ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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ファンを傷つけた訳じゃない
問題のラストは
低評価の人の一部には、
「大人になれ」と愉快犯のようなコンピュータウイルスを作った敵に言われるシーンを見て、
これがこの映画のメッセージだと早合点してしまって怒っているようなレビューが多く感じましたが、
確か昔エヴァンゲリオンのアニメでも同じような怒りがおきたことがあったのを思い出しましたが、
この映画のメッセージはその逆のくまのプーさんやトイストーリーと同じような「虚構の世界で過ごした思い出も大事に思って良いんだよ」っていう方向の意味だったと思います。
自分もあの大人になれと言われるシーンではちょっとスクリーン見ている観客みんなどう思ってるんだろう〜と気まずいような気恥ずかしいような気持ちになりましたが、
その後のシーンで、
小さい頃このゲームを買って貰って学校から帰って続きをやるのを楽しみにしていた気持ち、
自分もふと大人になってからゲーム屋さんに行って、
昔クリアしたRPGのパッケージの数々を眺めていると「昔こいつらとこの広い世界を冒険して色んなドラマがあったなぁ〜」と、
懐かしい卒業アルバムの写真を見ているように感慨深く思ったことがあるのですが、
まさにそのことについてこの映画のラストで伝えて、結果的にその敵を打ち破ってくれていたので、
ファンの気持ちを裏切られたようには感じませんでした。
あのドラクエ世界のモンスターが綺麗な映像で気持ちよく動いているのにはとても感激しましたし、
あ〜そんなバサバサすぐに切っちゃわないでもうちょいモンスター動くの見ていたいのに〜という気持ちでした、
音楽も街のテーマ曲などすごく心地よかったですが、
メインテーマが何度も流れたところはちょっと安売りのように感じてしまいました
主張と設定・描写の矛盾
「ゲームの世界だって本物だ!俺たちはそれを愛しているんだ!」
という主張のための設定が、記憶を消してVRでゲームの世界体験というのがなんとも腑に落ちません。それって「別人の人生を体験する」ことであって、「ゲームを楽しむ」のとは全く別の行いじゃないですか。ゲームはゲームだから楽しいんでしょうが。作りものだと分かったうえで感情移入できる、冒険できるのがゲームの素晴らしさじゃないんですか。
夢オチ的展開の良し悪し以前の問題で、テーマが破綻していると思います。
それに主人公の態度にも疑問があります。ドラクエ世界をめちゃくちゃ愛してて、主人公の人生を体験したいとまで思うくせに、「ビアンカばかり選んでいたからフローラ選ぶ自己暗示システム使います」って…そこは、自分が本当に主人公だったらどっちを選ぶのかも含めて、ドラクエ世界を体験しようとは思わんのかい!!!
他にも色々ありますが、台無しにされた怒りというより筋の通らなさにイライラしました。
また世間的には褒められているCGですが、確かにルックは悪くないと思います。
でもアニメ―ションは、特別凄くもないし、日常シーンの動作などはハッキリ言って良くはないです。
感情と演技が合ってないし、大げさな動きの割に魂が感じられない。モブの動きがあからさまに省エネ(ゲームだからわざと?いやそれだと余計にテーマと矛盾するのでは…)流石にヒロインに関しては気合が入っているのかそこまでおかしくなかったと思いますが。
雰囲気だけでディズニーレベルだ!と勘違いされる方は多いと思いますが、とんでもありません。むしろこのクオリティを褒め称えることで、日本の3Dアニメーションの限界ってこれなんだな、と思われないか心配になりました。
あのころ子どもだった、大人に向けた映画
事前に悪い評判を聞いていたので期待値はゼロ。しかし愛するドラクエVの映画を観ないわけにはいかない!ということで映画館へ。
結果、めちゃくちゃ面白かった!子どものころクリスマスにもらったドラクエVの思い出が蘇ってきて、最後は大感動!
この映画、酷評されるのは理解できる。ドラクエの映画化だと期待して観ると、確かにマズイ。あくまでもユアストーリー、つまり、ドラクエと親しんできたプレイヤーたちが主役の話。
もっと宣伝の時点や劇中でメタ的なヒントを出しておけば、ここまで批判はなかっただろう。あまりにもだまし討ちな感じでメタ展開にしてしまったところは失敗かな。
このラストの展開ならドラクエを題材にしなくてもいいのに!というレビューもあるけど、個人的にはドラクエでよかったと思った。なぜなら子どものころからドラクエと一緒に成長してきた自分にとって、これ以上に思い入れのあるコンテンツは他にないから。だからラストのインパクトは絶大だった。
ラスボスの「大人になれ」という言葉に、ハッとした。そう、自分はいつのまにか大人になっていた。もうゲームは全くやっていない。たぶん、そんな自分だから、この映画のラストを肯定的に受け止めることができたのかもしれない。
それでもドラクエは自分にとって特別な存在で、ゲームはやらなくなったけど、今でも時々子どものときの思い出にふけったりしている。
ドラクエVが発売した1992年、自分は小学2年生だ。そして今年、わが子が小学2年生。自分にとってのドラクエVのような存在は、わが子にはあるのだろうか。きっとそれは本人にしかわからない。
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、自分の大事にしてきたものを思い出させてくれた、自分にとっては傑作でした。
映画の醍醐味
長文失礼します。既婚女性です。
私は、親にやりすぎだとげんこつをもらいながら、何度も夢中になって(おきのどくにもぼうけんのしょがきえた回含め笑)DQVをプレイしました。スーパーファミコン世代、ビアンカ派、ボロンゴ派です。諸事情でしばらくDQシリーズをプレイできておりませんが、今も大好きな作品です。
普段はしないのですが、ネットで事前にネタバレを見てしまい、酷評にいてもたってもいられず映画を観てきました。
1 問題のオチについて
