ですが、原作のストーリーが大幅に改変されています。本作が、原作をなぞったものであろう、という期待を込めて見に行った方は、この点に対して拒否反応が現れます。細かい具体例を挙げるとキリがないので、割愛。個人的には以下のような事情があったのでは、と推測しています。
〇分析1:本作は海外に対するドラゴンクエストの売り込みを意図している。
⇒本作のコンセプトは、全編を3DCGで構築したアクションファンタジーです。映画館で鑑賞したところ「ドラゴンクエストの世界観に準じた戦闘手段で、キャラが画面狭しと大暴れする」点を楽しんでもらおうために作られたのではないかと感じました。ディズニーを思わせる人物造形、非常に丁寧に描き込まれた背景、ヌルヌルしたアクション、過剰な表情、ノリの軽いキャラ。これらは、海外の同様の作品に倣っており、明らかに海外の観客を意識した作りとなっています。日本以外で売り上げの芳しくないドラクエを、海外へ売り込もうという方針が垣間見えます。原作を再現するとしたら3部作になることは免れないであろう、壮大な原作のストーリーを、「2時間で完結する冒険活劇」としてまとめたにしては、よく頑張った方ではないかと考えています。
〇批判2:ラスト15分がメタ視点で展開する。
⇒あらすじを下記します。
「ようやくゲマを打倒したものの、唐突にリュカ以外の時間が停止し、ウイルスと名乗る異星人のような生物が現れる。ウイルスは世界からテクスチャーをはぎとり、各種の効果処理をOFFにすることで、この世界がゲームであることを示す。実は、リュカはVRに興じている現実の人間であり、それ以外のすべてはゲームの設定であり、ストーリーも作られたものだった。『所詮ゲームだろ。大人になれ』と諭すウイルスに対して、『ゲームはもう一つの現実だ!』と反抗するリュカ。」
正直なところ予備知識がなかったら驚きましたが、知っていたので少し笑えました。これも以下の事情が原因と考えています。
〇分析2:ドラゴンクエストの主人公はプレイヤーであり、公式のキャラが設定されていない。
⇒ドラクエを映像化するに辺り、最大の障壁となる点です。ドラクエの主人公に公式絵は存在しますが、ゲーム内では一切喋りません。周囲の言動から、プレイヤーが自由に想像するべく、設計されています。これはゲームや小説の世界では成立しえるレトリックですが漫画やアニメ、映画は話が違います。映像化に際し主人公にキャラを付けざるを得ませんが、なにせプレイヤーが自由に想像しているものですから、その最大公約数的なキャラ像から外れてしまった場合、原作ファンの支持を得られ難くなります。従って、ドラクエの名を借りた作品のほとんどは、狭い層をターゲットとした二次創作にならざるを得ないのです。例えば、「ダイの大冒険」は「ドラクエの世界観を借りた別世界のお話」、「ロトの紋章」は「異なる時代の話」ということで、ナンバリングタイトルの映像化を避けています。
さて、ドラクエのナンバリングタイトルを真正面から映像化し、かつ広い層(しかも海外の観客を含めた!)をターゲットとしたい場合、いくつか手法が考えられますが、本作はそのうちのひとつ「主人公は、実は現実の人間=観客たる貴方だった」を選んだようです。言葉を選ばず表現すると「そっちいっちゃったかー」という感じですが、ドラクエ本来のコンセプト「主人公=プレイヤー」である点を考慮すると違和感がありませんでした。また、あらすじに記載したように「ゲームで過ごした時間も、自分たちにとっては掛け替えのない現実である」と主人公が訴えています。擁護した言い方をすると監督はじめスタッフの作家性が強く現れている点になります。このメッセージをきちんと受け取れていれば、「この映画も数ある二次創作の一つに過ぎない。本当に大切な、ゲームをプレイしたときの思い出は、自分たちの心の中にある」と気づくことができるのではないか、と思います。
まさに"Your Story"
以下はあくまで私個人の解釈。
すべてのゲームの宿敵は、それがゲームであるという事実なのだ。
ドラクエを熱心にプレイしていた人でも一度くらい「所詮はゲームだ」と頭をよぎったことはないだろうか。ドラクエをプレイせず傍目に見ていた人も、「所詮ゲームなのに」と冷めた目で見たことはないだろうか。
この映画はドラクエをプレイしていた人はもちろん、ほとんどプレイしていない人も対象として作られている。「ただのゲームである」という事実は、実際にプレイしていたかどうかに関わらず、すべての人々に共通する要素である。
まず、ドラクエをほとんど知らなかった人は余計な知識がない分純粋に冒険譚として楽しむことができるだろう。実際、VFXを駆使した美麗な映像は迫力があったし、少し駆け足な展開もむしろテンポよく感じられた。オリジナルと乖離があったとしても(そもそも知らないので)まったく問題ないだろう。むしろ、こんな熱い世界があったのだと感銘を受けた人も少なくないのではないか。
一方、かつて実際にプレイしていた人は最後のシーンに困惑するかもしれない。それまでの手に汗握る物語を全否定し、「ただのゲーム」という現実を突き付け、「大人になれ」と言い放つラスボスの登場である。しかしよく考えてみると、ただのゲームであるという事実は、それこそドラクエをプレイしていた当時に向き合っていたはずの「敵」ではないか。ゲームをすることに何ら後ろめたさもない人は珍しいと思う。むしろ、ただのゲームとわかっていながらなお熱中していたのであって、そこには熱中させるだけの何かがあったはずである。彼らはこのことに対しどのように折り合いをつけてきたのだろうか。本当のラスボスはクリアした後に現れる現実なのではないか。
かつて熱中した冒険も、現実との折衝も、その後の心理的成長も、すべてはそれぞれの心の中にある。それこそまぎれもない"Your Story"なのだ。
何も知らないで見る人なら楽しめるかも?
