ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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純粋にひどい
小さい頃からのドラクエファンですが、絶句しました。
まず冒頭のシーンですが、ドラクエ5の醍醐味とも言える幼少期のシーン…父親パパスと旅をし、ビアンカとレヌール城を冒険し、ベビーパンサーと出会い…などなど様々な事が起こります。
この幼少期のシーンがあるからこそパパスの死に衝撃を受けゲマに強い怒りを覚えるし、レヌール城での冒険があるからこそドラクエ5の目玉と言ってもいい結婚イベントが盛り上がるはずなのに端折ったせいで新規の人もわかりにくいしファンの人も物足りない結果となってしまいとても残念です。
そして何と言ってもラストのシーンはひどすぎますね…
原作をを知らずに見ている人もいると思いますが見にくる大半がドラクエファンということはわかっているはずなのにそのドラクエファンの思い出を冒涜するような発言するミルドラースもどきみたいなのが出てきた時には言葉が出ませんでした。
しかもドラクエのように今もシリーズが続いていて子供の頃からずっと今でもプレイしている方がたくさんいるような作品で大人になれ、現実をみろとか正直ふざけんなと思いました。
他作品ですがソードアートオンラインのように監督自らで新たなゲームの世界観を作り出してこのような話を作ったら評価は違ったかもしれませんが、監督の俺のメッセージ性すごいだろという自己満にドラクエを使われたようでとても不快です。
後声優に俳優を使うのをやめていただきたかったです。
ちゃんとした声優さんでも元が音声のないゲームで自分の中のイメージが強くなりがちで違和感あるのにそこに雰囲気すらあってない俳優を使われると違和感しかないです。
ただ音楽と映像は素晴らしかったです。
最初からそういう話だと言っておけばよかったのに
公開初日に見に行きました。
原作既プレイですが、これはドラクエ5の映画ではないので関係なかったですね。かといって未プレイではきっとついていけないし何の感動もないですよね。誰に向けた映画なんでしょう?
最初ゲーム画面から始まる演出が面白かったんですが、そのままぬるっとCGへ。何の効果を狙った演出なのかわからなかった...ただ端折りたかっただけなら最悪ですね。
結婚のくだり、最後に伏線回収するとはいえ主人公がクズにしか見えなかった。
原作の大好きなシーンはことごとく省略・スキップされ爆速でクライマックスへ(体感2時間)。
あーこれがやりたかったのかー...
終了後、まわりは文句の嵐でした(笑)
展開自体はまあ無くはないんですが、ドラクエでやる必要はないしラスボス(?)の主張に対して自分自身特に反論がなかった😂ゲームは本物なんだああ!!って言われてもただ駄々をこねる子どもにしか見えない...もっと良い落とし方はなかったの?しかもスラリン()が速攻で解決しちゃってめちゃくちゃ笑った😂
CGのクオリティーやモーションはすごく良かったです。
ゲマやヘンリーもよかった。
もう広告段階でこういう話だと言ってしまうか本編中で描写するか、せめてもっとわかりやすく匂わせてくれたらまだ違ったのかなあ...