FF(ファイナルファンタジー)シリーズファンの弟と観に行きました。なかなか映画の批評をしない弟から「俺はDQプレイしないから詳しくはわからないけど、それにしてもこのエンドは無い」という感想が飛び出しました。最後の演出で全てが台無しになったとのことです。
対して私は、オチにはがっかりしたしあの言葉にはイラッとしたけれど、全体的に映像が綺麗で声優も合っていて、それなりに楽しめたかな、という印象を持ちました。でもそれは、もしかすると事前にある程度オチを知っていたので、心の準備ができていただけなのかも知れません。
夢オチ的展開は、ファンを一番がっかりさせるモノだと思っています。ドラえもんが「全部夢だった」という最終回の都市伝説(公式ではないようです)を知ったときのショックは、今でも覚えています。今までドラえもんを楽しく見ていた時間が、全て幻になってしまったかのような…全部否定されてしまったかのような…。今回の映画もある意味似たような感じなのでしょうか。
またオチ自体も、正直どこかで見た展開で、真新しい感じはなかったです。急に現実に引き戻され、胸がざわざわしてその後は全く感情移入できずに映画が終わりました。
2 今回の映画のターゲティングについて
パンフレットを購入し熟読しましたが、製作陣がメッセージを込めた対象が「過去にDQをプレイしていたが今はプレイしていない親世代」になっているのではと感じました。
最近は大人になってもゲームをプレイしているひとが多いことを、製作陣が想像できていなかったことに今回の酷評の原因を感じます。
特にラストのシーンについて、堀井先生と山崎監督が深夜まで討論したとの記載がありました。問題のあのセリフが、どちらの主張によるものだったのか、、そこまでは読み取れませんでした。
しかし…映画を観てそれほど拒否反応のなかった私は、、今回の映画のターゲットだったのかも知れません。短時間でプレイできるスマホのゲームはやりますが、なかなかRPGに踏み出せないまま、かなりの年月が過ぎており…泣
映画を観終わった後すごくDQVがやりたくなったので、ゲームをやりたくなるきっかけづくりという意味では成功したのかも知れません。
3 映画の醍醐味
私はこの映画に限らずよく映画を観るし、映画仲間と感想を言い合ったりしています。映画は、ひとによって捉え方、感じ方、解釈のし方が本当に違うといつも思っています。
生まれ育った環境や経験してきたこと、勉強したこと、興味があること、ひいては当日のコンディションによって、感想は大きく変わってきます。
でも、お互いの感じ方の違いを知ることこそが、私は映画の醍醐味だと思っています。自分では考えてもみなかった着眼点を知ったとき、とても面白いのです。
たとえ家族でも、日本人でも、自分と違う考えをもったひとはいます。
今の日本は、言論の自由で自分の考えを自由に言えることになっていますが、相手の存在を否定するような言葉、相手を傷つけるような言葉を言いたいだけ言うのは、違う気がします。
映画を作った関係者の方々を攻撃する言葉がレビューに溢れていて、見ていてとても悲しくなりました。
私はあまりストーリーの展開には共感できませんでしたが、素晴らしい画と声優の方々の熱演に感動しました。戦いのシーンも興奮したし、ビアンカ、フローラもとても愛らしく、どちらか選ぶシーンは納得の展開でした。DQVをプレイしていた頃の自分を、思い出して懐かしくなりました。
ちなみに、私は大人になってもゲームをプレイしているひとが、子供だとは全く思いません。
どういうこと
いままでなんとなく映画館に観に行って、面白かったと思える作品しか観たことがなかったのでこんな詐欺作品つかまされたのは初めてで困惑しています。
8月4日に観ました。
事前に知っていたのは、DQ5の世界観を使用している。キャラクターの名前等はゲーム準拠。ラスト付近に驚愕の展開、くらいです。
色々駄目なことは他の方が言葉を尽くしてくださってるので省略しますが個人的に納得いかないことをひとつ。
この映画って結局VRゲーム内の話なんですよね?
キャラクターたちはすべてプログラムされた言動で、ゲーム開始前に設定したことが反映される。
それなのになぜフローラはプログラムのくせに、初期設定「フローラと結婚する」、を自らの意思があるヒトのように覆すんでしょうか。キャラクターモデル変更までして…。
フローラの意思に見せかけたプレイヤーの潜在意識が初期設定をあのような形でなかったことにしたんでしょうか?だとしたらそれは致命的なバグになるのでは?そんなバグがあるからあんな陳腐で寒いことを言うウィルスに感染するんでは?
こういう行き当たりばったりな展開が最低な映画の評価になってることを製作者は理解してほしい。
自身の私利私欲を満たすためだけのオ○ニー映画
トイストーリー4、ポケモンなど今やってる3DCG映画は子供向けに作られている。そんななか国民的RPGドラクエが3DCGで映画化されあんなポスター見た日には親子連れで見に来る人もいるに決まっているだろう。この監督は一体どの客層を想定して作ったのだろうか?自身の意図を通してまでやるべきラストなのか?3DCGでやる意味はあったか?確かにCGのクオリティは高かった、けど僕からしたら3DCGに「大人になれ」とか「現実を見ろ」なんて言われても戯れ言にしか聞こえないし子供からしたら残酷すぎるよ。結局監督が見せたかったのは3DCGの技術力、ラストの監督からの客層無視の痛恨の一撃、こんなイカ臭い映画を観て怒りを通り越して悲しみと哀れみを感じました。
プレイヤーが求めた映画と違ってしまったラスト
低レビュー&結末に不満、というようなことを書いてる人多数というのを頭に入れてから観に行きました。
序盤は時間の都合でものすごくコンパクトにまとめられてしまいましたが
プレイ時の思い出なんかも蘇ってきたりで時折涙が。
が、問題のラストまでいってなるほどコレのことかと不満点に納得。
プレイしたことのある人は自分の体験したドラクエ5の映像化にワクワクしていたのだと思います。
自分もそうでした。
でもラストで突然現実に引き戻されちゃったんです。
映画の内容的にじゃなくて、何の映画観にきたんだっけ?ってそれまでのワクワクテンションが底辺になったのがわかりました。
映画の世界に最後まで浸かっていたい派です。
我に返るのはエンディングロール時で良くないですか?