ドラクエ5のファンなので、楽しみにしていたのですが…率直な感想で「裏切られた」でした。
幼少期の端折りは尺的な意味でも仕方ないなと思いましたが、まさかボスの存在さえもぶっ壊して作品を台無しにするとは思わず。
ラストの展開前までは「おぉ!」といい感じだ!熱い!と良かったのに、ラストで一気に冷めてしまい、もう冷めた目で見るしかなかったです。
ドラクエの映画なんだから、ドラクエのボスがちょっとカッコいいセリフ吐いてラストバトルっていうのがベストじゃないの?って思ったのですが、どうも監督さんはそういう展開が好きじゃないのかなと思いました。
おそらく私と同じ気持ちだったのだろうと思われる隣に座っていた30代くらいの男性が「なんだよこれ…」って悔しそうに呟いてたのですが、聞こえちゃって辛かったです。
もしまたドラクエの映画を作るのであれば、せめて原作をそのまんま作ってほしいですね。
原作を知ってる人が映画を見に来てた場合に、多少の演出にアレンジがあったくらいならこのくらいは仕方ないよ(例:大人ビアンカとの再開など)って感じますが、ボスすら存在がなかったことにされてしまったら、それはアレンジとはいえないかなと思います。
もちろんあれで良いという人は居ると思います。
だけど、やはり原作ファンが見てしまうとユア・ストーリーはがっかりせざるを得ないのです。
なんで最後の最後で台無しにしてしまったのか…これに尽きると思います。
よくアニメを実写にしてがっかりする結果になることがありますが、あれよりも酷い(笑)
お世辞でも素晴らしいとは言えないかな(汗)
キャラクターデザインなんかは味があって良かったのに、ストーリーで損した作品ではないかな?と思います。
今世紀最低な映画
レビューを書く為に思い出すのも憚られる程、最低の映画でした
オチは文句無しに最悪。
ただしその最悪のオチを抜いても、映画の出来としては最低ランクです。
数々の意味の無い、心無い、センスの無い改変や設定削除のせいで、ファン映画としても最低ランクです。
褒められる場所が何一つ見つかりません。
【オチについて】
既に有名になったとは思いますが、この作品、最後の最後で舞台がVRゲームの世界だと唐突にバラされます。特に理由も脈絡も無く、唐突にです。
敵が突然「私はウィルスだ」と威張り、観客を置いてきぼりにします。
そして「これでどうだ理解しろ」と言わんばかりにキャラ達のテクスチャが剥がされ、物をすり抜け、飛ばされて行きます。
確かに度肝は抜かれました。しかし、それだけです。
創作においての「期待への裏切り」というのは、自由な様に見えて厳格なルールが設けられています。
それは、「裏切りが物語を進める重要な要素でないといけない」「裏切りが最後に一つ以上のメッセージを残さないといけない」という事です。
名作と名高い作品には大抵、期待への裏切りが存在します。そういった作品は、裏切りによって物語へ一気に引き込み、悲壮感、あるいはヒロイズム、あるいは疾走感を増幅し、物語を先へ先へと進めるエネルギーとしている訳です。そして、その裏切りから産まれたカタルシスを観客が抱きしめた結果、作品に込められたメッセージとなるのです、
しかしこの映画はどうでしょうか。
VRであるという裏切りは、物語において何の意味も持ちません。ウィルスを作った黒幕を倒す訳でも無いし、ウィルス製作者が現実世界の破壊を目論む訳でも無いし、VRだと分かった後で物語が動き出す訳でもありません。そこには何のメッセージも存在しないのです。
つまり、この裏切りは監督の「ショックを受けさせてやろう」という悪意のみによって作られた構成であり、観客を害する以外の目的が無いのです。
最低の裏切り方であると言えるでしょう。
VRオチにするならば、ドラクエ5を題材にする必要は無かった。
何なら、VRというオチである必要すらなかった。
「Aという世界はBという上位世界が存在し、Aに住むCはBを倒す」という構図であれば何でも良い訳です。
因みにこの構図は数百年以上も昔から存在する、ベタなオチです。
そんな使い古されたオチを、さも「天才的なアイデアを思いついた」と披露される所がまた、不快になる一要素でもあります。
【出来について】
映画としての出来もお世辞には良いと言えません。
幼少期はダイジェストにすらなっていないゲーム画面の継ぎ接ぎ。
青年期は何が何だか分からない程目まぐるしく進んで行きます。
ろくな心理描写も無いので、感情移入は全くできません。
話も繋がっていない為、オムニバス映画の早送りを無理矢理見させられている様な感じでした。
そうやって疲れ果てた所に、前述の悪魔のオチですから、観客のダメージは計り知れません。
ドラクエ5という大作を100分に収める訳ですから駆け足になるのは仕方ないと言う方もいらっしゃいますが、それを収めるのがプロです。