ドラゴンクエストに愛をこめて
ドラゴンクエストⅤをベースにした新映像作品。予告の映像からわくわくした。あのⅤの世界をどう表現してくれるのだろう。これは、ドラクエ史に残る名作になる、そう直感した。そう楽しみにしながら劇場へと足を運んだ。
壮大なストーリーを、一本の尺に収めるのはとても困難であり、省略するのはある程度仕方のないことだとは思っていた。プレイしたことがあるならば、補完して観ていけばいい。
ストーリーはⅤを丁寧になぞっている。ビアンカとフローラで悩む葛藤、ゲマの絶望感。あの日、自分が体験した感覚以上に、世界に入っていける気がした。嬉しくなった。
そしてクライマックスで裏切られた。
観ていた世界の破壊。主人公に感情移入できるように仕向けておきながら、自分たちは主人公の側にいなかった。ゲームの感情移入を否定するやり方。
映画館を出て、一緒に観ていた子に謝った。ごめんな、でも俺もすごく楽しみにしていたんだ。それから、帰る道すがら、怒りがふつふつと沸いた。
なぜ、こんな話にしたのか。ファンに深い傷をつけるような展開にする必要がどこにあった。あれほどドラクエを愛する者達に対して呼びかけておいて、世界を否定するのか。
中には、ドラクエのプレイヤーばかりに向けられた作品でないのだからという意見もあるだろう。(それならば予告や宣伝の仕方は欺瞞である)観客ひいてはこの社会に対しての前向きなメッセージ?は感じられた。それを受け止めてなお言いたい。
それを伝えるのにドラクエⅤを使う必要がどこにあったのか。ドラクエを出汁に使い、世界やプレイヤーの気持ちを踏みにじってまで伝えたい深い話なのか。これを名作だと言う映画批評家たちは映画の向こうにいる、目に見えない二十数年前前から続く、何人になるか分からないプレイヤーやファンが見えていない。
この映画には、監督の浅く身勝手な受け狙いばかりが感じられる。そういうことをやりたいのなら、ご自分のストーリーで伝えていただきたい。それから、あの程度のメッセージはわざわざ伝える必要などない。それは、プレイヤーだけの、自分の中にだけあるとずっと我々は知っている。この話よりも、よほどⅤ本編のほうが深い人の愛とメッセージにあふれているということも。
最低最悪の映画
たいしてドラクエ5を好きではありませんが、
途中までは絵がきれいで感動していました。
しかしラストの展開は最低最悪。
ハイスクール奇面組のゆいちゃん夢落ちと同じですが、この物語を面白いと思って没頭している人ほどガッカリする展開だと思います。
メッセージを、読み違えるな。
ユアストーリーの意味を、独りよがりな誰でもないプレイヤーのひとりだと考えて勝手に疎外感を抱き、作品に裏切られたように感じてる人が多いのではないでしょうか。作成陣の能力不足は否めませんが、この作品を見て「大人になれよ(笑)」がメッセージだと感じてしまう人たちって、思考回路が少しアレな方々なのかな?と思いました。明らかに冷静さを欠いています。込められたメッセージは真逆のものでしたよね。それすら理解した上で気に食わなかったのなら、「よけいなことすんな!」あたりが怒りの根源なのでしょうね。
自分の思い通りに話を進められないと怒鳴り散らしちゃうタイプの人が思いの外多いのだなぁと気づかされました。ゲームしすぎると和を持って貴しとするのを忘れちゃうんでしょうかね。
最後の魅せ方は、惜しかったね。
終始手抜き感のない美麗なCGが圧巻な作品だったと思うよ。
DQVは鳥山氏の絵柄であって欲しいとも思いつつも、あのモデルはあのモデルで、すぐに見慣れて作品のもつ世界観に違和感なく馴染んでいったしね。
物語の要所要所に「んん?」と違和感を抱くようなメタいセリフを放つ敵モンスターがおり、本作の問題点と言われるラストシーンへの伏線となっていたようだね。
ちょっと伏線として分かりづらかったのかな、という印象があったかな。