嫁論争回避の為?
ならば公式小説の映画化です!って作り方ならみんな納得したんじゃないかなぁって思いました。
作り方としてはありだと思うけど、…うーんあのワクワクテンション返してw
映画を観て憎悪を抱いたのは初めての経験です
ドラクエ、CG、ゲーム、映画、その他エンターテインメント、全てを終盤数分で侮辱してのける見事な作品。
ドラクエ5のもっているメッセージ、その時点まで綴られた物語を全部捨てる潔さと、意味のわからない主張を始める高い精神力はこれぞ名作と感じさせます。
エンターテインメントを心の支えとした人を否定しつつ、まぁそれでもいいんじゃないという非常に寛大で懐の深いメッセージには、強く心を打たれました。
監督を史上最大のヴィランとする斬新な手法、まさに唯一無二の作品と言えるのではないでしょうか。
私は未プレイで、ゲームクリアしてる人と見ました。
私は全くドラクエに触れておらず、同行者がこの映画が酷評されていることから『逆に見たい』と言い出し、二人で見に行きました。(見てもいないのに批判するのは間違っている、とのことです)
私は粗筋を同行者から聞いた程度で、詳しい内容に関しては殆ど知らなかったため、純粋に映画としての感想を述べさせていただきます。
奇を衒う演出があったりゲームをプレイしている人にしか分からないような小さなネタがあったりして、全体的には【ドラゴンクエストを知っている人向け】という印象でした。だからこそ、どうしてあんな【ドラゴンクエストを愛している人が見たら落ち込むような終わり方】を選んだのか、非常に不思議でした。
作品としての作り込みは大変良く、ドラゴンクエストを冠していない作品だったら、もっといい評価を得られるのではないか、これをわざわざドラゴンクエストでやる必要があったのか、それを本当に疑問に思います。
この手法で、このやり方をするなら、オリジナルのシナリオで充分だったのでは?もしどうしてもドラゴンクエストである必要があるなら、初めから作品の進め方を示してしまった方が、余程理解があったのでは?
それこそ、主人公(この場合はゲームプレイヤー)を据えて、キャラクターとしてではなく、何がしかのバグでもなんでも構わないので、意志を持ったリュカと共にストーリーを進行させていくとか、そういう運びだった方が余程上手く受け入れられた気がします。
途中から、おかしいな?と思うところは幾つかありました。特に結婚のくだりとかは、同行者から聞いていた情報とあまりに一致せず、私はもしかして違う話を聞かされたのか?とすら思いました。あれは【プレイヤー目線】ですよね?それであれば、やっぱりこの映画に【リュカ】は必要なかったのではないですか?
例のシーンで、映画館は一瞬時が止まったように、息を殺したように静まり返り、私と同じように、恐らく原作を知らない人たちだけが呼吸をしているように思えました。楽しんでいる方もいらっしゃいましたが、それでもドラゴンクエストを好きだと言っていた同行者は『怖いもの見たさで見るものではなかったかも』と呟いていました。驚くほど落ち込んでもいました。
ああいう映画、と思えば、面白い、いい作品だったと思います。でも、ドラゴンクエスト、と冠していることを踏まえると、少なくともこの映画はドラゴンクエストではなかったのかな、とも感じます。
ゲーム自体は私もプレイしますし、ゲームと現実が別であることも理解しています。
しかし、少なくとも特定のゲーム名を冠しているのならば、徹底的にぶっ壊していくか、ストーリーをなぞらえるか、どちりかにすべきだったのかな、という印象でした。
でも、よく考えたら【ユアストーリー】ですものね、これは【ドラゴンクエスト】ではなく。
なんだか惜しい、もやもやが残るものになってしまいました。
現実を突きつける素晴らしい作品
冒険をし様々な困難や出会いを経ていく素晴らしい物語なのですが、最後にどんでん返しが待っています。
突然、これは全てゲームだし、あなたの人生にとってなんにもなりませんよと教えてくれます。
様々なエンターテインメントがありますが、それはその一時でも現実を忘れて楽しむためにあるのですが、この作品は真逆なのです。
例えて言うならば長年応援してきたアイドルの握手会に行ったら、鏡を見せられて
もういい歳でハゲてるおっさんについて、アイドルを追っかけてる歳じゃないだろ気持ち悪いんで現実を見た方がいいよと教えてくれたり
ディズニーランドで着ぐるみから小柄なおっさんが出てきて、仕事で金がもらえるからやってるだけなんで、手を振り返されても困るんでやめてもらえますかと説明をしてくれるような丁寧な作りとなっています。
映画とは何か、ゲームとは何か
なんのためにエンターテインメントがあるのかを否定する非常に顧客を思いやった作品だと思います。
監督には二度と映画に関わらないでほしい
土曜日に映画を観て5日、ようやく落ち着いたのでレビューします。
モンスターは可愛かったし、音楽はとても良かった。
結婚式の場面、ビアンカと結ばれるのであれば、レヌール城の冒険はちゃんと描いて欲しかった。
ゲマはとても良いキャラをしていた。
ラストは悪夢だった。
いきなりコンピューターウイルスが出てきて、テクスチャを剥がすだの言いながら、今まで冒険してきた仲間たちが泥人形に、、、
この世界は虚構だの、ゲームなんてやめて目を覚ませだの、大人になれだの言ってた。
スライムが謎変身を遂げて倒して世界が戻りビアンカが話しかけてくるけれど、、、もう感情移入なんて出来ず、マネキンが人間の言葉を話しているようにしか見えなかった。
映画が終わっても周りの人間が人間に思えなかった。
怖くなりすぐに帰った。
翌日ゆっくり休んで気持ちを落ち着けると、この映画を作った監督への怒りが湧き上がってきた。
人の思い出を踏みにじって、恐怖心、懐疑心を与えて、ゲーマーを馬鹿にして、どこまでドラクエファンを傷つければ気が済むのか。
もしあのまま廃人になってしまったらと思うと、今でも恐ろしい。
こんな恐ろしい映画を作るような監督は二度と映画に関わらないでほしい。
ドラクエファンを裏切る内容
最後何アレ?
