ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
全551件中、181~200件目を表示
映画監督はドラクエVを未プレイwwwwww
レビュー欄の高評価は運営のステマしかないwwww
途中までは普通のキャラデザがキモい映画かなーと思って楽しんでました。
しかし!!あんだけゲマが復活させようとしてたモンスターは出てこないし。
その上背景は真っ白の手抜きウイルス?みたいな奴がでてきてそいつと戦い出すからドラクエじゃない。
映画管内が最後の現実世界に戻るシーンでざわついてましたよ。「え、なにこれ」って。
こんな映画がいじじゃなきゃ企画できねーよw
原作未プレイ者も発狂のクソ設定
なんすか、あのミルドラース....?
ドラクエ5やったことが無い自分でも「あ、なんか世界観ブレイカーみたいな敵出てきた」と瞬時にわかる奴でした。
そして明かされる世界の真実。
その設定いりました?
サブタイトルのyour storyと結びつけたかったんでしょうが、完全にいらんこじつけ。
意味深なサブタイトルつければ、なんでも「お!そんな意味だったのか!すげー!!!」と喜ぶと思うなよ。
原作信者が発狂するのも致し方無し。
あのミルドラースがいなければ、なかなか良い映画だっただけに残念すぎます。
こりゃ悪い意味で話題になるわけっすわ。
ノスタルジーとリアルの融合
小中学生時代をドラクエとともに過ごした自分としては、ノスタルジーに浸れる+現実に向かわせてくれる内容でした。映画だから色々改変はあってゲーム通りではないけれど、ドラクエの世界を綺麗な映像と素晴らしい音楽と大画面で楽しむことができ満足です。
ビアンカ派の私にとってはビアンカを選んでくれただけでも凄く嬉しかった!笑
主人公のように自分も、思い出とともに前に進んでいこうと思いました。
自分好みでは無かった
ドラゴンクエスト5に関しては幼い頃にやった1度きりで大まかなストーリーラインは覚えているけど詳細は覚えていない人間で、この度中々に賛否両論の出来上がりになっているから、と言う話を聞いて視聴しに行きました。
ぶっちゃけ感想としてはタイトルに尽きる訳ですが、個人的にどう好みでないかと言うと以下の点になります。
1.補助系や回復系の魔法が登場しなかった事
恐らく画面映えしない事とかが原因だとは思うが、ドラクエの代表的な回復魔法であるホイミが出て来なかったのがあまりにも惜しい。
2.アイテム的なものがやくそうや時の砂しか登場しなかった事
これもまた画面映えやら色々な問題があるのだろうけど、自分が覚えて居る限り余りアイテムらしいアイテムが出てきた記憶がない。
背景に存在していたならば見落としてしまったこちらが悪いのだが、ドラクエらしいキメラのつばさやらきのみ系統などが出て来てくれたら嬉しかったと思う。
3.問題のシーン
映画館で針を落とした音が響き渡りそうな無音は初めて味わった。
異常な事が起こったという事を明確に示すためでもあるだろうが、エラーっぽく単一の音をピーっと鳴らしても良かったのではないかと思う。
4.自己暗示プログラムに関して
結構さらっと自己暗示プログラムが更新されましただとか、自動的にプログラムが更新されるようになってて、と作中内の係員の人がおっしゃってましたが(聞き間違いだったら申し訳ないです)何というか、幾ら不思議技術の不思議VR、現実世界とは違うのを理解してますが…………いいですね…………自動的にユーザーの意思をくみ取って勝手に更新されるプログラム………サーバー容量どれぐらい?更新されたプログラムはその人以外にも適用されるの?もしかしてメンテも必要なんじゃないの??ちょっとこっちに出て来てくれないかな………と私怨が沸いてしまいました。
本当にただの私怨でした。
5.お嫁さんイベントの辺り
自分は原作ゲームではデボラを選んでました。
大体は以上です。
細々とした部分を上げれば恐らくもっとあるかとは思いますがさっと口に出てくる辺りが弧の辺りです。
後、好みでは無い点という訳ではありませんが、少し気になる所は、この映画はどの年齢層を向けて作成されたものなのか良く分からないという事です。
子供向けにしては上映時間が長すぎで展開が遅い、大人向け、と言うかドラクエ5世代向けには描写不足が気味に感じます。
勿論個人差があるのでこれで大丈夫と言う方もいらっしゃるでしょうが、もう少し層を絞った作りにしても良かったと思います。
恐らく1カ月もすればそんな映画もあったなーと思う程度の映画でした。
刺さる層はピンポイントの映画
現役でドラクエVにのめり込んだ1980年生まれの私は、
涙か止まらないノスタルジーを前半に味わえました。
賛美両論の最後は、
エヴァ旧劇場版で庵野に
大人になれ!オタクども。
とコケにされた経験があるので、
あれに比べれば、同じような結末でありながら
ハッピーエンドで終わる
エンターテイメントとしては王道の作品に仕上がっている点を強く支持します!