さきほど「本作の問題点と言われる」と含みのある記述をしたけれど、これは、私にとっては問題点とはならなかったからだよ。ラストシーンのおかげで、私たちの知っているDQVとは異なる物語だという点が作品のあちこちで見え隠れしていたことにも合点がいったし、映像技術が発展した近未来において、その技術を生活の潤いとして依存している人をやっかむ技術屋がウイルスを仕込んで説教じみた遠吠えをかますなんて・・・かなりリアリティのある設定だと思うよ。でも、その新設定が現れたせいで、いきなり対象年齢が跳ね上がったのは、少しトガりすぎたかもしれないね。現に、希薄な伏線と急な新設定の登場は、「物語はこうでないと許せない」という保守的な人々から大バッシングを受けているよね・・・。その点は、魅せ方をもう少し上手くやれば誰もが許容する作品に昇華できたかもしれないと思うと、惜しかったと思うよ。
最後に。
楽しめなかった皆さんには同情いたしますが、楽しめた人間もおります。
あんまり荒らさないであげてください。
最ッ高の気分
ドラクエは3からプレイし始めたクチだけど、今作のモチーフとなった5はハードを代えて今でもプレイしています。素晴らしいゲームだったと思います。
独自アレンジのせいで、悪い意味で話題作となってしまいましたが、この改変は独裁者による強行採択ではなく、原作者たちとも入念に打ち合わせをして決定した方針だったようです。
古い大ファンに媚びるのではなく、新規客層開拓のための冒険として、あのような現代風アレンジをしたのだと思います。
この映画の評価はとても低いですが、それでも私はこの作品を高く評価したいです。バッシングには、それだけ大勢の方にとって思い入れの強い作品だったという意味合いが強いのだと思いますが、大政翼賛会ばりの型にはまったバッシングには驚きを禁じ得ません。ドラクエファンはどこへ向かうのでしょうか。
加えて低評価帯の人間の残念な日本語?による罵倒・・・こういうアヤシい人たちが工作して今の総合評価に貶められたのではないかと邪推してしまいますね。
かなりキレイ!ドラクエっぽい!
ゲームハードが新しくなって、昔からあるシリーズの最新作をプレイするたびに感じる感動って多分この映画を見てる感じだったと思う。「ゲームもここまできたかぁ・・・!」
VRだと知らされてなお、主人公が羨ましかった(笑)
この世界なら没頭していられそうだし、この世界を守るためなら必死で足掻いて道理だってひっくり返したくなるよ。
彼は逃げなかった。彼に勇気を貰った。
なんてことはない、「天は自ら助くる者を助くる。」を言い表したような展開だった。まさかスラリンに天を仕込ませてあるとは思わなかったが。
音楽……
音楽もドラクエ5じゃないし……統一して欲しかった
雰囲気で音楽を決めたのか…
オチがオチだったからなのか、、、、
スタッフがドラクエを知らなかったのか…
それと、最後のボスの言葉は傷ついた…
すんごく傷ついた……
オタクって思われても良いっす。
だってこのゲーム大好きだし。
オチの流れよりも、ボスの言葉。
あれは、本当にダメっす。
夢とか、希望とか…なんか、全部失った感じで…
ホントに
泣きそうでした
主人公役の佐藤さんが
『最後泣けました』って、こういうことだったのかなって、、、
ガチで
立ち直れないかもしれない
犯人はヤス
公開から賛否両論の作品ですが
国民的作品であること
ゲームとして楽しむ作品をどう映画にするか
という作り手の苦悩はあったと思います
じゃあやんなよ、は言いっこなしでw
個人的には伝説の助手が犯人という
オチをつけた堀井雄二氏が監修している
のだからこういう結末を考えたのも
むべなるかなという印象です
問題はオチとして凄く弱かったこと
主人公がやたら多弁な理由も伏線だったと思いますが
それがわかりかけてきたとこでアレですから
頭に来た人も多かったでしょう
攻めどこ守りどこを間違えてしまった
作品だったかもしれません
なまじダイの大冒険やロトの紋章など
映画化も期待されていい漫画作品がある中で
観る側からすると首をかしげる出来だったかも
しれませんね
大作過ぎて詰め込めないから、理由をつけて逃げた作品。