私を含め、ドラクエファンの人はドキドキワクワクの大冒険を観たかったのであって、「ゲームやってないで大人になれよw」なんて皮肉を聞きに行ったんじゃないんだけど、、、
人から皮肉言われるなら聞き流せるけれど、大好きなドラクエの世界に浸っている中で、その世界観の中から言われたのがすごいショック
昔の思い出にツバを吐きかけられた気分
もう最悪。観るんじゃなかった
途中まで楽しかったはずなのに、今は最悪の場面しか思い出せない
二度寝さんと同じく
大好きなⅤの世界観が、クライマックスで壊されました。
素晴らしいCGで、ゲレゲレはじめキャラクター全ての完成度の高さ、最高でした。
超序盤のパパスとゲマのくだりで早くも涙したのですが、クライマックスがただただ残念でした。
あと、主人公の子供は2人の双子です。ここは外して欲しくなかったです。女の子のスクルトがどれだけ重要か涙
回復要員が1人もいない…
同じ監督で、王道のⅤの世界観がどうしても見たかったです!
何度もいいますが、キャラクター、戦闘シーンは最高でした!
ストーリーの問題です。
観る価値がある。ここは譲れません。
この映画は人によって捉え方が異なり、感想にバラつきがありますので、俺のレビューは皆さんにとっての映画の面白さを保証するものではありません。あらかじめご了承ください。
ただ、色々ボロカス言われてますが、誰がどう言おうと、この映画は一見の価値があると思います!
【原作DQ5の思い出】
この映画の原点となったDQ5は、コントローラーを兄と奪い合ってセーブの進みを競ったり、兄が別の世界線で異なる嫁をもらうために俺のセーブデータを消して空きをつくったことで殴り合いのケンカになったり、その結果ゲームハードとカセットを親に隠されて兄弟ふたりで泣いて謝ったりと、色々と思い出深い作品です。
あのころの何倍もゲームできる時間が増えたのに、あのころのほうが濃密なゲームライフを過ごしていた気がします。
【映像化への感想】
作品への思い入れも人一倍強く、思い出補正も加わって、映画の「このわざとらしいほどのドラクエ観!」の再現度には感涙の思いがしました。2Dだった世界を現代の技術で3D化すると、ここまで再現できるのか!という驚きと、ハイテク技術の集大成ともいえるような再現なのに、どこか懐かしいゲームの雰囲気を残し、漂わせている点が、心の琴線をビンビン刺激してくれるのです。これは俺の貧弱な語彙力では表し切れません!
徹夜でこの世界をどっぷり冒険したいと思うほど、わくわくするさせてくれる出来でした。
【ボリューム・進行速度への感想】
物語は100分という制限の中ではボリュームがあり、急ぎ足で進んでいきますが、そのスピード感は心地よいものでした。
【二つの客層へのバランス】
原作を多重回数プレイ済みのファンにとっては、幼少期の視点やその他各々が思い入れの深いイベントにももっと時間を割いて欲しかった等の不満が残るかも知れません。しかし、ライトプレイヤーや全く原作をしらない人たちにとっては、これ以上つめこむと情報過多な映画となっていたでしょう。
これは俺たちDQ5ファンだけでなく、幅広い層の人たちに観てもらえるように作られたものです。100分に納めるため、バランスをとったと考えれば仕方のないことです。
俺は多重回数クリア済みのプレイヤーでしたが、見終わってなお、「もっとずっとこの世界に居たい」と思いました。まだ食い足りない、と思わせるあたりは、絶妙なバランス加減だったのではないかと考えています。ライトプレイヤーにとっての意見も聞きたいところですが、俺としては納得できる仕上がりだと思います。
【問題のラスト】
さて、ここからが後世に語り継がれそうな、問題となっているラストシーンについてです。
どのタイプの人もそれなりの打撃をうけるであろう場面が終盤にあります。
ラスボスはミルドラースなのですが、こいつがトチ狂ってしまい、ゲームならではのメタ的要素による暴言を放ちます。これまで積み上げてきたモノはただのセーブしてないデータであり、今まさにノーセーブの状態で電源スイッチに手が伸びる!という唐突な裏切りが待っています。今までの感動は、冒険は、体験は、全部ニセモノだったの?えぇ...、ゼロにしようとおもえば出来ちゃうような、価値のない出来事の積み重ねだったの?と全員が戸惑ったでしょう。これはもちろん原作のDQ5には存在しない展開です。
こんな事実をいきなり映画限定のオリジナル要素としてブチまけられたことに、メンタルが耐えられなかった人たちが、主にこの映画の低評価帯の皆さんです。(もちろん、その他の理由で低評価としてる人もおりますが、圧倒的多数派は上のような人たちです。)
結果としては、リセットは回避されますが、俺たちはゲームのキャラクターだったのか・・・という事実は残ります。
しかし、それでもプレイヤー(俺たち)にとってはゲームもまた人生であり、ここで生き続けていけばいいんだ!という健気でたくましい主人公一行には、いくぶん励まされました。
そうです。俺たちはデータが消えてもまた一から世界を何度でも救いますし、その都度成長します。ゲームを通してだって、人は大人に成長してゆける。そう信じたいと思いながら、爽快なカタルシスを体験して映画館を後にしました。
たしかに、俺のようには捉えられず、ただ呆然としている人も多かったです。映画を楽しめなかったのならドラクエ好きとして残念に思いますし、彼らの悲しみや怒りには同情します。
でも、色々な捉え方があると思います。俺は、誰がなんと言おうと楽しめました。今、この感動を誰かに分かち合いたいと強く思っています。
【感動の共有を阻害する連中め】