幾らでも見せ方はあった筈です。
それが出来なかったのがこの監督の能力の限界なのでしょう。
単純な映画としてもC級作品です。
【ドラクエ5の2次創作として】
この映画、原作からの改変要素が非常に多く存在します。
多少の改変や設定追加は仕方ないとは思いますが、この映画は絶対に変えてはならない部分を変え、絶対に消してはならないものを消しています。
主人公の母の出身地は丸ごと削除、グランバニアの描写、ヘンリーは改心せず嫌な奴のまま、主人公の娘は存在ごと削除、
ビアンカは父親の介護をする良妻賢母の慎ましい美人からサバサバ系KYの大魔導士に...etc
それはそれはもう書ききれないほど、不要な改変や削除がされまくっています。
また、それ以外にも天空3部作なのにロトの剣が登場したり、ドラクエ5以外の曲が流れたりする為、ドラクエ5のファンの神経は逆撫でされ続ける事になります。
監督はドラクエ5を未プレイだそうです。
「この程度どうでも良いだろう」と思って作られたのでしょうが、懐かしさに浸りたいゲーマーにとっては、「その程度」が重要なのです。
この映画はゲーマーに寄り添うどころか、何一つ理解せず、一歩も歩み寄らない作品です。
特に、ドラクエ5を楽しくプレイした方には視聴を勧めません。悲しい気持ちにしかならないでしょう。
親子で観た時
山崎監督はインタビューで、「この映画を親子で観た時にどんなことが起こるか楽しみ」とかなんとか言っていたようですが、実際観終わった後子供に「パパ、最後のあれはどういう意味なの?」と聞かれた父親は何て答えれば良いのでしょうか?
かつて遊んだ懐かしいゲームが映画になると知り久しぶりに童心に帰ろうと、そして息子にもその自分が夢中になった冒険の世界を味あわせてあげたいと、わくわくしながら観に来た親子がこれを観終わった後どういう気持ちになるか想像できなかったのでしょうか?
私は子供と観た訳ではありませんがそれを想像すると悲しくなります。大人の自分でもあのオチの表現方法は結構ショッキングだったので本気でショックを受けてしまう子供もいると思います。
ウイルスの「大人になれ」という台詞なんかはもはや大した問題ではありません。大人なので聞き流しましょう。それより問題なのは、それまで入り込んでいた世界のキャラクターや背景がいきなり出てきた訳の分からない気持ち悪い奴にどんどん崩されていく様をただ見せられるという不快感の強制です。
これも大人なら不快感はあれどそういう演出方法なのだと一応理解はできます。でも子供はどうでしょうか?恐怖すら覚える子もいるのでは?その後一応とってつけたようなハッピーエンド(?)で終わりますが、味わった不快感がそれで帳消しになるはずもありません。
映画監督が自分が面白いと思うものを作ることは否定しません。ただ今作においては親子で観に来る人達を想定していたんですよね?その上でオチをああいう風に表現したんですよね?
これが賞賛されると思っていたのなら思い上がりも甚だしいって感じです。
ドラクエの数多くでているタイトルの中で、なんでVにしたか。 それは...
ドラクエの数多くでているタイトルの中で、なんでVにしたか。
それはストーリーが優れていて要所だけ押さえれば映画化が簡単であると監督がとらえたからでしょう。
裏を返せば、Vはそれだけ多くのファンがいるということにもなるって知ってて。
夢オチって終わらせ方は、その時点まで見ていたすべてを台無しにするオチだと思っている。
これは夢オチとは言わないけど、夢オチよりさにタチが悪いとさえ言える。
事前に知ってれば絶対行かなかったなあ。金と時間損したわ。
凄まじい矛盾映画
この映画が根本的におかしいのは、ラスト10分の部分にあるのだと思う。ゲームなど虚構、大人になれというフレーズについて、観客たちにとってのゲームとは、もちろんプレイしたドラクエ5の思い出もあると思うが、この映画を見ている以上、ゲームとはここまで見てきた映画の大部分を指してしまっている。いわば『なんでこんな虚構映画見てるの?現実を見なよ?』と言われているようなもので、観客たちに激しい混乱を起こさせるのだ。ここまで5分ほど、そして主人公による浅い反論ののち、なんと映画は虚構世界で完結してしまうのだ。主人公の生きるべき現実に帰るわけではなく。ここが最高に薄ら寒い不気味さを生んでいるのだ。これを踏まえて監督の次回作のルパン映画のCMを見たときに、どう感じるかは自明である。フィクションを最高に冒涜する作品とはよく言ったもので、今後映画や物語を心から楽しむことが出来なくなるトラウマを生む可能性を秘めた最悪の作品だと思う。
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