宣伝だけを見れば「ドラクエ5が3DCGで映画になったよ!」あの頃のワクワクとドキドキを垣間見れる!と期待させられる作り。
前半から中盤にかけてはプレーヤーとして長編大作なことは理解しているので、尺の関係で端折る部分があるのは仕方ないよね、と思いながら鑑賞。
・妖精の村が出てこない。
・唐突なヘンリーの誘拐
・ビアンカのリボンのくだりがない
プレイしてない人は、ヘンリーに感情移入ができない。ゲレゲレの出会いもドット絵で削られてるので多分理解できない。当然ビアンカも幼馴染感がない。
このことから、ゲーム未プレイには楽しめないなと感じた。
中盤から後半。
・不幸なフローラが報われるシーンがない。
・ビアンカが山奥で介護してるシーンがない。
・グランバニアが出てこない。
・よって王様の息子であることがわからない。
・娘が存在しない。
などの端折りがあるため、これまた感情移入できる部分が減っていく。
そして終盤。
「大人になれ」「ウイルスだ」
「ゲームばかりするな」突然の現実引き戻し。
ここまで隠してた「これはVRです」のくだり
懐かしいゲームに関わる映画だから、と見に来ただけの、現役ではない大人の客に向けて「大人になれ」という違和感しかないメッセージ。
20年前ならまだわかる。
当時の小中学生はもう30-40代だわ。
好きと言ったわけじゃないのにフラれたみたいな、納得のいかない状況のまま話は終わった。
プレイヤーでなければ理解が出来ないし、
ストーリーが雑なので、ゲームしたことない人にもこの映画を勧められない。
映像が綺麗でキャラクターがディズニーのように表情豊かな部分だけが見どころ。
調べてみれば監督はドラクエ5をプレイしてないとのこと。SFCだけで280万本売り上げたタイトルに対して未プレイのまま映画に関わるのは論外。
何より、これはドラクエじゃなくて、
「ドラクエをプレイしてる人の映像を見せる映画だよ!」というコア部分を、後半まで隠したことが許せない。
ストーリー次第で名作映画になったはずなので
残念でならない。
ドラクエ大好きです。
自分はドラクエVを
確か並んで買ったんじゃなかったかなー
ははは…うる覚えでした。
今まで何度もプレイした口です。
なのでこの映画は
懐かしの名シーンに懐かしの音楽が
重なり
やっぱりドラクエVいいね〜と思いながら
見てられる回想VTRでした。
なので逆にではないのですが
あれだけ端折って
あっさりビアンカ…
っていうかフローラ自らそうなるように
仕向けてたのかーい
は嫌いです。
あの設定に当時どれだけ悩んだと
思ってんだ!
タカがゲームでとか
気持ち悪いおじさんとか言われても
どれだけの罪悪感を感じながら
ビアンカ選んだと思ってんだよー
ちくしょ〜
時間が足りないとか理由は
色々あるだろうけど
あれは嫌いだったなー
まあほかの方々が色々言ってるので
あんまり最後の方の残念感は
詳しくいいませんが
オイラは嫌いです。
あとまあ
映画や映像になるとこういう解釈に
なっちゃうんだなーって
感じて嫌いだったシーンを、ひとつ
ドラクエって
最初に戦って勝てなかった敵を
レベルを上げてこんどこそ!って
気持ちで戦いに挑むゲームだと
思ってるんですね
オイラは…
なのでこの主人公や勇者達は
なんで強くなってるのかよくわからねーなー
ってなんかのっていけませんでした。
ゲマの部下の二人?二匹?なんて
一瞬だし^_^
天空のつるぎ装備できれば強いの?
なんか石になってる間に強なった?
うーむ
まとまらない
まあ好きな映画になりませんでした。
そこまで悪くない…やっぱり悪い
酷い酷いと聞いて、どれほど酷いのか気になって見てしまいました。映画館で映画を見るなんて10年以上ぶりのこと。ドラクエは昔メチャメチャやった。
良かった点
キラーパンサーの名前がゲレゲレ。
残念だった、疑問に思った点
ピエール、ロビン、シーザーは出して欲しかった。
天空の剣を魔界の穴に投げ込んだのに、なぜ魔王が出てきたのか?