リュカの著作権騒動もありますが、リュカである必然性も鑑みれば、丸く収まることを願います。
現役でこのゲームにのめり込み、エヴァの初代映画に打ちのめされた経験のある狭いターゲットにはピンポイントで刺さる映画だと思います。
ドラクエ未プレイだが見に行った
ドラゴンクエストシリーズは未プレイですが知り合いと見に行きました。見終わってみてこれは、賛否両論ある作品と皆さんがおっしゃられる理由が理解できました。
というのも、序盤から中盤まではドラゴンクエストをあまり知らない人でも楽しめるくらい素晴らしいものになっています。問題のラストシーンでも仮想現実オチは別に悪くないと思います。途中にちょくちょくあるキャラ達のメタ発言もそんなに気にならない。
ですが、終盤であのウイルス(?)が言った「大人になれ」この一言が酷い。一気に冷めてしまう感覚になりました。
視聴者は童心に戻りゲームの世界観を楽しんでいるのに絶対に言ってはいけない一言だと思いました。その後に主人公が「ゲームだって現実だ!」的なことを言うのですが、そんなことじゃ視聴者の冷めてしまった心はもう戻せないと思います。
苦難を乗り越え王道的なゲームクリアをして最後に仮想現実オチではダメだっのでしょうか、、、、本当に惜しい作品、、、
ただラストまでのストーリーはとても面白かったのでゲームもやってみたいと思いました。
せつめいよろしく
ドラクエは基本知識しかないのでなんとなくのイメージで観に行きました。
既に批判の意見が多い中でしたが、観に行ってから意見しないとなと思いましたので。
いやー分かんない。
ゲームの場面からいきなりスタートするのは斬新だなと思いましたが、あの画面に出てきた人物たちが中盤になって登場するんですね。あっという間に進んでいくもんだから流し見で観てました。
説明が欲しい。
「ここを端折った!」とか「この部分がない!」とかは分かりませんでしたが、節々と不自然な場面がありました。
ビアンカとのなんちゃら城で私が前にいたとかなんとかうんとか。
知らん…
バトルシーンはかなり燃えました!(ここで燃えてなかったらもうアウト)
ただその後のウィルス。
いる?
誰得?
オチ?
リュカになりきったつもりで観ていたのに、主人公視点に戻されてもはぁ?ですね。美談にもなりきれない美談ですね。
個人的に一番面白かったシーンはめちゃくちゃいい声のスライムです。山ちゃんサイコー!