感動の共有も、映画のこきおろしも、レビューサイトの醍醐味だと思っています。もちろん、節度は守ったうえで、ですがね。ここは交流もできるし、随筆家を思わせるアジのある言い回しや、関西弁によるギャグ風の投稿など、評価も考え方も方言も違う他人の書く文章は、まさに千差万別、読んでいてとても楽しいです。
ただ、上に書いたとおり、俺はこの映画の感動を分かち合いたい気分で文を進めています。
ここの高評価帯の人たちは、みんなそんなシンプルな考えでレビューを書いてるんだと思います。
そんな気分のところに、同じ評価帯の人が軒並み工作員認定なんてされてるの見たら、誰だって不快に思い、反発すると思います。
俺は高評価帯の肩を持ちます。
荒れる原因となったのは怒りに身を任せて過激派に成り下がった一部の低評価帯です。
...ただ、仲裁する気はないです。
レビューを見て、罵詈雑言にムカっ腹の立ったすべての投稿者に進言したいです。(低評価帯、高評価帯含む。)
場の空気を荒らし始めたのは、明らかに口の悪い一部の過激な低評価帯の投稿者群です。ただし、原因となった投稿者群は、多分もうこのサイトすら見てないような過去の人たちです。
自分の書いたことに責任をとらなくていい世代の文章だと思います。そんな下らない連中の言うコトに、高評価帯の皆さんはイチイチ反応しないことです。どーせ文句言ったって見てもらえない上に、別の過激ではない低評価帯の皆さんまで刺激していますよ。
結果どうなりました?
おたがいに言った言わないの荒らし合いが勃発しています。見ていて不愉快な言葉ばかり使うのは、やはり怒って文字を打つ低評価帯の一部のようですが、彼らとも、もはや分かり合おうとしなくていいと思います。なぜならば彼らは過去の荒らしほど、罵詈雑言や噛みつきをしていないと思えるからです。
お互いに工作だと決めつけて張り合って罵り合ってる様は、ドラクエについて語りたい俺にどれだけガッカリ感を与えたと思いますか?
救いようのない事態に、DQ5ファンとしてとても残念に思います。
いろんな意見があっていいと思いますが、ボチボチ矛を収め、お互いの意見を尊重して作品についてレビューしましょうよ!
だあぁもう説教くさくなりました。オッサンの戯れ言だと思って下さい。駄文失礼しました。
この映画を観た記憶を消したい
スクエニの映画はよくやらかしてますが、知人がスクエニに勤めているのと、一つ前の作品のFFの光のお父さんが良かったので観に行きました。
観終わった結果は散々でした。
スクエニでは社内でこの映画のレビューを上げる運動をしてるらしいので反発して書き込ませてもらいます。
まず、冒頭にゲーム画面が映る意味がわからない。せっかく3dの綺麗な画像に出来る技術があるにもかかわらず何故作らなかったのか謎です。
次に物語の進行が駆け足過ぎて一つも感情移入出来ない。
このゲームをプレイした事ない方はもっと意味不明だったと思います。
この作品を作った監督はドラクエ5をした事が無かったらしく
仕方なくプレイした人らに内容の聞き込みをしたとインタビューにありましたが、本当に聞き込みをそのまま映像にして端折った内容でした。
極め付けはラストのあれ。
原作どころかゲームやアニメが好きな人間自体に理解がない監督なのだろうなと感じました。
映画とはビジネスなのだし、対価を得て満足が得られなければ非難を受けるのは大人として当たり前です。
それなのに「大人になれ」と侮辱した彼らがビジネスを否定して子供のように視聴者に責任転嫁したり、工作をするのは恥ずべき事です
皆様のレビューを見て…8/23追記
初めて書き込みます。
40のおっさんが子どもと見て来ました。 皆さんはどんな結末を予想して映画館へ足を運ばれたのでしょうか気になります。
自分は、CMを見てビアンカとフローラとのオリジナルストーリーが全面に出て、ゲマを倒すぐらいを予想していました。 なので、映画本編は内容を詰め込み過ぎでドラクエ5をプレイしていない人は、かなり置いてけぼりを喰らうモノだと思いました。
全てのレビューを見たわけではありませんが、共有出来る部分と出来ない部分がやはりあります。 皆様片を批判する訳でなく、自分個人としての意見として見て頂けたら幸いです。
酷評の代表とも言える「大人になれ」
エヴァでも似たことありましたよね(笑)
確かにドラクエでするべきではなかったと思います。理由は年齢層の違い。
監督のメッセージとしては受け入れれましたが、子どもは突然データだVRだと言われても理解出来ず、?が飛び交ってました。
自分自身もこの瞬間は苦笑してしまいました。 その後、子どもと映画の感想を話したのですが、ラスト10分までは自分も子どももドラクエの世界に入り、映像も展開も音楽も間違いなく楽しんでいました。
そして、どういう展開だったら良かったのかと考えると、
ゲマを倒す直前にミルドラース(ウィルス)が登場すれば良かったのではないか
と思いました。 そうすれば、『ゲームだって現実だ』という主張も伝わったのではないかと。
その意志を抱いて、ゲマとの激戦を戦い抜き、天空のつるぎで魔界の門を閉じ、プサンあたりが「『今回は』ゲマを倒し、魔界の門を封じミルドラースからの脅威から世界を救った」という終わり方だったら、ここまでの酷評はなかったのでは?と思いました。
実際、伏線も分かりにくかったのも問題だと感じました。 オババの薬が一番のポイントだったのかもしれませんが、そうするとフローラの行動が理解出来ません。
変化の杖でタネ明かしの時、スラりんが横に居れば良かったのではないかと思いました。
その他、ゲマがオーブを潰すシーンは必要だったと思うし、ビアンカ、フローラが出てきた時も前半のカットをフラッシュバックさせれば分かり易かったのでは?