フローラと結婚するとプレイ前に設定したのに、なぜゲームの登場人物でしかないフローラがそれを覆せるのか?
問題のラストについて
そこまで悪くない。最終回の最後に「続きはHuluで」とかやってしまう某連続ドラマや、人気マンガをことごとくダラダラ引き伸ばして、人気がなくなって人知れず打ち切りになる某週間漫画雑誌などよりだいぶマシ。
理由は、一応終わらせたから。
クリエイターは1つの作品を責任もって終わらせて初めて一人前のクリエイターだと思うし、終われない作品は作品として評価に値しない。
この映画は、監督が、それなりの覚悟と意思をもって、終わらせたことを評価したい。
山崎監督やスクエニについては、今後が少し心配。
山崎監督が今後どんな映画を作っても、「でも所詮ただの映画でフィクションでしょ?映画なんて観てないで大人になれ」と言われかねないし、スクエニがドラクエの新作を出しても、「所詮ただのゲームでしょ?」となりかねない。
それでもこの映画のラストであれをやったのはある意味すごいと思う。
あのラストはあれはあれで良いと思うが、原作に従った部分の面白さに比べて極端につまらなく、あのラストを面白く出来ていれば良かったのだと思う。それだけ原作の面白さが偉大だということか。
当初、星3つとしましたが、思い直して星0.5です。
「三部作の超大作にすれば良かった」という意見が多いようですが、もし三部作にしていたら、人気と予算がなくて三部まで作られずに打ち切りになっていたか、多分ないだろうけどもし仮に大ヒットになっていたら、三部でちゃんと終わらずにダラダラ引き伸ばしになっていたと思う。だから、続編が出る可能性を完全に排除し、ちゃんと終わらせたことは評価したい。それに、この監督に、超大作三部作を作る力があるとは思えない。
監督のインタビューでの発言「ドラクエにかける時間はない」、映画製作者のドラクエに対する明確な悪意、ウィルスを作ったゲームが嫌いな人とはまさに映画製作者以外の何者でもないこと、を考えると、映画史上最低の映画と言えるのではないか。
大事なことなのでもう一度強調する。
「ウィルスを作ったゲームが嫌いな人とは、映画製作者のことである」
この映画と最低の座を競うという、実写盤デビルマンを見てみたいと思ってしまった。
でもデビルマンは、単に出来が悪いというだけらしいので、ドラクエのほうが最低なのではないか。
割と面白かった
ドラクエは未だにプレイするくらい好きで、今回の映画化も楽しみ半分不安半分で観に行きました(またまた事前にレビュー見まくった←)
ドラクエ5はやはり根強い人気なんだな〜と痛感。ちなみに世代ではないんですが5はプレイ済です(余談ですが8が1番好きなナンバリング)
そもそもドラクエの主人公が自立して歩き回ったり喋ったりすること自体違和感MAXなんで(ヒーローズとかでだいぶ慣れましたが)、ストーリーが原作と違っても気になりませんでした。
私もビアンカ選んじゃう気持ちめっちゃ分かる〜!!って物語後半で共感。個人的にはアンディ(原作でビアンカ選んだ時のフローラの結婚相手)とか出て欲しかったな。
脱獄のところとか、結婚のところとか物語をもう少し掘り下げてほしいな〜と思った場面もありましたが、ちょこちょこ他のナンバリングのネタが出てきたのは嬉しかったです。(息子の名前がアルスとか、ロトの剣出てきたり、仲間はスカウトモンスターの名前だったり)
あと思ったのが、主人公の性格がすごく少年っぽい。私の想像する主人公ってもっと大人しい感じなんですよね〜。セリフの節々に現代っぽさが混じってて後に「あ、この違和感はVR(っぽい)設定があったからなのか」と納得。