趣向そのものは悪くない
少し前からネタバレ感想を読み漁っていたのですが、あまりにも毀誉褒貶が激しいので逆に自分ならどう思うのか気になって興味本位で観に行きました。
最初にあのオチを知ったとき、「(既にあるゲーム作品を映画化するのに)なんでそんなあまりにも人を選ぶようなことをしたんだ」と思いました。
実際に鑑賞した今、少なくとも私はこうおもっています。
「仮想現実オチは目的ではなく手段だ」と。
今まで見た感想の中で「ドラクエ5をプレイしたことない人は話の展開についていけたのか?」という話を何度も見かけました。
こういうことを言うとファンの方には怒られてしまいそうですが、ユアストにおいて「話の流れを隅々まで理解していること」はあまり重要ではない、作品はそれを要求していないと感じます。
あくまでユアストで一番重要なのは、主人公が体験する「ゲームの世界」が「劇場で映画を観ることで得られる体験」としてリアルに伝わってくること、この一点です。
どう頑張ってもシナリオは尺の都合でどこかで端折らなきゃいけないし、映画にするなら映画にしかできない長所を最大限に生かしたいと製作サイドが思うのは自然です。そうでなければわざわざ映画化する意味がない。(原作ファンの反感を買ってしまうのも分かりますが…)
そのために仮想現実という設定を作り、あの世界は別の誰かが原作の物語を体験しているということにする。作品全体のメインディッシュはその追体験であって、原作の物語そのものではない。体験することに主眼があるから、ラスボスはその体験を壊そうとした。
少なくとも私は以上のように理解してこの作品を楽しみました。
趣向そのものは悪くなかったと思います。ただ他の方も挙げているように、仮想現実だと分かる描写を冒頭に入れる等もっと良い方法はあったでしょう。観た方によっては「原作に対する敬意が足りない」「原作をダシに使われた」などと感じるのも致し方ないかと。
しかし私がいちばん残念に感じたのは副題です。あくまでひとつの作品に過ぎないものを「この作品を観ている貴方の物語だ」と押し付けるのは傲慢にうつります。投影するかどうかは受け手の自由ですが、作り手が設定することでは断じてないと思います。
RPGのプレイ経験も映画の鑑賞経験も乏しい人間の感想なので変なことを口走ってしまったかもしれません。
読みづらい文章を長々と失礼しました。
未プレイでも分かりやすく、すごいボリューム感!
台風がくる前に観賞してきました!すばらしかったです!
昔からアウトドア派だったので、幼少期からほとんどテレビゲームでどっぷり遊ぶという体験をしてこなかったのですが、ドラクエは昔からテレビで新作ゲームのコマーシャルを見る度に面白そうだと心が躍り、プレイしてみたいと思っていたものです。
この映画は、ゲームを未プレイの人でも楽しめる作りになっていました。
モンスターたちの質感がとてもきめ細やかですし、音楽、かっこいい魔法や剣、どこか牧歌的な村のマップ、かわいらしいキャラクターなど、ドラクエの世界観がとても美しくえがかれています。
きっと見る人をみなワクワクさせてくれます。モンスターたちの質感は特にすばらしく、スラリンなどはこの夏の枕として持ち帰りたいくらい、ものすごく現実にありそうな、プルプル気持ちよさそうな素材感でした(笑)
イベントも盛りだくさんで、ものすごくボリューム感があります。
ファンによってどのイベントでテンションがあがるのかには差が出ると思います。
ファンにしてみれば、許しがたい改変がラストに待ち受けているようですが、原作と違ったパンチの効いたアレンジだと思えば楽しめると思います。
ゲーム未経験の私は楽しめました。
「ドラゴンクエスト」と言えば、鳥山明先生と勇者ヨシヒコしか思い浮かばないど素人です。佐藤健さんが声優をやられるから見たというミーハーです。
ゲームをやり込んだ方からしたらどうしょうもない輩かもしれません。でも、そんな私でも、そんな私だからかもしれませんが、楽しめました。
もう一度見たいくらいです。
最初、なんでゲームの画面なんだろう?私はCG作品を見にきたのに?と不思議に思いましたが、最後でちゃんと回収されてて、なるほどね!となりました。
ラスボス対決がメチャメチャ不評ですが、監督が興奮するほど凄いラストだとは思いませんでしたが、あれはあれでありかなと思いました。
現実世界のルカは、子供の頃から楽しんだ「ドラゴンクエスト」の新しいVRでのゲームが懐かしくて楽しみでやり始めたと思うんですよね。
早くやり進めたくて、幼少期を飛ばすゲームの設定をして。(だから幼少期のエピソードがゲーム画面だったんですよね)
そしてあのラスボス。
ラスボスからの「大人になれ」とのメッセージ。
きっとルカも、今映画を見て怒っている方たちと同じ気持ちだったんじゃないかなぁ。
子供の頃から大切にしてきたゲームを無駄なことだと言われたような。
その怒りをワクチンに乗せて、ウィルスにぶち込んだと。
この辺はまぁ、ツッコミどころ満載だけど、まぁ、いいかという感想です。
この後の、丘の上から町を望むシーンがすごく良かった!