ゲレゲレに至っては一度襲われるが、ゲレゲレが気付き、ビアンカのリボンをリュカに見せて気付かせるとか
ラストは愛を語るなら、パパスとマーサの穏やかな笑顔の演出も不可欠かと。
素人がこう思うんだから、製作側の練りが浅いんだと感じる。でも、じゃあ今までのドラクエ作品にはどんな感情があったのかと自問自答するのに辿り着いた。
アベルのドラクエ、ダイの大冒険、ロト紋…
その他のコミック、書籍、ドラマCD…
絵も違えば、ストーリーも違う。 他人がプレイしている他人のセーブデータって表現は納得出来る。VR機械に入っている誰かがリュカと同じ顔でなければ、顔を見せなければ、自分ももぅ少し感情が離れなかったと思う。
ただ、これも一つのドラクエ作品なんだと皆様のレビューを見て落ち着きました。
賛否両論の真ん中を行く、気持ち悪い感想になっていますが、アレはないで~と否定だけでは誰得?な状態だとも思います。
まぁ、…声の演出には否定的なんですがね… リュカ、MAXライダー
フローラ、オババの方が上手いやん
スラりん、突然加持さんに
パパス、ぬわ~!!感がイマイチ
マーサ、聞いてられなかった
サンチョ、ガラスの仮面よりセリフあったね
良かったのは、セリフはキチンと聞き取れたことかな。
総評すると、タイトル負けしてる。 リュカの体験記程度ではないだろうか。
ストーリー、演出はイマイチ
けど、映像はドラクエの世界へ確かに引き込まれました。
音楽は、すぎやま氏が場面に合わせた選曲だと思います。
見る価値とすれば、DVDやBRを買う程ではない。家に5.1chの音響があれば、レンタルで十分。
まぁ、この映画に一番つっこむなら、幼少期スキップなら奴隷から始まるんとちゃう?
※追記
高評価の方に聞きたいのですが、
ラストのウィルスを倒したのは、スラりんが勝手に突然飛び出して来て、ロトのつるぎを渡してくれたから打破出来ただけで、プレイヤーの「リュカ」だけでは何もする事が出来なかったはず。
そこに達成感が生まれるのは、どういった解釈をすればいいのかが不明です。
あと、プログラムに逆らったフローラの行動も何だったのかも、良ければ教えて頂きたい。
以上、長文で拙い文章でありましたが自分が感じた気持ちです。
原作漫☆画太郎だと思って見ればいい
幼年期のショートカットはやむを得ないし、それに伴いキラーパンサーとの再会やフローラとビアンカを選ぶ苦悩が伝わり辛くなってるのも仕方ないだろう。 ゲマを中心としたパパス、主人公リュカ、息子アルスの大河的な因縁の付け方は、やはり原作が良いためか、美麗なCGで演出されると興奮と感動を覚える。
が、しかし。 再三指摘されてるが、あのオチはなんだ? 君たちの物語だからVRの世界だと? それは百歩譲って許そう。
で、ミルドラースがウィルスだと? 僕は飽きれて笑ってしまった。
そしてこの脚本家が「このオチなら感動と話題性間違いねー!!!」という自信の元に制作されたと思うと寒気がした。 ここのCGスタッフも含めて、「こんなオチ何が面白いの?」ってツッコム人いなかったの?
井浦新はミルドラース役やってくださいって言われて渡された台本が「俺はウィルス」って台詞見て死にたくならないの?