だから主人公の性格も、その人の人格なんだなと同時に納得。(あなたの世界の主人公はそうなのね。みたいな)
妖精の国とかでも「今回はこの設定なんです」で現実とバーチャルの境目が垣間見えます。
そしてドラクエの世界でもうひとつ好きなのが音楽。効果音とか一つ一つの音がツボで良かったです。あと、装備も装飾品も好き。つくづく私はこういうものが好きなんだなぁと観ながら思いました(o^^o)
ラスボスはゲマでもミルドラースでもなく、コンピュータウィルスとは…っていうどんでん返しなんですが、あの終わり方で良かったな〜と思います。
ゲームでは主人公って【勇者の父親】っていうポジションで終わるんです。当時はそれにめちゃくちゃ衝撃を受けました「え、私(主人公)が勇者じゃないん…?」みたいな。
主人公の座を途中で取られたような気分になりながらも、一応ここまで来たのだからという思いだけでエンディングを迎えてました。
だから今回の映画をみて
主人公は【天空の勇者】ではなかったけど、この物語の【勇者】になったので、最後まで自分が勇者の気分でプレイ出来なかったあの時のモヤモヤが消化されたように感じました。多分原作のまま忠実に再現されていたら「主人公勇者ちゃうんなら別のナンバリングにしてくれよ…」って途中からもやもやしながら観てたと思います。
この映画はそんなモヤモヤを解消したい人にこそオススメかな〜と思いました。
ようやくわかりました。
この映像作品が面白くない理由がようやくわかりました。
映像、演出、音楽。どれも及第点もしくはそれ以上のものが揃っているのになぜ面白くないと感じてしまうのか。それはやはりラストの展開でしょう。
しかし、多くの人がラスボス=ミルドラースの登場が唐突だとか「大人になれ」に腹がっ立ったなどという理由で批判しているのではないのです。
それはミルドラース、ひいてはミルドラースの製作者(以下製作者)の幼稚さにあると思われます。
ミルドラースは自身が生まれた経緯について「製作者はこの作品が嫌いだった」「ただ気に入らないから」「面白半分でやった」という幼稚な動機をあげます。
つまり製作者自身が「大人になれない子供」だったのです。
視聴者からしたら「世界を滅ぼす親の仇」(ゲマ)という存在のラスボスから「自身のわがままでイタズラを仕掛けた子供」(ミルドラース)というラスボスへ変化したわけです。
これでは物語は盛り上がりません。
映画を見て、あの場面を見て、批判している視聴者の人たちは怒っているのではありません。冷めているのです。引いているのです。世界を巻き込む壮大な話しのラストで子供のわがままを聞かされて白けたのです。
子供のイタズラに本気で怒る人はいません。本気になって、同じ目線で怒るのは同じ「子供」です。大人は本気で「叱る」べきなのです。注意を促すべきなのです。
だというのに主人公は「ミルドラース」に対してただ抵抗し、用意プログラムされたプログラムで「ミルドラース」を「倒した」だけです。これではいけません。
せめて「製作者」の思想、思惑を否定し、自身の力で倒す。そして、「製作者」に自身の思想と力を認めさせなくてはいけなかったのです。
この展開に喜ぶのは周囲の空気に流されやすく雰囲気にのまれやすい人か、もしくは製作者同様に幼い精神(同じ目線)で映画を見ていた人だけでしょう。
ラスボスとは物語における「乗り越えるべき最大の敵、最後の試練」であるべきです。
それが「大人になれない子供」であってはならないのです。愉快犯であってはならないのです。乗り越える必要などなく、すでに乗り越えているからです。
ラスボスが幼稚な存在だった。これが多くの批判の核心だと思います。
ではこの物語が面白くなり、かつテーマを損なわない展開とは何か?