確かにここはゲームの中だけど、確かに自分はここにいる。
そんな風に思える風景。
ゲームをクリアした人しか見ることのできないこの風景、この気持ち、ゲームをしたことない私は、ちょっと羨ましくなりました。
残念なのは、現実世界の設定がワンシーンしか出てこなかったこと。ゲームクリアした後のルカが現実世界でどう過ごすのかとか、EDで見せてもらいたかった。VRドラクエにますますハマるのか、昔のドラクエが懐かしくなってやり直すのか。だいぶ気になります。
せっかくオリジナルで付け足した設定なのだから、もっと活かして欲しかったなー。そこが残念。
できればもう一度、見たいと思います。
私的にはありかな
ドラゴンクエスト ユア・ストーリー観てきました。
何やら不評と言う噂を聞いていたが、ドラクエ好きの私は親友と観に行った。(以下ネタバレあり)
最初のゲーム画面、個人的には好き。
ストーリー展開はある程度のカットは許容範囲。
フローラとビアンカのシーン、感動。納得の選択(*^^*)
最後のピンチでのヘンリーとブオーンの登場では鳥肌がたった(>_<)
ゲマに息子と二人で止めを指して映画もいよいよクライマックス、ここまでは何故不評なのか分からなかった。
しかし、その理由がすぐにわかった…
なるほどね、そういうことか。
あえて書かないけど、そういう演出ねって私は感じた。個人的にはアリだけど、あれについていけない人はいるだろうなとも感じた。特に子供はね。
ただ、どうせだったら、エンドクレジットのあとに、ゲーム機から出てくるシーンまであると良かったかな。そんな点で中途半端だったかもしれない。
それでも私個人的には95点、とにかく賛否ある理由は分かりました。あとは受け手次第かな。
私はDVD出たら、買おっかな⤴️
壮大なクソ映画でした!
良いレビューで必死ステマをされているようですが、、、率直な言葉で評価致します。
壮大なクソ映画です。
Amazonプライムで観れてもドラクエ5のファンの方は観ない事をお勧めします。
ドラクエ感をぶち壊したエンディング!
捨て言葉に『大人になれ!』と言われ
仕事帰りの大人にはキツイお言葉でした。
金返せー
大人になれ!クソ映画
仕事帰りにスーツで見ていて、まさか登場人物からディスられるとは思いもしませんでした。
オリジナル要素入れるのは仕方ないけど、あれは無いです。
2人以上で見た場合、確実に隣と目を合わせる事になる超展開で、終わった後の虚無感ハンパ無いです。
映画見るなら、1800円でドラクエ5のアプリ落とす事をオススメします。
壮大な実験だったと妄想してみる
純粋によくできた映画で感動できるし、人にオススメしても問題ない映画だと思ったというのが私の正直な感想である。
しかし、上記の感想は、私がドラクエについて簡単にしか知らない状態で視聴したからにすぎない。
この映画は、原作のドラクエVをよく知っていれば知っているほど評価が低くなる傾向にあるようだ。いくつかのレビューサイトを巡回することで、ドラクエVファンにはオススメしないようにしようと考えを変更するに至った。
これは陰謀論の域を出ないが、ある仮説にたどり着いた。以下に、映画に込められたメッセージと当サイトに寄せられたレビューの内容を見て妄想したことを記載する。
<この映画は実験>
この映画は、ラスト10分程度に巨大な実験を兼ねているのだと思う。
<実験で証明されるもの>
では、なにを調べる実験か?