一部の界隈ではメタ的な構造は賞賛を得る流行りの展開なのかもしれないが、リアルタイムにプレイした客って子供の頃にやったドラクエがついにCGで再現される!あの頃の脳内の思い出を如何に現代で技術で蘇らせてくれるんだろう?っていう期待感を持って映画館に足を運んでるんだよ。 その人たちが、「俺はウィルスだ」「俺はアンチウィルスだ」ってやり取り見て、すげー!!!ってなる訳ねえだろ。
漫☆画太郎さんが罪と罰や星の王子様の漫画をギャグで書いてるけど、アレと同じと思って見たら楽しめるかも?エンドロールにアドバイザー漫☆画太郎って書いてトラックオチにでもしてくれた方が幸せな作品です。
DQⅤをプレーしたことある別の監督が作っていたら満点になり得る作品だったという意味で2
キャラのCGと戦闘は悪くなかったから0評価ではないが、全体的に脚本が酷すぎた。
調べてみて、監督(脚本)がDQⅤを未プレイと聞いて激しく納得した。
※詳細なネタバレもあるので、未視聴の方はブラバ推奨です。
まず、原作未プレイを置いてきぼりにする端折りっぷり。
では、原作ファン向けだったかというと、原作ファンの皆さんがお怒りのとおり、未プレイ監督の独りよがりな意見の押しつけで、誰向けの作品なのかわからない。
かろうじて見れる映画になってたのは舞台がDQⅤで、DQの音楽使っているから音楽が良いだけで、この映画特有の部分、監督がいじった部分はことごとくダメだった。
多くの皆さんがラストがダメだったというけれど、それだけではないと思う。
逆にラストが納得できるものだったから評価5というレビューもみるけれども、その評価は誤っているとしか思えない。
その理由はラスト以外の点も問題だらけである上、ラストの部分もヒューマンドラマとしてみたとしても、矛盾だらけの酷い脚本だったからだ。
まず、ラスト以外の問題点だが、
たとえば、主人公がビアンカに「俺の背中を任せられるのはお前だけだ、レヌール城でもそうだったように」と度々、端折った部分を無理矢理に補完する説明口調なセリフが出てくる。
開始早々すれ違っただけの関係のフローラが主人公に一目ぼれしたり、幼なじみ扱いされて主人公が行方不明の間、夜な夜な泣いていたという謎の改変、サンタローズで主人公を見たサンチョが突然泣き出してゲーム後半再会時のセリフを言ったり、ヘンリーが奴隷になった後も生意気なままだったり、かと思ったらピンチになったら駆け付けるだのご都合主義なことを言い出したり、
序~終盤まで要所要所で視聴者を白けさせるセリフや改変が出てくる。
ここまで酷い脚本だったのはひとえに原作を遊んだ経験がないからで、もしそうじゃなかったらこうはならないと思う展開ばかり。
特に私の中で、最も「そうはならないでしょ」と思ったポイントは、「幼少期の省略」だった。
皆さんはDQⅤで印象に残っているところはどこか、聞きたい。
もちろん人によってそれぞれだろう。
けれども、私の友人含めて共通していたのは、「幼少期がとても印象に残っている」という点だった。
「幼少期」はゲームの中でも、裏ボスを倒すまでの全過程でみたらかなり短い。だからこそ、監督はここをカットしたんだと思うけれど、私にとってはここが一番DQⅤで思い出深いポイントだった。
もっとはっきり言えば、私にとってDQⅤが映画化すると聞いて一番見たかったのは幼少期だった。
というか、もし仮に映画の設定どおり、VRゲームとしてDQⅤをプレーし、ゲーム主人公の記憶を追体験できるのだとしたら、私はほとんどのプレーヤーが幼少期を省略することはないと確信している。
それほどにDQⅤの幼少期の完成度は高い。
冒険のドキドキ、ワクワク、友情、家族の愛情、初恋、それら全部がこの短い期間に詰まっていた。
私の人生の中でも暖かくて幸せな感情をこのゲームからもらったと思う箇所でもあった。
ここをカットした時点でこの映画に対する評価は地の底に落ちたし、ここをカットすることを選択した監督はDQⅤの魅力を何もわかっていないと確信した。
今回の映画のメインは結婚相手の選択になっているが、そもそも映画だけの経験でいえば、フローラもビアンカもほとんど話したこともなければ、そのキャラクター性も掴めない相手で、選ぶもクソもない。
特にビアンカとの絆は幼少期がもっとも大事なはずで、ビアンカを選ぶのなら、幼少期をやらないと話しにならない。
私も主人公と同じような年齢の頃、DQⅤをプレーして、幼なじみのビアンカに出会って、お姉ちゃんぶってるところとか、わざわざ起こしに来てくれるところとか、かといっておばけが怖くなると主人公に泣きついてくるツンデレなところとか全部が可愛くて、これが私の初恋だったと言っても過言じゃない。
夜寝静まった村の探索やレヌール城のお化け退治という名のデート、
幼少期のビアンカとの冒険はレヌール城攻略だけじゃなく、ブーメランや茨の鞭を買うまで何夜もかかるところ、マップ上行ける範囲を冒険しつくしたところも含めて記憶に残ってる。
そうしてレヌール城が終わってビアンカと別れたときは本当に寂しくて、どうにかビアンカに会う手段はないものかと模索したのも覚えている。
こうした過去に関するエピソードの紹介が一切ないままビアンカを選ぶというのはあまりにもビアンカの魅力をわかっていないし、ビアンカの魅力を見せる気がないとしか思えない。
映画で表現されているビアンカの魅力は何でも言い合える関係とのことだが、そうした関係になった部分を見せずして、なにを言っているのだろうか。
映画ではビアンカの幼少期エピソードを全てカットした上で、ビアンカとよくわからないいきさつで再会した上、よくよく考えたらやっぱりビアンカが好きだったとかいう脈絡も何もない気づきを得て結婚が進んでいくわけだが、はっきり言ってあり得ない。
映画を見ている限りでは、主人公の悩みには全く共感が持てなかった。そもそも当初は悩んですらいなくて、フローラに求婚した後に謎の薬を飲んで、悩み始めるという超絶白ける展開。
後にネタバレがあるのだが、薬を飲むと「フローラを選ぶ」、「自己暗示」とかいう白けるメッセージウィンドウが出てきて、さらにその奥までダイブしていき、やっぱりビアンカとなるわけだが、映画をみているときには「フローラを選ぶ」「自己暗示」というところで、「は?なにそれ?意味不明」となる。本当に好きとかじゃなくただの自己暗示ってなんだよ、バカにしてんのかとすら思う。
そんでもって、映画後半に元々現実の主人公が、VRゲームを開始する前にフローラを選ぶという暗示をしていたからこうなったということが判明するわけだが、これで「メッセージウィンドウの伏線回収できたし、納得!すっきり!」となるかといえば、全くならない。
むしろ、この主人公は、リアルにどっちが好きかを本気で悩み、葛藤していたというものではなかったと判明して、かえって不愉快になるだけ。
結婚エピソードを見ていたときに主人公の悩みに共感を持てなかったのはあまりにも当然だった。
しかも、そうしたVRゲーム開始前に設定していた自己暗示を、まったく説明されず、わけのわからない理由でもって破壊するという理解不能な展開。
こんなリアリティもなく、ただの茶番劇だったというオチをつけるなら、なんで劇中の貴重な時間をここまで割いたんだろうか。
それこそ「幼少期」のように全部カットして「ビアンカが嫁になりました」という結論だけのほうがまだマシ。
「この映画の結婚相手を選ぶエピソードが良かった」という評価をちらほら見かけるが、本当にそうなのだろうか?と、激しく疑問を感じる。
こんな何のドラマもなく、人間らしいリアルな葛藤も悩みもない茶番劇をみて何が面白いのだろうか。
しかもオチ以外の点でも、一度はフローラに求婚しておきながら、ビアンカに求婚するとかいう一途でもなんでもない浮気性な主人公のサマまで見せられて、不愉快になるばかり。
普通、求婚した以上、それを翻して婚約破棄するなら誠心誠意本人に対して謝るのが筋ではと、主人公の品格まで疑う。
同じ町の宿屋でビアンカとの結婚式をあげて、フローラに真実がバレることをしておきながらルドマンの好意に甘えて旅立つとかどんだけクズなのか。しかも、全部フローラの自己犠牲でしたというオチを付けるから、主人公のクズっぷりが一層際立つ。
子供の教育に良くないからこの映画は子供には見せられない。
ああいうオチにするなら主人公が直接フローラに謝罪に行って、そこでモシャスしてネタバレするって展開で良いのでは?