一例としては
ゲマを倒すまでは映画のまま→ゲマ最後の力でが世界を停止→ゲマが世界の在り方を解説し、ミルドラースに後を託す→ミルドラースが登場。このミルドラースは製作者自身→ミルドラース=製作者が介入の理由を話す(この装置をドラクエではなくFFでやりたかったみたいな理由でも可能)。この世界を壊す「必然性」が明かされる→主人公が消されそうになる→この時、今まで主人公と接してきたキャラ(AIであると仮定)が主人公と触れ合ったことで己の意思で創造主=ミルドラースと戦うことを決意し、バックアップデータを経由して復帰。全員でミルドラースに挑む→ミルドラースがゲームが意義のある存在だと認め、倒れる
このような形になればラスボスをちゃんと倒したことになり、かつ今までの冒険が無駄じゃなかったということが映像的にも伝わると思います。
この作品が面白くない理由を知ってほしいと長文を重ねて申し訳ありません。しかし、多くの人に「この映画は出来損ない」ということを知ってほしかったのです。
言わるまでもないとこだとは思いますがね。
ご意見ご感想などございましたら気軽にご投稿ください。
困ったらレッテル貼る愚かな人たち
自分と違う意見(星5)=業者認定て(笑)
一部のドラクエプレーヤーだと信じたいが、こいつらって、どんだけ短絡的な脳ミソしてるんだろう。
たとえ原作がどんなに素晴らしいものであっても、それを通して成長した人間がこんな決めつけレビューしか投稿できないようなら、ドラクエも救われないな。
こいつらの主張そのものが、原作をも貶めていることに気づくことは出来ないんだろうな。
こんなザマでは、ウイルス側が考えたように、ゲームなんてさせないで育てた方がよっぽどマシな子に育つ!という思想が跋扈するわけだよ。
本作品は最高すぎる。間違いなくお勧めですが、見に行くつもりの人はレヴューを見てはいけない。
本作品は非常に素晴らしい。話のテンポや展開に飽きることはなかった。
ラストも平凡な展開ではなく、ひとひねりあるメッセージ性の強い内容となっている。
また、そのラストを見るとすべてのシーンで納得のいく作品となっている。
(主人公がボスに殺されない理由など)
本作品はドラゴンクエストというゲーム作品が題材となっていることから、昔の思い出を頼りに作品を見る人が多かったのではないかと思う。そして作者も昔ドラゴンクエストをプレイしていた人をメインのターゲットにしているという意図も作品内から感じることができた。作者の狙い通りの客層から、何故こんなにも不満でるのか?
この不満を分析する上で欠かせないポイントが、
「作者の意図と客ののぞむものが一致するかどうか」
という事であるのではないか。
作者の意図:
昔ドラゴンクエストをプレイしていた人に対して、その時の思い出を想起してほしい。
そして、ラストでは現実(今)との対峙を示し、改めて、ゲームに没頭していた頃の思い出は確かに胸に刻まれているのだというメッセージを伝える。 → 客は感動する
というのが大まかな作者の狙いだと考える。
しかし、低レヴューを書いている人の意見は以下だ。
・ラストでしらける
・子供向けではない
・ドラクエの原作に背いている
ドラクエをプレイしていた人は原作に忠実で、最後は魔王を倒ハッピーエンドものを期待していたのだろう。たしかにそれなら子供も親しみやすい作品にはなったと思う。
ただ、私が見て感じた率直な感想は、「鳥肌モノの感動作品」であるという事だった。一緒に行った彼女も終始泣いていて、今まで見た映画の中でもトップクラスだと言っていた。
ただ、レヴューを見てから行ってしまうと、指摘されている部分が気になりすぎて世界観に没頭できないのではないかとも感じる。また原作は~だったという人も同じく、常に頭で原作をイメージしていて半ば間違い探しのように見ているのではないかと感じた。
私が思う今回の映画を楽しむコツは、シンプルに映画に没頭し、主人公と共に感情を揺れ動かされることにある。そうすればラストには、他では味わうことのできないかけがえのない感動を手にできるのではないか私は考える。
全551件中、81~100件目を表示