『日本人はすぐ排他的になる』ということ。
もっと詳しく言うならば、
『現代人は、戦時中の極右政権時からなにも成長していない。自分の大切なものを脅かされるたちまちと結託し、大政翼賛会よろしく、非論理的かつ排他的かつ全体主義的な素質を発現する』ということの証明ではないかと思う。
<実験の目的>
作品を通して、そのような『非論理的かつ排他的かつ全体主義的』になる人間たちを露見させ、彼らの荒れ狂う言動を見て、自分の思考回路を見なおすきっかけとすることが真の目的なのではないだろうか。
<原作ドラクエVの立ち位置>
ドラクエVは、その実験のエサに使われたと認識した方がいい。
<なぜエサだなどと思ったのか?>
1)監督は戦争嫌い
なにせこの映画、監督のうちの一人は「アルキメデスの大戦」を見事に映画化しきった実績のある御仁だ。アルキメデスの大戦は戦艦大和の戦艦建造フィクションであるが、厭戦的なメッセージ性が強い。つまり、攻撃的な戦艦という題材を使いながら、厭戦的な雰囲気の作品を描くことに嫌悪感を抱かない、兵器の魔力に引きずられない、真の意味で戦争嫌い=平和を愛せる監督であると推測できる。
2)監督の目に映る現代日本
それでは、平和を愛し、厭戦的な考え方に理解のある監督にとっては、現代日本はどう映っているか?昨今では、ニュースでなにか炎上事件がおこるたびに取り巻きが正義をかたり、ほのおの中にいる人間や、彼らを擁護する人間にまでも正義の鉄槌と称したバッシングを繰り返す「非論理的かつ排他的かつ全体主義的な素質」の発現があちこちで起こっている。
これは、監督にとってはかつて日本が陥ったファシズムと被って見えたことだろう。
3)監督が手に入れたい実績
もしもこのような症状の発現を意図的に、国家的な規模で、それも日本人が最も平和について再認識するために時間を割く、8月の半ばごろをピークに自分の作品の中で発現させるとどうなるか?
一見すると平和そうな日本人だが、いかにその多くがトチ狂った素質をもっているかを日本中で上映する自分の作品の中で証明して見せ、社会現象として記録される・・・それは、彼の映画監督としての伝説的な実績となる。
4)監督にとってドラクエはエサにできる
インタビューからも、ドラクエの映画化はアルキメデスの大戦よりも優先度が低いものとして受け取られる描写があった。
彼はドラクエにそこまで思い入れはない。だからこそ自由にいじれる。そして、ご存じの通りドラクエは国民的人気を誇るコンテンツだ。彼が実験のエサに使うには、ドラクエはまたとない最高の素材だったのだ。
<実験方法>
では、どのように発現実験を行ったか。
今や大人から子供までこよなくゲームで遊ぶ時代だというのに、時代錯誤の毒親のような説教をたれる敵を物語終盤に登場させた。それも、原作が国民的人気のゲームコンテンツであるにもかかわらず、原作にはないオリジナル要素として、登場させたのである。
<発現の工程観察>
このシーンを通して、ドラクエファンは総じて最後の10分にかけられた監督の魔法で混乱し、静かに怒り、帰路で発狂し、暴力的な書き込みを始める。
<実験の進捗>
この実験は今のところ見事に成功している。
ここといくつかのレビューサイト、ブログ、ツイッター、5chの書き込みが、なによりの報告書となろう。
引きこもりが大切なゲーム時間を邪魔をされて親にぶち切れるがごとく、極めて酷似した内容のブチギレレビューで、ネットの海は不平不満にあふれ返っている。
彼らのうちの何割かは、映画をよかったと言おうものなら「映画関係者め!」「工作だ!」というコメントを寄越す始末。
これは、大政翼賛会が気に入らない相手に対して「非国民め!」と言い懲らしめるのと何が違うのか?
どちらも「こだわり」「理想」「愛」などが醜く歪み、視野と包容力が狭まり、狂っているのだ。
また、自分たちが多数派となったことで自分たちを制止しようと咎める者にまで襲い掛かるようになった。民主主義の暴走である。
これこそが、監督が見せしめたかった醜い日本人像なのではないだろうか。
そこであのメッセージだ。・・・「大人になれ。」
監督は、ここまで予測してこの実験とあのメッセージを映画に込めたのではないだろうか。
そして少しでも多くの日本人の中から、荒れ狂う彼らを客観的に見て、我がフリを直そうとする者が出てくれれば・・・!と願ったのではないだろうか。
<結論>
国を愛すること、自分の思い出を大切にすることは良いことだが、その思いはみんな同じものではない。そういった強い想いをおびやかされた時、人は感情的に反発する。そこまではいい。しかし、自分の怒りを愛のせいにして、別の人に押し付けてはいけない。
他人の庭にまでズカズカ入り込んでわめき散らしている連中は早く気づこう。その行為は、戦前日本の国粋主義者と似通ったものすごく凶悪な素質をはらんでいる。
<あくまで妄想だからね>
これは私の妄想による仮説にすぎないが、もしもこの映画のオリジナル要素がホントにそんな意図に基づくものであったのなら面白いと思う。
監督は邦画の歴史上、どの映画監督でもなしえなかったような実績を手に入れたに等しい。
ファンは見ないで
本当に悲しくて、思わず初めてレビューします。
映像は、最高です。
パパスが、ヘンリーが、ルドマンさんが、本当にそこに居て、サンタローズの美しさ、そして何よりゲマの凶々しさ!