ラストの大人になれとかいうセリフの当否以前に、監督には普通の良識人になれと言いたい。
DQという影響力ある題材を使って、婚約相手に謝ることなく婚約破棄するクズ主人公にすることによる社会的影響を考えて欲しい。
謝罪という嫌なことから逃げておきながら、「キミは勇者」とか吐き気を催す。遠回しにキミは社会的に責任を果たすことはできない、ゲームの中でいきってるただのガキと言っているだけにしか聞こえない。
終盤で伏線回収する系は、あざやかに、かつ、爽快に回収して物語を展開するのが本当にうまい脚本だけれども、伏線を回収した結果、より不愉快にするのは二流以下じゃないだろうか?
せっかくDQⅤの素晴らしいストーリーをことごとく改悪するバカな脚本家(監督)だなと思う。
つづいて、ラストの部分含めた脚本全体の問題点であるが、
この映画のダメなところとして、冒険譚ではなかったことがよく指摘されている。
私もその通りだと思う。
子供から大人まで楽しめるDQ映画にするのであれば、最後まで冒険譚を貫くべきだった。
そして、冒険譚にするのであれば、一番冒険がワクワクする瞬間である駆け出しの「幼少期」は欠かせないし、ラストの余計な部分を省いて「幼少期」を入れていればここまで酷評はされなかっただろう。
この映画はラストに急に冒険譚ではなく、ヒューマンドラマに変化するのであるが、これが冒険譚を楽しみにしていた視聴者を裏切ることになった。
しかも、私からすると、そうしてわざわざ改変したヒューマンドラマが、上記のとおりあまりにお粗末で、不愉快になる伏線回収しか存在しないから、この映画を評価する気になれない。
その上、視聴者を白けさせる世界背景を説明するだけの長々としたセリフがラスボスからペラペラ告げられる始末。
今回のラストに納得したという方々は果たしてこんな説明口調なセリフ回しも含めて面白いと思ったのだろうか?
本来そうした背景・世界設定の説明は、物語を見せながら自然と視聴者に理解させるように展開しなければいけないのに、説明口調なセリフを、よりにもよってラストにラスボスの口から言わせるのは脚本家として一番やってはいけないことではないだろうか?
そんなのはラノベでやってくれと思うチープな脚本。というか、最近のラノベをアニメ化して失敗する例も、原作で出てくる設定説明部分を主人公が長々説明して白けるからなのだが、この映画も同じ過ちをしていると言わざるを得ない。
しかも、そうしてDQⅤの世界に無理やり登場させた裏設定だったからこそ、ウィルスの目的も曖昧だったし、その背景にある思想も不明だから、敵意含めて感情移入しようがない。
そもそもウィルスが忍び込んだのが、DQⅤのVR空間であるなら同時にプレーしている勢もいるわけで、何故に今回の主人公だけが戦っているのか意味不明。
というか、ゲームでバグが発生した際にプレーヤーが解決するというのは聞いたこともない。本来戦うのはゲームの運営スタッフで、中にいるプレーヤーはサバメンテでフリーズする中でただ解決を待つしかないはず。
映画では、本来、中にいるプレーヤーにはどうしようもない問題を無理やりワクチンプログラムが登場してそれを使って主人公がウィルスと戦うことにさせているけれど、結局ワクチンあるならやっぱり主人公が戦う意味なくない?と思うばかりで、冒険譚の要素を無理やり挿入してきたな、と失笑しかなかった。むしろ、こんな形でロトの剣を使われて残念だった。
他にも矛盾点は多数だが、最後の「ゲームも一つの現実」という言葉は映画化に消極だった堀井さんが監督を説得し続けてようやく入れてもらった言葉と聞いた。
この言葉を理解できていなかった監督が作った物語で、最後に監督以外の者の言葉で終わる、それこそがこの映画最大の矛盾点といえるだろう。
総評だが、この映画は評価すべき点はCGと戦闘だけで、脚本はDQⅤの魅力を全くわからず、かえって下げることしかできない監督が作った酷いものだった。
きちんとDQⅤをプレーし、その魅力を理解した脚本家が作っていたなら、このキャラCGと戦闘の表現を活かして最高の冒険譚にもできたと思うと残念でならない。
稀に見るクソ映画
賛否両論どころか否定的意見しか出てこないクソ映画でした。
普通に終わらせれば良かったのでは?
あの演出、ストーリーを最後に入れて観客の期待を悪い意味で裏切ったことに気づいてないのは本当に痛々しい。
こういうところがポケモン系との違いですね。
売れない作品しか出てこない。
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