音楽も素晴らしい。
村の音楽、結婚式の曲、あのテーマ曲が流れるときなんて鳥肌ものです。
そしてそして、あの子が勇者だとわかったときの感動ときたら!!
それだけに…ラストは許せません。
あまりにも馬鹿にしています。
今までの、人生の、ドラゴンクエストの大切な想い出をすべて台無しにされました。
こんなことができるなんて、信じられない。
誰も止めなかったのでしょうか?
面白いならまだしも、小学生でも思いつくような夢オチ。しかもそれが最悪。
人を馬鹿にしているうえにセンスも皆無……
山崎監督は、作品というものに関わる資格がないと思います。
二度と映画を作らないでほしい。
二度と、名前を見たくない。
想い出を、返してください。
誠意・敬意・熱意のない映画
低評価の理由としてラストシーンを挙げる方がとても多いので、その点は触れません。もちろん、あの展開は脱力するほどダメでした(ドラクエ作品にあんな手垢のついた古臭いネタを工夫もなくオチとして持ってきた、という事も脱力ですが、そもそもあの展開へ持っていく流れ、伏線、構成もうまくないため純粋にヘタクソだなと思います)
それ以前のシーンは良かったのに、という方もいるのですが、私はそれまでも普通に「ヘタクソだな」と感じました。ドラクエ5が何故今も多くの人に愛されているのか、その肝を真剣に考えたようにはとても感じられませんでした。
特に嫌悪感を感じてしまったのが、この作品の山場であった、結婚シーン・ブオーン戦です。
結婚エピソードについては(ゲームプレイ時には私はビアンカを選んでいましたが)、今回のストーリーであればどちらでも特に違和感はありませんでした。少年期がカットされているため、ビアンカとの交流も劇中では描かれず、どちらに対する思い入れも大差なく結婚シーンを迎えるためです。むしろ、主人公と再会した時に素直に喜びを表現している点、ルドマンの「(主人公が)死んだと聞いてとても悲しんでいた」という言葉を考慮するとフローラを選んでほしいと思っていました。
しかし結果は、「フローラを一度選んで、やっぱりやめてビアンカを選ぶ」という、「どちらかしか選べない究極の選択」に対するとても雑な第三の回答でした。
もちろんこの展開も、描写がうまければあり得ると思います。しかし主人公は「あれだけプロポーズで喜ばせておきながら」「その日の夜には思い直し」「本人ではなくルドマンにだけそれを伝え(本人に言うつもりで行ったらルドマンに会って先に話してしまって、という展開だったのかもしれませんが、描写がない点に対する想像によるフォローは無意味だと思うのでやはり「せめて本人にちゃんと伝えよう」という描写がないのは不誠実に見えます)」「ルドマンが悪者になってまでフローラにこの話が伝わらないようにしたにも関わらずよりによって町の酒場で、公衆の面前でビアンカにプロポーズをする」という、信じられない行動を取ります。これ、いい話でしょうか?私は主人公とビアンカを祝福する気持ちには全くなれませんでした。
フローラが実は主人公の本心に気づいて後押しした、という描写がありますが、主人公視点ではそんな事知らないのでフォローにもなっていません。主人公の不誠実さに対して、フローラの健気さが際立つだけです。
さらに言うなら、ラストのあの展開を考えると、単なるNPCでしかないフローラが何故「自己暗示プログラムを解除できるアイテムを持っていたのか」など、行動面にも大いに疑問が残ります。
次に、ブオーン戦。なかなか迫力のある絵も多く、戦闘は良かったと思います。ブオーンの巨大感・強大さはよく再現されていました。
しかしそのラスト。ブオーンを仲間にするくだり。主人公はブオーンの弱点である額の目に剣をつきつけ、「死ぬか従うか選べ」と告げます。ブオーンは「死にたくはねぇ」と言って従います。これ、単に命をネタに脅迫しただけです。ドラクエ5における「モンスターが仲間になるシステム」をこういう意味と解釈したのでしょうか?
ドラクエ5はシリーズ作品で初の、「主人公が(少なくとも狭義の)勇者ではない」物語でした。しかし彼は(勇者の手を借りながらとはいえ)世界を救います。これは4までの「選ばれし勇者が世界を救う」という物語とは全く意味が違ってくると思います。
三代にわたる親子の物語、結婚システムも含めた家族の物語という視点で語られることが多い5ですが、私はその本質は「それらも含め、さらにモンスターとも心を通わせる事ができる主人公」による絆の物語だと考えています。彼は強く公平で優しい心を持っていて、それゆえに「田舎の村娘であるビアンカ」と「都会の金持ちの令嬢であるフローラ」を公平に見つめることができます。あるいは、「王子であるヘンリー」とも友達になれるし、「他の人には見えない妖精」とも「人間を襲うモンスター」とも、心を通わせることができます。そういう彼だからこそ、多くの存在が力を貸してくれて、悪を打倒できる。「選ばれし勇者」でない彼も、強く優しい心で悪と闘える。それこそが私がこのゲームから受け取った最大のセージでした。
しかしこの映画の主人公は、モンスターを脅迫することで味方にします。そもそも劇中でモンスターは三体しか仲間にならず、そのうちのスライムは実は純然たるモンスターではありません(そしてキラーパンサーはおそらく原作エピソードを消化するために選ばれたものではないかと思います)。数少なく、かつおそらく唯一意図的に選ばれたモンスターであるブオーンは、脅迫により仲間になる。主人公の優しさを感じることは出来ませんでした。
もちろん、この「主人公」はプレイヤーでしかありません。彼の行動はすべて、「私たちが好きだったドラクエ5の主人公」の行動ではありません。しかし彼は劇中で唯一登場する「すべてのドラクエ5プレイヤーの代表者」です(ユアストーリー、と銘打つ以上その意図は明白でしょう)。その彼に、こうした行動を取らせる意味を考えなかったのでしょうか。それともこれらもすべて、「ドラクエ5の主人公であればこんな行動はとらない」という違和感をもたせることでラストへの伏線とする意図があったのでしょうか。だとしたら何重にも不快な描写で、私はそれを「うまい」とは到底思えません。
他にも挙げたらキリがありませんが、ドラクエ5という物語の魅力をよく吟味し検討して描かれた作品とは、私にはどうしても思えません。
とても残念でならない。わかりやすい盛り上げどころ(戦闘シーンなど)はさておき、本質的に気持ちを盛り上げていく流れは観客の「ドラクエをプレイした時の感動・思い出による補完」に任せている。そんな中でも良い所を感じ取り、受け止め、ラストシーンに向けて惹きつけた観客を最後に突き落とす。
私はこの映画から、原作やファン、観客に対する誠意・敬意・熱意は感じられませんでした。
※小説版ドラゴンクエストⅤの作者である久美沙織先生から提訴されている件に対しては、せめて誠実に対応される事を切に望みます。
台無しに
最後の敵との戦いまでは、ドラゴンクエストらしく、とてもよくできておりました。
しかし、何の伏線も無く、突然
これまでの主人公達の物語や観てる観客の感動を【台無し】にした演出には、怒りさえ感じました。はっきり言って、興ざめしてシラけてしまいました。
ソードアートオンラインじゃないんだから、ドラゴンクエストの物語には、
そんな設定は必要ありません。
ドラゴンクエストは、堂々と王道を行けばいいのです。観る方もそれを望んでいます。
DVDであの設定を無しにした真バージョンが出たら買ってしまいそうですが、ソレを狙ってるのかなぁ。
全551件中、181~200件目を表示